嵐山町谷ツ遺跡
 
所在地 比企郡嵐山町杉山字谷ツ 
位 置 関越道嵐山小川インター新設工事に伴う発掘調査によって新たに所在が確認された中世城郭遺構と見られるものである。杉山城跡とは谷を挟んで対峙する位置を占め、杉山城跡北東500mに位置し、市野川の支流粕川の谷に向かって舌状に突き出す標高78.3mの丘陵先端部に築かれる。
 この地点に、城郭等が所在したことは全く記録に無く、阿部家にもその伝承は存在しない、中世城郭と考えられる新発見の遺跡であるといえる。
遺 構 比高21m程の丘陵は南北を溺れ谷に挟まれる幅120m程の狭い丘陵で、越畑城方向から南東に延び、粕川の谷津を見下ろす絶好な位置を占める。
 発見された遺構は、関越道嵐山小川インターの建設に伴う財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団の発掘調査によって平安時代の集落調査が行われ、調査区東端部から上幅1.8〜2m、深さ1.5〜2mの薬研堀が検出されたことによる。この堀は舌状丘陵の括れ部を丘陵裾から完全に掘りきって存在する大規模な遺構で、その構造からは、明らかに中世城郭に伴う堀切と見られるものであった。県文化財保護課や財団職員の要請によって調査をしたところ、道路敷地外の丘陵先端部上に明らかに人為的な造作を加えたと見られる部分が確認でき、この地点に城郭が形成されていたと考えられた。
 我々が確認した遺構は丘陵先端部の標高78.3m地点の平坦部を東西25m南北26mほどの郭を中心とするもので、備えは杉山城跡方面に意図的に形成されていることが理解される。周辺は切り落とされるが、南部は1.5m程に鋭く切り落とし、西部には高さ60pほどの土塁状の高まりが見られる。しかし、この反対側となる方面は大した造作は行われなかったのか明瞭な形で切り落とし遺構を確認できない。そして、東南から南西にかけては切落し下部が現状では通路になっているが、平面屏風折りになるこの通路はあるいは空堀と観察できるかもしれない。通路は東南で阿部氏宅東側に下るが、10m下った地点で西に延びる高さ1.5m程の切落しが形成され、西端部は明らかでないものの、2段築成による防御が行われていたことを伺わせる。なお、堀切から主郭西部の土塁状遺構までの距離は50m程である。堀切は先にも記したように上幅1.8m〜2m、深さ1.5〜2mの箱薬研堀となるが、北斜面にはこの延長部の堀跡が確認でき、現状で上幅5m、深さ60pほどに観察される。そして、この東側には幅3mで高さ1mほどに盛り上がった土塁状の高まりが見られるが、これは掘り上げ土を置いた痕跡であるだろう。堀切は丘陵裾部まで築かれていたようで、現状でも沼の縁の平坦地まで下っているのが確認された。
 尚、主郭西部に残る阿部家氏神跡の西に掘り状の窪地が見られるが、これが空堀等の遺構であるという確証はつかめない。
 年代は不詳
                        2001.10.調査 


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