[コメント]
  なし

[目次]
1.古代・中世
2.近代の幕開け
3.化学の父 ラボアジェ
4.電気分解
5.原子説
6.スペクトル分析
7.周期表
8.放射線分析、そして放射性崩壊
9.原子構造の解明
10.元素の合成

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                                   林 正幸

   元素発見物語

 水は水素と酸素から、食塩はナトリウムと塩素からできている。このような水素、酸素、
ナトリウム、塩素などは「物質をつくる元になるもの」で、私たちはこれらを「元素」と
呼んでいる。現在100種あまりの元素が発見されており、これらは「元素の周期表」と
いうひとつの表にまとめられている。人類はこれらの元素をどのようにして発見してきた
のだろうか。これからそのかんたんな歴史を眺めてみる。それは「そもそも元素とは何か」
という元素の概念の発展の歴史でもある。

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1.古代・中世

 古代にすでに知られていた元素には、炭素、金、銅、鉄、スズなどの9種がある。ただ
しこの場合これらは元素として知られていたのではなく、古代人が知っていた物質の中に
これらの元素が含まれていたという意味である。物質は、ただ一種の元素からできている
「単体」と、2種以上の元素からできている「化合物」に分類される。炭素、金、銅など
は地球上に単体としても存在した元素である(以後は分かりやすいため、単体を元素その
もののように表すことがある)。また鉄やスズなどは、偶然も手伝って鉱石からそれらの
金属を製錬する技術が古代に獲得された結果として発見されたものである。銅とスズはふ
たつを融解して混合した合金の青銅として利用されたことでよく知られている。
 紀元前の古代ギリシャ時代には、すでに元
素についていろいろな見解が登場した。後世
に多大な影響を与えた哲学者アリストテレス
の四元素説を紹介する。彼は「人間が住む世
界は水・土・空気・火の四元素からできてい         図1
る」と考えた。ただしこれらは「始原物質」
に熱・寒・乾・湿の4つの性質が付加されて
生じる。つまり始原物質に寒と湿の組が付加

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されると水という元素になり、寒と乾の組なら土に、熱と湿なら空気に、そして熱と乾な
ら火になる。たとえば水を火で加熱すると、空気(本当は水蒸気)が発生して土(残留物)
が残る。これは火の中の乾と水の中の湿が置き換わって、一方が空気になり他方が土にな
ると見事に説明される。
 中世になるとさらに亜鉛、ヒ素、リンなど5種の元素が発見された。しかしそれが何年
のことかは、リンを除いて依然としてはっきりしていない。
 中世は錬金術が流行した時代である。これは「かんたんに手に入る金属を高価な金に転
換する」ことを目指すものである。アリストテレスに従って考えると、現実の物質は始原
物質が不純物で汚されたものである。これを取り除いて純粋な始原物質が得られれば、最
高の物質である金が生成する奇跡も起こるだろう。それは「哲学者の石」という想像上の
物質を使って実現できると信じられ、この石を探求するために途方もない努力が注ぎ込ま
れた。錬金術師たちは「金という元素を他の元素から転換して合成しよう」としていたわ
けで、すべては不成功に終わることになった。そしてはからずも「ある元素を他の元素に
転換することはできない」という考えを育むことになった。これは元素の概念の発展であ
る。さらに彼らのさまざまな試行錯誤はしだいに、物質についての実際の知識を蓄積し、
また物質をあつかう操作技術を洗練していったのである。

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2.近代の幕開け

 元素発見の年号は、事実上1735年のコバルトの発見に始まる。そして1776年ま
でを、古代・中世に続く次の年代として区切って眺めてみる。この年代には新たに10種
の元素がつけ加えられたが、水素、窒素、酸素、塩素など常温で気体の元素がはじめて発
見されたという特徴がある。現代の私たちでさえ、気体というものは液体や固体の状態の
物質に比べてつかみどころがないと感じる。当時の化学者はばく然と「どんな気体でも空
気の一種である」と考える傾向があった。
 加えてこの年代には「フロジストン説」という誤った理論が主要な地位を占めていた。
これは「燃焼は燃えるものからフロジストンが逃げていって灰が残ることである」と主張
した。つまり燃えるものは灰とフロジストンの化合物であり、燃焼は分解反応なのである。
    燃料 ―→ 灰 + フロジストン↑
たしかにものを燃焼させると、何かがさかんに空気中に逃げていき、できる灰は燃料より
もはるかに少なくなる。この理論は説得力があり、金属の製錬反応まで見事に説明できた。

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金属は金属灰とフロジストンの化合物であり、これを燃焼(酸化)すると、金属灰(本当
は金属と酸素の化合物)が残る。金属灰は各種の鉱石そのものだから、これから金属を取
り出すにはフロジストンと化合させればよい。製鉄の場合はコークス(炭素)が使用され
る。
    鉄鉱石(鉄の灰) + 炭素(炭素の灰+フロジストン)
               ―→ 鉄(鉄の灰+フロジストン)+ 炭素の灰
 こんなわけで、1774年にプリーストリーが燃焼をさかんに支える気体つまり酸素を
発見しても、彼はそれをフロジストンを受け入れやすい空気という意味で「脱フロジスト
ン化空気」と理解したのであった。

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3.化学の父 ラボアジェ

すべては話が逆立ちしている。私たちはよく知っているように、燃焼は酸素との化合反
応である。
    炭素 + 酸素 ―→ 二酸化炭素
    スズ + 酸素 ―→ 二酸化スズ
このことを最初に発見したのはフランスの化
学者ラボアジェである。これまで化学者は物
質の体積、温度、色、形などに注目してきた。
これに対して彼は天びんを使って「物質の質
量を計る」ことが重要であると考えた。そし         図2
て燃焼によってできる灰の質量はすべて増加
することを発見した。彼はまた、金属スズを
大きなガラス容器に入れ空気が入った状態で
封をした。それから加熱(酸化)してできるだけ二酸化スズにした。反応の前後でガラス
容器全体の質量は少しも増減しなかった。そして容器の封を切ると空気が中に吸い込まれ
た。そのときの質量の増加分は、取り出して調べた(一部変化した)スズの質量の増加分
に一致した。このような実験を通してラボアジェは「酸素は空気の一部分として含まれ、
燃焼に際しては酸素が燃料と化合する」ことを示した。彼こそは酸素の真の発見者である。
 またラボアジェは、化合物とそれを分解して得られる単体を明確にした。それまではフ
ロジストン説の燃料や灰のようにあいまいなものであった。化合物の質量は、それをつく

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っているそれぞれの単体の質量より大きく、またそれぞれの単体の質量の合計に一致する
はずである。彼はこれまでの研究を再検討し、それに基づいて元素表を作成した。元素の
概念そのものは、100年あまり前にボイルが「元素とはそれ以上分解することができな
い物質(単体)をつくっているもの」であると定義していた。それに対してラボアジェは
実際の元素を示したのである。彼の元素表には31種の元素が上げられている。これは画
期的なものであったが、熱や光、それに当時は分解できなかった化合物の石灰(酸化カル
シウム)やマグネシア(酸化マグネシウム)など、いくつかの誤りも含まれていた。
 このような業績によって、ラボアジェは「化学の父」と尊敬されている。したがって元
素発見の第3の年代を、彼が正しい燃焼理論を確立した1777年から始めたい。それは
1806年で区切られる。この年代には17種の元素が発見された。そのほとんどはチタ
ン、クロム、タングステンなど金属の元素である。その中にあとで話題になるウランとい
う元素があったことは記憶しておこう。

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4.電気分解

 1807年にイギリスの化学者デービーは、電気分解という新しい技術を使ってカリウ
ムという金属を取り出すことに成功した。数年前にボルタが電池を発明し、それによって
継続して電気を流すことが可能になった。化学者はこの電流を利用して電気分解という新
しい反応を盛んに研究するようになっていた。デービーはいくつかの失敗の後に、水酸化
カリウムを加熱して融解し、これを電気分解して陰極に水銀のように光沢がある小球を見
い出した。液体になっているカリウムである。同じような方法で彼は2年の間に、ナトリ
ウム、マグネシウム、カルシウムを製錬した。これらの単体はいずれも水や空気中の酸素
と激しく反応してすぐに化合物に戻ってしまうのであった。このようにしてデービーは、
ラボアジェが元素と信じた石灰やマグネシアの代わりに、カルシウムやマグネシウムとい
う本当の元素を発見したのである。
 こうして元素発見の第4の年代は1807年から始まって1859年までとする。この
年代には新たに18種の元素がつけ加えられた。もちろん電気分解以外の方法で発見され
たものも多く含まれている。ちなみにこの年代にはヨウ素、臭素が発見されて、フッ素、
塩素と合わせて「ハロゲン」四元素が勢ぞろいした。
 電気分解は理論的な考察を促す役割も果たした。デービーは原子の結合について考えた。
「異なった原子が近づくと、一方がプラスの電気を他方がマイナスの電気を帯びて、その

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電気的引力で結合が生じる。この結合を切って両原子を分離するには、電気分解によって
電気を与えなければならない。」これは現在のイオン結合の概念にかなり近いものである。
 またファラデーはいろいろな物質を電気分解して、流した電気量とそれによって電極で
生成する物質の質量の関係を研究した。彼自身はできなかったが、生成する物質の質量を、
流した電気量で割った数値を計算してみる。後で分かるが原子とその元のイオンの質量は
ほぼ同一の数値なので、この「質量電荷比」はその物質の元になったイオン1粒の、質量
とそれが持っている電気量の比を表している。
    Na+ ―→ Na    23.83 ×10-5 g/C
    Cl- ―→ Cl    36.74
    Cu2+ ―→ Cu   32.93
    H+ ―→ H      1.045
単位の[ g/C ]はグラム毎クーロンと読み、クーロンは電気量の単位である。すべての中
で最も小さい数値を示す水素イオンの質量電荷比はやがて重要な意味を持ってくる。

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5.原子説

 この年代に関しては、1808年にイギリスの化学者ドルトンがその著書で「原子説」
を発表したことに触れないわけにはいかない。これまでの話の中ではもっぱら元素は物質
をつくる成分として注目してきた。それなら改まって「元素の正体は何なのか」と問いか
けてみよう。私たちは物質を視覚的には連続したものと感じている。コップにくんだ水は
全体がつながり、区切りやすき間は観察されない。食塩はバラバラで不連続だが、その一
粒々々に注目するとやはり氷砂糖のように連続しており、また粒の間には空気があってこ
れも連続しているように感じる。しかし本当に物質は連続しているのか、それとも不連続
で小さな粒子つまり原子が結びついてできているのだろうか。
 実はこの問題も紀元前の古代ギリシャ時代にすでに議論がなされている。哲学者デモク
リトスは、視覚とはうらはらに、物質は原子からできており、そのすき間は何もない真空
であると考えた。もし物質が連続して詰まっていたら、運動したり変化したりすることは
不可能になってしまうはずだと主張した。にもかかわらず古代、中世においてはこの考え
は主流にはならなかった。
 近代に入ってドルトンや同時代の科学者たちは、いくつかの化学の法則を根拠にしたり
して原子説を復活させた。プルーストは「純粋な化合物はつねに一定の組成を持っている」

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という定比例の法則を発見した。身近な例から説明する。水に砂糖を溶解する場合は、水
と砂糖の組成は甘い 7 % 砂糖水やシャビシャビの 2 % 砂糖水などいろいろなものをつ
くることができる。これに対して水素と酸素を化合して水を合成してみよう。水素が多め
の水をつくろうとして水素をたくさんつぎ込んでも、できる水の水素と酸素の組成はいつ
でも同じで、水素 11.1 % 酸素 88.9 % となり、余分の水素は化合せずに残ってしまう。
これは物質が原子からできている確かな証拠である。水は水素原子2個と酸素原子1個が
結合してできる。そして水素原子の質量と酸素原子の質量はそれぞれある定まった数値の
はずである。だからどのような条件で水を合成しようとも、水の組成は(水素原子の質量
の2倍):(酸素原子の質量)になるのだ。これに対して新しい物質が合成されない溶解
の場合は、砂糖分子と水分子はいくつかが結合するのではなく、単純に混合するだけだか
らその組成も一定にはならない。
 これより100年あまり前に、ニュートンも原子について考えた。「原子は固形で質量
があり、堅くて丈夫で、ある定まった大きさや形などを備えている。原子は通常の力では
分割できず、もしすり減ったりきれぎれに分かれたりするようなことがあればその原子の
性質も変化してしまうはずである。」 彼は、物質の性質がその構造(質量、大きさ、形
など)によって決まってくる、つまり性質と構造の不可分性を認識している。ドルトンの
原子説はニュートンから影響を受けている。
 ドルトンが高く評価されるのは、化合物の組成を考察することによって原子の質量つま
り原子量を具体的な数値として提示したことにある。彼は誤りも含んでいたのですこし修
正して説明する。原子の質量と言っても、それぞれ原子1個の質量が測定できたわけでは
ない。たとえば酸素原子を基準にして、その質量が 16 とするなら、水素原子はいくつと
言えるだろう。これは上記の水(H2O)の組成の測定値から計算できる。
     88.9 : 11.1/2 = 16 : x
          x = 1.0
つまり水素原子の質量は 1.0 と定まる。もうひとつ、二酸化炭素(CO2)の組成が炭素
27.3 % 酸素 72.7 % であることから炭素原子の質量も計算しよう。
    72.7/2 : 27.3 = 16 : y
          y = 12
このように原子量は相対的な質量であり、単位は存在しない。
 ひとたび原子量が確定すると、今度はそれを物質の化学式を決定することに活用できる。

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たとえばマグネシウムと塩素の化合物があり、その組成がマグネシウム 25.5 % 塩素
74.5 % と分析されている。そしてマグネシウムの原子量は 24.3 塩素の原子量は 35.5
である。もしこの化合物の化学式が MgCl ならマグネシウムのパーセントは
    24.3/( 24.3 + 35.5 )= 0.406
          40.6 %
と大きくなりすぎる。そこでこの化合物の化学式が MgCl2 と仮定するとその場合のマ
グネシウムのパーセントは
    24.3/( 24.3 + 35.5 × 2 )= 0.255
          25.5 %
と一致する。こうしてこの化合物の化学式は MgCl2 と決定することができる。このよ
うにドルトンは、目にも見えない小さな原子に対してその原子量を提示することによって、
その原子の結びつきまで「見える」ようにしたのである。
 以上のようにして「元素は原子からできている」という元素の概念の重要な発展が確認
された。
          原子量(現在の数値)
    水素       1.0079     硫黄      32.07
    炭素      12.011     塩素      35.453
    窒素      14.007     カルシウム   40.08
    酸素      15.999     鉄       55.85
    ナトリウム   22.990     銅       63.55
    マグネシウム  24.305     銀       107.87
    リン      30.974     ヨウ素     126.90

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6.スペクトル分析

 1860年にドイツの化学者ブンゼンはキルヒホッフと共同して、スペクトル分析とい
う新しい分析技術を使ってセシウムという元素が存在することを発見した。1845年以
降は10数年にわたって新しい元素が発見されない空白期が続いた。それはこれまでの分
析技術が限界に到達していることを意味していた。この1960年から1897年までを
元素発見の第5の年代とする。この間に新たに17種の元素がつけ加えられた。ちなみに
この年代には上記のセシウムそれにルビジウムが発見されて、リチウム、ナトリウム、カ

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リウムと合わせて「アルカリ金属」五元素がすべてそろった。
 私たちは日ごろたき火の炎が黄橙色であることを何気なく見ている。また夏の夜空に打
ち上げられる花火の鮮やかな色彩に感動する。これらは「炎色反応」と呼ばれる現象であ
る。つまりある種の元素を含む物質を炎などの高温にさらすと、その元素に固有の色の光
を発する。たとえばたき火の炎の黄橙色はナトリウム、銅は青緑色、ストロンチウムは深
赤色、インジウムは深青色、カリウムは赤紫色である。これは古くから知られており、物
質の識別にも利用された。そしてこの光をプリズムによってスペクトルに分けるようにな
って飛躍が起こった。
 太陽の光をプリズムに通すと七色に分かれ
ることは知っていよう。これは色によって屈
折率が異なるために起こる。このそれぞれの
色をスペクトルという。また色とは私たちが
目という感覚器を通して光を見たとき感じる         図3
もので、その識別能力はそんなに高くない。
光は電波と同じ電磁波と呼ばれる波動であり、
その波長に応じてあれこれの色として感覚さ
れる。
    波長( nm )      光の色
    770 以上        赤外線(見えない)
    770 〜 640        赤
      〜 590        橙
      〜 550        黄
      〜 490        緑
      〜 430        青&藍
      〜 380        紫
    380 以下        紫外線(見えない)
          (「理科年表」より)
ここで〔 nm 〕とはナノメートルと読み、メートル〔 m 〕の10億分の1( 1/109 )の
長さの単位である。ちなみに色の感覚には個人差がある。
 元素が炎色反応によって発する光は、虹のように連続したスペクトルではなく、いくつ

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かの線になったスペクトルである。つまり元素は特定の色の光のみを発するのである。そ
のような色の測定には、線スペクトルの位置を調べて波長に置き換えるのが正確である。
    たき火(ナトリウムによる)
      589 nm       黄橙色
    水銀灯の光(もちろん水銀による):全体は白色
      579 & 577 nm    黄色
      546 nm       黄緑色
      436 nm       藍色
          (「理科年表」より)
これらは特に強い線スペクトルの波長のみを上げた。このように元素はその線スペクトル
によって確認することができる。スペクトル分析は存在量がわずかでも測定できる利点が
ある。
 ブンゼンは鉱泉から湧き出る水を分析して未知の線スペクトルを発見した。彼は新しい
元素が存在することを確信し、 300 t もの鉱泉水を処理して、わずか 50 g の塩化白金酸
セシウムを手に入れた。ただしこの時点ではセシウムの単体は取り出されなかった。
 スペクトル分析でとくに興味深いのは、ヘリウム元素の発見である。これは太陽の光を
くわしく分析する中で、黄色をした未知の線スペクトルが発見され、それを発しているは
ずの元素をヘリウムと名付けたのであった。そしてそれから30年ほどして、やっと地球
上で同じ線スペクトルを発する単体つまりヘリウムが発見された。このように元素発見の
意味も変化してきた。
 その後スペクトル分析は、赤外線吸収スペクトル、核磁気共鳴スペクトルなどさまざま
な形に発展し、現在では分析化学の主流になっている。電波望遠鏡で受けたミリ波スペク
トルを分析する技術は、はるか宇宙空間に漂うたくさんの分子を確認している。

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7.周期表

 この年代の中の1869年にはロシアの化学者メンデレーエフが「元素の周期表」を発
表した。そのときまでに63種の元素が発見されていた。
 当時の化学者は元素を分類整理しようと試みていた。そして次第に「周期律」という法
則が意識されてきた。つまり「元素をその原子量の順に並べると、その性質が周期的に変
化し、ある間隔をおいて似た元素が現れる」のである。ニューランズは当時発見されてい

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た元素をその原子量の順に並べると、性質の似た元素が7つ目ごとに現れることを見い出
した。

H Li Be B C N O F Na Mg Al Si P S Cl K Ca ・・

すでに紹介したハロゲン、アルカリ金属で確かめることができる。これは音階に似ている
ので、彼はオクターブの法則と名付けた。
 またマイヤーは横軸に元素の原子量を、縦軸にその原子容を目盛って次のようなグラフ
を得た。原子容とは原子1個が占める体積を表す数値である。グラフは明らかに周期的で
ある。









                   図4







 これに対してメンデレーエフは、元素をひとつの表に分類整理しようと試みた。彼はそ
の研究にふさわしく元素に関する膨大な知識を持っていた。彼はそれらをカードに整理し
て、まるでトランプ遊びをするようにあれこれと並べてみた。そしてついに性質の似た元

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素が縦に並ぶように分類整理された周期表を完成させたのである。それは現在使われてい
るものとはかなり異なる姿をしていたが、その本質においては共通している。現在の周期
表では横の欄は上から第1周期、第2周期・・・と呼ばれ、現在第7周期まで来ている。
縦の欄は左から1族、2族・・・と呼ばれ、最後は18族で終わる。3族の第6周期と第
7周期には、それぞれランタノイド、アクチノイドという、互いに性質がよく似た15種
の元素群が配置されている。縦に並んだ互いに性質の似た元素は「同族元素」と呼ばれる。
ところで現在では元素はその原子番号の順に並べるべきであることが判明している。「原
子番号」とはモーズレーがエックス線スペクトルの研究から見い出したもので、その原子
の原子核に含まれる陽子の個数に等しい。幸いにも原子量の順と原子番号の順は、わずか
3カ所で隣どうしが入れ替わっていただけである。
 メンデレーエフは賢明にも、周期表に元素を並べていくとき、未発見の元素が存在する
ことを考慮して、その性質が他の同族元素にふさわしくない場合は空欄としてとばした。
そして今度は完成した周期表を活用して、これらの空欄に入るべき未発見の元素の性質を
予言した。その予言は驚くほどに的中したので、彼の周期表の正当性はいやが上にも高ま
った。その一例としてゲルマニウムの場合を紹介する。彼はこれをケイ素のすぐ下の欄の
元素と言うことでエカケイ素と呼んだ。
                エカケイ素   ゲルマニウム
    原子量          72.0       72.3
    密度           5.5        5.47
    原子容          13.0       13.2
    酸化物の密度       4.7        4.70
    塩化物の沸点       100        86
    エチル化合物の沸点    160        160
          (久保「化学史」より)
なお彼の周期表は、希ガス元素(18族)をすっぽりと欠落させていた。それはこの同族
元素に関してはヘリウム元素が唯一発見されたばかりで、それも太陽の光の中においてだ
ったので、無理からぬことである。

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8.放射線分析、そして放射性崩壊

 19世紀の終りから20世紀の始めにかけては大発見の連続であった。ベックレルはい

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ろいろなウラン化合物を黒い紙で包んだ写真乾板(フイルム)の上に置くと、光が当たっ
ていないのに感光することを発見した。それはウラン元素から透過力の強い何ものかが放
出されていることを示している。この何ものかは「放射線」と呼ばれた。そしてその感光
の強さはウラン元素の質量に比例している。だから感光を調べれば、放射線を放出してい
るウラン元素の存在を確認できる。放射線分析はスペクトル分析に比べてもはるかに高感
度である。
 1898年にフランスの化学者マリー・キュリーは夫と協力して、この新しい分析技術
を使ってポロニウムという元素を発見した。彼女は、取り出した酸化ウランよりその鉱石
であるピッチブレンドの方が強い放射線を放出していることに注目した。それにはもっと
強い放射線を放出する未知の元素が隠れているにちがいない。こうして始めにポロニウム
が、続いてラジウムが発見された。とくにラジウムはきわめて強力な放射線を放出するこ
とで注目された。
 こうして元素発見の第6の年代は1898年から1936年までである。この年代には
12種の元素が発見された。その中で「希ガス」六元素がその全容を現した。それまでに
発見されていたヘリウム、アルゴンに、新たにネオン、クリプトン、キセノン、ラドンが
つけ加えられた。これにはラムゼーの貢献が大きい。希ガスは空気中にごくわずか含まれ
ている。
    ヘリウム     0.000524 %(体積パーセント)
    ネオン      0.001818
    アルゴン     0.934
    クリプトン    0.000114
    キセノン     0.0000087
          (「化学便覧」より)
彼は、乾燥した空気から窒素、酸素、二酸化炭素を除いたときのごくわずかな不純物を見
逃さなかったのである。なおラドンは放射線分析で発見された。そしてこれらの希ガスは、
他の元素と化合物をつくらないという特徴があった。
 この年代には原子の姿も解明された。そのくわしい内容は次節にゆずるが、便宜的にこ
こでその結論をかんたんに説明しておく。原子は中心に小さい原子核があり、そのまわり
をいくつかの電子が運動している。原子核はいくつかの陽子と中性子からできている(水
素原子は陽子1個のみ)。陽子はプラスの電気を持っており、中性子はその名のとおり電

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気的に中性である。電子は陽子と同量のマイナスの電気を持っている。原子ではその中の
陽子と電子の個数は一致していて、全体として電気的に中性になっている。また陽子と中
性子はどちらもその質量が、原子量の基準で測定するとほとんどきっかり1である。これ
らに比べて電子はその質量が1840分の1しかない。
    陽子    1.0073    (1.6726  ×10-24 g)
    中性子   1.0087    (1.6750    〃  )
    電子    0.0005486   (0.0009110  〃  )
          (「化学便覧」より)
だから原子のだいたいの質量はその原子核に含まれる陽子と中性子の個数を合計した数値
になる。この数値は文字どおり「質量数」と呼ばれる。元素記号に質量数を表示するとき
はその左上に書く。ちなみにすでに紹介した原子番号は元素記号の左下に書く。
 1902年にイギリスの物理学者ラザフォードとソディは、放射性元素であるトリウム
が奇妙な振る舞いをすることに気づいた。彼らは硝酸トリウム水溶液にアンモニア水を加
えて、水酸化トリウムの沈でんを生成しこれをろ過して分離した。
  Th(NO34 + 4NH3 + 4H2O ―→ Th(OH)4 + 4NH4NO3
するとこの沈でんはほとんど放射性を示さなかった。代わりにろ液を煮つめて得られたわ
ずかな粉末が元通りの強い放射性を示した。最初2人はトリウム元素の放射性は本当はこ
の不純物が持っていたと考えた。ところが3週間ほどしてこの水酸化トリウムを調べてみ
ると、元通りの強い放射性を回復していた。このことは、トリウム元素自身は弱い放射性
しか持っていない。そしてトリウム元素は少しづつ強い放射性を持ったある元素に転換し
ていく、と解釈できる。やがて不純物に含まれる元素がラジウムの一種であることが判明
した。トリウム元素がラジウム元素に転換するのである。これは画期的な発見である。こ
のような現象を「放射性崩壊」という。中性の錬金術師たちの否定的な結論にもかかわら
ず、「ある種の元素は放射線を放出して自然に他の元素に転換していく」ことが確認され
たのである。これはまたもや元素の概念の発展を意味する。
 実は上の説明には注目すべきことがある。「ラジウムの一種」という言葉を用いたが、
これは正確には「その多くの性質はすでに発見されているラジウムと同じだが、その原子
量が異なっている新しいラジウム」という意味である。その後の研究で、どちらのラジウ
ムも周期表の同じ欄に位置すべきであることが判明し、「同位体(アイソトープ)」と呼
ばれることになった。現在ではその秘密は解明されている。どちらのラジウム原子もその

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原子核の中に含まれる陽子の個数は88である。つまり原子番号は88である。ところが
含まれる中性子の個数は136と138で異なっている。前に紹介した質量数を使えば
224と226である。そして「元素の多くの性質はその原子番号でほぼ決定される」こ
とが判明している。こうして原子をより厳密に区別するには質量数を付属させる必要があ
る。ラザフォードとソディが発見したのは「トリウム232が放射性崩壊してラジウム
224に転換する」ことである。ちなみにラジウムの同位体は他にもいくつか見つかって
いる。
 現在ではすべての元素の原子に同位体の存在することが判明してる。だから元素は、か
ってドルトンらが考えたように、同じ質量、大きさ、形を持つ単一の原子からできている
のではなく、「ひとつの元素はいくつかの同位体の混合物である」と元素の概念を改める
必要がある。ただし物質をあつかう多くの場合にこれらの同位体を区別することはできな
いので、私たちは通常それらをひとつの元素名で呼ぶのである。
 ここで元素の原子量を見直しておこう。次は酸素と塩素の天然の同位体の存在率である。
    酸素  16O     99.76 %(個数パーセント)
        17O      0.038
        18O      0.204
    塩素  35Cl    75.77 %
        37Cl    24.23
          (「理科年表」より)
酸素のようにひとつの同位体の存在率が圧倒的に高いと、その原子量はその同位体の質量
数に近くなる。実際に酸素の原子量は 16.00 である。これに対して塩素のような場合、そ
の原子量は各同位体の質量数をその存在率を加重して平均したものに近いだろう。
    35 × 0.76 + 37 × 0.24 = 35.48
実際の塩素の原子量は 35.45 である。ちなみに、現在の原子量は「炭素12を基準にして
その質量を12としたとき、他の原子が持つことになる相対的な質量である」と定められ
ている。ここで「原子」とは1種の同位体のこともあれば、その元素が含んでいるいくつ
かの同位体を平均したような仮想的な原子を指すこともある。
 なお放射線を放出する同位体は放射性同位体と呼ばれ、現在ではトレーサーや年代測定
に活用されているが、それについては別の機会に譲りたい。
 現在では元素が放射性崩壊するときに放出するのは、アルファ線、ベータ線、ガンマ線

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                   図5




          (ポーリング「一般化学」より)
の3種の放射線であることが判明している。アルファ線はヘリウム原子の原子核で、陽子
2個と中性子2個からできている。そして陽子2個分のプラスの電気を持った粒子が飛行
するので、それは一種の電流である。だから磁石を近づけると、フレミングの左手の法則
によって横向きの力を受ける。つまりアルファ線は磁石でその軌道を曲げられる。ベータ
線は電子である。だからこれも磁石でその軌道を曲げられる。ただし電子はマイナスの電
気を持っており、またその質量がアルファ線よりはるかに小さいので、反対向きにより大
きく曲げられる。これに対してガンマ線は電磁波の一種であるが、光の100万分の1以
下の波長である。ちなみに光をはじめとする電磁波については、アインシュタインが光子
と呼ばれる小さい粒子からできていることを発見している。だからガンマ線は光子からで
きていると言える。放射線が飛行する軌道は、ウイルソンが発明した「霧箱」を使うと、
私たちでもそのひとつひとつの飛跡を立体的に観察することができる。
 元素の放射性崩壊は原子核が変化する反応、つまり「核反応」の一種である。元素が1
個のアルファ線を放出すると、原子番号が2だけ小さいそして質量数が4だけ小さい元素
に転換する。またベータ線については中性子が陽子に転換すると同時に電子とニュートリ
ノを放出する機構になっている。だから元素が1個のベータ線を放出すると、原子番号が
1だけ大きいそして質量数が変わらない元素に転換する。ちなみにニュートリノは光子に
似ているが、他に何の影響も与えずに地球を貫通してしまうような粒子なので、それが放
出されているのを検出することは通常は困難である。ガンマ線に関しては元素の転換は起
こらない。それから原子核の中の陽子の個数が増減すると、原子はまわりの物質と電子の

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受け渡しをして調整する。
 元素の放射性崩壊は次々に連続して起こるので、私たちは横軸に原子番号を縦軸に質量
数を目盛ってそれをひとつの系列として表現することができる。次の表はトリウム元素か
ら始まる系列である。このようにいくつかの元素は互いに家族のようにつながっている。
現在では4種の系列が存在することが確認されている。








                   図6








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9.原子構造の解明

 すでに8節で原子構造の具体的な知識については説明した。ここで改めてその構造がど
のようにして解明されたか、その歴史をたどってみる。あらかじめ注意したいのは、原子
はもはやドルトンらが考えたようにそれ以上に分割できない、したがってこの世で最小の
粒子ではなくなったということである。
 1897年にイギリスの物理学者トムソンは真空内の放電現象を研究した。通常は電気
は金属のような導体の中に隠れているが、真空放電ではその正体がさらけ出されるわけで
ある。それまでに真空放電では陰極からある種の粒子が放出されていることが確認され、

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                   図7




          (ポーリング「一般化学」より)
それは陰極線と呼ばれていた。彼は図のような装置を使って飛行する陰極線に電場をかけ
(その軌道にプラス・マイナスに帯電した金属板をセットして)、プラス側に曲げられる
ことを確認した。陰極線はマイナスの電気を持った粒子である。彼はまた磁場をかけても、
陰極線が曲げられることを実験した。このような研究を通して私たちが期待するのは、陰
極線の質量やそれが持っている電気量が測定されることである。しかし実際に測定できる
のは「質量電荷比」である(4節参照)。つまり陰極線の質量が大きいほど曲がりにくく、
それが持っている電気量が大きいほど曲がりやすい。この兼ね合いを表す質量と電気量の
比が測定された。彼の実験には誤差が伴っていたので、現在の数値では次のようになる。
    陰極線の質量電荷比 = 0.0005686×10-5 g/C
この数値は実験材料によって変わらない普遍的なものであった。トムソンは陰極線が原子
をつくっている粒子のひとつであると主張した。すでにストーニーは電気分解の研究から、
原子と同じように、電気量にもそれ以上分割できない小さい単位があることを見抜き、そ
れを「電子」と名付けていた。やがて電子はそれだけの電気量を持った小さい粒子と考え
られるようになった。トムソンはその電子の正体こそ、陰極線そのものであると考えた。
原子がイオンになるときは、電子(e-)が受け渡しされる。したがって水素イオンと陰極
線が持っている電気量は等しい。
    H ―→ H+ + e-
こうして彼は水素イオンの質量電荷比を陰極線のそれで割って
    1.045×10-5 / 0.0005686×10-5 = 1838

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電子は一番小さい水素原子のさらに1840分の1の質量しか持たないと判断した。やが
てミリカンが電子の電気量を単独で正確に測定した。これは電気素量と呼ばれる。
    電気素量 = 1.6022 × 10-19 C
これによって電子の質量の方も確定した(8節参照)。
 マイナスの電気を持った電子が発見されると、今度は原子の中のプラスの電気を持つ部
分に関心が向かった。それは原子の質量のほとんどを占めているだろう。トムソン自身は
ぶどうパンのようなイメージをもっていた。つまり小さい干しぶどうの電子が、パンの中
に埋め込まれているのである。
 ところで歴史をさかのぼると、ドルトンと同時代のプラウトは多くの元素の原子量がき
わめて整数に近いことに注目した。そして最小の水素原子の原子量が1であることから、
「他の元素の原子は水素原子がいくつか集まったものである」という仮説を立てた。つま
り彼は原子の構造を考えたのである。
 1911年にラザフォードは実験に基づいて「原子はその中心にきわめて小さい、その
質量のほとんどを占めプラスの電気を持った原子核が存在し、それに比べればはるかに広
いまわりの空間を、マイナスの電気を持ったいくつかの電子が運動している」ことを提唱
した。彼とその共同研究者は図のように、アルファ線つまりヘリウムの原子核を金箔に照
射してどのように散乱されるかを研究した。アルファ線は硫化亜鉛のスクリーンで検出し
た。これはきわめて大きいエネルギーを持っているので、1個のアルファ線が衝突する度
にスクリーンにせん光が観察される。その結果は大多数のアルファ線は金箔を貫通してわ





                   図8




          (ポーリング「一般化学」より)

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ずかにその向きを変えられるだけだった。ところが 0.5 μm の厚さの金箔を使った場合で、
10万個に1個くらいのアルファ線が、大きくしばしば90度以上その向きを変えられる
ことを発見した。ラザフォードはこの大角度の散乱を理論的に検討して、原子の中でその
質量のほとんどを占めプラスの電気を持った部分がきわめて小さいという結論に到達した。
 続いてボーアは原子スペクトルの研究から、原子核のまわりを運動する電子についてく
わしく解明した。彼の理論に基づいてモーズレーは、原子核が持っている電気量を測定し
た。その結果はすべての電気量が電子の電気素量の整数倍であった。しかしこのこと自身
は、まわりを運動するいくつかの電子の電気を原子核が中和していることからすれば当然
である。むしろ重要なのは、その数字からそれぞれの原子が含んでいる電子の個数を知る
ことができる点である。それ以上に彼が目を見張ったのは、その数字が周期表において元
素を右にたどっていくと正確に1ずつ増加していくことであった。原子量の方はそのよう
にはなっていない。この数字こそ原子の順番を表すのにふさわしい。モーズレーはこれを
原子番号と名付けた。
 こんな流れの中で、当時の科学者は次のように考えていた。水素原子の原子核はプラス
の電気を持った最小の粒子である。他の原子の原子核は、プラウトの仮説から、水素の原
子核がいくつか集まったものである。水素原子の原子核は後に「陽子」と呼ばれるように
なるので、これからはその用語を使おう。ある原子の原子核が含む陽子の個数はその原子
量から分かることになる。ところがそれではプラスの電気が多すぎるのである。たとえば
酸素の原子量は16だから、その原子核には16個の陽子が含まれる。ところが酸素の原
子番号は8なので、8個の陽子が余分になる。そこで原子はその原子核の中にもいくつか
の電子を含んでいると考えた。その個数は原子量から原子番号を差し引いて得られる。つ
まり酸素原子ではその原子核の中に8個の電子を含んでいるのだ。
 1932年にイギリスの物理学者チャドウィックは、ベリリウムにアルファ線を照射し
たときに放出される放射線を研究して、それが陽子と同じ質量を持ちかつ電気的には中性
であることを発見した。彼はこれを「中性子」と名付けた。しかし当時の考えに従って、
それは陽子と電子が結びついたものであると見なした。後になって中性子が単独の粒子で
あることが確認される。こうして原子核はいくつかの陽子といくつかの中性子からできて
いることが判明した。もちろん陽子の個数はその原子番号に一致している。
 原子の構造が解明されたこの段階では、「物質をつくる本当の元素は陽子、中性子、電
子である」と表現することが可能である。しかしそれもつかの間、現在では陽子や中性子

                  - 19 -

がさらに小さいクォークからできていることが分かってきた。

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10.元素の合成

いよいよこの物語も最後の年代に到達する。それは1937年から現在までである。
1936年までに周期表のほとんどの欄は元素で埋められるようになったが、ウランより
原子番号が小さいところで4つの空欄が残っていた。それらは43番、61番、85番、
87番の各元素である。化学者の懸命の捜索にもかかわらず、これらの元素はいっこうに
姿を見せなかった。そこで、これらは放射性であり現在までにすべて崩壊して他の元素の
転換してしまったのではないか、それならこれらの元素を人工的に合成できないか、とい
う大胆な発想が生まれてきた。
 このきっかけをつくったのもラザフォードらであった。1919年に彼らは、窒素にア
ルファ線を衝突させると酸素が生成することを発見したのである。窒素は原子番号が7で
その質量数が14の同位体がほとんどである。これにヘリウムの原子核が合体すると、一
時的に原子番号が9で質量数が18の状態になる。しかしこの原子核は不安定で、水素の
原子核である陽子を放出して、原子番号が8で質量数が17の酸素の同位体に転換するの
である。
    14N + 4He ―→ 17O + 1
錬金術師たちの夢は別の形でかなった。これは人類が「核反応によってある元素を他の元
素に転換する、つまり人工的に元素を合成する」最初の事例になった。ちなみにチャドウ
ィックが中性子(n)を発見した核反応は次のようである。
    9Be + 4He ―→ 12C + n
 もうひとつは、現代科学の花形である「粒子加速器」の発明である。たとえばプラスの
電気を持っている陽子は、電圧をかけた2枚の電極板の間ではプラス極とは反発し、マイ
ナス極には引かれて加速される。マイナス極の中央に穴を空けておけば、そこから陽子が
放出されてくる。その速度は電圧が高いほど大きい。陽子が飛行する部分は真空にされる。
このようにして、電気を持った粒子を人工的に放射線にすることができる。1932年に
イギリスの物理学者コッククロフトとウォルトンは、600 kV (キロボルト)の電圧をつく
り出し、これで加速した陽子をリチウムに衝突させて核反応を起こし、2個のヘリウムを
生成した。
    7Li + 1H ―→ 4He + 4He

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 粒子加速器は、くり返し加速するために電気を持った粒子に磁場をかけて円運動するよ
うにしたサイクロトロンが考案された。また現在もっとも活躍しているのは、電子と反電
子(陽電子)のようにプラスの電気を持った粒子とマイナスの電気を持った粒子を、反対
向きに加速して正面衝突させるコライダーというタイプである。その最大のものはヨーロ
ッパ合同原子核研究所(CERN)の直径が 8486 m のLEPと呼ばれるものである。日
本には直径が 960m のトリスタンというコライダーがある。
 イタリアの物理学者セグレは、重陽子(陽子1個と中性子1個からなる原子核)を加速
するサイクロトロンのターゲット(標的)として使われていたモリブデンに注目した。モ
リブデンは高温に耐えるので選ばれていたが、この原子番号は42番であり周期表でその
右隣は空欄だったのである。彼はターゲットのモリブデンをねばり強く放射線分析して、
1937年に新しい元素つまりテクネチウムが存在することを確認したのである。やがて
彼はターゲットからわずか 0.0000001 mg のテクネチウムを取り出すことに成功した。後
になって天然のウラン鉱からも微量のテクネチウムが取り出された。
 4つの空欄が埋められていく一方で、ウランよりも原子番号が大きい元素が存在するか
どうか問題にされた。それは人工的に合成してみるのが一番の解決策であった。陽子など
と違って中性子は電気を持っていないため、プラスの電気を持った原子核に接近してそれ
と合体することが容易である。そしてできた原子核がベータ線を放出して崩壊してくれた
ら、原子番号が1つ大きい元素に転換することが期待できる。こうして92番のウランに
中性子を衝突させて、93番の元素つまりネプツニウムが人工的に合成されたのである。
    238U + n ―→ 239U ―→ 239Np
同じような考え方で94番のプルトニウム、95番のアメリシウム・・・、そして今年
(1995年)になって110番の元素の合成が報告された。そして現在までに93番と
94番は自然界にもわずか存在することが確認されている。だから天然に存在する元素は、
1番の水素から94番のプルトニウムまでと言える。
 最後にウランの「核分裂」についてかんたんに紹介しておく。ウランの同位体のひとつ
であるウラン235に中性子を衝突させると、できた原子核はすぐに2つに分裂すると同
時に1〜3個の中性子を放出する。生成する原子核はさまざまだが、一方の質量数が85
〜105に、他方の質量数が130〜150になる。この核反応は、通常の燃焼反応に比
べて格段に大量の熱エネルギーを発生する。同じ質量で比較すると、ウラン235は石油
や石炭の200万倍以上になる。ところがこの核分裂が最初に利用されたのが、1945

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年に広島に投下された原子爆弾であったことは、科学の歴史における最大の汚点である。
これは現在は原子炉として利用されており、日本では総発電量の3分の1をまかなってい
る。しかし承知しているように、原子炉はその安全性が課題となっている。





関連する実験
(1)テルミット反応による鉄の製錬
(2)溶融した塩化鉛の電気分解
(3)塩化マグネシウムの化学式の決定
(4)炎色反応と手づくり分光器
(5)霧箱による放射線の観察
(6)陰極線の観察

参考文献
トリフォノ著「化学元素 発見のみち」(内田老鶴圃)
久保昌二著「化学史 化学理論発展の歴史的背景」(白水社)
ワインバーグ「電子と原子核の発見」(日経サイエンス社)

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