本陣山砦
飯能市南川字本陣、
特別養護老人ホーム「 園」に東尾根の更に東に、「子の権現」から北に延びる尾根筋にある。標高442mの本陣山山頂から北に延びる尾根先端部に位置し、標高332m〜275mの痩せ尾根の端部に造られる。325mほどの尾根基部の鞍部を上幅5m出深さ1〜1.5mに掘り切り(堀切2)、北側は約4.5m上る。7m先に上幅7.4m、深さ1.5mの堀切1を置く。その先に尾根を削平して造った9.5×6.5mの郭2、更に3m上がって尾根先端の最高部(332m)に24m×8.6mの郭1を造っている。ここから真北に一気に80mほど下がって高麗川まで下る。途中上幅3m深さ1m程の堀切3が置かれる。従って北側の極めて細い尾根筋は登坂路として利用されていた事になるが、この急斜面部には今も尾根道が見られる。なお堀切3直下になる上半分は落差25mほどの岩場を利用した障壁となる。極めて小規模な城郭であるが、堀切と郭形成は比較的しっかりと行われている。本城からの見通しは谷が狭く、深く、屈曲しているため東でも300m余と極めて悪い。
この城郭の周囲の地名は、山麓の小さな集落が本陣、山頂が本陣山、山頂北西部の谷が本陣沢、南東が本陣平と「本陣」という地名が残される。本陣という名の由来については何も残されないが、この名を聞いて思い浮かべるのは享禄3年(1530)の「吾野蜆城合戦」『石川忠総留書』で河越城にいた上杉朝興が遠山直景を攻め破った合戦である。これについては蜆城そのものが確認されていないため、余り論評されてこなかったが、或いはこの地域であった可能性も考えたが、いかがだろうか。