二重囲画方形館タイプ
斎藤慎一氏が示した「群郭城タイプ」の城郭はいまのところ北武蔵での存在は知られていない。結城城に典型的に見られるこのタイプの城郭は、初期城郭として考えられるが、このタイプの城郭が形成された時代の永享12年(1440)に須賀城、康正元年(1455)に深谷城などの記録が知られるものの、その実態を知ることのできる城郭は現存しない。そして、この年代には成田館攻撃と記録されるように、結城合戦頃の城郭は北武蔵では未発達であった可能性も否定できない。いずれにしても、北武蔵の城郭の中には様々なタイプの城郭がある。須賀入道の宿城、成田氏館のように1440年7月に一色伊予守の立て籠もり、庁鼻和性順等による攻撃の記録によって存在したことが知られる館がある。あるいは永享12年(1440)の関東管領上杉憲実の「野本、唐子逗留」の記録によって、青鳥城や野本氏館が存在した可能性も類推される。そして、庁鼻和城のように庁鼻和上杉氏によって1440年の宿城攻撃などに先立って築かれたことが知られる城郭もある。発掘調査された館としては美里町の新倉館があり、この年代観は15世紀前半とされた。また、川越市上戸の河越館は平一揆が立て籠もった応安元年(1368)には、相当規模の館として存在していたことが類推されるものであるが、発掘調査の成果をまとめた田中信氏の見解では3〜4mの薬研堀をめぐらす方1町四方の方形館は13世紀後半から14世紀中頃に出現するという。そして上杉氏段階は上幅3mを越える箱状の堀が多く掘られる館跡の出現は15世紀後半から16世紀初頭とされている(田中信2000)。
県内に見られるこのような「方形館」は調査や記録によって知られる年代は、遅くても15世紀前半代までの年代が与えられる城館である。この時期存在が確実な結城城のような郭の集合体としての結城城タイプの城郭=「群郭式城郭」とは違った構成の館といえるが、記録や文書によって知られる出現時期は、結城合戦を通じて知られる城郭出現と軌を一にするという僅かな特色が得られる。そして、県内方形館の内、『埼玉の中世城館跡』に記された菅谷北城、武城、石戸堀の内館、河越城、成田館、庁鼻和城、阿保境館、四方田氏館、新倉館、堀越館等は現在二重の堀や土塁によって防御される構造を示す館である。このように、二重の構えを持つこれらの館に特徴的なことは規模の大小はあっても、土塁と堀で二重に囲画された主郭を備えていると言うことで、「二重囲画方形館」とでもいえる館であるが、この二重の防御施設がいつ頃形成されたか等について検討する必要があるだろう。
発掘調査の成果などで河越館跡、阿保境館跡、新堀館跡などの館跡が確認されるが、二重囲画方形館という特色ある館の把握が行われる以外城館の詳細は明確でない。この段階は合戦に際して臨時的に城郭を構えることが主体であったという斎藤慎一氏の研究(斎藤2002)があるが、河越館、成田館、阿保境館をはじめ、庁鼻和城、青鳥城を含め方形単郭の館を中心に城郭を構えていることは確認して差し支えないのかも知れない。
最後に「二重囲画方形館タイプ」について若干述べておきたい。橋口定志氏は「方形館はいかに成立するか」の中で発掘調査の成果を取り入れて阿保境館跡の分析を行い重要な指摘を行っている。 発掘調査報告書によれば阿保館跡は1辺約163mの二重囲郭方形館であるが、13世紀前半〜 14世紀前半には外郭の堀遺構は存在せず、80m〜90mの幅1.5m前後の小規模な堀のめぐる単郭館であった。それが、14世紀中葉〜14世紀後半と15世紀段階では20m程外側に幅3〜4mに外郭の空堀が造られ、内郭の「小溝」と併せて「二重囲画方形館」となる事が知られる。橋口氏は従来からの方形館の年代観を否定し、その出現は「おそらく、14世紀あたりを転換期としてそれ以後に「方形館」の本格的な展開を考えるのが、現時点では最も穏当な理解のしかたであると思われる。」として、方形館は14世紀段階に成立していた可能性を指摘し、阿保境館跡は中世前期から後期へ移行する過渡期の居館の様相を考えるに示唆的であるとした(橋口定志1991)。
安保氏館跡の発掘調査ではおおよそ東西1町半、南北2町の方形館であったが、これも15世紀後半〜16世紀前半に位置づけられる第W期は二重囲画方形館になっているという報告(篠崎潔1995)もなされているように、この見解は最近の県内の発掘調査事例でも先のように確認されるところで、方形館の見方を大きく変えるものとして充分検討しなければならないだろう。 北武蔵での「二重囲画方形館」の出現は、単郭方形館の規模が、半町あるいは1町四方を基本とする事や、「二重囲画方形館」の中心を占める主郭と内堀を合わせた規模が、やはり半町か1町四方であることを理解すると、「二重囲画方形館」は単郭の館を更に囲画して規模拡大と共に、防御機能を充実させたものと考えられる。北武蔵で調査された僅かな事例でも、15世紀を中心とする年代が与えられるものは、阿保境館跡の他に安保氏館跡、広谷北城跡、大堀山館跡、宮廻館跡、新堀館跡等の館城跡が存在するので、どうもこれらは北武蔵の城郭出現期の館城として把握していける気配が強い。
