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99A−331
差出人:林 正幸
送信日:00年6月11日
件 名:酸化還元の定義
こんにちは、林です。
すこし遅れましたが、山本さんの問いかけに返事を書きます。
私も授業の最後には、酸化数による酸化還元の定義を教えています。あまり気乗りはしませんが、教科書にある以上は無視し切れないからです。たしかに酸化数はより多くの反応を矛盾なく酸化還元反応としてまとめることができます。しかし酸化数には、藤田さんも書いてくれましたが、形式的な面があります。とくに酸化数を見付ける「訓練」にはどんな意味があるのでしょうか。私は「学問的」にそんなに優れた定義とは思いません。もちろん私も結合の中の電子の動きに注目することの重要性は否定しません。しかしもしそれに踏み込むのであれば、前にも書いたように「有機電子論」的にとらえたいのです。
私は授業では電子のやり取りによる酸化還元を重視しています。そしてこれはイオン化傾向とか電池とか電気分解とか実際に電子が移動するものに限定しています。この内容は酸化還元電位(標準電極電位)にも発展する学問的にも価値の高い領域です。定義の幅が狭くなるからと言って、それで何が問題なのでしょうか。
関連して中台さんが次のように書いています。
<引用>
でも、化学は、どんどん決め付けではなく、右にも左にも動ける動的な視野に立
つようになり、さらに、物質の世界である、生物はもっと面白く、オルガナイザー
一つで雄にも雌にもなるように、白黒付かぬ世界になっている気がします。
<以上>
我田引水ではありますが、私はものごとはいろいろな角度や深さでとらえられることを生徒に認識させたいと思います。酸化還元で言えば、酸素原子のやり取りから始めます。金属のイオン化傾向を教えたら、次は非金属イオンを含めて「電子を失う傾向」に広げます。いきなり「決定版」では生徒の認識が硬直化します。
うまくかみ合っていない可能性がありますが、とりあえず書いてみました。ではまた。
99A−332
差出人:山本 喜一
送信日:00年6月13日
件 名:再び酸化還元の定義について(2)
こんばんは、山本です。
藤田さん、中臺さん、林さんコメントありがとうございます。みなさんのメールを読んで、もう一度、理化学辞典(5版)の「酸化」の項を調べてみました。そこには「一般に、広く電子を奪われる変化またはそれに伴う化学反応を言う。」という書き出しで始まる文が載っています。
やはり、私は首をかしげています。「広く電子を奪われる」とは、
Zn → Zn2+ + 2e−
のように電子がなくなってしまう変化も含むし、
H2(気) + Cl2(気) → 2HCl(気)
のHのように、電子雲が薄くなる変化をも含むという意味でしょう。「酸化とは、一般に、広く電子を奪われる変化またはそれに伴う化学反応を言う。」という定義が正しければ、その逆の言い方、つまり「広い意味で電子を奪われる変化は酸化(される)である」という言い方も正しくなければならないはずですよね。でもそれは、ノーです。
2HI + Cl2 → 2HCl + I2
という反応で、Hの電子雲は薄くなっていても、Hを酸化されたとはいいませんから。
したがって、酸化還元を電子の授受で定義づけるのは違うのではないかと思っています。この私の考えをどう思いますか?とみなさんに問いかけました。答は次のいずれかだと思います。
(1)酸化還元は、酸化数の増減のある反応である。電子の移動という定義は不完全である。
(2)酸化還元反応は電子の移動がある反応である、という定義でよい。酸化数の増減は、電子の移動を表している。
藤田さんからは、おおむね私の考え(1)に同意するコメントが寄せられたと思います。でも、中臺さんや林さんからは、こういう問いを立てること自体にどんな意味があるのかとか、それが授業の中身とどんな関係があるのかというようなコメントが寄せられたと理解しています。私としては、議論を混乱させないために、そういう問題は次のステップで考えたいと思っています。まず「学問的に」酸化還元反応をどう定義したらよいのか、それを明らかにしたいのです。そうした上で、酸化還元の定義を教える意味があるのかどうか、酸化数を教える意味はあるのかどうかを議論したいと思っています。
みなさんの酸化還元反応の定義は、(1)でしょうか(2)でしょうか?
99A−333
差出人:林 正幸
送信日:00年6月14日
件 名:酸化還元の定義(2)
こんばんは、林です。
酸化還元の学問的な定義についてです。私には、今やそれを統一的に定義する必要性がなくなっているように思われます。つまり研究はもっと深いレベルに移っているのです。この中で実際に電子をやり取りすることを踏まえた定義は、理論的に確立されてデータもまとめられ、私たちもよく活用しています。だから現代的には、山本さんの書いた(2)の定義がよいと考えています。
教育的には、私は酸素原子に係わる定義も認識の発展に結び付くと思います。これに対して水素原子に係わる定義や、酸化数による定義は、とくに高校生には言葉の遊びになってしまう面が強いと考えます。さらに言うなら電子のやり取りに係わる定義も、電子のやり取りそのものとして教えればよいのであって、これを酸化還元に結びつける必要性は燃焼電池くらいではないでしょうか。
話は変わって次のような質問が来ました。前半はよいとして、後半にはどう答えればよいのでしようか。
<引用>
化学の極性の授業の時間に,先生がエボナイト棒で水を曲げました。
先生の説明では,「水は極性を持つから曲がる」ということでしたが,納得がいきません。
水は全体的に+に帯電していると言うことなのでしょうか。
また,エボナイト棒はなぜ−に帯電するのでしょうか。
先生の説明では,高分子は−に帯電しやすいということでしたが・・・。
<以上>
参考にできる情報がありましたら教えてください。
ではまた。
追伸
山本喜一さんのホームページ「化学と授業のHP」のURLが次のように変更しています。
http://www3.ocn.ne.jp/~yam/
遅ればせながら、連絡をしておきます。
99A−334
差出人:山本 喜一
送信日:00年6月15日
件 名:再び酸化還元の定義について(3)
こんにちは、山本です。
林さん、コメントありがとうございます。次の2点について、教えて下さい。<>内は、林さんのメールからの引用です。
(1)<私には、今やそれを統一的に定義する必要性がなくなっているように思
われます。つまり研究はもっと深いレベルに移っているのです。>
酸化還元の定義について、どのように深い研究がなされているのでしょうか?
(2)<この中で実際に電子をやり取りすることを踏まえた定義は、理論的に確
立されてデータもまとめられ、私たちもよく活用しています。だから現代的に
は、山本さんの書いた(2)の定義がよいと考えています。>
私たちが活用しているデータというのは、酸化還元電位のことでしょうか?
それから、私のHPのアドレスが変わったことを、みなさんに連絡し忘れていました。林さん、ありがとうございました。
99A−335
差出人:林 正幸
送信日:00年6月16日
件 名:「オゾン層は守れるか」を読んで
こんばんは、林です。
盛口 襄さんの最新作「オゾン層は守れるか」(アリス館 4月15日発行)を読みました。この本は中学生以上を対象にする編集になっています。その構成は次のようです。
序章 南極の春
1章 大気には歴史がある
2章 オゾン層はかたる
3章 フロンって何?
4章 オゾン層の健康診断
5章 オゾン層保護の道のり
終章 オゾンの冒険物語の主人公はだれか
物語は地球の歴史から始まり、生物が酸素をつくり、それがオゾン層を形成し、生物が陸上に進出したことが描かれる。2章では、オゾン層とその異常の発見、そしてそのメカニズムの解明が、3章では原因物質であるフロンの特性と栄光が解説される。4章ではオゾン層を見守っている科学者が現場から紹介される。5章では国際的なオゾン層保護活動の動向とその評価が示される。そして終章で著者の思いを21世紀を担う若者たちに語りかける・・・。
まず感じるのは、ゆたかで生き生きした内容です。これは盛口さんの蓄積の大きさに加えて、彼がこのために沢山の文献に当たり、色々な人や現地を訪れたことで裏づけられています。
そして語りのたくみさ。盛口さんが詩人であることは知る人は知るであるが、彼自身がまえがきに「学校で学ぶ<理科>をはるかにこえた高度な内容だが、<知識として>ではなく<物語として>君たちの心にうったえたい。」と書いているように、そこにはひとつの「割り切り」と、「思いを伝える」というスタンスがあります。もちろんアジテーションになってはならないが、「そのことが、君たちに絶望の時代をこえる力を、学ぶことの意味を悟らせることになるかもしれない。」というのは真実であると思います。
さてこの本の中で、盛口さんは「科学」をどのようなものとして語っているのでしょうか。
p143の終わりには、アメリカ議会の公聴会の会話で「・・・ただいまのローランド先生のお話には私自身は大いなる感銘を受けました。皆さんは科学的に決定的な証拠を、とおっしゃるが、科学にそのような下駄をあずけることはまちがっています。ここは政治の場で科学の場ではありません。・・・」と書いています。これは科学を相対化する視点で、「奪われし未来」(コルボーン著、翔泳社)にも出てきます。私はこの視点を重視しています。
p174から、近代科学論を展開しています。科学者は神に代わって絶対的真理を突き止める。しかし「試験管の中ではくりかえし証明される<事実>も、自然全体の中では通用しないことだっていくらでもある。」 「今までなら遅れたこと、未開なことと考えられてきたことにも、それなりに存在理由はある。森と山の神と人との共生といった考え方にも、自然全体と一体となって生きる知恵があったのじゃないか。唯一絶対真理の支配する世界にはない何かがね。」 私は、自然の連関を重視し複眼的にものをとらえる科学こそが求められる、と受け取りました。
p177では、科学が産業革命を引き起こし、戦争へ、大量生産・大量消費へと結び付いたと書いています。そして「共貧共栄」こそが次の時代が目指すべき社会であると提起しています。確かに科学は利潤の奴隷になっています。しかし彼は、オゾン層保護は曲がりなりにも科学にそうでない地位を与えたと言いたいのだと思います。消費者運動やエコファンド(環境投資)の発展もあります・・・。そう考えながら、私は共貧共栄の中身に悩みます。
皆さんはどう考えますか。ではまた。
99A−336
差出人:山本 喜一
送信日:00年6月18日
件 名:RE:「オゾン層はまもれるか」を読んで
こんにちは、山本です。
林さんのメールを読んで、またひとつ林さんの考えが分かったような気がします。
<引用>
私は、自然の連関を重視し複眼的にものをとらえる科学こそが求められる、と受
け取りました。
<終わり>
ひとつのことをいろいろな角度から考えられる生徒を作りたいという気持ちが、林さんには強いわけですね。私はそれよりもコルボーンに言葉のように、科学には限界があることを教えたいと思っています。ですから、酸化還元は定義できるのかとか、金属と非金属は区別できるのか、物質はすべて原子でできているのか、などということにこだわるわけです。去年私の授業を聞いていたある生徒が、「化学は例外が多い」という言葉をレポートに残していました。私はそれでよいと思っています。
99A−337
差出人:林 正幸
送信日:00年6月20日
件 名:酸化還元の定義(3)
こんばんは、林です。
夕方、外でくつろいでいると、数匹のつばめが近くの電線にとまっていました。見ていると、飛んできたつばめがえさを与えます。とまっているつばめはときどき風に向かって盛んに羽ばたきをします。6月も半ば、巣立ちの時期なのです。やがて一匹が飛び立って庭の木に移ります。そして次のつばめが、しかしためらっているつばめもいます。親つばめは飛びながらえさすこしづつ与えて、飛ぶのを促しているようです。こうして庭の木から家の屋根に、そしてまた庭の木へと次第に移っていきます。「ジュジュ」とにぎやかに鳴き交わしながら、さるすべりやかえでの伸びてよくしなう枝の先に上手にとまります。まだまだ、すいすいと飛びまわるよりは、枝先での曲芸の方が気に入っている様子です。
さて山本さんからのメールですが、私が書いたのは「酸化還元の定義について深い研究がなされている」という意味ではありません。その前のメール(「酸化還元の定義(1))にも書いていますので、前回のメールは表現がやや漠然としていて、分かりにくかったかもしれません。私が伝えたかったのは、酸化還元の定義を深める段階を越えた研究が進んでいると思うということです。たとえば私も高校で酸化数による定義を勉強しました。しかし大学でポーリングの「一般化学」を教科書に使いましたが、その酸化還元の章には酸化数についてさしたる位置づけはありません。代わりに「酸化還元電位」のくわしい説明がありました。有機化学のさまざまな本に出てくるのも、実際の電子の動き(状態)を示した「有機電子論」や「化学結合論」ばかりです。それは酸化数を使った定義が形式的で、現実の間尺に合いにくいからだと考えます。
ふたつ目の質問については、山本さんが書いているとおり、酸化還元電位(標準電極電位)のことです。
私も数年前には酸化数を位置づけた「酸化と還元」という文章をつくり、それは今でもホームページに掲載しています。にもかかわらず、授業プリントの中では「最小限だけ」扱うようになってきました。たしかに酸化数は多くの化学反応を整理でき、便利な面はあります。しかしあまり本質的なものには思えず、「それもひとつのとらえ方である」という位置づけになっています。
ではまた。
99A−338
差出人:佐藤 琢夫
送信日:00年6月27日
件 名:Naによる化学実験事故のその後
岩手の佐藤です。
24、25日、金沢で行われた出前教研に参加しました。四ヶ浦さんには大変お世話になりました。ゆっくりと金沢を物見遊山したかったのですが、慌ただしく岩手に戻りました。
私は核化学事始と言うテキストをもとに放射化学について発表してきました。昨年のJCO事故をどう生徒に伝えていくかと言う事が動機となりました。
近代科学は一貫した論理で現象を括ってきました。不安定な原子核はこの近代科学の論理で括る事はできません。テキスト作りは現代科学とは何かということが見えてきた感じがしています。このテキストの実践を時間を見つけてまとめたいと思っています。
5/23に毎日新聞の記事を発信しました。これまでいろいろとメールでの情報交換がされてきました。
6/2、毎日新聞のホームページにNaによる化学実験事故の記事の真相はどうなっているのかということで、メールを入れてみました。音沙汰無しで、そこで今回の出前教研に鶴岡(酒田の隣町)の小泉先生という方が参加したので、真相を聞く事が出来ました。
2本の試験管を使いNaによる水素の捕集で3分の1の班しか爆鳴に必要な量を捕集できなかったので、Naの量を増やし2回目の実験を行ったようです。そのうちの一つの班で試験管が爆発したようです。
マッチで点火はしていなかった。試験管のひびなどは、はいっていないとの事。生徒は入院したようですが失明などという大事に至らず、現在回復し無事なようです。
今回の事故について、ガラス壁に付着したナトリウムによって引き起こされたのでは推測します。ナトリウムが水面を動き回っている時は安全です。
以上の推測の論拠として、かつて同様な爆発を経験した事と98/10/28の山本さんのメールが参考になりました。
大坂の中西啓二さんという方が「化学実験の事故をなくすために」という本を化学同人から出し、その中で次のように説明されている、と教えてくれた人がいました。
引用:
「ナトリウム片は水との反応熱で融解し、さらに温度は
急速に上昇する。ナトリウムの表面が水酸化ナトリウム
を主成分とする被膜で覆われ、高温のナトリウムと水と
の直接の接触を妨げている。さらに温度が上昇してナト
リウムが600〜800℃のとき、この被膜は融解し、内部の
高温のナトリウムが水と直接接触して爆発が起こること
がわかった。だから、この爆発には高温の融解した金
属と水との接触による衝撃波の発生が大きく関与して
いると考えられる。」
以上の事を実験で、実証するだけですが。
99A−339
差出人:林 正幸
送信日:00年6月29日
件 名:科教協大会のナイターについて
こんにちは、林です。
突然のできごとのために、楽しみにしていた金沢での「出前教研」に参加できませんでした。四ケ浦さん、キャンセル料がありましたら知らせてください。
佐藤さん、ナトリウム事故の真相はいくらか納得できるように思います。これまで私はナトリウムの爆発は、発生した水素が発火して起こると考えてきました。しかし空気がなくても、高温状態でナトリウムと水が接触しても起こり得ますよね。
さて昨日松本さんと連絡して、今年の科教協のナイターはとりあえず私が申し込むことになりました。
日時: 8月3日(木)19:00〜20:30
テーマ:アルケミストの化学実験
内容:私たちのグループのとっておきの実験、
新しいもの懐かしいものとり混ぜて、
次々に紹介します。
使用器具:
荷物搬入のための駐車場 要
電源利用 最大500W
火気使用 有
水使用 有
必要スペース 長机2台(これが最大だそうです)
場合によっては私が取りまとめをしますが、皆さん心積もりをしてください。
ちなみにアルケ通信3号は2、3の資料の到着を待って、近日中に発送されるそうです。
ではまた。
99A−340
差出人:野中 直彦
送信日:00年6月29日
件 名:カンシャク玉の失敗
封を切ったばかりの塩素酸カリウムは反応性がたかいのでしょうか。赤リンと塩素酸カリウムを混ぜていて「強く混ぜると発火して危険だからやさしく混ぜるんだと」と言いながら、後ろの席の生徒にも見せようと、混ぜながら机間を移動中に、いきなり発火して指を火傷しました。薬包紙を支えていた、左手のくすり指に大きな水ぶくれが2カ所できました。他にも、小さな火傷を親指・中指にもしました。
ここで、やめればよかったのですが、もう一度チャレンジ。生徒を指名して、木づちで先をたたかせた。赤リンが湿っているためか、よく混ぜっていないためか、パチンと反応しなくて、小さな火があちこちに飛ぶ。その1つが、生徒のポロシャツをこがし、小さな黒い穴ができてしまいました。ごめんとあやまり弁償しました。3780円でした。その火が目に入らなくてよかったと安心しましたが、僕のズボンは火が4カ所にも穴を開けてしまいました。カンシャク玉の小さな火が飛び散らないようにしなければいけないと思いました。安全ゴーグルなどが必要かとも思いました。
99A−341
差出人:杉山 剛英
送信日:00年6月29日
件 名:残念!アルケナイター参加できず
今年はと思っていたのですが、東京行きと名古屋行きが中止のため、今年の千葉にはいけません。残念無念<。BR>
99A−342
差出人:杉山 剛英
送信日:00年6月29日
件 名:カンシャク玉
杉山剛英です。
そういえば、うちの夜間部の先生も同じ実験を教室で生徒に見せようとして指で混ぜてるうち(なんと無謀な)にその指で発火してやけどしていました。赤リンの方に原因があると思います。私は混ぜる時には、薬包紙に塩素酸カリと赤リンを入れて巾着にして軽く振って、あとはテープで金床に固定してたたきます。量が多いと、火の玉が飛び出すので要注意です。
99A−343
差出人:山本 喜一
送信日:00年6月30日
件 名:酸化還元の定義を教える意味は?
こんにちは、山本です。
酸化還元についての議論を混乱させないために、酸化還元の定義を教える意味については、別のメールにしました。
これまで何度も、林さんや中臺さんからコメントが寄せられました。「酸化数を使った定義は形式的であり現実から離れている」とか、「物質の世界はすっきり白黒つけられるものではない」・・・など。そして、「そうであるから、酸化還元の定義を生徒に教える意味はあまりない」という考えだと思います。
私は逆に、酸化還元は形式的な酸化数でしか定義できないからこそ、あるいは物質の世界は白黒はっきりさせようとしてもできるものではないからこそ、この定義を教えるべきだと思います。それは「科学の限界」を教えることにつながると思うからです。前にも書きましたが、金属元素と非金属元素の違い、あるいは酸と酸でないのものの違い、有機物と無機物の違いなどについてすっきり分けようとすればするほど、境界が分からなくなってきます。自然というものは単純なものではなく、奥深いものであることを教えることが大切だと思います。
林さんも「科学の限界」については重視していると思います。私のやり方は、「科学の限界」を教えることから的がはずれているでしょうか。
99A−344
差出人:山本 喜一
送信日:00年6月30日
件 名:酸化還元の定義について(4)
こんばんは、山本です。
先週、文化祭があって準備やら片づけやらでゆっくりメールを書けませんでした。しつこいと思われるかも知れませんが、酸化還元についてまた書きたいと思います。
私が質問した2点について、林さんから回答が寄せられました。まず、「酸化還元の定義がどう深められているのか」という質問に対して:
<引用開始>
私が伝えたかったのは、酸化還元の定義を深める段階を越えた研究が進んでいる
と思うということです。たとえば私も高校で酸化数による定義を勉強しました。
しかし大学でポーリングの「一般化学」を教科書に使いましたが、その酸化還元
の章には酸化数についてさしたる位置づけはありまん。代わりに「酸化還元電
位」のくわしい説明がありました。有機化学のさまざまな本に出てくるのも、実
際の電子の動き(状態)を示した「有機電子論」や「化学結合論」ばかりです。
それは酸化数を使った定義が形式的で、現実の間尺に合いにくいからだと考えま
す。
<ここまで>
林さんは、酸化還元の定義を深める研究に大きな意味はない、ということを書いているのだと理解しました。だから、林さんは酸化還元の定義を教えることにもあまり意義を認めないという意見でしょう。私はこのメールのやりとりのはじめ(5月17日のメール)に、次のように書きました。
<引用開始>
「学問的に酸化還元の定義をどう考えのるか」というところで意見交換したいと
思っています。
<ここまで>
ですから、酸化還元の研究が進んでいないとしたら、どんな定義で止まっているのか、そこを知りたいと思っているわけです。酸化還元を定義づけすることに意義があるのかどうか、それを教えることに意味かあるのかどうか、そういうことはひとまず棚に上げて意見交換したいのです。
そういう意味では、私の2番目の質問に対する林さんの回答の方が、この議論にかみ合ってくると思います。
酸化還元電位の表には確かに、電子の授受が半反応式として載っています。しかし、それらはすべて水溶液中での反応です。私が例にあげた反応:
2HI + Br2 → 2HBr + I2
これは、それぞれの物質が気体であっても起こる反応だと思います。反応物、生成物とも気体であれば、電子の授受に関して酸化還元電位の表では解析できないのではないでしょうか。したがって、この反応でHは電子雲は薄くなっている(けれど酸化されたとは言えない)という考えは正しいと思います。私はやはり、酸化還元反応とは電子の授受が起こる反応とは定義できず、酸化数の増減がある反応と定義すべきだと思います。
99A−345
差出人:高橋 匡之
送信日:00年7月1日
件 名:ミニ教研金沢集会のお礼
こんにちわ 岩手の高橋です。
金沢ミニ教研では、四ヶ浦さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。金沢高校の生徒諸君の発表は、私にとってはとても参考になりました。私はテニス部と化学部の両方を担当しているので、どちらも不完全燃焼したままの状態です。
化学部の方はかろうじて文化祭で発表する程度で、いろいろな科学賞とかに応募したことはありません。しかし、今年の化学部の2年生はとても熱心で、毎日活動を続けています。自分たち自身も読売科学賞に応募してみたいといっています。なんとかテーマを探して、少し実験に付き合ってやろうかなと考えています。でも、夏休みに入ると、保護者面談や夏季講習での受験問題の演習などに忙殺されてしまいます。テニスの強化練習会なども入ってきますので、とても忙しくなるのですが、盛口先生や四ヶ浦さんをお手本にしながら、真似でもいいからやっていけたら良いなと思っています。
それから、野中さんご苦労様です。岩手も昨年はインターハイだったので、苦労はよくわかります。まして、新任の高校で慣れない生徒たちとの活動は大変だと思います。くれぐれも無理なさらないように、身体が一番ですので、乗り切ってください。わたしも昨年のことを思い出します。今ごろの時期は、テニスの抽選会のために、連日全国から届く申込書とにらめっこしながら、コンピューターに入力していたことを思い出します。学校が終わるとすぐ、市役所のインターハイ推進室というところに出かけて、夜中の11時頃まで毎日作業しました。そして、約1時間運転して北上に帰り、次の日はまた授業という日を繰り返しました。今考えると、よくやったものだなあという思い出です。大会期間中は雨が一つも降らず、連日の炎天下のもとで競技は進行していきましたが、よく身体もこわさずにすんだなあと思っています。
いま野中さんには、頑張ってくださいとしかいいようがありません。
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