滑川町谷城              
 
所在地 比企郡滑川町山田字谷1483
 
遺 構 滑川町史の編纂時に町教育委員会によって発見された城郭である。山田城の東約700mに位置し、山田城の北にある山崎城は真西にあたる。低位の丘陵上に所在する。城跡に関する伝承等はないが、西に張り出す丘陵先端部を二本の堀切で区切って城郭を形成する。堀切は上幅約5m、下幅1mのもので約1.2mほど地表を掘り下げて作られる。幅約8mに平行する二本の堀切は円弧を描くもので、北側が1本の堀でつながる。堀の内側にはそれぞれ掘り上げ土を盛ったと見られる土塁状の高まりが60〜80pに残っている。北斜面上部の堀切延長線上は1.6m程切り落とされ、狭い帯郭風の段築部が有る。主郭部は径40m程の平坦地であるが、大きな地形は行われた様子が見えない。丘陵斜面部の傾斜はきつくない。周囲の水田面との比高は約20mを測る。丘陵を北から浸食する谷側に近世存在した寺院跡が見られるが、この地点が城跡に関係する遺構か確認されない。丘陵中腹を削平し、間口22m、奥行き10mを測る。さらに丘陵東部にはもう一つの城郭遺構と言われた堀跡が認められるが、これは丘陵を縦断する山道から北側にほりこまれるクランク状の空堀で上幅4m、下幅1m、延長距離30m程に造られ、西側に堀上土によったと見られる土塁状の高まりが確認される。しかし、かって図示されたようにここに方形の遺構はみることはできない。あるいは造りかけの城郭遺構なのだろうか。
 本城は丘陵先端部を単に掘りきって防御しただけの城郭であり、一時的に利用された陣城的な城郭であったと見ることができるだろう。西側に所在する山田城と対峙する位置を占めており、或いは山田城を押さえるための城であった可能性が強いと見ておきたい。


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