セナ・シューマッハー比較



1. はじめに

これはセナファンの立場から、できるだけ客観的・平等に近代F1を代表する2人を比較したものである。 なお現実的には、時代やレギュレーション、 周囲の環境が異なる2人を厳正に比較して1つの結論を導き出すことは不可能なことで、 あくまで私の主観やF1関係者の証言を元に1つの仮説を立てたに過ぎない。



2. 精神的「強さ」

一般的にセナは感情的でシューマッハーは冷静であると評価する人が少なくない。

確かにセナはラテン系の血筋なのか、喜怒哀楽が激しい。しかしそれがレースでマイナスに作用したことはほとんどなく、 逆にその感情を見事にコントロールして超人技とも言えるドライビングをし、どんな状況でも「セナ」でいられる。

一方シューマッハーは、普段はとても冷静だが、本当に追い詰められたとき、彼は自分を見失い、 自分の良心・倫理とは反したドライビングをしてしまうことがある。94年最終戦オーストラリアGP、 95年ベルギーGP、97年最終戦ヨーロッパGP、03年最終戦日本GPなど。 06年モナコGPの予選ではコース中央にマシンを止め他車を妨害したとみなされたこともあった。

そういうと、90年日本GPのセナ・プロストの接触を上げるかもしれないが、 あれは単なるセナのプロストへの仕返しではなく、 89年鈴鹿のシケイン不通過による失格裁定や90年のポールポジションの位置をめぐっての FISA会長バレストルなどへの深い因縁が根底にある。

さらに接触自体もプロストを故意にぶつけにいったというよりも、自らのラインを譲らなかっただけのようだ。 どちらにしても少なくとも一瞬の判断ミスや欲望のような浅いものではなく、 前述のシューマッハーの接触事故や限度を越えた危険走行とは意味合いが少し異なってくると考える。

ドライビングの精度といった観点からも、セナはその精度が細かくより限界点まで近付き、 マシンをコントロールすることができる。 一方シューマッハーはある点を越えると一気に限界を越えて、 マシン及び自らの精神状態をもコントロールできなくなるといった印象を受ける。 このような極限時での精神状態やドライビングの精度が私の感じるセナとシューマッハーの最大の違いであり、 このことは元ホンダ総監督である桜井淑敏氏も自らの著書(早川書房「セナ」)等で記している。

また、セナは弱くてシューマッハーは強いといった抽象的な表現をする人がいる。 しかしそれはセナが繊細であるがためにそう見えるのであって、 実際は前述のように常に自分を高レベルでコントロールしているとても強い人だったと認識している。



3. 「記録」と「真の強さ」

シューマッハーは多くのF1記録を更新し、彼こそF1史上最高のドライバーだという声も聞かれる。 数字というものは客観的に比較する最良の道具の1つである。 多くの記録を樹立しているシューマッハーは偉大だと思うし、そのことを否定するつもりはない。

しかし私は、セナの予選での「一発の速さ」、決勝での「ギリギリの攻防」が忘れられない。 セナは同時代にプロスト、マンセル、ピケといった強力なチャンピオンがいて、さらにベルガーやパトレーゼなど、 一癖あるライバルが大勢いた。その中で勝ち進んできたセナには、「本当の強さ」があると思う。

シューマッハーのダントツの勝利数は確かにすごいことで、それだけ彼がずば抜けた存在であるとも言えるが、 80年代〜90年代序盤の「四天王時代」に比べてドライバーの迫力に欠けることは否めない感があり、 「1勝の価値」はセナの時代に比べて小さいような気がする。そしてライバルが少ないのに加えて、 コース上でのオーバーテイクが難しいこともあり、慣れない混戦になると他者との接触や、露骨なブロックも見られ、 キレやすい性格も含めて本当に「強い」とは言い難い面もある。 シューマッハーと仲がいいアレジでさえ、数々のセナとのバトルを語る際、「あんな戦いは、他の誰ともできない。 ミハエルと? 無理に決まっているじゃないか」と語っている。(「Number 824・825」)

またシューマッハーは優勝を量産したフェラーリ時代、 チームメイトであるアーバインやバリチェロにしばしば遅れを取り、 何度か故意的に順位を入れ替えることもあった。 チームメイトをも寄せ付けない強さを発揮したのならばシューマッハーの実力による勝利と言えるが、 そうではないのでこれはフェラーリのチーム力が大きく作用していたといえる。

さらに数字だけで見ても、セナがもし事故に遭わずあと数年レースを続けられたなら、 少なく見積もっても5度の王座、60勝程度は到達し(私の予想では6度の王座、70勝前後)、 それに伴いシューマッハーの記録の伸びも鈍化していたと予想できる。 PPの数はどこまで伸びただろうか…。 あくまで推測に過ぎないが、そんなことを考えていると、数字だけで安易にシューマッハーの方が セナよりも優れていると判断することはできないと思う。

ちなみに長らくセナが保持していた通算PP記録も最終的にシューマッハーが更新した形となったが、 シューマッハーが予選出走250回で68PP(27.2%)だったのに対し、 セナは予選出走162回で65PP(40.1%)であった。 さらにセナの一つひとつのPPを見てみても2位以下を圧倒的に引き離した「スーパーラップ」が多く、 このことからもやはり真の「ミスターPP・史上最速男」はセナだという想いが強い。



4. 直接対決

セナとシューマッハーは91年ベルギーGPから94年サンマリノGPまで41レースを共に戦っている。

シューマッハーは91年第11戦ベルギーGPにて中堅チームのジョーダンからF1デビュー、 いきなり予選7番手を獲得し注目を浴びる。続くイタリアGPでは4強の一角、ベネトンに電撃移籍し、 エースのピケを上回る走りを見せる。 一方セナはチャンピオンに向けて安定感のある走りを展開。 この年はマクラーレンとベネトンの性能差が大きかったので、セナとシューマッハーの目立ったバトルはなかった。

92年はウイリアムズ大躍進の年。そのウイリアムズの2人に続いてシリーズ3位に入ったのは、 セナ(3勝50ポイント)ではなく1勝ながら53ポイントを稼いだシューマッハーだった。 このことはシューマッハーががんばったことももちろんあるが、 最大の要因はマクラーレンのマシントラブルの多さだろう。 マシントラブルによってリタイアかノーポイントになったレースが、シューマッハーが2レースだったのに対し、セナは5レースにも及んだ。 しかしレース内容は、ほとんどの場合セナがシューマッハーを先行し、直接のバトルも少なかった。 またモナコGPをはじめとして、セナ自身のドライビングは非常に完成度が高かった。

まだまだレース内容ではセナには敵わなかったことは、他でもないシューマッハー自身の言動が証明している。 シューマッハーは93年シーズンを前に、この年から同じフォードエンジンを使うセナを意識し、 「今年こそ誰が最も優れたドライバーであるか証明してやる」といった趣旨の発言を繰り返していた。 前年のランキングではシューマッハーの方が上であるので、当時の若きシューマッハーならばもっと得意になってもいいはずなのだが、 ポイントこそわずかながら上回ったが内容ではまだまだ勝ったとはいえないといった意識がシューマッハーにあったのではないだろうか。 当時、メディアではポイントランキングの件はあまり話題に上がらなかったし、ファンや関係者もそのような認識であったと私は振り返る。

93年、マクラーレンはエンジンをホンダから型落ちのフォードに変更(シーズン途中でベネトンと同じ最新型を搭載)。 パワーは減ったがマシンバランスは向上した。 しかしこの年も年間を通じてはウイリアムズが最強で、革新的なシャシーとフォードの最新型エンジンを搭載するベネトンが2番手、 マクラーレンはベネトンから半歩〜1歩劣ることが多かった。

セナとシューマッハーのバトルも随所に見られた。シーズン中盤の高速コースではシューマッハーのベネトンに分があったが、 セナもシーズン序盤と終盤に神がかり的な走りを見せ、プロストに次ぐ5勝73ポイント、 シューマッハーの1勝52ポイントを大きく上回った。

94年、セナはウイリアムズへ移籍。 しかしこの年からアクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテク機器に規制がかかる。 ハイテクを武器に過去2年間、圧倒的にシーズンを制したウイリアムズは、 それを補おうとエアロダイナミクスを追求したFW16を開発するが、非常に過敏なマシンになってしまった。 一方ベネトンは安定感のあるシャシーにパワーアップしたフォード・ゼテックRエンジンで、 スピードではウイリアムズに迫る勢い、安定性とレース戦略ではウイリアムズを上回っていた。 しかしこれには禁止されているトラクションコントロール(疑惑?)や給油装置の改造(こちらは後に有罪)の影響も 小さくなかったと推測される。

そんな中でセナは不安定なマシンを巧みにコントロールし、決勝レースこそ不運も重なり結果を残すことができなかったが、 開幕から3連続PPで最速の地位は誰にも譲らず、最後の瞬間も誰にも抜かれずトップのまま天に旅立った。 一部では世代交代もささやかれたが、あのマシンでPPを奪い、レースでもベネトンと同ペースで走れたこと自体、 凄いことだったのかもしれない。それほど序盤戦でのFW16は多くの大きな問題を抱えており、 同時にセナのドライビングは健在だった。

中盤以降、ウイリアムズがFW16Bとしてマシンを改良し、再び速さと安定性を取り戻したのも、 セナのアドバイスの影響が大きかったという。 セナとシューマッハーの対決もこれからというときに突然に終わってしまった。



5. もしチームメイトになったら

もし同チームで戦うことになり、それぞれの好みにあったマシンにチューニングできたとし(実質的平等条件)16戦戦ったとしたら…。

【予選】
セナ12 - 4シューマッハー

予選の「一発の速さ」ではミスターPP、セナ有利。 間接的比較でセナがシューマッハーに対して約0.4秒速いことから (80〜90年代 予選スーパーグリッド参照)、3勝1敗くらいのペースでセナが勝つと考える。 逆にシューマッハーとしては、予選でセナに勝とうとするより、決勝レースへのセッティングを煮詰めた方が得策だと思える。

【決勝(給油なし)】
セナ10 - 6シューマッハー

不確定要素が出る決勝レースでは、2人の差が縮まるだろう。しかし、給油なしのレギュレーションの下では、 予選で速いと思われるセナがそのまま逃げると考えられる。プロスト、マンセル、ピケなどとの戦いで培ったマシンコントロールは芸術の域に達していて、鉄壁の「セナブロック」を崩すのは難しい。

【決勝(給油あり)】
セナ9 - 7シューマッハー

さらに給油という作戦要素が加わると、その差はさらに縮まるだろう。特にシューマッハーは、 現在の「最強フェラーリ」になる以前は、数々のマシン的に不利なレースをピット戦略によってものにした。 最近のF1ファンは、給油などの作戦が重要になるレースではシューマッハ−絶対有利と考える人も多いだろうが、 セナも不利なレースをタイヤ交換のみの的確な判断によって少なからず勝利していることから、 シューマッハーに対して決して劣ってはいないと考える。 むしろ、拮抗した戦いになればなるほど、セナの集中力や精神力、勝利への執念が 最後には勝ってくるのではないかと思う。



6. チーム選択

セナは94年、最強と目されていたウイリアムズに移籍した(最強ではなかったが)。 一方シューマッハーは96年、当時シーズンの半分近くをトラブルでリタイアしてしまうようなフェラーリに移籍し、 チームを再生・復活させ、今日のフェラーリ黄金時代を作り上げた。鈴木亜久里氏はこれらのことを引き合いに出し、 強いチームだからといって安易に移籍してしまうセナよりも、自分の力でチームを強くしていこうとする シューマッハーのほうが優れていると述べていた。

しかしシューマッハーの場合、目標とすべき相手のセナがあのような形でいなくなり、 他の同時代のライバルも少なく自身もすでに2度もチャンピオンを獲得していた。 これらのことから自他ともに実力的にもう何も証明すべきことがなくなったので、 新たなチャレンジの場として当時低迷していたフェラーリに移籍したのである。 もしセナが生きていれば、もしくはハッキネン級のライバルがあと数人いて、 80年代〜90年代序盤のようにシート争いが激しければ、わざわざ低迷しているチームを復活させるために移籍せず、 自分にとって少しでも有利なチームに入りたがるだろう。

さらにセナにしてみれば、彼は自分自身にも周囲の人間にも常に最高の仕事を求める。 それはレース道具にも当てはまり、軽量化したヘルメットや足裏が極めて薄いシューズなど、 あらゆることにこだわりを持っていた。当時最強と目されていたウイリアムズに移籍したのは、 常に最高を求めるセナのやり方の一つであり、さらに彼は、 「勝てるマシンがほしいのではなく、戦えるマシンがほしい」 などといっていることからも、安易に勝てるからではなく、 最高の技術を求めてウイリアムズに移籍したと考えられる。

シューマッハーはそのドライビングだけでなくフェラーリを復活させたとして褒め称えられている。 確かにシューマッハーの功績は大きいものである。しかし、今のフェラーリのポテンシャルは シューマッハーよりも、むしろロス・ブラウンやロリー・バーンなどを筆頭としたスタッフの力の方が大きいと思う。 そして彼らはシューマッハーの後を追いベネトンからフェラーリに移ってきたのである。 チーム名はベネトンからフェラーリに変わったが、主要スタッフはみなベネトン時代の仲間… これでフェラーリを完全復活させたと言えるのだろうか? 本当の意味でフェラーリを復活させるのだったら、ほぼ現況のスタッフのままでチームを変えていくべきだろう。 しかしそれでは、シューマッハーの力をもってしても復活までさらに多くの時間を要したと思われる。



7. おわりに

最近、セナとシューマッハ−は、日本のプロ野球とだぶらせて、「セナは長嶋、シューマッハーは王」と 例えられ比較されることがあるようだ。いわゆる、セナは記憶に残るレーサーで、シューマッハーは記録に残るドライバーだと。

確かにセナは多くの名レースを残したが、同時に予選出走162回で65回というダントツのPP記録を残し、 さらにもし事故がなければと考えると、記録にも残るレーサーでもある。

シューマッハーは記録では文句のつけようがない。セナに比べて記憶に残るレースが少ないように思えるが、 これは彼の活躍した時代の多くがピット作戦の重要視されるレギュレーションであり、 彼はその時代に要求されるレースをした結果である。あまり派手な勝ち方ができないのは、 シューマッハーの実力云々というよりも、そうしたピット戦略などのレギュレーションが大きく影響していると考えられる。

これらのことから、2人の優劣をつけることはもちろん、完全にタイプの異なるドライバーだと区別したり、 厳正に比較することは難しい。むしろ非常に似ているともいえる。

しかし、セナはトップを走ったまま誰にも抜かれずに天に旅立った。このことは、たとえセナの記録は越えることはできても、 セナ自身には誰も追いつくことすらできないことを象徴していると思う。 おそらくシューマッハーはそのことを理解していたのだろう。セナ存命中は何かと 強気で突っかかってきたシューマッハーだが、セナが亡くなったその日の夜、シューマッハーはセナの死を嘆き、 泣きじゃくったそうだ。思えばシューマッハーはデビューしてからふてぶてしさが目立っていたが、 意外にもプロストやマンセル、その他のドライバーに対し必要以上に攻撃的ではなかった。

シューマッハーにはセナしか眼中になかったのだ。そのセナが亡くなり、自分のできることはセナの記録に追いつき、 追い越すことしかなくなってしまった。シューマッハーの同期には強力なライバルが少ないと前述したが、 勝ち星が増える一方で、目標とするレーサーであるセナがあのような形で消え、その分孤独と戦っていたのも事実である。 セナの通算勝利数に並んだ2000年イタリアGPでのシューマッハーの涙は、 唯一越えることができる記録でセナと再会できたと感じたからではないのか。 そう感じたとき、私はシューマッハーが少しだけ好きになった。



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