[コメント]
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[目次]
1.「親子で楽しむ科学広場」に参加して
2.生徒の「疑問集」を作って
3.「隠す実験」に取り組んで
4.「原理からの説明」にこだわる理科教師

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                                   林 正幸

   「隠す実験」の提案

 私は就職が2クラスある普通高校で化学を中心に授業をしている。理系クラスは今年度
まで2クラスだったが来年度から1クラスに減少するという状況にある。その中で理系ク
ラスもさることながら、文系クラスに対してもなんとか理科に興味を持たせようと努力し
てきた。
 そしてこの4年ほどの間に2つの課題にぶつかっている。
 ひとつは、毎時間1人ずつに「授業感想」を書かせているのだが、その中の「知りたい
こと」という項目に生徒が書いてくる疑問や関心が、私が(教師と言い換えても良かろう)
教えようとしている科学の内容とずれていることである。それがどのようにずれているの
か、またそれが何を意味するのかが分からないのである。私はこのことを昨年の年賀状で
「生徒の認識のもうひとつの階段」と表現した。
 もうひとつは、生徒の「考える」力があまりにも貧弱な中で、それを少しでも回復した
い、少しでも発達させたいという課題である。

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1.「親子で楽しむ科学広場」に参加して

 昨年秋に岐阜の小川さんから「親子で楽しむ科学広場」を企画するが化学分野の「イル
カショー」(デモンストレーションの意味)を担当してくれないかという誘いがあった。
当日は大方の心配を吹き飛ばすように1000人をはるかに越える人たちが押し掛けてき
た。そして11時から化学の「イルカショー」が始まった。目の前には100人以上の子
どもとその親が注目をしていた。そこで私は6つの実験を紹介した。熱気球を上げ、指に
火をつけ、「水素爆弾」をさく裂させ、水からジュースを作り、火柱と白煙を立て、「ハ
ンドル」に言うことをきかせた。
 ここで私が一番おもしろかったのは観衆の反応ではなく、私の横で手のふさがった私の
ために援助をしてくれた小川さんの対応だった。私がこの「ショー」で心がけたのはタイ
トルにもあるように「隠す」ことであった。もうすこし説明すると、マジック風に実験し
て関心を引き付け疑問を起こさせることであった。ところが小川さんはことごとく解説を

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してしまうのであった。
 私が熱気球の燃焼ざらに「燃料を入れます」と注ぎ始めると、彼は「これはアルコール
です」と注釈を付ける。「指マッチ」で指に「秘密の水を付けます」と言うと、彼は「そ
れは何ですか」と質問する。水からジュースをつくる(「理科教室」90年11月増刊号
p.202)のは、いかにもマジック然としていたのでさすがの小川さんも何も言わなかっ
た。ところが「言うことをきくハンドル」に至ってはこ
うだった。私がゼネコンを取り出して「まわれ、まわれ」
とお呪いをしながらまわして見せる。くり返しやっても
ハンドルはすぐ止まってしまう。「これからこのハンド       図1
ルに言うことをきくようにしつけをします」。そして私
が「ここに2枚の板があります」と言うと、彼はすかさ
ず「これは鉛の板です」と解説してくれる。「紙にくす
りをしみ込ませます」というと、「ろ紙に硫酸をしみ込ませているのです」。私はクリッ
プコードでゼネコンと接続しながら再びまわす。しかしハンドルはすぐには自然にはまわ
り出さない。「なかなか言うことをきかないね」。そしてすこしまわる気配を見せると
「ちょっと言うことをきくようになったかな!」。さらに十分に手でまわしてから離すと
ハンドルはどんどん回転し続けるようになる。「とうとう言うことをきくようになりまし
た」。これをくり返す・・・・・、ここでまた彼は「これは鉛蓄電池、バッテリーです。
自動車に積んでいるやつです」と解説する。(以上は分かりやすくするためにすこし誇張
も入れました。それにしてもせっかく応援してくれた小川さん、こんな風にだしにしてご
めんなさい。)私はつくづく「教師は説明過剰だ」と思った。

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2.生徒の「疑問集」を作って

 昨年の始め三学期がスタートするに当たって本校の3人の化学の教師が話し合っていた。
「なかなか生徒は頭を使ってくれないなあ」「実験を楽しみにしているのだが、それが遊
びに終っちゃう」「どうしたら実験をきっかけに考えるようになるんだろう」・・・・・。
あまりいい考えが浮かばないまま次のようにすることにした。
 「実験の次の時間にすぐ解説するのは止めよう」。代わりに生徒に疑問を出させる。そ
れを集約したらもう一度生徒に投げ返して考えさせてみよう。そのあと教師がおもむろに
解説をする。時間を気にしなくてよい文系の授業だからこんなこともできるのだ。

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[a]べっこうあめ
 水に大量の砂糖を加えてひたすら加熱する。沸点を調べるために温度計を渡す。教師の
意図は「あめをしゃぶらせて沸点上昇を分からせる」ことである。ところが生徒から出て
きた疑問は次のようであった。
  ・どうして黄色くなってくるのか
  ・どうして冷えると固くなるのか
  ・どうしてできたあめが砂糖とちがう味か
  ・どうして加熱すると粘りが出てくるのか
  ・沸点がどうして100℃以上になるのか
  ・どうしてあめになるのに時間がかかるか
  ・なぜ砂糖は甘いのか
  ・どうして加熱する必要があるのか
  ・どうして甘いにおいがしてくるのか
  ・赤くなってしまうと味が悪くなるのはなぜか
  ・ビーカーに残ったあめはどうやってとったか
沸点上昇に関する疑問は義理にひとつ出てきただけだった。生徒の目は別のところに向い
ている。教師は「黄色くなる理由」や「あめのできる反応」を勉強せねばならなかった。
[b]導火線
 硝酸カリウムの濃い溶液を作ってガラス棒に付けてひと筆がきする。これを乾燥させて
から線香で端に火をつける。
  ・どうして液をつけた所だけが燃えるのか(全体に燃え広がらないのはどうしてか)
  ・燃えるときジージー音がするのはなぜか(またパチパチ火花が飛んだのはなぜか)
  ・硝酸カリウムだけがこうなるのか
  ・線香でなくてマッチで火をつけるとどうなるか
  ・どうして燃えるスピードが遅いのか
  ・硝酸カリウムを紙に載せてはできないか
  ・硝酸カリウムを溶かすのに加熱するのはなぜか
私たちは「酸化剤」の話をしようとしたのだが、生徒の疑問はこの実験の本質がそんなに
単純でないことを思い知らせてくれた。
 一連の授業では「生徒の疑問の豊かさ」は確認できたものの、次のような問題があった。

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(1)疑問集を生徒に問い返しても、教師でさえ返答に困るものがあるわけだから、生徒
   がそれを考えることは無理な面が多い。(もっとも答が見つからなくても考えよう
   としてみれば、次の時間の教師の側からの解説に対する関心が高まるのではないか
   とも思っていた。)
(2)実験と「考える」時間の間が空いてしまう。

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3.「隠す実験」に取り組んで

 新学年に当たってまた化学の教師が頭を悩ませた。そのとき私はこんなふうに考えてい
た。「なにもそう難しいことが分からなくてもよいではないか」。もっと簡単なことでも
生徒が自分たちでその秘密にメスを入れられればそれでよい。それから、できるだけ1時
間のうちに勝負できた方が賢明である(教師の解説は別として)。
 加えて「マジック」が流行するなかで、私はそれが教育の立場からとらえて何を意味し
ているかに思いをめぐらしていた。生徒があんなに関心を示すそのポイントは次の2つに
まとめられる。
(1)注目させるための演出がある
(2)タネが隠されている
 「そうだ、化学の場合で言えば物質の名前が当てられることだって意味がある」。物質
の名前も隠して、そして一番考えさせたいことは隠して実験すれば、生徒はマジックのよ
うに関心を向けるのではなかろうか。そして口上やお呪いもして演出しよう。私がそんな
ことを提案するなかで一学期の化学の授業が始まった。
[a]無色の水が紫色の煙に
 アルミかんに水を注ぐとたちまち紫色の煙が吹き出す。かんの中に亜鉛粉末とヨウ素の
混合物が隠してある。これが水の触媒作用で反応を起こし、その反応熱で未反応のヨウ素
が昇華したのである。
 教師もうっかりしていたが1年前に理科Tで同じ実験をやっていたのである。にもかか
わらず8クラス中たった1人の生徒を除いて誰も気付かなかったのである。せっかく実験
をやってもその程度の印象しか与えていないということである。
S「かんの中に何か隠していた。」
T「そのとおり。じゃ、それは何だろう。」
S「・・・・・」

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T「紫色の煙になるものって何があるんだろう。」
  (すべてを生徒に考えさせることは無理なので、教師が誘導する。教科書を調べ始める生
  徒が出てくる。)
S「このかん、熱いよ。」
T「いいことに気付いたね。」
S「プールの消毒のにおいがしたよ。」
S「ジュースの残りかすと消毒用の塩素が反応した。」
T「素晴らしい考えだ。」
   ・・・・・
時間不足もあってこれ以上は前進できなかった。
[b]悪いことしたら、あカン!
   これはいわゆる「水素爆弾」の実験である。アルミか
んのふたをくりぬき、底にくぎで穴をあける。水上置換
で気体を捕集する。水素とは言わない。
T「最近は人間が勝手なことばかりしているのでかんも       図2
  怒ってごさる。」
T「さあ、火をつけて怒りのほどをきいてみよう。」
(生徒は一瞬耳をふさぐが、音がしない。)
S「失敗だ。」
S「怒っていない、怒っていない。」
T「そうかなあ。へんだなあ。」
(とぼけて時間をかせぐ、やがて大爆発。)
S「キャー」
   ・・・・・
S「先生、それ酸素だろう。」
T「そうかな。」
S「ちがう、水素だ。」
T「そのとおり。」
S「どうしてすぐ爆発せんのか。」
(質問も発言としている。)

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T「水素の性質を考えてみなさい。」
S「軽い。」
T「とすると、かんの中はどうなっているはずかな。」
S「かんの上が水素で、それが穴から出る。穴が導火線になっている。」
S「かんが暖まって爆発したのかなあ。」
   ・・・・・
これ以上は無理だった。
[c]お経を上げると白けむり
   2つのアルミかんに濃塩酸と濃アンモニア水を仕込んでおく。てんぷらガードで隠して
から、ふたをとりうちわであおぐ。
T「どうしてこんなことできるのかな。」
  S「白いけむりができた。」
(観察したことも発言としている。)
T「そう、どうしてこうなったの。」
S「何かが反応した。」
T「そのとおり、でも混ぜたりしなかったよ。」
  (どんな発言でもまず評価する。)
S「先生、臭かった。」
T「いいことに気がついた。何のにおいだい。」
S「アンモニア。」
  (1年生でアンモニアの実験をしている。)
T「さあ、手掛かりがつかめたぞ。教科書を調べてみよう。」
S「あった!アンモニアは塩化水素と反応して塩化アンモニウムの白煙を生ずると書いた
  るわ。」
  (教科書がこんなふうに利用されていく。)
 こんなふうに授業は進んだ(正直は、もっともたついたクラスもある)。「隠す」こと
がありふれた実験にも新しい意味を持たせるように思える。生徒は今までになく実験に集
中する。ただし生徒が自発的に発言するケースは少なかった。多くは指名して引き出した
ものである。まわりの生徒が応援するように仕向けている。そして発言は生徒名とともに
黒板に書いてノートを取らせている。そうしないと授業が散漫になってしまうからである。

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この「隠す実験」の次の時間は教師の側からの解説をする。私にとって活発な討論など思
いも寄らないわけで、現実の生徒を目の前にしてこれが精一杯という感じである。なおこ
の授業の中で生徒に教えられたもうひとつの大切なことがあった。ある生徒が言った「先
生、私たちにも実験やらせて」。たしかにデモンストレーションばかりでは生徒は「もの」
に触れられない。

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4.「原理からの説明」にこだわる理科教師

 折しも学習指導要領の改訂期、「理科教室」でも例によって「系統学習」が話題になっ
ている。私は「系統性がいたずらに肥大化した」議論には賛成できないが、やはり系統性
を追及したい。そんなわけで二学期に向けて、「隠す実験」をシリーズ化してひとつのま
とまった内容にする方針を立てた。「前の実験で理解したことを使って次の実験を考えて
みるようにさせる」のである。
 紙面の都合でその内容は紹介できないが、結果としてこの実践は生徒の手のひらを返し
たような対応で迎えられた。実験(生徒実験を中心にした)そのものは楽しみにするが、
発言の方は事実上引き出せなくなってしまった。「系統的に考えさせよう」とした途端、
生徒はまるでそれを忌み嫌うかのように振る舞った。どうしてこんなことがいつも起こる
のだろうか。
 愛知科教協では今年も冬休みに「一泊討論会」を開催し、30名近い参加があった。私
も問題提起した。その中でこんな討論があった(若干脚色してある)。
「単発的な授業内容でもいいんじゃないか。」
「いや、生徒に応じて迫り方はあるが系統性を追及すべきだ。原理から説明すれば明解に
 分かるし、応用もきくようになる。」
「本当にそうかな。私は子どものころたるから酒やしょう油をびんに移したが、ホースの
 出口の高さが重要であることを面白いと感じた。サイホンだ。しかしこれを原理からき
 ちんと説明するのは簡単だろうか。」
 ・・・・・ 
 私はこの展開の中でやっと年来の課題の解答に到達できたように思えた。理科教師は
「原理からの説明」、それも根本原理から説明することにこだわり過ぎる。そもそもその
ことが面白くて、自然の全体像が見えることにわくわくして理科が好きになり、その思い
を生徒にも伝えたいと願って教師になった。たしかに高校生の中にはそれに応えられる生

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徒もいる。しかしそれは少数派である。多数の生徒はとてもその段階まで届いていない。
それどころか
「思えば生徒は小学校以来『考える』ことをスポイルされ続けて来ているわけです。『お
 まえの答はまちがっている』『もっと早く考えれんのか』・・・・・。確かにパターン
 を訓練した方がテストで能率的に点数が取れる生徒が大量にいます。しかしそのような
 短絡が、もっと言えば国民が教育に対して受験指導しか求めないことが、どれほど生徒
 の人格を歪めかつ教師から理想を剥ぎ取っていることか(今年の年賀状から)。」
ではないだろうか。
 もっと踏み込んで言えば、知的な喜びというものは原理的説明だけではないはずである。
「ある事実を知る」ことや「その事実を使う」ことも知的な喜びである。20年ほど前に
飯田さん(現在名古屋市立富田高校勤務)と「セロハン公害」に取り組んだとき、「硫化
水素はくさいだけでなく、オリンピック銀貨さえ錆びさせる」「(この濃度では)におわ
ない二硫化炭素も大量に下水に流されており、これは神経毒である」という知識が住民の
最大の武器になった。
 私が相手にしている生徒たちにとっては「原理からの説明」は押しつけになっているの
ではないだろうか。だから二学期の試みは成功しなかった。個別的な知識の寄せ集めでも
良いではないか。系統的な理解にすぐ結びつかない「やぶにらみの説明」でも良いではな
いか。スライムやとうふをつくり、バニシングクリームやサロメチールをつくって楽しん
だって良い。このことこそ私がもやもやとしていた「生徒の認識のもうひとつの階段」の
正体であるにちがいない。もちろんこのような努力の積み上げがやがてもっと高い知的興
味を引き出すことを期待はする。しかしそれが実現せずこの「階段」に留どまったとして
も、それでも十分に理科教育である。
 三学期になって私たち化学の3人はまた始めている。
T「紙コップに、黒い粉をさじ5杯、白い粉をさじ1杯、それから水5ミリリットルを加
  えてかき混ぜなさい。」
S「先生、熱くなってきた。すごい、90度越えた。」
   ・・・・・
T「黒い粉は何か分かるか。」
S「砂鉄だろう(生徒は鉄粉のつもり)。」
T「白い粉は。」

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S「塩でしょ。」
T「どうして分かっちゃうのかな。じゃ、どうして熱が出るの。」
S「かき混ぜると、摩擦で熱が出る。」
T「なるほど。」
S「ちがう、ちがう。鉄が酸化されるんや。」
   ・・・・・
                               (完)

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