[コメント]
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[目次]
1.新指導要領
2.生徒の関心
3.「もの知り」の階段
4.自分の高校時代
5.公害反対運動
6.「隠す実験」まで
7.まとめ

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                                   林 正幸

   「TAよりTBを選ぶべき」か

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1.新指導要領

 94年度(平成6年度)から実施される高校学習指導要領は理科において、AとBの科
目を設けた。私が担当している化学では
     化学TA (2単位)
     化学TB (4単位)
     化学   (2単位)
である。そしてUはTBを履修後に選択できる。
 文部省によると化学TAは「日常生活と関係の深い化学的な事物・現象に関する探求活
動を通して、科学的な見方や考え方を養うとともに、化学的な事物・現象や化学の応用に
ついての理解を図り、科学技術の進歩と人間生活とのかかわりについて認識させる点に特
色を持つ」とし、具体的な内容として
     (1)自然界の物質とその変化
          (空気、水など)
     (2)日常生活の化学
          (食品、衣料、染料、洗剤)
     (3)身近な材料
          (プラスチック、金属、窯業製品)
     (4)身の回りの物質の製造
     (5)化学の応用と人間生活
の5項目を上げている(高校指導要領解説 理科編)。
 これに対して化学TBと化学Uは「中学校理科の基礎の上に更に進んだ化学的な方法で
自然の事物・現象に関する問題を取り扱い、基本的な概念や原理・法則を理解させるとと
もに、探求の過程を通して科学の方法を習得させ、科学的な自然観を育てる」としている。
その具体的な内容は、現行の化学に若干付け加えたものになっている。
 これに対する私の意見を述べるために、以下いくつかの実践経験を列挙する。

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2.生徒の関心

 毎時間生徒からの授業に対するメッセージを受け取ることができるように、順番にひと
りづつ授業感想を書かせている。これはもう前任校の時からで10数年になるが、その発
端はこうだった。
 かって物理の仲間(愛知)が「授業ノート」を生徒に書かせると、紙上討論まで展開さ
れてすばらしいという報告をよくしてくれた。「授業ノート」というのはクラス毎に1冊
のノートを準備して、授業内容を克明に記録させると同時に生徒の疑問・感想を書かせる
ものである。教師はそれにコメントを付けて次の生徒にまわす。労せずして授業の記録が
取れ生徒の反応もわかるということで、仲間たちはそれを宝物のように大切にしていた。
 私もそれができたらと思いつつ、目の前に居る生徒のことを考えるとおそらくノートそ
のものがすぐにでも紛失してしまいそうだった。そこで毎時間1枚の感想用紙を準備し、
それをファイルに綴じることにした。その項目は「授業ノート」に準じたが、最後に「知
りたいこと」を付け加えた。
 ところが多くの生徒は授業に関係する部分よりこの「知りたいこと」をよく書いた。そ
れはひとつには生徒の質問に次の時間にできるだけ答えようとしたことがある。しかし見
方によっては、生徒は授業の内容よりそこに書かれたことの方により強い関心を持ってい
る、とも言える。
 それを10ほど上げてみよう。
 フロンガスはどのようにしてオゾン層を破壊するのか。
 虹はどうして見えるのか。
 CDはどういう仕組みで音楽が鳴るのか。
 ウラシマ効果とはどういうものか。
 超電導とはどういうものか。
 シーモンキーはなんで水を入れるだけで泳ぎ出すのか。
 油絵の具の黄色はカドミウムが入っているのか。そして害はないのか。
 やけどをすると水ぶくれになるのは何故か。
 どうしてカーブが投げられるか。
 死後の世界はどこにあるのか。
 以上は89年科教協大会の私のレポート「生徒は何にどのように関心を持っているか」

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から拾ったが、実態はそれより10年前も似たものだった。一時期生徒がものに無関心で
あるという主張がなされたことがあった。しかし私はこの「知りたいこと」の内容からそ
うではないと確信した。生徒はものに関心を持っている。ただ教師が期待するような形で
は関心を持っていないだけある。
 私は、自分が授業を組み立てる基本姿勢とは確かにどこかずれているこの生徒の関心の
持ち方が、えらく気になっていた。しかもこういう感想を書く生徒たちの方が紙上討論す
る生徒よりはるかに多数派なのである。それを分析しようとして、87年にも上と同タイ
トルのレポートを作成して支部教研で紹介していた。その執拗な態度にいささか呆れた顔
をした先生もいた。
 90年の年賀状には次のように書いた。
 (前略)
 私はこのような質問(注:上記の「知りたいこと」)の海の中に居ます。とりあえずひ
とつひとつ答えて来ましたが、大切なのはここに生徒の自然科学に対する認識と関心の実
態がこめられていることです。ともすると教師は自分の体系をストレートに教えがちです。
その前に横たわる認識のもうひとつの段階をはっきりと見抜きたいと願っています。
 (後略) 
 なんとしても生徒の関心とのギャップを埋めたいと願い続けたが、時間がむなしく過ぎ
ていった。しかし同時に私は、生徒の「知りたいこと」に答えるために勉強をした。それ
までと違って、東京法令出版の「理科Q&A教室」(全4巻)などが役に立った。今から
思うとこれは生徒の関心の立場に立とうとすることだった。こうしてすこしづつ生徒に近
づいて行った。

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3.「もの知り」の階段

 夏休みも近い暑苦しい日の1年生の授業だった。生徒は 先生「今日は授業やめよう」
と訴える。「よしよし、ちょっとだけにしよう」「それにクイズをやって上げよう」とい
うことで次の質問をする。
「鏡に自分の顔を映したけど小さくて全体が見えなかった。鏡を離したらどうなるか。」
これは田中実氏の「科学パズル」の中のひとつである。
 ほとんどの生徒が「全体が見えるようになる」方に手を上げた。「同じ」と答えたのは
たった一人だった(あとできいてみるとこっそり持っている鏡で試したのである)。私は

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事実を伝え、そのわけを黒板に図をかいて反射の法則を使って説明した。しかし山本千尋
の感想を読んでみよう。「日常生活でふだん私たちがよくやるあたりまえのことなのにい
ざ質問されるとできないのが・・・鏡をつかっての質問で鏡をはなすと私は大きく見える
と思っていたのに、実際は幅は2倍しか見えないなんてびっくりしました。」 
 これは典型的な事例なのだが、生徒は鏡の幅(高さ)の2倍しか見えない事実自身にい
たく感動しているのであって、それが反射の法則を使って見事に説明できることにはあま
り関心を払っていないのである。これは注目すべきことである。
 (中略)
 教育の時流の中では「体系的な認識」あるいは「原理からの説明」が基本であるという
考えが根強い。他方、生徒や世間では「もの知り」になることが勉強と考えている。だか
ら教師がいくら分かりやすく丁寧に説明したとしても、生徒に対しては押しつけになって
しまうことがある。「もの知り」の階段を何段も登ってこそ生徒は総合的な自然観にも興
味関心をいだくようになる。理科教師とくに物理や化学は、この階段をあまり登らないう
ちから背伸びをして世界や宇宙を見渡そうとする傾向の強い人種である。
 もうひとつやはり1年生の光田幸寛の例を上げておこう。彼は足が悪くて、伊吹山登山
のとき私と一緒にバスで上がることになった。その車中で「先生、ぼく理科が大好きだよ」
と話し掛けてくる。「原子記号や原子番号をたくさん知ってるよ。試しにきいてみて!」
・・・・。「先生、彗星ってどこから来るか知ってる?」「それは太陽系の外側に、集ま
って惑星になることができなかったオールトの雲と言われる氷のかたまりがあって・・・」
「先生、よく知ってるね」。彼はオールトの雲という単語に反応しているのだ。この光田
の感想の「知りたいコーナー」を紹介する。
 先生個人で楽しんでください。クイズです。(先生にとってはたぶん簡単)
 (以下一部省略)
 3.ガリレオがピサの斜塔で実験した法則は?
 5.新たに決められた水の沸点、小数点以下第3位までいうとセッ氏何度?
 6.青酸カリの200倍もの強さがあるといわれるフグの毒の主成分は何?
 7.キューリー夫妻が発見した放射性元素はRaと何?
 8.ハイゼンベルグの「不確定性原理」で 6.63×1034、この数字は何定数?
 9.火星でもっとも高い山の名は?
 (後略)

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 以上は今年(92年)の科教協大会の私のレポートの一部である。今年度になってやっ
とすこしつかめたように思う。
 レポートの内容とはやや矛盾するかも知れないが、ここで「もの知り」とは必ずしも
「単純な知識」と限定していない。私自身はそのケースに接してやっと生徒の関心が持つ
意味をとらえることができたわけだが、前節で紹介した「知りたいこと」を見てもらえば
「もの知り」という言葉に「少々の理屈をこねる」ことも含めていると理解してもらえる
だろう。最近オストワルドの「化学の学校」(岩波文庫)を読み返していたらこんなとこ
ろがあった。生徒の「どういうわけで強い酸と弱い酸があるのか」という質問に対して、
先生が「世の中には賢い人と愚かな人がいるように強い酸と弱い酸があるのです」と答え
るのである。これはいささか象徴的すぎるが、「知りたいこと」の表現のニュアンスから
生徒が当面求めている理屈がどんなものか窺えるように思う。

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4.自分の高校時代

 理科教師が「体系的な認識」にこだわる傾向についてはすでに触れたが、私もその典型
だった。自分の高校時代をふり返ってみると「世界の根本」を知りたいという思いが強く
あった。ここで世界とは自然と人間の両方を含み、その原理を把握して生活できたらどん
なに充実した人生になることだろうかと憧れた。そして分かりもしない哲学書をひもとき、
あれこれ手記を書き散らした。
 授業では数学と理科が好きだった。社会と英語はにが手だった。とくに数学は厳密に論
証してくれる点が気に入った。しかし公理はそれができないと知って不満をいだいた。物
理は力学や電磁気学の理論体系に感動した。当時は認識の論証的側面ばかりに関心が向い
ていた。
 物化部に入り実験書にある化学実験を次々に手掛けた。準備室の薬品は先生よりもよく
知っていた。そして化学が物理に比べてその理論が貧弱であると感じて、大学ではその分
野を研究したいと進学した。
 理科教師の道を選択したときも「原理からの納得」がどんなに面白いものかを伝えてた
いという熱意を持っていた。しかしそういうことを期待する生徒ばかりではないのである。
自分とは異なるタイプの人間が存在する。

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5.公害反対運動

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 新任のころ(67年)「何をどのように」と合わせて「何のため誰のために教えるのか」
というテーマが語られていた。そしてそろそろ問題になってきた公害に目が向いた。しか
し当時はほとんど本が無かったので実際の住民運動の中で学ぶしかなかった。こうして飯
田さん(愛知・富田高校)たちと名古屋市北区にあるセロハン工場の悪臭公害に飛び込ん
で行くことになった。
 ところがいざ工場との交渉に臨んだところ、「化学専攻だから頼む」と言われておりな
がら、実際の装置は名前も機能もほとんど分からず工場全体が霞んで見えたのである。私
が大学で修めた学問というのは一体何だったのか。「硫化水素は0.02ppmから臭いと
感ずる」「同時に排出されている二硫化炭素は神経毒である」といった「単純な知識」の
方がはるかに役に立つではないか。しかしそのとき私は受けたショックほどに問題の本質
を見抜いてはいなかった。
 私たちはにわか勉強をして、住民学習会の講師になっていった。その合言葉は「科学で
武装」であった。幸いこの運動は2つの工場とも閉鎖と移転に追い込んで新聞紙上を賑わ
した。いま改めて環境教育が問われており生態系や地球循環が話題になっているが、何が
本当に人間の武器になるのかはよく検討しなければならない(私の実践例は理科教室71
年1月号「公害を通して『科学とは何かを教える』を参照)。
 なお90年前後に起きた社会主義国家の崩壊という世界史の大事件は、「原理からの納
得」ということの危険な側面を厳しく示したと考える。私もまた社会主義を信奉し、いつ
もその原理から現実の社会を眺めて行動してきた。しかしその立場がどんなに狭いもので
あったかを思い知らされた。社会科学が問い直されているが、逆から言うと今こそ社会科
学が面白い研究対象になっている。

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6.「隠す実験」まで

 前任校に転勤してからはそれまでと違って、「どんなメニューなら生徒が食べてくれる
か」という立場であれこれ教材を探して歩いた。そして「ものづくり」を含めて面白い実
験を次々と授業に投入していった。生徒に「理科が好きになった」と言わせるだけの自信
は着けた。
 そんな実験をいくつか上げてみよう。
   とうふづくり           熱気球
   化学かいろ            化粧品づくり

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   電気パン             ナイロンの合成
   スライム             紙づくり
   あぶり出し            ろ紙電池
   あい染め             液体窒素
これらにはひとつひとつ生徒の笑顔が結び付いている。しかし考えてみるとこの段階に到
達するまでにも、生徒が興味を示してくれないと悩んだ長い時間があったわけである。
 3年前から、生徒は実験を楽しみはするがそれに反して思考力はあまり育っていないこ
とに問題意識を持ち始めた。生徒に「考える」訓練をさせるべきである。しかしおよそ勉
強と言えば反復練習と一時記憶で切り抜けてきた生徒たちに今さらどうしたら思考させる
ことができるのか。そこである興味のわきそうな実験をやったあと、疑問に思うことを書
かせてみた。すると意外にすなおに実にさまざまな疑問がもどってきた(その具体的な内
容は理科教室91年6月号「隠す実験の提案」を参照)。今から思うとこのとき私は生徒
から認識の変革を迫られていた。つまり考えるというのは「ある原理から説明が付けられ
る」ことに限定されないのである。たったひとつの実験でもいろいろな生徒の疑問にきち
んと答えることは簡単ではない。そして無理にひとつの「体系的な認識」にまとめようと
すると生徒の思考を停止させてしまう。
 以上の中から「隠す実験」のアイデアが誕生した。薬品の名前まで隠すのは、それを推
測してみるのも立派な思考であるからだ。実験のタネを隠すのは自由な思考を引き出すた
めである。こうしてある法則や事実を確認させるためにあった実験は、つまりある切り口
で「見せる実験」は、さまざまな思考を引き出す「隠す実験」に変身する。
 次々に行う実験には自然発生的以上の系統性をあえて持たせていない。前の実験の知識
を次の実験で活用させる意図をあらわにすると、途端に生徒のひんしゅくを買って授業が
白けてしまった。生徒はそれぞれ自分流に疑問を持ち、その答も自分流に分かりたいので
ある。私は生徒に知識を体系化させていくという下心を決して失いはしないが、それは生
徒の認識の実態から出発し、生徒の思考が着いて来られる範囲でゆっくりと積み上げてい
きたいと考えている。
 「隠す実験」は私にとって一里塚ではあるが、実験に新しい意味づけをし、生徒の立場
から思考を促すという点では一定の意義を感じている。

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7.まとめ

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 今回の新カリキュラム編成に対して「TAよりTBを選ぶべきである」という主張があ
る。それは「TBにはそれなりに系統性があるから」である。今回に限らず理科教育運動
の中ではしばしば「系統性」という言葉が飛び出してくる。これは歴史的に見ると「生活
単元学習」批判の中で確認されてきた視点であるが、現在この「系統性」は肥大化しすぎ
ていると思う。
 新指導要領をめぐる私のまわりでの議論では、「TAだっていいじゃないか」「TBの
方がもっと問題だ」という意見があった。それは前節で触れたように多くの学校ではすで
にTAに近い発想で授業を組んで来ざるを得なかったという現実があるからである。
 私は「もの知り」の段階をもっと重視すべきであると言いたい。「もの知り」だって価
値はあるし、多くの生徒はこの階段を十分に登っていない。生徒たちに「もの知り」の階
段をゆっくりと登らせ、あっちを向いたりこっちを向いたりしてさまざまな思考を体験さ
せよう。そうして登っていくうちにしだいに広い客観的な視点が獲得されていくはずだ。
高校時代がその初歩の段階で終わったとしてもいいではないか。もちろんかけ足で登れる
生徒には早く世界の広さを見せるべきだが、理論体系や全体像を急ぎすぎるとそれは天に
とどろく雷のように生徒たちを恐れおののかせてしまう。
 もとよりお互いに教科書を忠実に教えてこと足れりとするような姿勢は持ち合わせてい
ないわけだが、「TBならまだしもTAでは系統的な学習を追及することができない」と
言うと、その場合の「系統性」はずいぶん狭い意味に押し込められている。最近の科学技
術を眺めているとその進歩は目を見張るものがあり、既製の概念にこだわっていてはとて
も追いつかないと感じる。とくに技術面では教師がもっと「もの知り」になる必要性を痛
感する。TAの「身のまわり」の教材だってそこからいくらでも認識の発展を図ることは
できる。そして文部省さえ言っている「なお化学TAは、それ自身独立した科目ではある
が、化学TAの学習を通して、化学に対する関心の高まった生徒が、より体系的な化学の
学習を志向するようになることも考えられるので、化学TAの履修者が化学TBあるいは
更に化学Uを履修できるよう、教育過程編成上の配慮がなされることが望ましい。」 

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