3月14日大築城跡の見学をしました。椚側から直登しましたが、登りは比較的容易でした。当日は好天に恵まれ、しっかりと見学できました。石川さんが確認した石積みを再確認してきました。ありましたね!!!さすが!。竪堀を見学者が直登するためか、土砂が流れ落ちて荒れているのが目立ちました。山の中の城とはいえ、むやみには歩き回らないようにしたいものです。昔からの通路があるのですから。道案内も間違っていました。
1月13日〜14日に行われた「武蔵武士と寺院」シンポジュームにスタッフの一員として参加しました。当日は会員とボランティアの学生、比企の文化財担当者等とともに、受付を担当しました。2日間で述べ753名の参加者が有り、展示図録・シンポジューム資料集の販売など大変忙しく充実した2日間でした。13日の夜は女性教育会館での懇親会に出席、県内外からの研究者と交流を深めることができました

1月19日 嵐山史跡の博物館の歴史講座ボランティア10回目
3月14日(水)大築城跡・高取山城跡を踏査します。12月に実施予定でしたが、延期してきた計画です。参加者は当日、昼食持参して9時30分までにときがわ町西平の建具会館駐車場に集合してから出発します。
2月7日 金鑚御嶽城跡を踏査しました。
 当日は本庄市児玉中央公民館主催の見学会と合同で、児玉の御婦人達とご一緒の楽しい見学会でした。本郭から2の郭、西の郭などはブッシュがひどく、藪こき状態でしたが、急峻な斜面を登り詰めた山頂にある小さな本郭と、細い尾根上に造られる小さな郭などに「兵数千を置く」と『甲陽軍鑑』に記される城郭の姿が思い浮かべないものでした。

2月16日
 嵐山史跡の博物館の歴史講座ボランティア11回目
さいたま城郭探訪の記録」展を嵐山史跡の博物館で開催中!!!
展示期間 2006年11月15日〜2007年1月22日

 発足以来3年目を迎え、これまでの活動の記録をまとめてみました。博物館の玄関正面のロビーを使わせて頂き、会員一同頑張ってみました。期間中には博物館の企画展「武蔵武士と寺院」の展示も行われますので、県内外の多くの方々に見ていただけ、私たちの存在を知って頂ける最高の機会となりました。

好評裏に終わりました。
















































       小口郭から本郭へ                                    モロドノ郭現況

平成19年5月7日  逆井城探訪
   茨城県猿島町にある後北条氏の北関東最前線基地逆井城を訪ねました。 強敵佐竹氏に備えた城で戦国平城としては最大級の規模をほこり、城跡には二層楼、平楼、井楼櫓、楼門が復元され、並び立つ楼や櫓を堀越しに外から眺めると戦国の城が彷彿とし戦国のロマンを感じます。
逆井城櫓門(復原)
 
平成19年6月20〜21日  小田原探訪
   嵐山史跡の博物館の今年のテーマは「北条の城」、その本城である小田原城及び関係の史跡を訪ねました。
6月20日  小田原城、一夜城
小田原市教育委員会の佐々木健策氏に案内してもらいました。小田原城は後北条の城と近世の城が共存している城です。北条の遺構は総構え堀、畝堀、八幡郭、天神郭等が残っていますが、城域は宅地、畑、学校に転じ北条の栄光のよすがは残っていません。近世の城は北条時代の三の丸に範囲を縮小した石垣造りの城でしたが、大地震にたびたび見舞われ再建を繰り返したといいます。現在の天主閣も常盤門も戦後再建されたものです。
 石垣山一夜城は四万人を動員し80日かけて築いた城を、あたかも一夜で築いたように見せかけ、北条の戦意をそいだと言う城で、城からは小田原城が見下ろせ、天下の武力を結集した秀吉は北条を飲み込み茶会を楽しんだそうです。城に築かれた石垣は井戸郭等に残るだけで、城内のあちこちに大きな石が転がっていました。
  石垣山城井戸郭石垣                                     石垣山城遠景(小田原城から)
6月21日  早雲寺、山中城
翌朝、早雲寺に参拝。北条氏の菩提寺で、小田原攻めの時伽藍、三代の墓ともに破壊された悲劇の寺で、江戸時代に伽藍と五代の墓が再建されました。
   湯元から元箱根に上がり山中城に向かいました。山中城は東海道を取り込み、北条氏の対豊臣戦の要として防備を固めた城でしたが、多勢に無勢の圧倒的武力の前に一日にして落城した城です。残された岱崎出丸、西の丸、西櫓の周りには見事な障子堀が残されていました。各郭とも激戦が戦われた兵者(つわもの)どもの夢の跡で、見飽きぬ城跡でした。
 山中城障子堀
 


   博物館周辺文化財の複合的活用実行委員会主催の城郭ハイキング協賛

 平成191216日に行われた城郭ハイキングにサポート隊として参加しました.
参加者は204人、ボランテア38人、職員等10人

 参加人員204名は11の班に分けられ、1,2班を先頭に9時30分過ぎ菅谷館跡を出発し、槻川沿いの道を嵐山渓谷へ向かいました。嵐山渓谷が望める公園で休憩後大平山下の遊歩道を進むと、平沢寺から下ってくる道との交差点に出ます。右へ行けば下里街道、左は小倉城への道で、コースは小倉城へと向かいます。小倉城は周りの山々から見下ろされ、戦略的な価値は低いが嵐山の鎌倉街道と小川と平沢寺を結ぶ下里街道を監視出来る要衝の地にあります。であるがゆえに後北条氏は遠山氏を配し、向背定かならぬ上田氏を監視させた城と梅沢先生は述べておられます。
城へは日枝神社口から登り、枡形小口から城内に入ります。一の郭下の道を進み緑泥片岩の石積や、一の郭と二の郭間の掘割の緑泥片岩の岩盤や岩盤を削った鑿の跡を見学後、一の郭に上ります。一の郭の土塁の中から発見された石積や石段も、郭内で行われた発掘の跡も全て埋め戻され一面の落ち葉に覆われていました。見事な石積みが三の郭の斜面にも残っていますが今は埋め戻され見学できませんでした。一の郭、二の郭とぬけて、小倉城を後に下里への道を進みます。小川農村センターにて休憩、班の人数確認後下里の石切り場跡を眺めながら割り谷口より青山城へと向かいます。青山城は「関八州古戦録」に名をとどめる以外記録がない城ですが、下里から遠山方面の槻川筋、ときがわ町五明方面からの青山筋の大河原谷への侵入路を押さえ、越生飯能方面筋を監視出来る要衝にあります。 青山城への登り口は急勾配の坂道で2度も小休止を取らねばなりませんでした。仙元山から下ってくる道との合流点に出ると、青山城の山頂はもうすぐです。堀切を通り,まず東郭に入り、本郭を隔てる大きな堀切から本郭に登ります。本郭は敵を遮る土塁もなく、冷たい風の吹き付ける広場でした。矢の口に向かう郭境には緑泥片岩を積んだ低い土塁が残り、矢の口への道筋には岩盤を削って土塁とした岩がありました。城を下りる途中で大人数のため長い列になりやっと登ってきた後続の班とすれ違いながら仙元山へと向かいます。路は登り坂であるが青山城への上り坂ほど急でなく、一気に仙元山山頂へ。山頂からの景色を眺め下山。途中百庚申体の立つ分岐点からショートカットコースを辿ることなりました。道は急坂ですが時間が短縮されます。山道は落ち葉に覆われうっかりすると足を滑らせそうになる道をひたすら歩き見田地区に下山しました。近くの円城寺は曹洞宗の寺で境内に小川町指定の文化財である正中2年(1325年)と延文6年(1361年)建立の二連板碑があります。見学後、終点の小川町役場に到着。人数確認後、到着班から順次解散となりました。(2008.1.31)

青山城東郭堀切                            小倉城枡形虎口前の折坂