09.6
林 正幸
化学平衡をどう教えるか
〜その冒険的試み〜
講座プラン「変化はどちらに向かうか & 化学平衡」についての解説である。
A.思いと狙い
[1]化学平衡と言えば、ルシャトリエの原理。これに対して私はもっと踏む込んだ展開
ができないものかと考えてきた。化学的変化は対立する2つの変化が競い合っている。そ
れぞれの変化が条件によってどのように挙動し、その結果として全体の変化の向きが決ま
るのか。そこを捉えられればもっと面白いのではないだろうか。
こうして教師10年目の頃は、それぞれの変化(反応)速度に注目し、それはモル濃度
が高いと大きくなると説明していた。たとえば寒剤では、平衡が成立している氷水から出
発して、その時点では融解速度と凝固速度が等しい。それに食塩を加えると水の方のモル
濃度が低くなって凝固速度が小さくなり、その結果として全体の変化は融解が起こると説
明していた。高校教科書でも平衡の成立は反応速度から説明している。
しかしこれではより踏み込むと理論的問題にぶつかる。そこで高校生のために「勢い」
という用語を導入することにした。始めはばく然と自由エネルギーのつもりであったが、
考えてみるとときに自由エネルギー(それもギブスの自由エネルギーであると共にときに
はヘルムホルツの自由エネルギー)、ときに化学ポテンシャルとして使う必要があり、一
時まずいかなとも思えた。しかし今回きちんと検討してみて、下の「C.化学熱力学の裏
付け」に整理したようにクリアできると考えた。
[2]「勢い」に影響する条件は、濃度、温度、圧力(全圧)である。濃度に関しては
「物質が変化する勢いは、温度が一定なら、モル濃度が高いほど大きくなる」
である。そして次の3つを補助的に加える。
・純粋な液体や固体の勢いは、温度が一定なら、量の多少によらず一定である。
・複数の物質が関係する変化の勢いは、個々の物質の勢いの合計である。
・物質の勢いは物質に固有な(状態)量であり、変化の種類には依らない。
(そして化学平衡の法則(質量作用の法則)をほぼ天下り的に導入して活用していく。)
温度に関しては、対立するそれぞれの変化に分けて踏み込むことは避け(エントロピー
が必要になる)、次のように両者の相対的な大小関係に注目する。
「化学平衡であるとき、温度を高くする(熱エネルギーを加える)と
- 1 -
よりエネルギーが小さい方の物質の勢いが優るようになる。」
(温度を低くする場合は省略)
したがって勢いがバランスしている化学平衡から出発して考えることが基本になる。
圧力(全圧)はやや複雑であり、次の2つのケースを取り上げる。気体を含む化学的変
化では
「圧力を変えることは、気体のモル濃度を変えることに置き換えて考えればよい。」
そしてもうひとつ浸透現象では
「液体や固体あるいは溶液では、圧力を高くすると物質の勢いが大きくなる」
とする。
[3]以上の「勢い」という初歩的概念を、化学平衡に限らず化学の諸現象に適用して、
それらを統一的に理解して行こうというのである(これは平衡論の視点であり、もうひと
つには速度論の視点がある)。だから難しい問題にチャレンジするというより、基礎的な
事例を漏らさないように取り上げた。
・溶解&飽和、析出(砂糖水)
・反応は完結するか(鉄(V)イオンとチオシアン酸イオン錯イオンの形成)
・飽和食塩水に濃塩酸を滴下
・フェノールフタレインの合成と変色
・沈でん生成反応は起こりやすい(塩化物イオンと銀イオン)
・浸透現象(ショ糖水溶液)
・蒸気圧(真空の容器に少量の水を注入する事例(温度は30℃))
・対立する一方の変化の物質が見えない場合
飽和&不飽和溶液(「微粒子」)
注射器の中の水 蒸気圧以上の圧力下では水蒸気は生成しない(「泡の子」)
・非平衡状態
水とエタノールの溶解
不飽和水蒸気
常温の水
・酢酸の電離
・水のイオン積
・酸の強弱&電離指数(酢酸)
・アンモニア合成(温度の影響)
・二酸化窒素と四酸化二窒素(アンプル中 温度の影響)
・蒸気圧と温度
・溶解度曲線と発熱・吸熱
・凝固点降下(寒剤 海水)
- 2 -
・融点と凝固点の一致(水)
・平衡定数の温度変化と発熱・吸熱
・ヘンリーの法則
・二酸化窒素と四酸化二窒素(注射器中 圧力の影響)
・水素とヨウ素の反応
・二酸化窒素と四酸化二窒素(アンプル中 圧力の影響)
・浸透圧
・触媒(過酸化水素と酸化マンガン(W))
・弱酸の塩に強酸を加える反応(酢酸ナトリウムに塩酸)
・弱酸水溶液のpH(酢酸)
・酢酸エチルの生成量
・緩衝溶液のpH(酢酸と酢酸ナトリウム)
[4]私はこのような「勢い」という概念を基にした展開は、高校生に興味を湧かせ思考
を促すと考えている。ところがこれまでこの種の提案に出会ったことがない。その意味で
これは野心的な提案である。しかし他方で化学熱力学の理解が不十分かもしれないという
不安などがある。だから表題に「その冒険的試み」と書いた。
私としては良いにしろ悪いにしろ、皆さんの意見を聞かせてもらえるとありがたい。そ
れがこのプランを書いた最大の目的であると言える。
B.テキストのあらまし
テキスト「変化はどちらに向かうか & 化学平衡」そのものは私のホームページに掲載
している。
http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/w2-2.htm
[a]目次と実験
1.化学的変化の本質
実験1 反応は完結するか(鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンの反応)
2.化学平衡
3.勢いと濃度
実験2 化学平衡と濃度
(a)食塩の雪
(b)フェノールフタレインの変色
(c)浸 透
4.いくつかの確認
5.平衡定数
6.勢いと温度
- 3 -
実験3 「平衡モデルボックス」
実験4 化学平衡と温度
(a)温度と二酸化窒素の色
(b)寒 剤
7.勢いと圧力
実験5 化学平衡と圧力(圧力と二酸化窒素の色)
8.平衡定数の応用
実験6 水素イオン濃度の計測
(a)酢酸水溶液のpH
(b)緩衝溶液のpH
[b]あらまし
[1節]
水に砂糖が溶解して飽和すること、鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンの反応などを例
にして、反応が途中で停止して完結しないことを確認し、その意味を問いかける。
そして「ミクロの世界」では、対立する2つの変化が停止することなく
「化学的変化はある向きの変化とその逆向きの変化の両方から成り立ち、
互いにその勢いを競い合っている」
とまとめる。
そして「勢い」という用語を導入する。
[2節]
そうすると変化が停止して見える中身は
「正逆両方の向きの変化の勢いがバランスして、見た目には変化が停止した
ように見える状態は、化学平衡と呼ばれる。」
ということになる。
化学平衡のイメージをつかむために、仮想的な「男女対抗玉投げゲーム」の事例を検討
する。
そして世界をどう捉えるか、という哲学的課題も提示する。
[3節]
「勢い」が濃度によってどうなるか、A[2]の内容を説明する。
そして実験2の結果をそれに基づいて捉える。
また別の視点としてルシャトリエの原理を紹介する。
なお不可逆変化と見なせる変化にも触れる。
[4節]
現象を厳密に捉え、明確に思考できるための確認をする。
系の概念と、定温系、定温定圧系、閉鎖系の意味を知り、平衡が成立する系を確認する。
- 4 -
飽和蒸気圧も対立する2つの変化の競い合い、およびそのバランスである化学平衡で捉
えると分かりやすい。
飽和および不飽和水溶液をどう捉えるか、常温の水などをどう捉えるか。
停止がすべて化学平衡とは限らない。
[5節]
化学平衡の法則を導入し、式の書き方を注意する。
水のイオン積は一定になることを納得する。
平衡定数は変化が停止した(平衡が成立した)ときの偏りの程度を示す。例えば酸の強
弱も電離指数(pK)で表される。視点を変えると、関係する物質の濃度から変化がどち
らに向かうかが判定できる。
[6節]
「勢い」が温度によってどうなるか、A[2]の内容を説明する。そして「平衡モデル
ボックス」でイメージをつくる。
そして実験4の結果をそれに基づいて捉える。
平衡定数の温度変化は、変化が発熱か吸熱かで見通せることにも触れる。
[7節]
「勢い」が圧力(全圧)によってどうなるか、A[2]の内容を説明する。
ヘンリーの法則、実験5、水素とヨウ素の反応(両辺で気体の体積変化がない場合)、
アンプル中二酸化窒素と四酸化二窒素(温度が高くなることに伴って圧力が大きくなる)、
浸透圧を、それに基づいて捉える。
触媒は化学平衡そのものには無関係である(平衡が成立するまでの時間が変わる)。
ルシャトリエの原理の意味を考える。
[8節]
弱酸の塩に強酸を加える反応はどうして起こるかを納得する。
実験6に関係して、弱酸水溶液の水素イオン濃度(実際にはpH)、緩衝溶液と電離指
数の関係を平衡定数から求める。
C.化学熱力学の裏付け
[a]濃度の影響
[1]「定温定圧の閉鎖系」では、化学的変化は系の自由エネルギー
F = H − TS ( H = E + PV )
が減少する向きに進行し、極小位置で化学平衡になる。
化学反応を含む化学的変化を次のように書くとする。
2H2 + O2 ←→ 2H2O
固体の水 ←→ 液体の水
- 5 -
ある濃度の条件の下で、微小変化を考え、左辺の物質であるときの自由エネルギーを
FLS 、それが右辺に変化したときの自由エネルギーを FRS とする。FLS が大きければ
右向きに変化が進行し、FRS が大きければ左向きに変化が進行し、等しければ変化は停止
して化学平衡になる。
講座プランでは、この FLS と FRS を対立する変化の「勢い」と呼んでいる。そして
たとえば次のように記述した。
「塩化鉄(V)水溶液とチオシアン酸カリウム水溶液を混ぜる事例では、鉄(V)イオンとチ
オシアン酸イオンが反応して錯イオンを形成する変化と、錯イオンが分解する変化が競い
合っている。始めは錯イオンの形成反応の勢いが優っていてその変化が目に見えて進行す
るが、しだいにこの変化の勢いが小さくなり、錯イオンの分解の勢いが大きくなって、や
がて両方の変化の勢いがバランスして錯イオンの形成反応が停止したように見える。」
(2節[1])
[2]多相の多成分系を考え、ある相のある「成分」の1molあたりの自由エネルギー
を化学ポテンシャル μ と定義する。自由エネルギーはそれぞれの「成分」の物質量を n
として次のように書ける。
F = −Sdt + VdP + nJμJ + nKμK + ・・・
そして定温定圧系では、前の2項は無くなる。
ある「成分」J の化学ポテンシャルは一般に
μJ = μJ* + RTlnaJ
と表せる(自由エネルギーからここに至る説明は化学熱力学の参考書を見てほしい)。こ
こで aJ は活量であり、この関係式が成り立つように決められる。μJ* は活量が1のと
きの化学ポテンシャルであり、温度の関数になる。
ここで活量を
aJ = γJcJ
と置き換える。cJ はモル濃度であり、cJ が小さくなると γJ が1になるようにする。
γJ は活量係数である。すると
μJ = μJ* + RTlnγJcJ = (μJ*+RTlnγJ) + RTlncJ
濃度が希薄である、ないし狭い濃度範囲にすると γJ は1ないし一定であるので
μJ = μJ*’+ RTlncJ (1)
となる。μJ*’は一定であり、濃度が希薄であるなら μJ* に等しい(そして温度の関数
である)。
講座プランでは μJ も「勢い」と呼んでいる。これは一見矛盾を来たしそうであるが、
プランの範囲ではうまく切り抜けられる。ここでは「勢い(自由)」および「勢い(化学)」
として区別する。
講座プランでは関係式(1)を次のようにまとめた。
- 6 -
「物質が変化する勢いは、温度が一定なら、モル濃度が高いほど大きくなる。」(3節
[1])
そして
「反応が進行するにつれて鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンのモル濃度が低くなる。そ
して鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンが結び付く勢いは、それぞれのイオンの勢いの合
計になる。したがってこの勢いは小さくなる。これに対して錯イオンのモル濃度は高くな
って、このイオンが分解する勢いは大きくなる。」(3節[2])
なお太字の部分は[4]で説明する。
[3]多相の多成分系が化学平衡であるとき、ある「成分」の化学ポテンシャルはどの相
でも同じである(異なると変化が起こるから)。すると純粋な固体や液体の「勢い(化
学)」は量の多少を問わないことになる。ちなみに純粋な気体に関しては、圧力によってそ
のモル濃度が変化するのでこのような扱いはできない。
講座プランでは次のように記述した。
「水に充分な量の固体の砂糖を加える事例を見てみよう。溶解が進行するにつれて水溶液
中の砂糖のモル濃度は高くなり、その砂糖が析出する勢いは大きくなる(最初はモル濃度
がゼロであるので、勢いも無限小である)。
これに対して固体の砂糖が溶解する勢いはどうだろうか。飽和水溶液ができ、(化学)
平衡が成立したときを考えると
固体の砂糖が溶解する勢い = 飽和水溶液中の砂糖が析出する勢い
である。そしてこれは溶け残る砂糖の量には無関係である。つまり固体の砂糖の量の多少
に依らずそれが溶解する勢いは一定であり、飽和水溶液中の砂糖が析出する勢いに等しい
のである。一般に純粋な液体や固体の勢いは、温度が一定なら、量の多少によらず一定と
なる。」(3節[2])
なお「最初はモル濃度がゼロであるので、勢いも無限小である」という記述にも触れて
おこう。勢いもゼロと書きたいところだが、関係式(1)を見てみよう。モル濃度は対数
の中にあり、これがゼロならその対数は無限小になるわけである。
さらにこのことは次の記述にもつながる。
「水に十分な量の固体の砂糖を加える事例を考えてみよう。飽和水溶液になり平衡が成立
した時点で、飽和水溶液のみを別の容器に移したらどうなるだろう。固体の砂糖が溶解す
る勢いは無限小になってしまうので、飽和水溶液中の砂糖の析出が進行するだろうか。
実際には何も起こらない。これはどう捉えたらよいだろう。水溶液中には固体の砂糖の
微粒子ができたり消えたりしている。すでに学習したように固体の砂糖が溶解する勢いは
量の多少を問わないので、微粒子でもそれが溶解する勢いは変わらない。」(4節
[3])
[4]次のような化学的変化があったとする。
- 7 -
νJJ + νKK ←→ νLL + νMM
状態変化などの場合は成分が左辺右辺で1つずつ、そして係数は1となる。
ここで大規模な系を考える。そして νJ molの J とνK molの K (左辺の物質
の)自由エネルギーは、関係式(1)を使って、
FLS = νJ(μJ*’+ RTlncJ) + νK(μK*’+ RTlncK)
同じく右辺の物質の自由エネルギーは
FRS = νL(μL*’+ RTlncL) + νM(μM*’+ RTlncM) (2)
となる。
これは対立する変化の「勢い(自由)」の内容を表している。それは各成分の「勢い(化
学)」を係数培したものが加算されている。
講座プランでは次のように記述した。
「鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンが反応する勢いは、それぞれのイオンの勢いの合計
になる。」(3節[2])
係数培することを無視しているが、課題は常に「勢い(化学)」が大きくなるか・小さくな
るか・変わらないかであるので、2種以上の成分の増加や減少が伴わない限り矛盾は生ま
れない。しかもこのような場合は次の化学平衡の法則を利用するし、この法則には係数倍
は織り込まれている。
関係式(2)は、「勢い(化学)」が化学的変化の種類に依らないことも示している。講
座プランでは次のように記述した。
「化学熱力学によると鉄(V)イオンの勢いは、それがチオシアン酸イオンと結び付く場合
でも、たとえば水酸化物イオンと結び付いて水酸化鉄(V) Fe(OH)3 になる場合でも、
化学的変化によらず同じ値である。それはチオシアン酸イオンも同様である。」(3節
[2])
これはまた触媒が「勢い」には関係しないことも示す。講座プランでは次のように記述
した。
「触媒は、化学反応が化学平衡に至るまでの時間を短くしたり長くしたりすることは確か
である。しかし触媒は勢いには関係しない。
すこし踏み込むと、触媒は化学反応の活性化エネルギーを変化させる。だから正の向き
の反応速度が大きくなれば、逆向きの反応速度も大きくなる。しかし勢いは左辺の物質あ
るいは右辺の物質そのものに関係する。これは反応熱が、触媒の有無に関係なく、反応物
質と生成物質が持つエネルギーの差で決まることに似ている。
」(7節[6])
[5]化学平衡においては、(2)の2つの関係式は等しくなる。
νJ(μJ*’+ RTlncJ) + νK(μK*’+ RTlncK)
= νL(μL*’+ RTlncL) + νM(μM*’+ RTlncM)
- 8 -
これを整理すると
(νLμL*'+νMμM*') − (νJμJ*'+νKμK*')
= −RTln{cL^νL×cM^νM/cJ^νJ×cK^νK}
ここで
ΔF*' = (νLμL*'+νMμM*') − (νJμJ*'+νKμK*')
K = cL^νL×cM^νM/cJ^νJ×cK^νK
とすると
ΔF*' = −RTlnK
となる。
ΔF*' は温度が一定なら定数なので、K(平衡定数)も一定となる。これは化学平衡の
法則である。ちなみに化学熱力学で導かれる式には、モル濃度ではなく活量が使われてい
る。
講座プランでは、化学平衡の法則はほぼ天下り的に導入した。この法則は、注目する化
学的変化に無関係な物質が存在しても成り立つ。
そして次のように記述した。
「化学平衡の法則は平衡に関係する物質を加えたり減らしたりしても、無関係な物質を加
えたり減らしたりしても、変化が停止してその化学平衡が存在する限り成り立つことであ
る。さらに付け加えると、たとえば始めに酢酸そのものが無くても、いくつかの物質の変
化によって酢酸と酢酸イオンと水素イオンが存在するようになり、その間に平衡が成立す
れば化学平衡の法則は成り立つのである。」(5節[1])
化学平衡に純粋な液体や固体が関係するときは、化学ポテンシャルは関係式(1)の第
1項の μJ*' のみであり、第2項はない。したがって化学平衡の法則の関係式には顔を出
さない。
講座プランでは次のように記述した。
「・塩化物イオンを含むサンプルに硝酸銀水溶液を加え、塩化銀が沈でんしている(この
種の課題を扱うときは、沈でんを左辺に書くことが多い)。
AgCl ←→ Ag+ + Cl-
[Ag+][Cl-] = K
固体の塩化銀は、3節[2]の固体の砂糖のように、その勢いは量の多少によらず一定で
あり、化学平衡の法則の式には入ってこない。」(5節[2])
[6]2つ追加する。化学ポテンシャルの第1項の内容には踏み込んでいない。つまり平
衡定数がいくらになるか、言い換えるとある化学的変化が右や左にどれくらい偏って停止
するかを予測できない。これを実現するには、自由エネルギーの中身のエンタルピー H
やエントロピー S を扱わねばならない。ちなみにかつてこれが化学Uの教科書に取り入
れられたことがあった。
- 9 -
この講座プランでは平衡定数を知って、その大小から化学的変化がどれくらい偏って停
止するかを捉える。
もうひとつは、水に十分な量の固体の砂糖を加える事例についてである。この場合の化
学的変化は
固体の砂糖 ←→ 砂糖水中の砂糖
となる。実際には水の自由エネルギーも変化する。しかし水は右向きの変化にも左向きの
変化にも関係する。とくにある濃度条件の下で微小変化を考える場合には、水の自由エネ
ルギーの大きさは左辺と右辺でほぼ同じである。したがってこのような事例では水の自由
エネルギーは無視できる。
講座プランでは、たとえば次のように記述した。
「これは固体の砂糖が溶解する変化と、水溶液中の砂糖が析出する変化が競い合っている。
始めは溶解の勢いが優っていてその変化が目に見えて進行するが、しだいに析出の勢いが
大きくなり、やがて両方の変化の勢いがバランスして溶解という変化が停止したように見
える。」(2節[1])
[b]温度の影響
[1]自由エネルギーが温度によってどのように変化するか。圧力と成分の濃度が一定な
ら
dF = −SdT
である。しかしエントロピーに踏み込まないとしたらこの関係式は使えない。
そこで講座プランでは、ルシャトリエの原理から対立する2つの変化の「勢い(自由)」
について次のように考えた。
「「温度を高くする」とは、系(4節[1]を参照)に熱エネルギーを加えることである。
融解や沸とうなど熱エネルギーを加えても温度が変わらない場合もあるが、そのような場
合を含めて考えてよい。「その影響を和らげる向き」とは、温度の上昇を抑える向き、そ
の熱エネルギーを奪う向き、つまり吸熱する向きのことである。熱化学方程式を思い出そ
う。アンモニア合成を例にする。
N2 + 3H2 = 2NH3 + 92kJ
この反応は左向きにに進行すると吸熱する。したがってこの例では、温度を高くする(熱
エネルギーを加える)と左向きに進行するわけである。
これだけでも間に合うが、私たちは対立する2つの変化の勢いに注目している。この例
では右辺のアンモニア2molである方が、左辺の窒素1molと水素3molであるよ
り小さいエネルギーを持つ(だからアンモニアが熱エネルギーを奪って分解する)。」
(6節[1])
結論は次のようになる。
- 10 -
「 「化学平衡であるとき、温度を高くする(熱エネルギーを加える)と
よりエネルギーが小さい方の物質の勢いが優るようになる。」
これはたとえて言えば、ある額の金を得ると貧乏人の方が大金持ちより元気になるわけで
ある。これは対立する2つの変化の勢いの絶対値ではなく、相対的な大小関係だけに注目
している。なおここで物質とは左辺の物質あるいは右辺の物質を指し、複数のこともあ
る。」(6節[1])
この結論を支持する化学熱力学の関係式もある。たとえば圧力が一定の溶液反応では
dlnKc/dT = ΔH/RT2
(Kc:モル濃度をベースにした平衡定数)
である。つまり温度が高くなると、平衡定数はエンタルピー変化に比例して大きくなる。
左辺の物質のエンタルピーが小さく右辺の物質のエンタルピーが大きいと、エンタルピー
変化(反応熱の符号を変えたもの)は正になり、平衡定数は大きくなる。これは化学的変
化が右向きに進行することを意味し、温度を高くするとよりエネルギーが小さい方の物質
の勢いが優ることになる。
[c]圧力の影響
[1]自由エネルギーが圧力によってどのように変化するか。それは次の関係式で表され
る。
dF = VdP (3)
これを純粋な気体1molに当てはめると
dF = RTdP/P = RTdlnP
したがって
μ = μ* + RTlnP
(μ*:単位圧力のときの自由エネルギー 温度の関数)
これは気体の化学ポテンシャルであり、これを使って混合気体の化学平衡の法則が導かれ
る。
K = PL^νL×PM^νM/PJ^νJ×PK^νK = 一定(P:分圧 温度の関数)
この関係式は温度が一定であるかぎり、つまり全圧に関係なく、平衡が成立していれば成
り立つことは重要である。
ただし講座プランではこの関係式は使わず、モル濃度に関する化学平衡の法則ひとつで
通すことにした。
[2]気体についてそのモル濃度を c とすると
P = cRT (P:混合気体の場合は分圧)
であるので、化学ポテンシャルは
μ = μ* + RTlncPT = (μ*+RTlnRT)+ lnc
- 11 -
= μ*’+ RTlnc
となり圧力が変わることはモル濃度が変わることに置き換えてよい。
溶液中の物質については、体積が一定と見なせるので関係式(3)は
ΔF = VΔP
しかし気体に比べてその体積は1/1000程度であるので、溶液中の物質は圧力の影響
を受けないと近似する(圧力によって体積はほとんど変わらないので、モル濃度も変わら
ない)。溶液だけの系は下の[4]を除いて避け、講座プランでは次のように記述した。
「1つめのケースは、気体を含む化学的変化である。溶液については圧力を変えてもその
体積が事実上変わらないので、モル濃度も変わらない。しかし気体については圧力(全
圧)を変えると、多くの場合にモル濃度が変わる。4節[3]では次の関係式を確認した。
c = (1/RT)P
温度が一定なら、モル濃度は圧力に正比例する。つまり気体を含む化学的変化では、圧力
を変えることは、気体のモル濃度を変えることに置き換えて考えればよい。」(7節
[1])
ここでルシャトリエの原理が成り立たない事例を確認しておこう。講座プランでは次の
ように記述した。
「実験4(a)では、アンプルに封入した NO2 と N2O4 の混合気体を扱った。そして
6節[3]では温度の影響に注目した。しかしアンプルを湯に浸けると、温度だけでなく
圧力も高くなる。圧力の影響はどうだろうか。
アンプルの体積は変化しないので、NO2 も N2O4 もそのモル濃度は変化しない。こ
の場合は圧力を高くしても化学平衡のバランスは崩れない。
これはルシャトリエの原理が、圧力に関しては成り立たない場合があることを示してい
る。しばしば「圧力を高くすると、気体の分子数が減る向きに」などとまとめられるが、
本質的でなく誤りを含むことになる。」(7節[4])
[3]ここで重大な注意がある。圧力を変える場合には、次の2つがある。
@変えた圧力を維持する場合
例 ピストンがまわりの圧力に合わせて動く注射器の中での変化
A容積を一定に保ち、圧力はさらに変わっていく場合
例 真空の容器に少量の水を入れる変化
NO2 と N2O4 のアンプルの温度を上げる。
容積が一定の反応容器に物質を注入する。
@については、これまでの自由エネルギー(正確にはギブスの自由エネルギー)を使っ
ていけばよい。しかしAのような定温定積系については、ヘルムホルツの自由エネルギー
A = E − ST
で考える必要がある(化学平衡だけでなく、変化の途中でも「勢い」を使いたいから)。
- 12 -
つまり「勢い」の中身がすこし変わってくる。こちらの自由エネルギーの圧力との関係は
次のようである。
dA = −PdV
これを純粋な気体1molに当てはめると
dA = −RTdV/V = −RTdlnV = −RTdln(RT/P)
= RTdln(P/RT)
そして温度が一定なら
dA = RTdlnP
これはギブスの自由エネルギーの場合と同じ形であり、化学ポテンシャルに関して同じ展
開ができることを示す。
[4]もうひとつやや特殊なケースである浸透現象を取り上げた。これは一方の水溶液の
圧力のみが高くなるので、簡単に説明できる。
講座プランでは次のように記述した。
「2つめのケースはやや特殊であるが、浸透現象である。実験2(c)では、浸透現象を
扱った。ケース内のショ糖水溶液はガラス管内を上がって行き、やがてある高さで停止し
て平衡が成立する。この時点で半透膜付近の両側の水のモル濃度を比べると、ケース内の
ショ糖水溶液中の水のモル濃度の方が低い。それでは平衡は成立しないではないか。そう
ではなく、水圧が掛かって半透膜付近の水溶液中の水の勢いは大きくなり、真水の勢いと
等しくなるのである。
このように液体や固体あるいは溶液では、圧力を高くすると物質の勢いが大きくなるの
である。しかしこれ以上は深入りできない。」(7節[5])
- 13 -
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