70.11
                                   林 正幸

 公害を通して

   「化学とは何か」を教える

 公害を通して科学の目的を授業に取り入れたい、という動機から出発して名古屋市北区
のセロハン公害反対運動に参加し、その中から得たものを使って3時間の授業を組んでみ
た。基本的な考え方は『理科教室』Vol.12,12月号や『教育評論』1970年10
月号を参照してほしい。また生徒の反応やまとめは紙数の制限もあるので次の機会に回し
たい。

第1時 公害とは何か(問題提起)

1.「公害ときくと何を感じ、どういうものだと思うか」と生徒に質問する(「身近に感
じにくい」「腹立たしいことだ」という返事が多い。)
2.公害の実態を生々しく把むために映画を見せる。その内容は自動車排気ガスによる鉛、
田子の浦のヘドロ、水俣病(胎児性水俣病も)、四日市ぜんそく、イタイイタイ病などで
ある。
3.映画を見た後「あの水俣病患者が自分だったら、いくら補償金をもらったら納得でき
るか」(愛知・淑徳中 後藤氏実践参照『理科教室』(Vol.12,12月号)と質問す
ると、すぐに「いくらもらったって我慢できません」という返事が返ってくる。健康の問
題、そして公害による被害はお金と引き換えにはできないものであることを確認する。
4.最後にプリント(省略『ジュリスト』1970年8月10日号参照)で、水俣病の原
因究明における科学者や工場の態度を追い、それとからみながら、わずか死亡患者30万
円の見舞金協定のいきさつを説明する。そしてその中から「いったい科学とは何だろう
か」ということを考えてみなければならないことを提示する。

第2時 

T 「拡散」という対策について

1.プリント(一部分)
     ・・・・・・・・・・・・・・・
          工場の公害対策の一例
p1
  ○○町長殿
                      ○○県企画部長

                  - 1 -

     公害臭気(ガス)調査について(回答)
 昭和45年7月15日付○○発第○○号で依頼のありましたこのことについて調査した
結果、○○セロファン株式会社々長から別添のとおりに排気ガス処理計画書および誓約書
の提出がありました。(後略)
p4
 即ち、現在主力抄造機2台については、ガス浄化装置を設置しておりますが、これに加
えて排気塔の建設を計画いたしました。
(中略)
 尚此度の排気塔を建設することにより、地上ガス濃度は高さの二乗に逆比例して遠距離
に拡散、希釈されますので、町民の皆様には、ご迷惑をかける様なことはないものと考え
ております。
     ・・・・・・・・・・・・・・・
2.実際に硫化水素を発生させて生徒にかがせ「臭気」の実感を持たせた上で、以上のよ
うなプリントを読む。現在の公害対策のほとんどがこのような高煙突などによる拡散によ
っている事実を指摘し、「これで良いのか」と質問してから、次のように説明する。
1)自然界には同時に濃縮(蓄積)という課程がある。新潟水俣病の場合、川の水の水銀
による汚染の程度はわずかに0.0001ppmであったが、それがプランクトン、魚、そ
して人間に累積的に蓄積され、濃縮されて、あのようにひどい患者が発生するまでになっ
た。
2)自然の清浄作用には限界がある。昨年の日本では少なく見積もっても亜硫酸ガスが
600万トン発生した。これが仮に全部硫酸になったとすると、実験室で使う6N硫酸が
3100万トンできることになる。
3)逆転層ができるような時は、そんなにうまく拡散しない。
3.だから公害対策は発生源で安全な物質にすることでなければならない。

U 基準とはどんなものか

1.プリント
     ・・・・・・・・・・・・・・・
          BHCの基準
T あらまし
 牛乳の中のBHCが問題になっている。これは農薬として使うBHCが牛の飼料(とく
に稲わら)に残留していて、これを食べた牛の牛乳がBHCで汚染されるのである。また
最近母乳のBHCによる汚染が問題になっているが、これは母親が食べた農作物に残留し
ていたBHCのためであり、自分の産んだ赤ん坊に授乳させることができないほどひどく
汚染されたケースもある。

                  - 2 -

 BHCは脂肪に蓄積しやすいと言われていたが、最近の研究によるとその前に肝臓、肺
臓、腎臓をおかしていき、脳にも蓄積することがわかってきた。BHCにはα-BHC、
β−BHC、γ−BHCなどがあるが、殺虫作用があるのはガンマ−だけである。欧米で
販売されているBHCはガンマ−だけを含んでおり、その1日摂取許容量は世界保健機構
によると0.0125mg/kg、安全濃度は米国食品薬品局によると0.03ppmである。
日本のBHCにはベータ−が多量に含まれており(γ−BHCを合成するとき同時に副生
するが、面倒なので分離せず、そのまま市販している)、ガンマ−との両者による汚染で
ある。政府厚生省は今年4月、長崎でBHCが1.3ppm入った牛乳が発見されたとき、
「今ただちに危険とは言えない」「飲んでも安全」としながらも、当面0.1ppmを目標
にして、3ケ月でそこまで減らすように指導を開始した。
U 0.1ppmという基準はどのようにして定められたか
 欧米ではベータ−は問題にならず基準もない。日本の製薬会社がBHCを販売するに当
たって、基準について研究した記録もない。問題が起こってから日本政府があわてて探し
たら、米国にベータ−に関する研究が唯一つだけあった。
 それはネズミをいくつかのグループに分け、それぞれのグループに種々の量のβ−BH
Cを毎日一定量ずつえさに混ぜて与え、それから生まれた子供も含めてネズミに異常が現
れるかどうかを調べている。その結果は、最大無作用量が体重1kgあたり0.5mgであ
った。これを人間に適用するためには安全率1/100を掛けて許容量は0.005
mg/kgとする。そして政府は次のように考えて0.1ppmという安全濃度を指導目標
にした。つまり牛乳をもっともよく飲むのは1〜2才の乳幼児であり、その体重を10k
gとすると1日の許容量は0.05mgとなる。そして1日に500ml(2本半)飲むと
するとベータ−の濃度は0.1ppmであれば良い。
V その後
 3ケ月がたっても事態はあまり良くなっていない。長崎では6月で0.380ppm、神
戸では8月で0.313ppmといった調子で指導目標の3倍以上の県がいくつもある。愛
知では7月で0.64ppm、その後は政府に報告すら行っていない。このような状況につ
いて国立衛生試験所毒性部長は「0.1ppmを超えたからすぐ危険というわけではないが、
このような汚染は至急減らすように強力な手を打つ必要がある」という談話を発表した。
また私がききに行ったある衛生研究所所長は「新聞記者は大げさに書くから困るが、そん
なに大騒ぎすることはありませんよ。安全率が掛けてあるから、少々基準を超えたからと
言って気にすることはありません。どのメーカーの牛乳の汚染がひどいかは営業にさしつ
かえるから言えません」と答えた。
     ・・・・・・・・・・・・・・・
2.「0.1ppmという基準の決め方についてどう思うか」と質問して(生徒にはむずか
しい)から、次のような問題があるんじゃないかと指摘する。

                  - 3 -

1)安全率はもちろん人間とネズミを比較実験して得た数値ではないからあいまいなもの
であり、本当ならあいまいだからもっと厳しい方向で0.1ppmという基準を見ていくべ
きである。
2)体重に比例して許容量を増して良いか。
3)ネズミに対する作用は子供まで含めてせいぜい2,3ケ月の期間のことであるが、人
間の寿命はそれよりはるかに長い。
3.人間に対して実験することができないので、もともと有害物質の基準を考えることは
おかしい。もし基準を考えるのならそれはゼロでなければならない。現在では基準までは
いくら排出しても良いように考えられている。
4.環境基準と排出基準について説明し、現在のような排出基準だけで取り締まるのは対
策にならないことを説明する。

第3時

T 調査の科学性について

 セロハン工場からは臭い硫化水素が排出されている。そしてこれは酢酸鉛紙を大気にさ
らしておくと黒変することからキャッチできる。住民はこの「検知紙」を使って調査し、
黒変の程度を透光度の減少で計り、下図の上下のようにまとめた。今仮に悪臭の原因が不
明であり、図のような調査結果から2つのセロハン工場が発生源であると判断して行動を
起こしたとしたら、その場合の住民の調査は科学的と言えるか。

    
    

                  - 4 -

 この調査に対して、不十分で科学的でないという意見があった。対照実験にしては気象
条件も違うし、他の原因、たとえばこの地域を走るトラックの積荷から出たガスのせいか
もしれない。この意見について生徒がどう考えるかを質問してから、次のように説明した。
 このような形で不十分さ、非科学性を指摘していけば、永久に絶対確実な完全に科学的
な調査をすることは不可能になってしまう。数学的な意味で完全に証明されるような事実
など、現実には存在し得ない。もしそうしようとするなら前提をさらに大前提から論理的
に説明することをくり返さねばならす、それではキリがない。その意味では科学は常に
「仮定」を含んでいるのであり、問題はいかにその仮定を見い出し、またいかに選択する
かである。そして立場が違えばその仮定も違ってき得るし、悪質な場合はいくらでも奇妙
な仮定を設けてへ理屈をこね、非科学的だと反論できるのである。
 公害調査にはこのような例が多い。「△△工場が原因である可能性もあるが他にもいく
つかの可能性があるので、今の段階では何とも言えない」という形で時間をかせぐのであ
る。被害住民なら前記の調査結果を得られたら、工場に飛んでいって文句を言うであろう。
このように科学においてはどのような立場で考えるかは重要な問題であり、これを科学の
階級性という。
 もちろん、だからと言って自分の好きなように考えれば良いというものではない。当然
に「検証」ということが必要である。そして前記の例において、被害住民なら「もし本当
にそのようなトラックが原因ならそのトラックがどの会社のものなのか調べてほしい」と
答えるであろう。

U 科学不信について

 水俣病とかBHCの話をきくと「科学なんか発達するからいけないのだ」ということに
なる。これは今まで科学を盲目的に信頼してきただけに一層大きなものになる。
 しかし、どう怒鳴ってみても科学の発展はおし留めることができないし、自分自身他方
で科学の恩恵に浴しているのである。
 科学を誰のために使うかが問題である。公害は一部の者が自分の利益のためにのみ科学
を独占しているからであり、現在必要なことは科学を人民の幸福のために使い、人民のも
のにとり戻すことが必要である。
 しかしそれはいかにして可能だろうか。現実のセロハン公害反対運動のなかで市が工場
と相談して出した「公害指導概要」のプリント(省略)で、このいかにもむずかしい専門
用語の並んだ科学的に見える対策が、実は下水に流していた汚染物質を空に移して煙突か
らまき散らすことにすぎないことを説明する。そして住民の反対運動においても、最初は
工場に立派な防止設備(?)とやらを見せられ、この通り対策を打っていますから安心し
て下さいと言われて、それ以上何も言えず引き下がって来なければならなかったが、今度
の運動では住民が科学で武装することが重視され、化学を習ったことがないおじいさんや

                  - 5 -

おばあさんまでが「硫化水素、二硫化炭素」と言い出すようになって、もういい加減なデ
マ宣伝は流せなくなった。そして11月15日、いくらか問題は残しつつも公害をまち散
らしてきた一方の工場が閉鎖するところまで進んできた。
 つまり君たち自身が科学を自分たちのものにしていく必要がある。たとえば今まで3時
間で話したようなことが本当に理解でき、また見抜けるようにならなければならない。そ
してそのためにはものの見方を訓練すると同時に沢山の知識を修得することが大切である。
ここに君たちが現実に科学を学ばねばならない理由がある。
 もちろん科学はそんな防衛的な面だけでなく、これを積極的に人民の幸福に応用して、
すばらしい成果を上げることもできる。本来科学を学ぶ意味はそこにこそあるはずである。


























                  - 6 -


林 正幸と主万子の始めの ホームページ(to our initial Home Page) にもどる。