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日本の自立をめざして
・・・植物国家、日本という考え方・・・ 笹川誠二
大変な日本
今年の1月14日、小泉首相は靖国神社に参拝した。 いつもの如く、中国、韓国が侵略戦争を肯定し、過去の犯罪行為を反省せず、自国民に対する敵対行為だとして、間髪をいれず、抗議している。 公明党、保守党、民主党の党首も近隣諸国の国民感情に配慮していない、残念な行為だと抗議している。 大正生まれの父、母はテレビを見ていて、先祖さまのお墓参りも出来ないのか、と、とても理解できないようだ。 靖国という日本文化の根幹に関わる問題でさえ、国民の意見は分裂状況にあり、方向性が定まっていない。
日本は八方塞りの状況にある。 600兆を優に超える赤字国債、途方もない不良債権、5%を超える失業率、百万人ともいわれる閉じこもり、社会に飛び出そうにも、飛び出せない高校、大学卒業生、企業倒産、リストラに怯える会社員、学力が低下しつづけるゆとり教育、少子化が進み、未婚者が増えて、未来の日本の人口が半減するかもしれないという民族の活力の衰退、全国の山野の下には産業廃棄物が埋もれてゆく環境破壊、食卓にのぼる食材の60%が消毒された輸入品という自給率の絶望的低下、日々報道される凶悪事件の数々、なかでも、いたいけな子供を虐待する鬼のような親たち、希望をもたらす事象もあるのであろうが、なんとも力が萎えてしまう状況である。
このような難問を前にして多くの提言がなされ、改善案が提出され、心ある人達が努力している。 政府も構造改革を進め、事態打開に打ち込んでいる。 国民全員が日本の現状況が危機にあるということでは共通認識を共有していることは間違いないことである。
それでは、構造改革が首尾よく成功し、再び好景気になれば、難問はすべて解決してしまうのであろうか。 中国、韓国、アメリカなどの諸外国の内政干渉は収まるのだろうか。 解決しているとは到底思えない。 景気の好不況に左右されない、食料自給率、人口減、教育問題等々、多くの難問は未解決のままであろうし、更に悪化しているかもしれないし、想像もしない新たな難問が浮上しているかもしれないのである。
問題はこれらの個々の難問を引き起こしている共通基盤というのもが解明されていないことである。例えば、靖国参拝問題と閉じこもりの問題とを並べて、この二つの難問を引き起こしている根本原因が同一である事の解明が進んでいないのである。
靖国の問題に取り組む人達はそれ自体で完結し、閉じこもりの問題の解決に挑む人達はそれ自体で完結し、相互が無関係ではないのに、それぞれ別々に自己の取り組んでいる難問が日本にとって、最優先課題だと信じて疑わない。難問が難問同士で、いわば蛸壺化している。この日本の体質ともいうべき分裂状況が事態の展望を不透明にしている最大の障害である。根本原因が解明されたいないから、難問の優先順位がわからない。
優先される難問は未だ提起されず、しかも日本人の心の無意識下で強大なマグマとなって、影響力を行使し、自分の出番を待っているかもしれないのである。
このマグマ、日本文化、日本文明の抱えた巨大な矛盾を少しでも解明しようとしたのが、次に展開する仮説である。
猛獣を崇め、猛獣を模倣する人間
私は文字もなく、一神教も発生していない洞窟という基地にすんでいた原始の祖先の生活にその謎解きの突破口をみいだそうとした。
そのきっかけは2,3年前のNHKのドキュメンタリーを見ていたときだった。アマゾンの奥地に住む部族の生活記録であった。部族の男達は狩猟を担当しており、主に弓矢や落とし穴を駆使して、獲物を狙っていた。一番興味をそそられたのは、男たちがその地に生息するヒョーを崇拝していたことであった。少しでも、ヒョーの捕捉の卓越した技量を身に付けたいと願い、ヒョーの牙や皮を首や頭などに飾り付けているのである。
現在でも、そのような心性が生き続けているのかと深く感じ入った次第であった。
人間がまだ武器も貧弱で洞窟で自分の身を守らざるを得なかったとき、外は野獣達が跋扈する危険に満ちた空間でもあったに違いない。 飲料水を確保するにも、果実を採集するにも、いつ猛獣が襲ってくるかもしれないという不安だらけの生活段階があったに違いない。 実際、ライオンや狼に追いかけられたり、突然、襲われて、殺されたこともあったに違いない。 その生活空間では猛獣が上位に君臨し、人間は猛獣の行動に戦々恐々としながら対処して、自分たちの食料を確保していったに違いない。 人間はライオンを恐れると同時に、ライオンのようになりたい、ライオンのようになって、自由に野外を闊歩したいと熱望した長い、長い歴史があったに違いない。 その動物に憧れた記憶が今も残っている。
「人間がよく知っており、また何千年もかかって多くの犬に仕立てあげた狼たち、昔から人間に強烈な印象を植え付けてきた。 じつに多くの民族の間で狼たちが神話的動物として存在していることや、人狼の観念、狼に変装してほかの人々を襲い八つ裂きにする人間たちの物語や、狼たちに育てられた子供たちの古代伝説ーこうした事実やその他の事実はいずれも、狼が人間にいかに近い存在であったかを明らかにしている。」「人間たちは狼たちから学んだのである。 かれらはいわば狼になる練習をするような踊りがたくさんある。 もちろん、他の動物たちも狩猟民族の間に同じような能力を発展させることに貢献した」のである。
過日のユーラシア21世紀の潮流という番組でイスラムの人々が指で狼を形どって挨拶しあっている光景がでてきたが、それは偉大な卓越した英雄チンギス・ハーンを意味するのだという解説があった。 チンギス・ハーンは蒼き狼の子孫であった。
歴史に出現した王たちはライオン、トラになることを望んできた。 虎や獅子のような「猛獣は偉大な補足者であり、」「待ち伏せること、突然跳びかかること、爪で突き倒すこと、肉をずたずたに引き裂くこと、すべて単独で行う」「その遂行にあたっての自信満々たる態度、殺すものの疑問の余地のない優越性、猛獣が自分の好きなように獲物を選べるという事実ーこうしたすべてのことがその強大な威信に寄与してきたのである。」「驚嘆され、賛美されてきたのは補足行為そのもであり、その成功であった。」
人間は生きてゆくモデルを動物に求め、目標である獲物を捕捉するあらゆる術、待ち伏せ、追跡、騙し、威嚇、おとり、殺戮、姦計、駆け引き、包囲、役割分担、変装、掟、などをむほう模倣し、自分のものとし、高度化し、遂には猛獣を追い越していったのである。
秩序を求める猛獣
現代に生きる人間は野獣に学習した原始の人達の子孫である。 気高い理想を掲げ、残虐さを糾弾し、正義の実現を求める人達はこの記憶を忘却しているかもしれないが、人間が生存をかけて学習したこの体験は無意識の下方に赤い略奪衝動として、今もたぎっているのである。
さて、猛獣に学習した人間が生きぬくために、自覚した生存の条件は何であろうか。 それは獅子のもつ自由と武力である。 自由とは他人に妨げられず、大地を思うままに行動できることである。 大地を統制することを欲しても、大地とは分離し、大地に縛られてはならない。 次に武力である。 しかも敵に抵抗の意思を喪失させてしまう武力である。 相手が反抗する場合はすぐさま、殺戮することのできる武力である。 この条件を手に入れることによって、人間の生存の条件は確保される。 略奪の成功はその人を英雄にする。 獅子が尊敬されるように。
略奪が日々成立する為には略奪される客体が日々用意されねばならない。 支配者が囲い込む縄張りがその供給源であり、その空間は死守されねばならぬ。 縄張りを持たない、野心家は自己の生存の拡大を期して、既存の縄張りを侵害せずにはいられない。 争闘は日常的になり、殺戮はいたる所で勃発する。 その度に、自由と武力を剥奪された人間たち、即ち大地に鎖で拘束された奴隷が生み出される。
経験を蓄積した人間は略奪衝動を満足させ、かつその満足を永続させる為、その直接的な暴力衝動の発動を抑圧し、むしろその闘争の勝利の結果を制度化する事が生存の永続に必要だと得心する時がやってくる。
即ち、精神の奥底から略奪衝動に突き上げられる人間集団は熱狂、暴動、謀略、侵害、殺害、騒擾が絶え間なく起こり、収拾がつかない。 大地から分離している人間の群れはその自らの奔放な衝動を秩序あるルールのもとに制御しなくてはという欲求が第二の本能のように生まれてくる。
明文化された法は彼らにとっては、生存の盾であり、権利の保証である。 法が遵守され、権利が侵害されなければ、生活は平和である。 ところが、権利が侵害された時はどうするか。 「権利=法は平和であり、そのための手段は闘争である。」侵害をいつも予想して、すぐさま対抗しなければならない。 だからこそ「片手に権利=法を量るための秤をもつ正義の女神はもう一方の手で権利=法を貫くための剣を握っているのである。」法の目的は平和であり、秩序であるが、その平和を維持する手段は武力なのである。 国土の一坪でも略奪されたり、国民の一人でも虐殺されでもしたら、その権利侵害に対して、武力に訴えてまでも、抗議して、名誉回復するのが、動物国家、及び国民の義務なのである。
強烈で肉体的かつ非合理的な略奪衝動に対抗する普遍的で合理的、法則的な静止的秩序への希求、冷厳な法、戒律への憧れ、この対照的な両者は猛獣を師に仰いだ動物国家の人達に不可避的に発生する自由と秩序への相克する二大欲求である。
日本人は猛獣に学んだか
明治維新以後、なぜか、日本人は、日本人とは何者か、と問いかけ無数の日本人論を積み上げてきてうぃる。 ユダヤ人、西欧人、中国人、等々と比較したり、あるいは砂漠など風土の相違から日本人の本質を明らかにしようとしたり、考えられる全ての分析視角からその探求を試みてきた。 日本人自身がそのような要求を持っているという事は、明治維新以後、日本人は何か巨大な喪失を抱えてしまったということを意味すると思われる。
私も細々と、日本人とは何かと探求して、長い年月を経てしまった。 猛獣に学ぶ人間という考えも、世界の歴史、哲学、宗教等の森の周りを彷徨し、入口が発見できず、疲労の果てにゆきついたところなのである。
静かに素直に日本の過去を振り返ってみよう。 古事記にみる神話の世界、日本の民話、日本の文学、歴史、そこには猛獣に学んだ英雄の痕跡はないと断言できよう。
しかし、日本の国土に生活した原始の人達も、猛獣に学んだ人達と同じく、何かに学習したに違いないのだ。 日本人は何を頼りに生活の術を蓄積してきたのか。
私自身が日本人なのに、この答えがすぐに言葉として出てこない。 狼の踊りの練習した記憶もない。 ライオンのように強く独立した人間になれとも言われたこともない。 ただ、好きな事をやってよい、但し人様に迷惑だけはかけるなよ、と親に言われてきた。
日本人は何かと探求してきて、いま、この親の言葉は重要な事を示唆しているのではないかと思っている。 この親の言葉は日本の親なら、皆言いそうな言葉なのである。 ノーベル賞を受賞した小紫博士も成人式の祝辞で若人に向かって、はやく自分のやりたい事を見出して、その事をやりぬいてもらいたいと述べていた。
猛獣が獲物を見出して、その獲物に魅せられるように、日本人は生命ある個物に魅惑されたのである。 特に植物の生命に魅惑されたのである。 しかし、植物はライオンのような模倣の対象にはならない。 稲を模倣する事は不可能だ。 植物に学ぶという事は、植物の成長のリズムに同調できる自分を鍛える事である。 猛獣はその相手を自己の所有物にしてしまうが、日本人は相手の生命に所有されてしまうのである。 日本人は植物の手足になるのである。 この滅私の行動によって、日本人は個物に潜勢する植物生命の生産力を増大させることに成功し、生存の基盤を見出したのである。
動物に学んだ人間は、自分に多大な利益をもたらす獲物を見出した時、それをわがものにせんと、緻密な戦略を立て、遂にはその相手に勝利し、制度的契約関係を結び、永続的な合法的支配にいたる。その一連の起承転結は、まず狩猟者という主体の略奪衝動の意思の発動があり、その後、事態の推移と結果に従って、敵、客体との関係が決まってゆく。主体と客体は同じ人間どうしであるが、両者には不断に猜疑心と緊張がある。
日本人も自分に多大な利益をもたらす個物を求めている。しかし、その個物は生命ある、植物、動物、魚貝などの、異類の相手なのである。自分が無限に存在する個物のなかから、その出逢った生命に魅せられたからには、即ちやりたい事に出逢ったからには、その個物vの持つ無限の成長力、生産力の発現に没頭しようとする。 主役は人間即ち、日本人ではなく、その生命ある、魅惑された個物であって、まず、その生命の躍動があって、それに反応し、没入し、個物の中に内属してしまうのが日本人である。 生命の動きを受動し、キャッチしたそのリズムを積極的に強化する、受動的積極性が日本人の基本的行動の特性となる。 自然に生起する全ての事象、コオロギの鳴き声から、せせらぎの響き、土の温度の変化まで、今感じる動きに反応することが日本人の戒律となる。 従って、その戒律は明文化出来ないし、その実践の時間、形式も不定となる。 日本人の本質は植物的行動様式そのものにあるのであって、多くの文化業績の形はその結果なのである。
日本人にとって、主体と客体との関係は親和と同調となる。 日本人は動物に学んだ人間のように、相手とエンドレスの緊張と分離の関係を続ける事が出来ない。 ところが、動物に学んだ人間はライオンとハイエナが永遠に反目と共存の関係であるのと同じく、この状態が永遠に続くことは自明の事で、むしろ融和の状態にでもなれば、なにか策略の渦の中にいるのではないかと恐怖心が湧いてくることだろう。
日本人を動かす根本衝動
日本人は生命ある個物に生存の根拠を見出した人間である。 中でも、植物に衣食住の大部分の材料を求めてきた。 日本人は植物に囲まれ、植物に包まれ、植物を食べ、植物に慰められ、植物の美しさに感動し、植物を聖なるものとして崇拝した。 日本人は植物に魅惑された民族である。
日本人の人体の名と樹木の部位の名には、不思議な対応がある。 目には芽、鼻は花、歯は葉、身は実、皮膚は樹皮、関節は節(ふし)、根性は根、日本人がいかに植物と親和の関係にあるか、先祖の熱い思いが毎日、 話している日常語の中に籠もっているのである。
猛獣に学んだ人間に本能のように植付けられた根本衝動が略奪衝動だとすれば、植物に魅せられた日本人の持つ根本衝動は何であろうか。 その衝動は略奪衝動と同じく、生存を確保するために、無意識的反射的に発動されるもので、善悪の判断を超えたものである。 それは育成衝動とも称すべきもので、相手の個物の動きに反応して、その動きを育てようと反応してしまう衝動である。 日本人、即ち自分自身の心を探っていくと、この育成衝動は二つの衝動に分かれている事が解ってくる。 それは子供、学生の頃は、自分の好きなゲームや野球、スキー、パソコンなど具体的な個物に熱中していたが、結婚して子供が生まれると、自分の事はさておいて、子供の世話に熱中する。 子供の元気がないと、何か病気にかかったのかと、それは心配し、子供が寂しくないか、ほしいものはないか、とあれこれ一喜一憂して見守っている。 前者は個物衝動、後者は世話衝動ともいうべきものである。 日本人はこの二つの衝動に動かされている人間である。
赤ちゃんは周りの全ての個物に熱中する個物衝動にのみ動かされている存在だし、その赤ちゃんを見守る母親は赤ちゃんの全てを見守る事がすべての、世話衝動のみに動かされている存在である。 日本社会を俯瞰すれば、勤労に励む国民は個物衝動に傾き、天皇陛下は世話衝動に傾いておられるのである。
個物衝動は個物の動きに心身を集中し、究極は物の動きと自分が一体となることをめざす衝動、世話衝動はその個物衝動に動かされているその人を背後から見守り、心置きなく仕事ができるように物心両面から支援、世話する衝動である。 それは樹木において、地表の木が天に向かって、すくすくと成長してゆく具体的で自己実現的活動と、地下にあって、根が表の木に見えない、隠れた地下から栄養分を送り、強固に張った根でその地盤を強固にしている無私の努力に対応しているのである。
動物国家と植物国家
現在、世界にある殆どの国家は猛獣に学んだ人間集団の子孫が造り上げたものである。 ただ、その祖先が影響を受けた動物たち、狼、ライオン、虎、熊、牛、馬、鷲、龍などの特徴に応じて、その宗教、慣習が異なっているのである。 しかし、共通していることは、武力と理念、戒律を国家生存の必須条件としていることである。
武力は自らの略奪衝動の満足の究極の手段だし、敵の略奪衝動の餌食にならない防波堤である。 理念は国民相互の騒擾、侵害、内乱を防ぎ、社会を在るべき階級に秩序だてる正義の法、戒律である。 異なる理念の新入を防ぐと同時に、世界に向かって自分達の理念を宣布しなければならない。 理念闘争は武力闘争とおなじく略奪衝動ののう一つの現れなのである。 従って、理念的攻撃性が彼らの政治行動の基本特性となる。
イラクや北朝鮮はアメリカの権力者の言動から日本人の想像もできない検討課題を引き出し、ハイエナがライオンに対抗するように外交と討論と秘密めいた武力カードを駆使して、したたかに世界を相手にしている。 一瞬の弱気でもみせようものなら、ライオンのあっというまの牙にやられてしまうのを熟知しているからだ。 イラク、北朝鮮も、他の弱小国も核を堂々と所持したいのである。 経済を犠牲にしても強力な武力を持ちたいのである。 パキスタンもインドも武力のバランスが崩れては全てを失うことを恐れて、核とミサイルに執着するのである。 動物国家は敵が動物国家であることが当然であるから、平和というものが武力で支えられている事は常識なのである。
日本はこの常識がわからない。 日本も動物国家であると世界は見ているので、武力を放棄して、平和を希求する理念を掲げていると言明しても、その言葉をまともに受け取る国はない。 むしろ、その言葉の後に得たいのしれない謀略、嘘が隠されていないかと勘繰られて、疑惑の目で見られているのである。 戦争放棄といいながら、軍事予算は世界第3位の巨大なものなのである。
日本人自身としては、略奪衝動を隠している事はないし、世界に広めようと宣教師を送るほどの理念も持っていない。 しかし、世界の動物国家はその常識からして、日本は巨大な経済力を有して、何を考えているのかと警戒されているのである。
日本は世界の中で唯一の植物国家なのである。 語り合うべき親戚の国家を持たない、孤立、孤独の国家なのである。 日本文明とは、植物国家の文明のことである。
この事を自覚していないから、自己の分析も分裂的になるし、西欧、中国の分析も分裂してくる。 西欧哲学の崇高性に心酔するだけの人達と暴力的侵略の歴史を糾弾する人達が別々にいる。 同じように、日本の芸術、文化を世界無比と主張する人達がいると同時に、日本人の知性が遅れていて、個人が確立されていない文化後進国と弾劾する人がいる。 どちらも、上半身と下半身を同時に論じる事がない。 つまり、ライオン全体を掴む事ができていないのである。 当然の事ながら、私達は地上に現れている樹木と地下に隠れている根を同時に自覚していない。 日本人は植物に学んだ人間だという事を、である。 極端に言えば、動物は植物に、植物は動物に、互いに影響を与え合うであろうが、動物と植物を比較してその優劣を論じても意味もないし、ましてや、動物は植物になろうとはつゆ思わないだろうし、植物が動物に変身することが出来ないのも当然であろう。
国土と市場
日本人が相手にしているのは個物であって、自然全体でない。 自然、もしくは日本の自然、国土は個物衝動が発動する前提条件であって、日本人はこの国土の個物の生命を生み出す前提に対しては、お天道様として崇敬していたが、その国土を相手には個物衝動は発動しようがないのである。 これが自然愛好民族にして、自然を産業廃棄物にあふれさせている原因である。
日本の歴史を巨視的に概括すると、約一万数千年の長きに渡って、生存の前提であった国土の内部で植物、魚介類などの実りに個物衝動を注いだ縄文時代、国土という土台の上に稲を特別な種として、その種の生育、拡大、普及に個物衝動を注いだ弥生時代から江戸時代までの2千年、過去からの生存の基盤である国土と、新たに登場した世界市場という生存基盤との協同と相克の時代、即ち、明治から、日清、日露、大東亜の大戦を経て、昭和の高度成長を実現し、最終的に都市と農村との二重構造が消失したバブル経済までの百数十年、それ以降現在までの、世界市場のみが日本人の生存の前提となった時代に区分できる。 市場に包まれてしまった日本は今、恐怖の未体験ゾーンに入りつつある。
日本人の歴史で明治維新とそれ以前を区分するものは、日本人の生きる前提条件に世界市場が入り込んできたことで、日本人の大父母であった国土が以前の聖性を失って、固定資産たる土地、美しい風景、収集すべき民族、名所旧跡になってしまった事である。
日本人全てが根を降ろしている場は、今や市場に包まれて、かっての安らぎと思いやりが消え失せて、損得勘定の数字とノルマが飛び交い、仲間は競争相手となり、いつも追いたてられ、管理され、心休まる時が無い場所と変質してしまった。
日本人は市場の冷たい論理に反応しつづけてゆくうちに、人間の評価基準が単純化、数値化、平板化してしまった。 学生は偏差値で社会に入る前に評価され、学歴で序列化され、社会人は売上を伸ばし、利益をあげる者が偉大な人となり、いくら親切で人望があっても、市場に登場できなければ、商品価値がなく、無価値な存在となってしまった。 数値に還元できない人間の多様性、独自性、面白さを許容するおおらかさが消え、人間を楽しむ余裕もなくなり、人間は値札をつけられたコストとなろうとしている。
市場に包まれた日本人は次第に物事を自ら深く考えることをせず、物も作らず、ただ情報に条件反射して、消費するだけの操作されやすい大衆の中のアトムとなってゆく。
今、日本人が一万数千年の先祖の幾重にも重なった営みの上に、伝承さらた生活のありかたが、忘却され、遅れたものと退けられ、先祖という言葉も若者には死語となりつつある。 これは日本文化の核が溶解している事を示唆してはいないか。
もう、日本人は国土のもとで、植物に包まれ、祖先に見守られ、植物生命に没入して、近所の人達と細々とした事の会話に興じ、生活を自然の美で飾りたて、安心した、静かな人生に戻ることは出来ないのだろうか。
民族の生き生きとした活力は過去と断絶しては戻ってこない。 母の愛情を感じる能力がかけていれば、子供は生きる力を持つことが出来ない。 廃棄物を国土に埋めつづけて、汚れた自然を子孫に残し、600兆もの借金のツケを子孫に尻拭いさせようとして、恥じない親に子孫は愛情を感じる事は出来ないだろう。 私達の子孫が親を拒否するのには当然の理由がある。 しかし、平成の日本人は親を拒否できる理由はない。 明治維新以来、日清、日露を勝ち抜き、大東亜戦争で国土を死守してくれた世界に誇りうる祖先の遺産のお陰で今の生活があるからである。
日本人の巨大なジレンマは国土の元に戻って、日本人本来の自然で、自立した生活に立ち返りたいという心情と、今の生活を維持発展させてゆくには、世界の全ての国々と友好関係を築き、平和を希求して、世界市場を開拓してゆく事が必要だという現実の必要のはざまにある。 今、このジレンマの露出に直面して日本人は分裂し、立ち往生し、難題を子孫に先送りし、思考停止状態にあるのである。
明治憲法は国土を守りつつ、世界市場を開拓するという相反する課題を真正面から取り組み、自力で創りあげられたものであった。 しかし、現憲法は国際平和と世界市場をめざすばかりで、この民族的ジレンマを苦悩していない。
ひとりぼっちの植物国家、日本
動物国家と植物国家、この仮説から現在の世界を眺めるとどんな映像となるのだろう。 世界の一番高い場所には抜群に強力な武力を有し、世界に命令を発し、敵を見つければ、世界のどこの場所にでも出撃できる、ライオンの国、アメリカがある。 中段の場所には、ライオンには劣るが、有数の武力と誇り高い理念を持つ、白熊のロシア、虎の中国、狼の群れヨーロッパ、それらの大国がライオンを牽制しつつ、夫々の世界戦略を秘めて自国の縄張りの拡大を試みている。 下段には、数百の動物国家が自己の武力を磨きながら、侵入してくる敵と交戦してたり、 不可侵条約を結んだり、ミサイルでライオンやトラに挑んで、小さな縄張りを死守しようと身構えたりしている。 原始の原野に繰り広げられた野獣たちの生存闘争が、世界というジャングルの中で再現しているのである。
更に見渡すと、高座のライオンの居住地にも届こうとする、奇妙な巨木が立っている。 巨木の周りにはライオンの軍隊が並んで輪を作っている。 巨木は大地に根を張っていない。 根はむき出しで、無数の根毛が世界各地の殆どの動物国家に接触している。 その巨木は宙に浮かんでいるのだ。 巨木は黄金食に輝いていて、数え切れない枝には、魅惑的な製品がたわわな実りとなって満艦飾である。 しかし、よく見ると、疲労した枝も多く、突風が吹くと、巨木はユラユラして、製品がぼたぼたと落下している。 根毛から透けて見える大地には腐敗した製品があちこちに塊となって、チロチロと青火を放っている。 巨木の黄金色の樹皮の奥に透けて見えるのは、緊張して走り回っている人間の集団だ。 植物国家日本が世界の金持ちとして、巨木の姿で立っているのである。
囲いの外では、トラ、熊、狼が巨木の生みだす実りを略奪しようと、様々なカードを駆使して、威嚇しながら、吼えている。 巨木は反発もせず、むしろその脅迫を誘っているような風にもみえて、なんとも奇怪な動物国家と馬鹿にされているのである。 しかし、日本人は諸外国を所詮同じ植物国家とみているので、その屈辱に鈍感となる。
動物国家に囲まれている、ひとりぼっちの植物国家日本、この孤立孤独の意味を自覚することなく公を借りて私的利益に狂奔する、植物国家日本。 動物国家自身が到達不可能と思っている動物的理想に自らの血液を否定してまでも到達しようと倒錯した努力を注ぐ自己の本質に無自覚の植物国家の人たち。 この涙を飲んだ上滑りの果てには、枯れて、腐って、新芽も生まれてこない、動物でもない、植物でもない、男でもない、女でもない無機質の生物の世界が待っているのかもしれない。
最後に、小さな光
日本人の生活が深く世界市場に依存してしまっているという事実から逃げることはできない。 かといって、今以上に世界市場を拡大し、経済の発展を望んで、努力を重ねてゆけば、国土からの乖離は甚大なものとなり、日本人の伝統からの断絶は決定的なものとなろう。 この矛盾の中を右往左往して日本人は自己の根拠を無くし自己喪失の闇に陥ってゆく。 明治以降、理由はどうあれ、日本人は国土を犠牲にして市場を選び、伝統、祖先を忘却し、日本を愛する気持を萎縮させて、無国籍の地球市民をめざしている。 この道は日本を空中で枯れ死に導くものだ。
このジレンマを乗越えていく展望をどこに求めてゆけばよいのか。 日本人が自立する拠点は何か。
一番重要な点は、日本人は植物国家を一万数千年の歴史を累積して、創りあげてきたし、その文化を血肉として今も生きているという事実を自覚することである。 この自覚の深化なくして、日本人の自立は有り得ない。 この深刻で、厳粛な自覚、勇気なくしては受容できない認識、日本の根となって子孫を見守り、激励する祖先の御魂と平成の子供達とを再会させる哲学、この自覚が自立のはじまりである。
その教育と平行して、衣食住の世界市場への依存を漸減させてゆくことである。 例えば、石油への依存を半減させるため、食料の自給率を80%にするために、世界最高の基礎技術、工夫を創出してしてゆかねばならない。 いずれ、資源は枯渇する。 いまの路線では日本はますます諸外国に振り回されてしまう。 世界市場を日本の自立の為に戦略的に活用し、ひいては諸外国の経済発展にも、寄与するという、市場の国土化という指針が小さな光を放つのである。
引用文献「群集と権力」エリアス・カネッティ 法政大学出版局
「権利のための闘争」イェーリング 岩波文庫
4月11日写し終わる! ささやん・・・ すごいなー・・・ また、何か書いたら「おいらに」教えて下さいネ
8月20日稲付さんの思い出
今日はすがすがしい、ファミリーが来てくれました
すなおな子供達です。
何か、ホンワカとなるような一日でした。

墨田区の清水さん
つり天国のHPで書きもれを紹介します。
「私は時間(とき)をつりにきました」その言葉、まいったです。
いい温泉のサンジュアンに泊、「焼魚あきもと」でも食べていただいて。
奥様に聞きました、釣歴は?
「釣りはむりやり三年になります」
おじさん「・・・・・・」

うまくならない、かおりちゃん

あいたいな〜あの人に!
ETさん
何処で、どうしているなかなァー・・・・・・・