05.1.8〜9
討論合宿
林 正幸
私はこんな授業がしたい
〜講座プラン「元素と原子の発見」に絡めて〜
退職して非常勤講師もしていないのに「私はこんな授業がしたい」は、ある意味でおか
しい。しかし現役では教科書、受験体制、生徒の学力などの制約を無視することはできな
い。これに対して現在なら、自由に自分が理想とする「講座プラン」を構築できる。そし
てありがたいことにたっぷりと時間がある。よく準備の勉強をし、よく内容の吟味をする
ことができる。もちろん実践によって検討する必要があるが、それを心に留めつつ、思い
切り夢を広げてみるのもよいのではないかと考える。
こうして次の4つの講座プランができあがった。
「電子やり取り反応の世界」(先進科学塾で実践)
「化学的変化はどちらに向かうか」
「物質とエネルギーの世界」
「元素と原子の発見」
これは3時間×6日で展開することを基本にしている。今回は4つめのプランに絡めて報
告する。なお6時間×1日として
「蒸気圧がわかる実験1,2,3・・・」(1日コースで実践)
もつくってみた。
備考:以上のプランは私のホームページの「講座プラン」の中に掲載している。
http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/
どう構築したいか
ページ「講座プラン」のはじめに、下のように自分の考えを書いている。
<引用>
私は次の3段階を経れば、科学的な思考力が育ち、科学的な知識や理論が持つ意味を理
解し、そして科学の面白さが分かるだろうと考えます。
第1段:基礎実験を体験し、学習内容を実感をもってとらえると共に、それを考察し
て疑問を湧かせる。
第2段:それに対して現代の科学はどう回答するのか、また全体像はどうなっている
のか、その知識と理論をテキストを使って学習する。
第3段:その上で自分で研究課題を見つけ、それを確かめるための応用実験に取り組
み、結果を発表交流する。
- 1 -
なお科学を学ぶ目的にも係わるようにします。
<以上>
[a]実 験
理科教育において実験・観察の重要性は誰もが認めるが、私の位置づけは次のようであ
る。
まず学習内容を実感をもってとらえるための実験である。これを「基礎実験」と呼ぶこ
とにする。
そして基礎実験にはもうひとつの位置づけがある。それは実験を通して「何故こうなる
か」「何を意味するか」と疑問を湧かせることである。このこと無しに主体的な学習は始
まらない。ふり返ると、実験がただ「面白かった」で終わっていく悲しさがあった。
学習が進んだ段階においてもうひとつの位置づけがある。学習内容は「自ら応用する」
中でこそ理解が深まる。具体的には、研究課題を見つけてそれを確かめるための実験に取
り組むのが何より効果的である。これを「応用実験」と呼ぶことにする。もちろん自ら応
用するのには、演習課題に取り組むこともある。ちなみに1日コースでは、応用実験の代
わりに「謎解き実験」を準備した。
実験は基礎実験でも、生徒実験が望ましいし、できれば一人々々で取り組めること、時
間にゆとりがあることが大切である。そしてきちんとしたレポートを書かせたい。
なおここで実験とは、実習や、資料・現地などの調査を含んでいる。
[b]テキスト
私にはテキストの重要性が、とくに自主的教育研究運動の中で、軽視されているのでは
ないかという危惧がある。確かに新しい実験は、学習の可能性を高め、サークルでも入り
やすく、すぐに実用になることが多い・・・。
私の位置づけは次のようである。まず基礎実験から湧くであろう、あるいは湧いてほし
い疑問に対する、現代の科学からの回答を示すことである。
また学習内容が実験で網羅されるわけはない。その知識と理論の全体像を示すことは学
習に不可欠である。過去の成果をきちんと学ばず(教えず)、実験中心でアイデア勝負と
いうのは本当の学習(教育)と言えないだろう。そして通常は教科書という借り物で代用
することが多いが、理想を追求するとなれば代用は利かない。
テキストの意義は、その場での口頭による説明だけでは、分かった気にはなっても、不
十分なままに留まることである。文章を読んで理解する、そして分からなくなったときに
くり返しその文章を読んで理解することは、学習の根幹と言える。
また教師にとって、高校生に分かりやすい、よく整理された文章表現(図表を含む)に
心を砕くことは価値のある訓練になる。口頭による説明は、不十分でもそのまま過ぎて行
ってしまうことが多い。
教師は自然科学そのものへの興味や研究心を失ってはならないが、教師はそれ以上に生
徒の認識を育てるコーディネーターとしての役割があることを忘れてはいけない。
サークルなどにおいて、高校の学校格差という障害を乗り越えて、実験とテキストで構
成された授業プランをもとに、そしてできれば実践を踏まえて、研究交流ができたらどん
- 2 -
なに素晴らしいであろうか。
[c]質疑と討論、研究と発表
実際の展開においては、生徒と教師、生徒どうしのやり取りが不可欠である。当然なが
ら準備したテキストや基礎実験は、個々の生徒の具体的な疑問にすべて応えるようにはで
きていない。それを補うのが質疑と討論である。
また質疑と討論は、より深い理解に結びつき、また学習における主体性や科学的な思考
力を育てる。
私は先進科学塾では、テキストは節を区切って生徒に黙読させ、その上で簡単な補足を
し、質問を促すようにした。
実験のところでも触れたが、研究課題を見つけて学習内容を自ら応用し、その結果を発
表し合うことも組み込みたい。研究と発表も、理解、主体性、思考力を前進させる。
そして発表は、討論と共に、(教師を含めて)集団の中で学習が一層進むことを、また
学習内容を共有する意味、つまりお互いに学習内容を社会のために役立て合うことの必要
性を認識するきっかけになる。
「元素と原子の発見」の解説
[a]狙 い
ひとつは
@元素と原子に関する知識や理論を学ぶ
とともに
A自然科学の方法とはどんなものか
B科学的な真理とはどんなものか
を気付かせる。
もうひとつは
Cものごとの見方、考え方(哲学)と自然科学の現状を学ぶ
中で
D原子爆弾の製造と投下などが持つ意味
E人間が生きるための「よりどころ」は何か
を考えさせることである。
[b]プランの概要
1章 黎(れい)明編
・数1000年前までの考え方(霊魂)
・古代における化学分野での疑問(元素探し、原子探し)
・タレス(水)、ヘラクレイトス(火)、アナクサゴラス(連続説)
・デモクリトス(原子説、唯物論)
・プラトン(イデア説、観念論)
- 3 -
2章 燃素説とラボアジェ
・帰納法(ベーコン)と演えき法、自然科学の方法
・燃素説
実験1 酸化鉛(U)から鉛をつくる
実験2 スチールウールの燃焼
実験3 ろうそくの実験
実験4 酸素の発見(プリーストレー)
実験5 水素の発見(キャベンディッシュ)
・ラボアジェの燃焼理論(質量保存の仮説、
スズの灰化、酸化水銀(U)の生成と分解)
・ラボアジェの元素の定義と元素表
3章 ドルトンの原子説
・ドルトンの動機
・定比例の法則(プルースト)
・ドルトンの原子説
実験6 マグネシウムの原子量
・ドルトンの弱点
・原子量と化学式
実験7 塩化亜鉛の化学式
4章 気体反応の法則とアボガドロ
・気体反応の法則
実験8 水素と酸素の反応(デモ実験)
・アボガドロの仮説
・ドルトンの否定
5章 元素の周期律
・デベライナー(3組元素)
・ド・シャンクルトア(地のねじ)、ニューランズ(オクターブの法則)
・メンデレーエフの周期表
実習 メンデレーエフの周期表
・未発見元素の予言、原子量の制約
6章 現代の化学元素
・エックス線回折(原子の大きさ)
・同位元素、同位体と原子量
・元素の合成(ラザフォード)、錬金術
・粒子加速器とテクネチウム
・超ウラン元素の合成
・核分裂と原子爆弾
・走査型トンネル顕微鏡(原子をつまむ)
7章 未来編
・終わりがない真理の追究
- 4 -
・哲学における自然科学の位置、唯物論
・アカデミズム
・科学と技術の融合
・原子爆弾の製造と投下が持つ意味
調査 原爆の被害
・「奪われし未来」の警鐘
・雇われの身、スポンサー付きの科学
・「火の鳥」未来編
・人間の自由意志、観念論
[c]「ドルトンの原子説」「気体反応の法則とアボガドロ」の要約
[1]物理学においては一足先に原子で考えるようになっていた。気体の原子に対するニ
ュートンのイメージは、原子が互いに反発し合い、その力で支え合っているという静的な
ものであった。
彼の影響を受けたドルトンは気象の観測をする中で、重さの異なる2種の気体がどうし
て完全に均一に混合するのかという疑問を持った。あれこれ考えるうちに、それは異なる
気体の原子は大きさ(空間に占める体積)が違うはずであり、反発する力は図のようにな
っており、

それがうまくかみ合わないので拡散して混合すると確信するようになった。そして原子の
大きさが違う根拠を得ようと、原子の原子量を知りたくなった。
[2]折しもプルーストの定比例の法則によって、化合物の組成がはっきりしてきた。ド
ルトンにとって元素は原子であり、化合物は原子が結合してできている(彼はこれを分子
と呼んだ)ことは当たり前であった。そこで彼はたとえば水の組成が、水素:酸素=1:
7(当時のデータ)であることから、それぞれの原子量は1と7であるとした(彼は水素
の原子量を1とした)。
[3]ちょっと待て、どうして水は水素原子1個と酸素原子1個が化合していると言える
のか。彼は次のように考えた。
・2種の原子A、Bからできる化合物が1種しかないなら、それは AB である。
・もし2種の化合物があるなら、それらは AB 、A2B 、AB2 のいずれかである。
彼は自然は単純なはずであると考えた。
このような重大な弱点があるのもかかわらず彼の原子説は、原子量からいろいろな化合
物の化学式が分かるというのですぐに受け入れられた。
(ドルトンの原子説のポイントは、近代になって初めて原子の存在を主張したのではな
く、目にも見えない原子にそれぞれ決まった質量があることを数値でもって示したことで
- 5 -
ある。それも誤りに満ちた仮説に動機づけられてである。)
[4]ゲー・リュサックらによって気体反応の法則が発見され、アボガドロが
「気体の元素は2個の原子が結合した分子である」
「同温同圧の下では、すべての気体は同体積中に同数の『分子』を含む」
という仮説を提唱した。
[5]これは原子説の弱点を補って確固たるものにするはずであったが、とくに注目され
ることがなかったのである。
当のドルトンは、自分の原子説が気体の原子の大きさが違うことが出発点であることか
ら、実験そのものが怪しいと断じた。また彼は元素は原子であると信じ込んでいたため、
原子が分割されることになり、論外であった。そして当時は原子の結合は電気的なものと
考えられていたので、同種の原子が結合することはあり得ないのである。もうひとつの理
由は、アボガドロは実験をせず、仮説の根拠になる新しい実験も示さなかったことが考え
られる。彼は科学者でなく空想家と見なされた。
この歴史的不幸は、一方でアボガドロを不遇の化学者とし、他方で弱点をもったままの
原子説は、いろいろな原子量が出てきたりして半世紀にわたり混迷を続けた。
[d]「未来編」の要約
[1]「元素と原子の発見」は長い歴史であり、完了することがない課題でもある。しか
し完了はしなくても、時間と共に私たちは確実に知識や理論を獲得してきている。
古代に始まったものごとの見方・考え方(哲学)の歴史は、発展し続ける自然科学の影
響を大きく受けてきた。と言うより、現代では自然科学は巨大なひとつの哲学として存在
していると言ってもよいだろう。それはまるで万能のようであり、「真理は我に在り」と
叫んでいるかのごとくである。
自然科学の考え方の根底は「唯物論」である。
『これは人間の精神とは独立に「もの」があり、世界はこの「もの」とその「はたらき」
が根本である。人間も「もの」からできており、精神も「もの」からできている脳のはた
らきであるとする考え方である。』
世界は「もの」が根本であるから、自然科学は「もの」を研究して真理を獲得する。また
社会の動きである歴史学や経済学などにも、自然科学の方法が取り入れられている。
[2]近代において自然科学は、裕福な貴族やそれに連なる人たちの知的活動として始ま
った。このような科学者は「純粋」に真理に近づくことが最上である考え、国ごとに科学
アカデミーを設立した。
現実の歴史は、純粋科学が新しい応用技術を産み出していった。それによってつくられ
た道具や装置が、新しい科学研究を促進した。現代では科学と技術は融合し、科学技術と
呼ばれる。
[3]原爆の投下という悲劇は、自然科学の進歩なくしては起こり得なかった。科学技術
は原子爆弾もつくり出す。しかし原爆が製造可能であるとしても、それにたずさわらない
のが人間的な生き方ではないだろうか。にも拘わらす、今日まで核兵器は開発され続け、
核兵器を保有する国は増えている。
もうひとつの事例を見てみよう。コルボーンらはその著書「奪われし未来」で、内分泌
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かく乱物質(環境ホルモン)を告発した。現代では地球上に人間がつくり出した何万もの
合成化学物質が分布している。彼女らはこれはまるで「無視界飛行」であると書いている。
警鐘が鳴らされればそれを真面目に受けとめ、物質の合成や利用により慎重になるのが人
間的な生き方ではないだろうか。
また現代の科学研究は雇われの身であり、スポンサー付きなのである。
[4]私が伝えようとしているのは、人間が生きていくための「よりどころ」は何かとい
う課題である。もちろん自然科学は大切なよりどころである。人間は自然の法則に逆らっ
て生きることはできない。
「25世紀に人類の文明は絶頂にたっし、そのあと衰退が始まった。西暦3404年、
地球は急速に死にかかっていた。群衆はひよわで、かぼそく無気力である。各ポリスは人
類の危機をのりこえるのに、人間の政治家より電子頭脳の計算にたよることにした。しか
し2つのポリスの電子頭脳の主張が食い違い、その決着をつけるためそれぞれが戦争を指
示する。火の鳥は、かろうじて生き延びたマサトに、またあたらしい人類が誕生するのを
見守るという使命をやりとげるために、永遠の命をさずける。そしてたしかに地球上に再
び生命が誕生して進化を始める。何10億年という時間をかけて、やっと人類が誕生する。
しかしそれは前と同じような人類だった・・・。」(「火の鳥」未来編より)
[5]かつてプラトンが精神の高さを求め、イデアこそ真の存在であると、観念論の立場
を取った。
『「観念」とは、人間の精神によって生み出されるものごとである。そして観念論は、世
界はこの「観念」が根本である。現実のものごとは「観念」から生み出されるとする考え
方である。』
人間には確かに「自由意志」というものがある。それによって、自分の人生や人間の歴史
を変えることができる。私はこれがもうひとつのよりどころであると考える。しかしこの
よりどころには、自然科学のような方向性はない・・・。
現代では、自分の利益を最上とし、そのためには競争に勝ち抜くべしという風潮が強い。
また差し迫った人間の危機を見ないで自分の業績ばかりに目が向く科学者も多い。
どう生きるか、それは君たちひとりひとりの自由意志に掛かっている。自然科学と共
に
この課題があることを認識するのも、「元素と原子の発見」を学ぶ目的なのである。
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追 記(09.11)
現在の私は、理科教育も教師がそれぞれの価値観を組み込む(押しつけるとは区別すべ
き)ことが本来の姿であると考えています。「元素と原子の発見」では、何のため誰のた
めに科学を学ぶのかを強く問いかけています。そして私の哲学遍歴を含んでいます。私は
若いときは唯物論者になりました。そして科学万能論でした。しかし現在は生きていくた
めに観念論が欠かせないと考えるようになりました。この講座プランの中では、科学者自
身がこだわり(観念)に突き動かされて研究していることに触れています。私が言いたい
のは唯物論を否定するための観念論ではありません。どんな観念も自然の法則に逆らうこ
とはできません(このこともプランの中で書いています)。しかし唯物論があるいは科学
が、人間の生き方まで解き明かして指示してくれるわけでもありません。実はこのことは
私にとって高校時代のテーマのひとつでした。現在では唯物論と観念論は、弁証法的に統
一すればよいと考えています。そうすれば価値観が存在する場所も生まれます。そして価
値は多様です。しかし私としては博愛と人類の存続を主体的に(自由意志を持って)呼び
かけたい。こんな思いで「元素と原子の発見」をつくりました。
(アルケ通信09A−1号の資料「アルケミストの皆さんへ」から抜粋)
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