10.8.4〜6
                           科教協兵庫大会化学分科会
                      林 正幸(愛知 アルケミストの会)

  レポート・化学平衡の新たなイメージ

 化学平衡に係わる内容をどう教えるか、私はこれを30年以上に渡って課題にしてきた。
現役時代はその思いを授業プリント「化学平衡」に組み込んできた。
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/p17.htm
退職してからは講座プラン「化学的変化はどちらに向かうか」
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/w2.htm
をつくり、昨年6月にはそれを大きく改訂して「変化はどちらに向かうか&化学平衡」
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/w2-2.htm
とし、その暮れの安房科学塾(館山市の民宿で開かれる自主的研究会)にその思いを「化
学平衡をどう教えるか〜その冒険的試み〜」

    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/nc2-18.htm
として発表し、今年3月には先進科学塾(高校生以上が対象)で「化学平衡の新たなイメ
ージ〜化学的変化はどちらに向かうか〜」
(テキストは資料として添付)
    http://www.water.sannet.ne.jp/masasuma/masa/nc1-10.htm
という講座を開いた。
 このような蓄積と実践にもとづいて「化学平衡の新たなイメージ」を提案したい。教科
書など既存の教え方に捕らわれず、新しい提案を検討してもらえれば幸いである。

A 勢いと濃度

[1]高校の化学教科書では、反応速度を先に教え、それをもとにヨウ化水素の合成と分

    H2 + I2 ←→ 2HI
を取り上げ、右向きと左向きの反応速度が次の関係式で表されることを示す。
    v(右) = k1[H2][I2
    v(左) = k2[HI]2
そして化学平衡では2つの速度は等しくなり
    k1[H2][I2]= k2[HI]2
したがって
    [HI]2/[H2][I2]= k1/k2 = K

                  - 1 -

と化学平衡の法則(質量作用の法則)まで導き出す。
[2]しかし現実には反応速度がこの法則に合うように表現できることは少なく、本質的
には化学平衡は反応速度ではなく、自由エネルギーの問題である。
 にもかかわらず教科書でこのような扱いが見られるのは、ある種の良さが感じられるか
らではないだろうか。それは私が思うに、化学反応が相対立する(正逆両方の向きの)2
つの変化から成り立つことを確認し、さらにそれぞれの変化の起こりやすさが濃度に比例
していることをイメージできるからであろう。
[3]化学熱力学によると、定温定圧系においては、化学的変化(化学反応や状態変化・
溶解など)は(ギブスの)自由エネルギー
    F = H − TS  (H:エンタルピー S:エントロピー)
が減少する向きに進行し(かつてこれが化学Uの教科書に取り入れられたことがあった)、
極小値で化学平衡が成立する。
 次のような化学反応があったとする。
    aA + bB ←→ dD
ここでたとえば A はある物質の化学式、a はその係数である。そしてたとえば A の化
学ポテンシャル(1molあたりの自由エネルギー)を μA と表すと
  左辺の自由エネルギー:F(左辺) = aμA + bμB    (1)
  右辺の   〃   :F(右辺) = dμD        (2)
となる。もし F(左辺) が F(右辺) より大きければ、反応は右向きに進行して全体の自
由エネルギーは減少し、F(右辺) が F(左辺) より大きければ、反応は左向きに進行して
全体の自由エネルギーは減少する。そして両者が等しいときには化学平衡が成立する。
参考:溶解では、たとえば
     固体のショ糖 ←→ 溶けたショ糖
   のように、左辺と右辺の溶媒の化学ポテンシャルが同じであるので、溶媒を省いて
   扱うことにする。
 そして温度が一定なら、化学ポテンシャルは次のように表せる。
    μ = μ0 + RTlnc   (3)
ここで ln は自然対数、c はモル濃度、そして μ0 はモル濃度が1mol/Lのとき
(これを標準状態という)の化学ポテンシャルであり、温度のみの関数である。
参考:より厳密にはモル濃度の代わりに活量を使うべきである。
   標準状態には、正確には圧力も指定される。
つまりそれぞれの物質の化学ポテンシャルはモル濃度が高くなると大きくなる(単調増
加)。
[4]こんなわけで左辺の自由エネルギーを右向きに「変化しようとする勢い」と、右辺
の自由エネルギーを左向きに「変化しようとする勢い」と捉えてはどうだろうか。もちろ

                  - 2 -

ん「勢い」はそれぞれの辺の物質が持っている。そしてたとえば物質Aのモル濃度が高く
なれば、A の化学ポテンシャルが大きくなり、左辺の「勢い」が大きくなる・・・。さら
に A の化学ポテンシャルも敢えて物質Aの「変化しようとする勢い」と呼んでしまえば、
A のモル濃度が高くなると、A の「勢い」が大きくなり、左辺の勢いが大きくなる(た
だし係数までは触れない)と言うように、「勢い」で化学反応の進行の向きや化学平衡を
捉えることができることになる。これが私の提案の基礎である。
参考:勢いという用語については、より適切なものが無いか探しているが、現時点では思
   い付かない。
[5]先進科学塾のテキストでは次のように書いた。
(p9)
「  「化学的変化はある向きの変化とその逆向きの変化の両方から成り立ち、
           互いにその勢いを競い合っている」

のである。
 ここで「勢い」という言葉を使った。これはときに自由エネルギー、ときに化学ポテン
シャルを指すが、いきなりそれらを厳密に扱うのは困難である。講座プランではこの「変
化しようとする勢い」という言葉を使って、大づかみにその内容をイメージアップする。
この勢いは位置エネルギーに似ており、変化の主体である物質が持っている。勢いは濃度、
温度、圧力などの条件によって大きくなったり小さくなったりする。そして水が低いとこ
ろに流れるように、勢いの大きい物質は勢いの小さい物質に変化する。」
(p10)
「  「正逆両方の向きの変化の勢いがバランスして、見た目には変化が停止した
           ように見える状態は、化学平衡と呼ばれる。」

(p11)
「  「物質が変化する勢いは、温度が一定なら、モル濃度が高いほど大きくなる」
のである。ただし勢いとモル濃度は正比例するのではなく、モル濃度が高くなると勢いが
大きくなる(単調増加する)のである。」
(p11)
「一般に純粋な液体や固体の勢いは、温度が一定なら、量の多少によらず一定とである。
それはそのモル濃度が変わらないからと言える。ただし気体は、6節で学習するように圧
力によってモル濃度が変わり、含まれないので注意しよう。」
(p11)
鉄(V)イオンとチオシアン酸イオンが反応する勢いは、それぞれのイオンの勢いの合計
になる。

(p11)
「ちなみに化学熱力学によると鉄(V)イオンの勢いは、それがチオシアン酸イオンと結び

                  - 3 -

付く場合でも、たとえば水酸化物イオンと結び付いて水酸化鉄(V) Fe(OH)3 になる場
合でも、化学的変化によらず同じ値である。それはチオシアン酸イオンも同様である。」

 ちなみに3つめの記述は、たとえば飽和食塩水あるいは不飽和食塩水から固体の食塩が
析出しないことの理由になる。つまりこれらの食塩水の中には固体の食塩の微粒子が浮遊
していて、溶解の勢いは無限小にはならないのである。
 最後の記述は、化学平衡が物質の自由エネルギーのみで決まることを示している。
 下の「受講者のアンケート」のCの前半
「氷に塩を入れると溶けるというのが、(それを)水の濃度で考えるというのがとても感
動的でした。」
や、Gの中段
「でも、化学平衡について、”変化する勢い”という表現で考えるのは面白く、分かりや
すかった気がしました。私はとにかく事象で考えてしまって、理論の方はおろそかになっ
てしまうので、一度こういう機会を得て、じっくり考えることが大切だと思いました。」
は、これらの表現を支持している。
[6]定温系における化学平衡の法則(質量作用の法則)に移ろう。関係式(3)を使っ
て(1)(2)を書き直すと
  F(左辺) = aμA0 + aRTlncA + bμB0 + bRTlncB
  F(右辺) = dμD0 + dRTlncD
両者が等しいので
  (aμA0+bμB0) + RTln(cAa・cBb) = dμD0 + RTlncDd
整理して
  −(dμD0−aμA0−bμB0) = RTln(cDd/cAa・cBb)
となり、左辺の( )内は標準状態における自由エネルギー変化であり、温度が一定なら
一定の数値になる。したがって温度が一定なら右辺の( )内も一定の数値になり、それ
を K として
    cDd/cAa・cBb = K
が導かれる。
参考:圧力(分圧)を使う化学平衡の法則は取り上げないでおく。
ただしこの展開は高校生には無理であり、「変化しようとする勢い」から導かれる法則と
して天下り的に教える。

B 勢いと温度

[1]さて教科書では、A節で書いたように、ヨウ化水素の合成と分解を取り上げた後、
脈絡なくいきなりルシャトリエの原理(平衡移動の法則)に飛んでしまう。この法則は多

                  - 4 -

分に現象論的であり、「あまのじゃく法則」などと誤解を生みやすい。ひどい場合は「温
度を上げると、温度を下げようとする」などと混乱しそうな説明がなされる。さらに圧力
の影響については「圧力を高くすると、その影響を和らげるように気体の分子数が減少す
る向きに平衡が移動する」となり、これは間違いを含んでいる。
 せっかく化学的変化では相対立する2つの変化が競い合っていると本質に迫りながら、
それを深めるどころか、受験問題を解くための上滑りな理解に追いやってしまう傾向が強
い。
[2]ところが私の方も温度の影響は悩ましい。定圧系では自由エネルギーの変化は次の
ように表される。
    dF = −SdT
つまり温度を高くすると、エントロピーが大きいほど自由エネルギーが小さくなることを
意味する。しかしエントロピーは高校では扱いづらい。
 幸い化学熱力学には次のような定圧平衡式というものがある。
    dlnK/dT = ΔH/RT2
ここで ΔH は化学的変化が右向きに進むときのエンタルピーの増加である。これは定圧
下では
    ΔH = ΔE + PΔV  (E:内部エネルギー)
と表せる。このエンタルピーを「物質が持つエネルギー」と表現すれば(これは熱化学方
程式では普通にやっていることである)、ΔH が正であるとは、左辺の物質のエネルギー
(の合計)が、右辺の物質のエネルギー(の合計)より小さいことを意味する。そしてこ
れは温度を高くすると(つまりdTが正なら)dlnK が正であることを、つまり dK
が正であり平衡定数が大きくなることである。それは化学的変化が右向きに進行すること
である。ここで「変化しようとする勢い」につなげると次のようになる。「温度を高くす
るとエネルギーが小さい方の物質の勢いがより優るようになる。」 このように残念なが
ら2つの勢いの相対的な優劣しか提示できない。
 実はこの結論はルシャトリエの原理からも引き出せる。温度を高くすると、その影響を
和らげるように、つまり吸熱変化の向きに平衡が移動する。これはエネルギーが小さい方
の物質の勢いがより優るようになることである。つまりルシャトリエの原理も扱い方次第
とも言える。
[3]なお容積一定の容器内での気体の反応のような定温定積系では、ヘルムホルツの自
由エネルギーがものを言う。そしてこのような系では次のような定積平衡式が成り立ち
    dlnK/dT = ΔE/RTa
似た展開ができる。そしてこの自由エネルギーも「勢い」に含めることにする。ちなみに
この系では、物質が持つエネルギーは内部エネルギーそのものになる。これは蒸気圧など
に使える。

                  - 5 -

[4]先進科学塾のテキストでは次のように書いた。
(p17)
「  「化学平衡であるとき、温度を高くすると
        よりエネルギーが小さい方の物質の勢いが優るようになる。」

温度を高くするとは、系にエネルギーを与えることである。したがってこれはたとえて言
えば、ある額の金を得ると貧乏人の方が大金持ちより元気になるとして、頭に入れておく
ことができる。なおここで物質とは左辺の物質あるいは右辺の物質を指し、複数のことも
ある。
 そして同じように考えて
  「化学平衡であるとき、温度を低くすると
      よりエネルギーが大きい方の物質の勢いが優るようになる」
のである。ある額の金を失うと、大金持ちの方が貧乏人より平気で居られるわけであ
る。」

 下の「受講者のアンケート」のCの後半
「貧乏人と金持ちというエネルギーの大きさのたとえが、考えやすくとても分かりやすか
ったです。」
は、この表現を支持している。

C 勢いと圧力

[1]定温系では、ひとつの物質の自由エネルギーの変化は次のように表される。
    dF = VdP    (4)
これは圧力を高くすると、体積が大きい物質ほど自由エネルギーが大きくなることを意味
する。これも以下のようになかなか悩ましい。
 物質が気体なら、状態方程式
    PV = nRT
を V に代入すると
    dF = nRT(dP/P) = nRTdlnP
1molとして任意の状態と標準状態の間で積分すると化学ポテンシャルが
    μ − μ0 = RTlnP
となる。ここで μ0 は単位圧力(たとえば1atm)のときの化学ポテンシャルである。
そして混合気体の場合には P は分圧になる。
 さらにモル濃度を含む状態方程式
    P = cRT
を代入すると

                  - 6 -

    μ = μ0 + RTlncRT = μ0 + RTlnRT + RTlnc
温度は一定なので RTlnRT は一定であり、次のように書き直せる。
    μ = μ0' + RTlnc
ここで μ0' は気体のモル濃度が1mol/Lのときの化学ポテンシャルである。
 このように気体では自由エネルギーの圧力による変化は、モル濃度の変化に置き換えて
捉えるようになっている。
[2]これに対して液体や固体、そしてその混合物ではどうだろうか。これらは通常は非
圧縮性であるので、圧力を高くしてもモル濃度は変化しない。もしそうなら液体や固体で
は圧力の影響を受けないのだろうか。そうは行かない。浸透現象を例にする。たとえば真
水とショ糖水溶液が半透膜を隔てて接していると、ショ糖水溶液の水位が高くなる。つま
りショ糖水溶液中の水はモル濃度では真水より小さくて自由エネルギーは小さいが、圧力
が高くなることで自由エネルギーが大きくなり、真水の浸透に対抗することができる。液
体や固体の物質の自由エネルギーは圧力が高くなると大きくなるのである。このことは化
学ポテンシャルでは、モル濃度ではなく活量を使い、圧力が高くなると活量が大きくなる
と扱うのである。
 ここで関係式(4)にもどってみよう。通常の圧力の下では液体や固体の体積は、気体
に比べて桁違いに小さい。したがって近似的には、圧力が変化しても液体や固体の自由エ
ネルギーの変化は無視できる。つまり圧力が変化しても液体や固体のモル濃度は変化しな
いと扱うことができる。
[3]こうして「気体を含む化学的変化」に限定すると、勢いと圧力(全圧)の関係は近
似的に、圧力の変化をモル濃度の変化に置き換えて考えればよい。もちろんすべてが気体
の化学反応では「近似的」ではない。
 体積変化を伴う圧力変化においては、どの気体もそのモル濃度が変化する。気体が1種
ないし反応式の左辺と右辺のどちらかのみである場合は簡単である。しかしそうでない化
学的変化では、化学平衡の法則の助けを借りないと、どちらに向かうかは解決できない。
 それから体積変化を伴わない圧力変化では、モル濃度が変わらないのでそもそも化学平
衡が崩れない。
 なお「気体を含まない化学的変化」に関しては、浸透のように一方の物質の圧力のみが
変化する事例では「液体や固体の勢いは、圧力が高くなると大きくなる」として扱うこと
ができる。
[4]先進科学塾のテキストでは次のように書いた。
(p20)
「圧力の影響は
  「気体を含む化学的変化では、圧力を変えることは、
      気体のモル濃度を変えることに置き換えて考えればよい」

                  - 7 -

のである。」
[5]ルシャトリエの原理の位置づけに触れておく。私はこの法則も紹介し、使えるよう
にすることは意味があると考える。ただし圧力に関しては、Bの[1]で触れたが、容積
一定の容器にその化学的変化に無関係な気体を注入するような、体積変化を伴わず圧力
(全圧)を変化させる場合は誤りになることを注意する。
 ルシャトリエの原理は別の視点から見ると面白い。つまり化学平衡には条件の変化に抵
抗して現状に留まろうとする「慣性」のようなものがあると捉えるのである。もちろんこ
れは、条件の変化に応じて相対立する2つの変化の「勢い」に優劣が生まれて平衡が移動
することと統一するべきである。

D 系について

[1]化学熱力学では、系の特徴に応じて理論が展開される。しかし高校の化学教科書で
は系の概念すら出てこない。
 熱エネルギーの出入りはあるが物質の出入りがない系は閉鎖系と呼ばれる。そして物質
の出入りがある系は開放系と呼ばれる。開放系では平衡は成立しない。フェノールフタレ
インを含む水溶液に、塩基や酸を加える事例を考えてみる。塩基を加えていくとやがて赤
色になるが、これは開放系だろうか。塩基を1滴加えてはどうなるか様子を見れば、これ
は閉鎖系として捉えることである。
[2]温度が一定に保たれる系は定温系と呼ばれる。温度が変わり続けては平衡は成立な
い。ある温度で砂糖の飽和溶液がある。この温度を低くするとどうなるかという事例を考
えてみる。より低いある温度にしてそれを保つわけだから、定温系である。
 簡単な断熱容器で水にショ糖を溶かすと温度が下がる事例を考えてみる。これは短い時
間では熱エネルギーの出入りがないので断熱系である。しかし次のように考えることもで
きる。長い時間が経てば系はまわりから熱エネルギーを得て室温に、つまり始めと同じ温
度になる。定温系と捉えるのである(途中で一時的に温度が変化しても構わない)。する
とこの変化は吸熱であり、水とショ糖が別にあるより、ショ糖水溶液である方がエネルギ
ーが大きいことが分かる。吸熱や発熱とは定温系として捉えたときの話である。始めと終
わりで温度が異なっては意味がない。これが曖昧であると、温度が低いと吸熱と勘違いす
る。だから冷凍庫で水が凍って氷ができるので、凝固が発熱変化とは思えなくなる。
[3]温度と圧力が一定に保たれる系は定温定圧系と呼ばれる。これはもっともよく出て
くる事例であり、通常の熱化学方程式も厳密には定温定圧系のものである。
 ところが密閉容器内で水が蒸発する事例を考えてみる。これは定温定圧系ではない。化
学平衡になるまで(飽和するまで)圧力は変化し続ける。これは定温定積系であり、Bの
[3]で書いたように、ヘルムホルツの自由エネルギーで捉える。したがってこれは本来
は区別して扱うべきであろう。

                  - 8 -

[4]先進科学塾のテキストでは次のように書いた。
(p17)
 化学的変化が進行する(そして停止している)間、系全体の温度が一定の数値に保たれ
る系は「定温系」と呼ばれる。実際は温度は一時的に変化してもよく、その後に始めと同
じ温度にもどれば定温系である。
(p18)
 また実験3(c)を除くすべての実験において、系の圧力は大気の圧力と同じである。
これは「定圧系」である。このように私たちが扱う事例には「定温定圧系」が多い。
 化学的変化が進行する(そして停止している)間、物質が出入りしないように保たれて
いる系は「閉鎖系」と呼ばれる(熱エネルギーなどは出入りしてもよい)。
(p18)
 一般に温度がいつまでも変化し続けたり、物質がいつまでも出入りし続けたりする系で
は平衡は成立しない。
 圧力に関してはすこし複雑である。たとえば真空の容器に少量の水を注入する事例(温
度は30℃)のように、系の体積が一定に保たれれば(定積系という)圧力が変化し続け
ても平衡は成立するが、そうでないなら圧力がいつまでも変化し続けては平衡は成立しな
い。
(p19)
 化学的変化を反応式のように書くとして、さて左辺の物質と右辺の物質でどちらの持つ
エネルギーがより大きいか、は実験ではどのように分かるだろうか。この比較は元々が温
度を決めて、つまり定温系で比べられるべきである。同じ水でも温度が高い方がエネルギ
ーが大きいからである。熱化学方程式もそれを前提にしている。

 下の「受講者のアンケート」のHの前半
「平衡の話をする時に、ここまで前提をきっちり確認しながら話をするということをして
いない時もあったなあと反省しました。」
は、これらの表現を支持している。

E テキストの概要など

[1]先進科学塾のテキストのあらましは次のようである。テキストは実践を踏まえてい
くつか改訂している(資料も改訂したものである)。
 実験を含む目次は次のようである。
    化学平衡の新たなイメージ〜化学的変化はどちらに向かうか〜
1節 化学的変化の本質
    実験1 反応は完結するか(鉄(Vイオンとチオシアン酸イオンの反応))

                  - 9 -

    実験2 塩化アンモニウムの生成と分解
2節 化学平衡
3節 勢いと濃度
    実験3 勢いと濃度
     (a)食塩の雪
     (b)フェノールフタレインの合成と変色
     (c)浸 透
4節 系と平衡定数
5節 勢いと温度
    実験4 「平衡モデルボックス」
    実験5 勢いと温度
     (a)温度と二酸化窒素の色
     (b)寒 剤
     (c)溶解熱
6節 勢いと圧力
    実験6 勢いと圧力(圧力と二酸化窒素の色)
7節 実験課題
[2]すでにAからDでかなり説明しているが、加えて補足すると、1節の実験1はどち
らの反応物質も残った途中で反応が停止することを、実験2は温度が低いと生成に、温度
が高いと分解に向かうことを確認する。そしてこれらを踏まえて化学的変化の本質に迫る。
 2節では仮想的な「男女対抗玉投げゲーム」で4つの事例の成り行きを考える。
 3節の実験2(a)は飽和食塩水に濃塩酸を滴下する。そして勢いと時間のグラフも描
いている。また濃度については溶質だけでなく溶媒の濃度も、それだけでなく純粋な物質
の濃度も存在することを注意する。さらにルシャトリエの原理を紹介する。
 4節では、酸の強さを示すpKも説明する。
 5節の実験5(b)は氷に食塩を加えることでまず勢いと濃度の関係から考え、続いて
融解熱で自らの温度が下がることで勢いと温度の関係から考える。実験5(c)はショ糖
の水への溶解が吸熱変化であることを確認して、その溶解度が温度と共に高くなることを
納得する。また化学の切り口には、平衡論とともに速度論があることを紹介する。
 6節では、蒸気圧を例にしてルシャトリエの原理の間違いを指摘する。
 7節は、受講者が考えるべき実験課題のいくつかの解説である。そして講座の中では私
が思い付かなかった答も出てきた。課題Bでは「食塩を加える」という考えが出た。これ
はブタンを薄めるという発想であり、私の思いが伝わったと感動した。後でヘキサンを使
って実現でき、テキストに加えた。

                  - 10 -

F.受講者のアンケート

 13名のうち10名からアンケートを回収できた。この内容はテキストの改訂にも役に
立った。
@:議論ができて楽しかったです。資料集でしか見たことがなかった
    2NO2 ←→ N24
の実験等もできて面白かったです。
 「勢い」については、ルシャトリエの原理の位置づけをどうするかが1つの問題だと思
います。「勢い」の主語にも注意するべきだと思いました。
A:皆さんがよく質問し、議論が進んだため講習の時間が足りなかったなあ。
B:・良かったこと
考え方について、議論できたこと。化学、物理、数学など。
・分かりにくかったこと
勢いの概念のとらえ方
・希望すること
論じること、話し合うことなど、議論する時間をつくってください。
C:氷に塩を入れると溶けるというのが、(それを)水の濃度で考えるというのがとても
感動的でした。
 貧乏人と金持ちというエネルギーの大きさのたとえが、考えやすくとても分かりやすか
ったです。
D:化学の教員でありながら、教えたことがない化学平衡。私自身は高校、大学で学んだ
内容で「化学ポテンシャル」「エントロピー」などのキーワードを思い出したりできて、
「リフレッシュ」できました。
 ただ「勢い」という言葉は、私も少し抵抗がありました。「勢い」=「エネルギー」と
教えていただきましたが、力学の『加速』のイメージがかぶってしまう・・・。慣れてい
ないかもしれません。
 玉投げ合戦も、「人数」「玉数」「単位時間あたりに投げる玉数」が何に当たるのか?
と考えていて未消化になってしまいました。まだまだ定着していません。
 さらに最後には酸化還元も出てきて、覚えていないくやしさを思い、がんばろうと思い
ました。
 たくさんの実験ができてよかったです。ありがとうございました。
E:色々な反応を見せて戴いて、勉強になりました。
ありがとう御座います。
F:玉投げ合戦のモデルはとても分かりやすいと思った。(モデルはあくまでもモデルで
全てを説明できるわけではないというのも心に残った。)
 実験2はとてもシンプルで、分かりやすかった。特に分解する反応をpH試験紙で確か

                  - 11 -

めるのはよく分かった。
「炭酸がぬけないキャップ」として売られているものに意味がないことが確認できて良か
った。」
G:実験を交えての講義、とても面白かったです。教科書で知っていることでも、実際に
体験しながら考えると、いろいろな疑問がわいてきて、何となく、さらに謎が深まってし
まったこともありました。
 でも、化学平衡について、”変化する勢い”という表現で考えるのは面白く、分かりや
すかった気がしました。私はとにかく事象で考えてしまって、理論の方はおろそかになっ
てしまうので、一度こういう機会を得て、じっくり考えることが大切だと思いました。
 化学平衡、もう少し深く勉強したいです。弱酸と弱塩基についての電離平衡もやってみ
たいと思いました。
 ありがとうございました!!
・リクエスト
以前された内容をもう1度・・・再放送はないのでしょうか・・・?
H:平衡の話をする時に、ここまで前提をきっちり確認しながら話をするということをし
ていない時もあったなあと反省しました。
 今日は多くの知識を融合させながらの話でした。やはり化学Uの範囲にするだけのこと
はあるなあと思いました。
ありがとうございました。
I:簡単な実験でもよく考えると、いろいろ考えさせられることがあることが分かった。
いろいろ楽しめました。



                  - 12 -

追記:「まとめ集」の原稿(10.8)
[1]化学平衡を、正逆両方の向きの反応速度が等しい状態であると教える伝統
が根強い。しかし化学平衡は、定温定圧系では(ギブスの)自由エネルギーが支
配する世界である。
 物質の自由エネルギーは定温系ではモル濃度が高いほど大きくなる。
    μ = μ0 + RTlnc
ここで μ は1molあたりの自由エネルギー、ln は自然対数、c はモル濃
度、そして μ0 はモル濃度が1mol/Lのとき(これを標準状態という)の数
値である。私は自由エネルギーを「物質が変化する勢い」(慣れれば単に「勢い」)
とし、次のように教えることを提案したい。
 「物質が変化する勢いは、温度が一定なら、モル濃度が高いほど大きくなる」
[2]この提案の裏にはもうひとつの意図がある。通常の展開では、ルシャトリ
エの原理(化学平衡の法則)を表面的に扱って問題が解ければよいとされる。こ
れでは化学的変化では対立する2つの変化が攻めぎ合っているという本質から外
れてしまう。化学的変化に関係するそれぞれの物質の「勢い」に注目すれば、そ
れを避けることができる。
[3]実験3(a)では、固体の食塩を含む飽和食塩水に濃塩酸を滴下すると、
白色固体が降った。この化学的変化は
    NaCl(固体) ←→ Na+ + Cl-
と書ける。飽和食塩水では平衡が成立しており
    固体の食塩が溶解する勢い = 飽和水溶液中の食塩が析出する勢い
となっている。ここで「飽和水溶液中の食塩が析出する勢い」というのは、飽和
水溶液中のナトリウムイオンと塩化物イオンのそれぞれの勢いの合計である。濃
塩酸を加えるのは、塩化物イオンのモル濃度を高くすることである。するとナト
リウムイオンと塩化物イオンの勢いの合計が大きくなるので、水溶液中の食塩が
析出する勢いが優ってその変化が進行する。
[4]実験3(b)では、濃硫酸を触媒にして、フェノールと無水フタル酸から
フェノールフタレインを合成し、水に溶かした。これに水酸化ナトリウム水溶液
を加えると赤色になった。フェノールフタレインは弱酸であるので、水中で次の
ように少しだけ電離し、途中で停止して平衡が成立している。
    H2A ←→ 2H+ + A2-
この段階では A2- のモル濃度はごく小さいことに注意しよう。これに水酸化ナ
トリウム水溶液を加えると、結局 H+ のモル濃度を低くする。つまり H+
2- の勢いの合計が小さくなるので、H2A が電離する勢いが優ってその変化
が進行する。 A2- のモル濃度が高くなり、A2-は赤色なので、水溶液は赤色に
なる。
[5] 実験3(c)では、1mol/Lショ糖水溶液を底がセルロースチュー
ブのフィルムケースに入れて水に浸けると、水溶液の水面がガラス管内を上がっ
ていった。始めにケース内も水にして内外の水位をそろえた場合を考える。これ
は内外の水のモル濃度が等しいので
    内の水が外に透過する勢い = 外の水が内に透過する勢い
となり化学平衡である。そこでケース内の水をショ糖水溶液と入れ替える。ケー
ス内の水のモル濃度は、ショ糖が溶けている分だけ低くなる。つまり内のショ糖
水溶液中の水が外に透過する勢いは小さくなる。すると外の水が内に透過する勢
いが優って、その変化が進行して水面が上がっていく。
 もっと単純にケース内外の水のモル濃度に注目して、外の方が高いので外の水
が内に浸透する勢いが優っていてその変化が進行すると考えてもよい。
[6]温度、圧力に関する提案は時間の都合で割愛した。
 私は高校段階において、「勢い」という言葉を使い自由エネルギーの性質の初
歩を学んでおけば、より高度な学習をするときにもつながりがよいと考える。
 もちろん自由エネルギーに関しては次の定義式もある。
    F = H − TS  (H:エンタルピー S:エントロピー)
私は高校段階でも、溶解現象くらいはエンタルピー(内部エネルギーで代用する)
とエントロピーで説明してもよいと考える。しかしエントロピーの深入りは避けたい。
[7]これまで私の提案は受け入れられることが少なかった。しかし名古屋市科
学館における「先進科学塾」の講座では、全体として好意的に受け止められた。
そして分科会ではいくつかの肯定的な発言があり、元気づけられた。


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