埼玉県の戦国史上著名な後北条氏の支城の一つに鉢形領がある。
この鉢形領は北条氏康の4男氏邦が、武蔵の国衆で秩父・寄居地域を支配した
藤田氏の下に入り、藤田泰邦の娘婿として支配した鉢形領である。
この地域には、埼玉県史資料編第6巻で知られるように、数多くの史料を残す、氏邦を支えた
中小の武将達が存在し手いたことが知られる。
そこで、それらの武将達を地域にいる者で、調査研究しそれらの者達の資料を確実に記録化
しようとする取り組みが2016年度から始まった。専門の研究者では無いが、熱き志を持つ仲間達の
調査と研究の成果を紹介・お知らせする掲示板とします。


2019年3月
昨年度、研究会が総力を上げて、取り組んだ調査成果です。
販売は本編千円、別編五百円(いずれも送料・消費税別)まつやま書房に販売委託しています。研究会のため、印刷費捻出に苦労しています。多くの方の購入協力をお願いします。
第一集には、埼玉県内の戦国国衆の北条氏邦の養父であった藤田泰邦の県内唯一の発給文書の写真を初めて掲載しています。掲載史料の範囲は秩父郡です。
掲載史料は合計90点、100頁、A4判。別編は北条氏邦の朱印TからV型復元図を掲載。総頁54頁。この外に発表会資料集第二集(年表30頁付総計67頁、500円)もあります。
史料集は第四集までを計画し、毎年一冊づつの刊行です。第二集は秩父郡約125点の予定で、第三集は榛澤郡・男衾郡・幡羅郡、第四集は 賀美郡・那賀郡・児玉郡之予定です。


別編【解説】(原文・縦書、A4判)
埼玉県指定文化財
斎藤家文書 秩父市栃谷 斎藤古寿氏旧蔵・埼玉県立文書館蔵
斎藤家文書1 乙千代丸判物 (永禄四年・一五六一年)本編6頁
【読み下し文】
今度、使いを為し、難所をしのぎ罷り越し候、忠節候、
何様本意の上、一所宛うべきものなり、よっての状くだんのごとし
 九月八日 乙千代丸(花押)
  斎藤新四郎殿

【解説】この史料は、「秩父一乱」に関わるものである。斎藤新四郎(斎藤八右衛門尉の息子カ)が、秩父で北条氏に敵対した武将達の情報(カ)を乙千代丸に伝え、これに対しての感状である。乙千代丸は北条氏康の四男で、天文十七年生まれであり、天文末(四・五才の頃カ)に藤田泰邦の下へ娘聟として養子に入り、福と結ばれた人物である。天文十五年以降の北条氏が武蔵を席捲した中で、藤田氏は、その従属の証として乙千代丸を受け入れている。乙千代丸と署名した文書はこの一通のみで、直ぐに乙千代と名を改め、以後、永禄七年頃まで乙千代を名乗る。
 秩父一乱の時、乙千代は小田原に在城していたと見られ、親元の日山藤田氏や、その一族まで巻き込んで反北条一色に染められ、混乱していた秩父を抜け出して、小田原迄反北条勢の情報をもたらした功績を称えている。そして、この文書では、秩父の反乱を鎮圧して平定するという本意を達することが出来れば、領地を与えると約束している。
この年は既に北条氏の軍勢が秩父の日尾城を落とし、天神山城を開城させていること等から、永禄三年という考えもあるが、秩父進攻の前に重要な情報がもたらされたということであり、そして、「如何様本意の上」と言う言葉を考えると、永禄四年の北条氏が反転攻勢に転じた時の出来事と理解できる。

発表会資料集第2集(A4判)
内容 報告1「両神薄薬師堂十二神将の墨書について」高橋稔。2「藤田大学について」石塚三夫 3「秩父衆・閑野氏について」新井克彦
    講演記録「吉田氏関係文書を読んで」梅沢太久夫。
    寄稿「移行期に見る一騎衆の残像2」千嶋寿氏。
    鉢形領中心の戦国史年表