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99A−271
差出人:山本 喜一
送信日:00年3月30日
件 名:高木仁三郎さんを見ました

こんにちは、山本です。
 高橋さん、番組の情報をありがとうございます。昨日の高木仁三郎さんの番組を録画し、さきほど見ました。「市民のための科学」とか「市民の目から見た科学」を目指していた人らしい話だったと思います。特に最後の方で、宮沢賢治の「雨ニモ真ケズ」から次の2行が引用されましたね。
「ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
 サムサノナツハ オロオロアルキ」
市民が困っているときには、その困っている気持ちが分かる科学者でなければならない。困っていることに目を向け、何とか手助けできないものだろうかと心を砕く科学者でなければならない。そういう主張だったと思います。
 私たちは科学者ではありませんが、「市民のための理科教育」をもっと強く打ち出す必要があると思いました。「アメリカの教科書を高校生はどう見たか」に対する藤田さんのコメントと、私も同じ意見です。


99A−272
差出人:林 正幸
送信日:00年3月30日
件 名:ホームページをつくろう

こんばんは、林です。
 昨日から出かけて今日午前に、日大理工学部で開かれている日本化学会の特別企画で30分の報告をしてきました。
 6人が発表しましたが、私のほかに中学校の教師から行政に入った1人を除いて残り4人は大学の先生でした。当然でしょうが、インターネットの教育への活用はまだ始まったところという印象です。
 終わってから、北海道の理科教育センターの八島という人から声を書けられました。杉山剛英さんと知り合いだそうで、彼には「アルケミストの出版物は無いですか」と質問されました。「化学と教育」は持っているそうですが、ほかにないかということでした。数年前に出した実験書は紹介しましたが、あとは会員の個別的な本ですと答えました。すると「アルケミストの貴重な実践をもっと公開してほしい」と頼まれました。たいへん心強いことです。そこで私は思いました。条件があれは出版もよいが、これからはもっと多くのメンバーがホームページを開設して、自分たちの情報を発信するようにしていくことが期待されている。どうでしょう、皆さん、ボルテージを上げませんか。これが進めば、それぞれのホームページにリンクを張ってアルケミストの会としてのコンテンツをつくることができます。
 昨日は12時に東京に着き、渋谷の「東急ハンズ」に行きました。大きいと聞いていて期待していましたが、残念ながら私たちがほしい商品は名古屋より品薄でした。あまり売れないのだろうな・・・。そこで上野に移動しました。上野公園は咲き始めた桜を求めてか、平日というのにえらく賑わっていました。博物館にも入りました。
 そして夜は船橋のホテルに宿泊し、ひとりでゆっくりと居酒屋で夕食を取りました。本当は亡くなった私の妹の連れ合いを慰問するつもりでしたが、なんと2週間あとに彼のお母さんが亡くなり、それどころではなくなってしまったのです・・・。
 電車を乗り次いで(東京は複雑で緊張します)夕方に我が家に戻りましたが、結構疲れた2日間でした。さあ新年度に向けてスタートを切ろう。
 ではまた。


99A−273
差出人:林 正幸
送信日:00年3月31日
件 名:授業書の重要性

こんにちは、林です。
 昨日のメールに書いた日本化学会のレポートは、「インターネットで広がる化学教育の研究・交流」という表題でホームページに掲載しました。なおアルケ通信の資料としても届けます。ちなみに、プリントしたレポートを持って行ったのは私ひとりでした。
 藤田さんが触れている授業書の重要性は、私もかねがね思っているところです。サークル活動などでは、実験が分かりやすく興味を引きやすいので、ついついそれに偏ってしまう傾向があります。もちろんそれぞれの実験にはその狙いや意味がありますが、なんと言っても断片的です。それらの実験も基礎にしながら、授業内容を授業書の形で提起することは、総合的な教育目標が明示されるので、教育研究上きわめて重要です。
 そんな中でひとつ押さえておきたいのは、科学技術と社会の関係です。たしかに「未来を単にバラ色に描いても夢がもてるような簡単な時代ではない」ですね。私たちが抱えている問題を科学的に学習することは不可欠です。しかし他方で、やはり明るく未来を語る授業でありたい。公害防止技術も含めて、科学技術の素晴らしさを実感させていきたいと思っています。
 そして同時に、「学問は心の糧」という言葉があります。科学(化学)を学ぶことによって、自然・宇宙や人間・生活をゆたかにとらえる力も、言い換えると「文化としての科学」も教えたいものです。
 私の授業プリントは、私流の授業書です。それがどれだけ総合的な視点を持ち得ているのか、そして皆さんの授業書はどうであろうか、そんな研究交流ができていくことを期待しています。
 ではまた。


99A−274
差出人:山本 喜一
送信日:00年3月31日
件 名:物質はすべて原子でできている?

こんばんは、山本です。
 林さんとの酸化還元のやりとり以来、「科学の限界」をどうやって授業に持ち込もうかと考えています。そこで目にとまったのは、宇宙の暗黒物質についての新聞記事です。これは、2週間ほど前の「重い幽霊粒子ニュートラリーノ 存在の証拠発見?」(朝日新聞)というものです。
 この記事によりますと、暗黒物質とは宇宙にある物質のうち、見えるものの10倍以上の重さを持つものだそうです。つまり、宇宙の大部分は暗黒物質でできていることになります。これがどういうものか分からなかったのですが、このほどローマ大学などのチームが正体を見つけたそうです。それによりますと、鉄やニッケル原子ほどの質量を持ち、どんな物質でも通り抜けてしまう性質を持つものだそうです。その名前をニュートラリーノと呼ぶそうです。ニュートリノと紛らわしい名前だと思いました。
 ローマ大学チームの「発見」の真義は別にしても、宇宙には原子でできているとは言い切れないものがあることは確かでしょう。しかもそれは、原子でできているものより圧倒的に多いようです。「物質はすべて原子でできている」と教えますが、宇宙に目を向けたとき、まだ人間がとらえ切れていない物質があることを、授業で話したいと思っています。
 暗黒物質に関する私の理解は間違いでしょうか。みなさんのお考えを聞かせて下さい。では。


99A−275
差出人:中臺 文夫
送信日:00年3月31日
件 名:RE:「メーリングリスト」のリストを紹介します

今晩は、中だいです。
 わたしの出る幕ではないのですが、コンピュータが3日ほど使えない状態であったので返事が遅れました。当日は、午前中用があって林先生の講演を聴けませんでした。聴かれた方に聞きましたら、紹介ですよねということでした。どう考えた物か?レジメだけいただいてきました。
 教育ホーラムでお会いできると思い探したのですが、見当たりませんでした。遠いので帰られたことと思います。今年の教育ホーラムは大変に人数が少なく淋しい気がしました。これからの教育を象徴しているようでした。思うのですが、日本化学会の年会の教育部門の発表は何か惨めですね。と感じました。
 メールは今、平均して一日に3件くらいです。最盛期には15件くらい入り、取り込むだけのことが多く、読み切れませんでした。情報の多いことはいいことだと思っていましたが、そうとも言えない気がしています。林先生はどの様に整理していますか。返事を緊急な物から書いていましたが、夜1時過ぎてしまったり投げてしまいたいのですが、性分でしょうかただたまっていきます。何時か読まなきゃと迫られているようで、いけません。夜の自分の時間がとられている感じでしょうか。


99A−276
差出人:林 正幸
送信日:00年4月1日
件 名:化学会の様子とメールの対応について

こんにちは、林です。
 日本化学会での発表についてですが、昨年秋に「インターネットと化学教育」という特別企画で講演してほしいと依頼がありました。私は授業にインターネットを取り入れているわけではありませんので、「できることは教師を中心にした研究と交流についての報告ですが、それでもよいのですか」と返事すると、「それでお願いします」ということになったのです。
 参加してみると大学が中心で、講義に利用した例などが紹介されましたが、率直に言ってまだ始まったところという印象でした。「分子をインターネットで見せて、分子モデルより本当に効果があるのか」という質問が出ましたが、深まりませんでした。
 私はレポート(私のホームページに掲載しています)のとおりに、
   「メーリングリスト」
   ホームページによる研究交流
   高校生の質問
についてその現状、意義、課題を報告しましたが、最後の部分がすこし時間不足になりました。
 私なりに勉強になった面もありますが、まさにあれこれやっていることを「紹介」し合う企画だったと思います。
 私は学会員ではないからかも知れませんでしたが、年会全体のレジメを受け取ることがなく、他にどんな企画があるかも知りませんでした。話を聞いていれば参加できたかもしれません・・・。
 メールに関しては、ご承知のようにアルケミストの方はホームページに編集していますので、かなり勉強になっています。また積極的に返事や意見を書くようにしています。もうひとつ「愛知科学教育ネット」というメーリングリストにも係わっています。質問のメールは月に10通ほどといったところです。答えないものもありますが、ときに返事がつらくなることもあります。力不足で返事をしないで済ますこともあります。そして基本は「自分が勉強になる範囲」で対応すると割り切っています。実は「理科教育メーリングリスト」にも参加していますが、タイトルだけ眺めて終わるのがほとんどです。その意味では情報を自分から制限することも必要ですよね。
 ではまた。


99A−277
差出人:中臺 文夫
送信日:00年4月2日
件 名:RE:メールの扱いの確認

今晩は、中だいです。
 メールの扱いはどちらでも結構です。始めは、皆さんに送るつもりだったのですが、まだどの様に設定したら皆さんに送れるのかよく分かっていないのです。ところで、このメールも皆さんに送っていいのですがよく分かりません。
 今日ようやく先生の溶鉱炉の反応の藤田さんの返事が理解できました。メールを読んでからずーっと引っかかっていまして、ようやく本を探し当てました。分かるまでずいぶん時間がかかりました。いま、細かい点を詰めています。
 日本化学会の年会前に、教育講習会に出てみました。グリーンケミストリーといっていましたが、化学の行くべき方向を示しているようで、心強く思いました。後日内容を紹介いたします。


99A−278
差出人:林 正幸
送信日:00年4月3日
件 名:本のお勧め

こんばんは、林です。
 このところ新幹線に乗ることが多く、本を読む機会にもなりました。始めに読んだのが、日本化学会編「1億人の化学」シリーズの14巻「どうする地球環境」(大日本図書)でした。若いときに「公害」問題に取り組んで以来、関心を多面的にするために意図的に離れてきた環境問題に、改めて接近しようとして読みました。新しいカテゴリーがいくつも生まれているなと感じました。
 そして今回皆さんに勧めようとするのが、菅野礼司著”科学は「自然」をどう語ってきたか”(ミネルヴァ書房)です。彼は、科学の進歩につれて自然観がどのように発展してきたかを、明解に語っています。数学的自然観、原子論的自然観、機械論的自然観、力学的自然観、階層的自然観、進化的自然観に分けて、それぞれ歴史的に解説しています。さらに物理学分野を中心に、相対性理論と量子力学がもたらした認識の変革と、科学の中で数学が果たしている役割について深めています。私にとってたいへん興味深い内容で、感動しながら読みました。これは授業編成のひとつの基盤になるもので、アルケミストの間でも共通認識になって行けばと思いました。
 山本さんの「暗黒物質」についてですが、知識や理論の「相対性」を示すひとつの例ですね。上の本でも、力学的自然観では絶対的と信じられた「真理」が、相対化されていく過程を具体的に見ることができます。それはある意味では科学の限界であると思いますが、それは絶対的限界ではなく発展的にとらえるべき限界であると考えます。そして山本さんは暗黒物質を、授業のどの時点でどのように取り込もうとするにでしょうか。私はこの点に関心が向きます。
 ではまた。


99A−279
差出人:中臺 文夫
送信日:00年4月4日
件 名:愚行を一つ

皆さん如何お過ごしでしょうか。中畳こと中だい(台)です。
 さて、ずいぶん前から、そう、高校生大学生の頃から、公害原論・大学論の頃からずっと考えてきたことです。公害原論・大学論の宇井純さんは実は下水処理の専門家なんですね。で、私も自分の出す排水がずっと気になっていたのです。皆さんはどうだったでしょう か。自分の出したゴミがどうなるか気になりませんか?高校生の頃、紙をもした灰も元は木なんだから草木灰と同じだろうと思っていました。そこで、畑に撒いたりしていたのですが、今思うととんでもないことをしました。さて、今でも毎日、沢山の袋や紙がゴミになりますが皆さんはどうしていますか。目の前から無くなればそれでよしとしていませんか。“ゴミの袋に入れて出せばそれで責任が終わる”それって、おかしいと思いませんか?それだけで責任が無くなるなんて変ですよ。自分で出したものは自分で処分すべきです。
 田舎では、ゴミの収集に、毎日は取りに来てくれません。それに人が居ないので遠くまで捨てに行かないといけません。自分で処理するしかないのです。ゴミは都会と同じようにでます。アジアの途上国の人に油使うな、人を増やすなと言うように、田舎の人間には我慢しろと言いますか?それも変でしょ?
 ダイオキシンが出るから燃してはいけないではなくて、どんどん燃していいから自分で処理すべきなのではないでしょうか。出たダイオキシンも自分の所に捨てる(置いておく)べきです。それが生存した人間の責任のような気がします。そうなると、変なものは燃せないのです。変な物は(役所が)持っていってくれないので買えないのです。買い物のビニール袋はとても受け取れないのです。団地だろうと、マンションだろうと共有の緑地が大きくあるのでそこで燃すべきです。そうすれば、変な物は燃せないし買えないのです。この考え何処か変ですか?
 私はものすごい田舎に住んでいます。皆さんには想像できないと思います。隣の人は雉さんとコジュケイさんです。娘や息子(14才)が近所に、家の前から石を投げたとして、多分石は届かないと思います。そんな辺鄙な所に住んでいます。当然下水道などありません。出す排水は総て域内即ち自分の敷地内で処理するしかないのです。土に大きな穴を掘って処理します。地下水をくんで飲んでいますから、いずれ、自分の出した排水を飲むのです。ほんの数日か数カ月後に。多分洗剤はあのアタックですから自分の出した蛍光も地下水を汚染しているでしょうね。
 洗濯も自家製の石けんを使っていました。でもこれって、夏を越えると石けん分が分解して臭くなります。黄ばみます。でも、妻に石けんが残らないように手で洗えとは言えませんでした。それでも、体を壊すまでの何年かは手伝ってくれました。どうしようもなくって今は洗剤を使っています。飲むのは覚悟ですね。変な物は極力流さないようにしています。農薬も、除草剤の洗い水も出来るだけ広範囲に捨てます。薄く捨てて、土の分解能にまかせるつもりなのですが。水性のペンキは刷毛を洗った後、どうしようかと悩みます。水性です、やたらに流せません。それどころか、子供の使った水性絵の具も材料を見たりしています。白衣は家で洗いたくないのですが仕方ありません。これっておかしいでしょう。でも、当然の成りゆきでなってしまいます。自分の責任で生きていますね、だって、飲んでいるからしかたないですよね。
 生ゴミは土に返しています。コンポストです。このコンポストで作るごみは、酸素が少ないのでしょうか、どうも異常発酵しているような気がします。フミン酸?の匂いは嗅いだことが無く、水が多く汚い感じがします。ミミズは多いのですが、なんか堆肥のそれとはだいぶ、否ものすごく違っています。何処が違うか分からないのですが・・・。でも、健康でないことは確かだと思います。多分水分のせいで酸素が足りないためでしょうか。でも、そうなると?
 生ゴミは土に返しています。それでも、始めの頃は、バナナの皮をコンポストに入れるのが気になって仕方がありませんでした。バナナや、サンキストレモンにはOPPなどの大量の薬品がついていると聞いたからです。ゴミ収集に捨てていたのですが、それも止めました。自分のとこで処理すべきだなと思います。今では、食べているのだから捨てても細菌が分解してくれると考えていますが・・・。これは後で、小さな畑に入れて、ミニトマトになって帰ってきます。さあ、どうですか?皆さんと考えることは同じでしょうか?
 考えてみて下さい。自分の出した水を飲む。自分の出したゴミを焼いて畑に戻し作物を作って食べる。自分の出した空気を吸う。これが人間の基本ではないでしょうか。その感覚を広域下水道処理や広域ゴミ消却という名の化け物に魂を売り渡してしまっているのではないでしょうか。効率という名のお化けに。そして、一人一人が安易に物を捨てて居ませんか。他人を批判する前に、都会の人って身勝手だと思います。でも、水道水って本当にきれいなんですか?蛍光は示しませんか?出ると思うんですけどね。
 千葉県が都会のごみ捨て場になっているという話も、ずいぶんと長く聴かれていますが、この頃は不景気なんでしょうね、都心に近い私の家の近くでもずいぶんと産業残土が捨てられています。これって、“3度美味しい”話なんですね。まず、土が売れます。出来るだけ深くいっぱい土を掘り出して土を売ります。次に産業残土を入れます。ここで沢山のお金が入ります(多分?)。その上に土を盛って野菜を作っています。良心的なところ(?)はハウスにして、地下からのシミ出しはないようですが、どのくらいの客土をしているのでしょうか。ネギや野菜を作っているところもずいぶんとあります。きっと(入れた残土によっては)栄養価の高い野菜が出来ていると思うのですが。みんな都会に出荷されていると思います。フィリピンに輸出されないだけいいのでしょうが、私は家の地下水が心配です。
 さて、一回で結構です。同じ生活をしていると思って身の回りを見直してみて下さい。実行はとても大変です。本当に大変です。ゴミを燃すのも、刈った草を土に返すのもとっても大変です。甘かないのですよ。無農薬で作物を作ると、よほど完熟した堆肥(窒素飢餓を起こしていると、堆肥はやればやるほど植物はダメになりますし、窒素過多では、虫や病菌の格好の餌となる病弱な植物を作ることになります)を施して、丈夫な野菜を作らないと、決して食べられるような野菜は出来ません。かえって虫で網の目のような野菜になり、それ以降家族は決して食べてくれなくなります。
 でも、実行している人がいました。昨年会いました。尾崎さんという方が実践して居られますが、とてもまねは出来ません。石けんすら使用を止めてしまったそうです。自分の出した汚物まで野菜などの肥料にしてそれを食べているのですね、ですから、洗剤どころか石けんすら追放してしまっているそうです。
 でも、・・・。総ての人にやってもらうのは無理ですね。また、人が信用出来なければ、その排水を使った野菜は食べるのが怖い気がします。自分の家だから出来る。
 こういう考えっておかしいでしょうか。広域下水道処理や広域ゴミ消却場の考えが、人を無責任にし、地球を汚していると思うのです。広域下水道処理や広域ゴミ消却を許すならば、少なくとも、個人の責任についての教育はもっと徹底しないといけない、今は逆行していますね。
 やはり、教育が重要な気がします。私は、実は化学悪者論をとりたくないと思っています。それより、自分の足元を見て我々の生活や、考えの我侭さを訴えたいと思っています。でも、どう生活するのがいいのか、まだ答えは得られていないのですが。大量生産大量消費や、大量の廃棄物はいけない、違った方向がある気がします。
 それでは、とんでもないメールでした。今年のアルケの責任を果たすために恥ずかしいのですが、ついに書いてしまいました。先ずはメールで、次にプリントを送りたいと思います。頭の無い私は、肌で考えました。
 地球温暖化は二酸化炭素ではなく太陽の活動による方が大きいという報告があるそうですが、どなたかしりませんか?。当たっていると有り難いと思います。知っていたら教えて下さい。
 アメリカは石油の大量埋蔵量を持ちながら更に石油を大量に買い付けています。自分の国の石油は少しでもとっておきたいのでしょう。ダウケミカルが、ついにバイオマスに手を出しました。世界の穀物市場の実に約70%を牛耳るアメリカが、石油に代わる持続可能な製品として、バイヲマスを使ったポリエステル様繊維やナイロン様繊維を開発しました。世界市場を席巻しそうですね。これで、アメリカは、石油も穀物も手に入れて、世界が飢餓に陥る恐れのある人口100億時代に着々と手を打っています。これらの繊維は生分解性で、環境にやさしく、なによりも、石油を消費しない。それどころか、今まで捨てていたようなバイオマスを使えて、石油の代かん製品を生みだします。最も重要なアメリカの政策は、国土の消失をこれによって抑えること言います(ここの所がどうしてそうなるのか、忘れてしまいました。話を聞いた時点では納得したのですが)。石油が無く、国土も荒廃し、食糧の自給率も小さく、高齢者社会で、働き手も居なくなる日本は、21世紀のこと考えているのでしょうか。未来の日本人がひもじい思いをしまい様な政策と、環境を汚さないためのコンセンサスが必要な気がします。それには、理科では無くって国民的なコンセンサス、理科とか、科学と言っていられない気がするのですが。来年は21世紀。
 取り留めもなく書いてしまいました。久しぶりに時間のある春休みだったので、メールを書いてみたら長くなってしまいました。愚者の独り言でした。
 それでは、失礼しました。


99A−280
差出人:山本 喜一
送信日:00年4月5日
件 名:RE:愚考を一つ

こんにちは、山本です。
 中臺さんの、家とそのまわりで生活する考え方に賛同します。ゴミでも排水でも、自分のまわりから遠くへ運んでしまっているので、関心が薄くなっちゃうわけですよね。自分で捨てたものがまた自分に返ってくることが目に見える生活、これは、一昔前ならどこの村でもやっていたライフスタイルですよね。
 『実行はとても大変です。本当に大変です。ゴミを燃すのも、刈った草を土に返すのもとっても大変です。甘かないのですよ。』と言う言葉には、重みがありますね。そういうことをあまりやっていない自分など、環境教育などできないのかも知れないと思ってしまいます。
 中臺さんのような考え方を、エネルギーにも当てはめるべきだと思います。自分の家のエネルギーは、自分のところで作れれば、それに越したことはないのでしょう。原発なんかは正反対ですね。遠くで作って、運んできています。使っている方は、電気を作っている間にどうしようもない放射性のゴミが出ていることなんか気にならないわけです。そして巨大なシステムなので、ちょっとしたミスが大きな事故を呼んでしまうわけです。
 私も思いつくままに書いてみました。では、また。


99A−281
差出人:杉山 剛英
送信日:00年4月5日
件 名:天文台紹介です

 私のHPに天文台の紹介を載せました木造住宅でも十分な安定性があり大満足です。
 サイエンスレンジャ−では山本先生,高橋先生にお会いでき有意義な話ができました。夏の合宿には参加できそうなので楽しみにしています。
 なお、鈴木先生のメールにあった北海道立理科教育センター(全国で唯一つ生き残っている理科センターです)の化学研究室長の八島弘典先生は私が大変お世話になっている先生で、特に教員の質向上のために色々と苦心されている先生で、私も一番頼りにしています。アルケ通信なども紹介し(もちろんソースはしっかりと)て、全先生のレベルUPを図りたいと思っています。八島先生はアルケの活動とメンバーに大変関心(感心)があります。できれば、メンバーに加えていただきたいとも思っています。


99A−282
差出人:藤田 勲
送信日:00年4月6日
件 名:湯ノ花について−その4 古細菌とは何か

今晩は、藤田です。
 中臺さんのメールとそれへの山本さんの返信を読みました。中臺さんのは本当に実感がこもっていますね。自給自足を実践している人にしかかけない、生活者としての重みを感じました。それから、山本さんのエネルギーについても自給自足を、という主張もすぐには無理にしてももっともだと思いました。私は物質やエネルギーの循環(リサイクル)を考える上で、これからは微生物(バクテリア)との共生や有効利用が不可欠になるのではないかと考えています。まだ私の頭の中にはっきりとした展望があるわけではないのですが、この分野からいずれは環境問題などの地球が抱える諸問題を解決する手掛かりが得られるような研究が現れてくるかもしれないと思っています。
 そういう問題意識を持ちつつ、今回はメタン生成菌などの古細菌と呼ばれる微生物群の進化の歴史を調べてみたいと思います。この部分は盛口先生の最新のアルケ資料「イソプレン万歳−生化学の扉をのぞく−」にも通じる話です。今まで断りもなく古細菌という言葉を使ってきましたが、まずはこの古細菌とは何か、ということから話を始めたいと思います。
 メタン生成菌では、タンパク質合成に関わるリボソームという器官にあるRNAの塩基配列が、大腸菌などの真正細菌(原核生物)や酵母などの真核生物のいずれとも違っていることが分かっています。近縁や類縁ならその塩基配列は相同性がありますから、メタン生成菌は普通の細菌とは別なグループに属していることになります。メタン生成菌の仲間には深海底の熱水噴出孔のまわりに生育するものもあり、その生育環境が原始地球環境に似ていることから、これまで知られている中ではもっとも古いものであろうと考えられて古細菌と名付けられたいきさつがあります。しかし、古細菌が進化的にもっとも古い生物であるかは異論のあるところで、現在では、古細菌は真正細菌と真核生物が進化的に分岐した後、真核生物の枝から分岐したものと考えられているようです。つまり、古細菌は真核生物の先祖型であろうとする説が有力です。
 現在ではリボソームRNAの相同性から、古細菌はメタン細菌、高度好塩細菌、好酸性好熱細菌、超好熱細菌の4グループに分けられていて、高温、高圧、強アルカリ、強酸、高濃度の塩といった過酷な環境に暮らしている微生物が多いと言えます。

        ・・・真正細菌(古細菌以外の原核生物) 各種細菌、らん藻
         |
生命誕生・・・ <     ・・・古細菌(原核生物)    メタン細菌など
         | ・・・<
             ・・・真核生物         酵母、動植物

 古細菌に共通する生化学的な特徴として、真正細菌にはないイントロンがDNA上に存在すること、真正細菌にはないジフテリア毒素感受性があること、真正細菌のようなペプチドグリカンタイプではない独自の細胞壁を持つこと、それから細胞膜が真正細菌と真核生物に共通するエステル型ではなく独特なエーテル型であることなどを上げることができます。私が化学的に理解できそうなところは古細菌の細胞壁や細胞膜あたりですから、この部分について調べたことを書きたいと思います。
 古細菌以外の生物の細胞膜を構成する脂質はエステル型のグリセロリン脂質(ホスホグリセリド)か、グリセロ糖脂質です。グリセロリン脂質はグリセリンの2個の水酸基に2本の脂肪酸がエステル結合して、残り1個の水酸基にリン酸がエステル結合したホスファチジン酸と呼ばれている酸を基本構造にしています。リン酸は3価の酸ですから、ホスファチジン酸にはリン酸由来のあと2個の酸基が存在しています。このうちの1つはイオン化していて、残りの1つはさらにエタノールアミンやコリンなどのアルコール類とエステル結合をしています。したがって、実際のリン脂質はホスファチジルエタノールアミンやホスファチジルコリン(レシチン)などと言うようにホスファチジン酸の誘導体として命名されています。また、糖脂質の方は、リン酸の代わりにガラクトースなどの糖がグリコシド結合したものです。

   /\/\/\/\/\/\/\/COOCH2
                     |
 /\/\/\/\//\/\/\/\/COOCH   O
                     |    ‖ +
                     CH2-O-P-O-CH2CH2NH3
                          |
  ホスファチジルエタノールアミン         O-
(一般的な生物の細胞膜成分に多いジアシル型リン脂質)

 通常、グリセリンのC(1)炭素には飽和脂肪酸が、C(2)炭素には不飽和脂肪酸が結合していて、これらは疎水性の環境を作っています。もっとも豊富な飽和脂肪酸はパルミチン酸(C16)とステアリン酸(C18)で、不飽和脂肪酸の方は炭素数18個のオレイン酸(不飽和度1)やリノール酸(不飽和度2)などです。エステル化した脂肪酸残基中の炭化水素基は疎水性ですが、エステル化したリン酸は陰イオン化していますから、リン脂質は油脂(トリアシルグリセロール)と較べれば極性が強く両親媒性で、会合してミセル構造を取ることができます。このため細胞膜になりうるわけです。ホスファチジルコリン(レシチン)が乳化作用を持つことはよく知られていますね。
 一方、古細菌の細胞膜は同じグリセロリン脂質でもグリセリンと高級脂肪酸がエステル結合したリン脂質ではなく、グリセリンと高級アルコールがエーテル結合したリン脂質である、という点が違っています。エーテル脂質自体は動物細胞や嫌気性の真正細菌にも存在することが分かっていますが、その場合はエーテル結合はグリセリンのC(1)炭素のみで、C(2)炭素は通常のエステル結合をしたアルキルアシル型になっています。このリン脂質は骨髄、ガン細胞、白血球細胞に多いそうです。なお、人の中枢神経系のリン脂質の23%はプラズマローゲンという不飽和なビニルエーテル結合を持ったアルケニルアシル型のエーテルリン脂質であるとことが分かっていますが、その生理機能は不明です。

  /\/\/\/\/\/\/\//\OCH2
                   |
 /\/\/\//\/\/\/\/COOCH   O
                   |    ‖ +
                   CH2-O-P-O-CH2CH2NH3
                        |
  エタノールアミンプラズマローゲン      O-
(脳や神経細胞に多いアルケニルエーテルアシル型リン脂質)

 これに対して、古細菌のエーテル脂質は2本の炭化水素基が共にエーテル結合したジアルキル型のエーテルリン脂質なのが特徴です。エステル結合に較べてエーテル結合は酸やアルカリに強く、容易には加水分解されませんね。この結合の安定性が直接細胞膜としての安定性につながるかどうかは疑問としても、高温、高圧、強アルカリ、強酸、高濃度の塩といった過酷な環境に暮らす古細菌にとって不利に働くことはないであろうと思われます。

   |    |    |    |
  /\/\/\/\/\/\/\/\OCH2
   |   |   |   |    |
  /\/\/\/\/\/\/\/\OCH   O
                   |    ‖ +
                   CH2-O-P-O-CH2CH2NH3
                        |
  アーキチジルエタノールアミン        O-  (古細菌の細胞膜成分を構成するジアルキルエーテル型リン脂質)

 エステル脂質の炭化水素鎖は炭素数が16個や18個の脂肪酸で、しかもその一部は必ずある程度の二重結合を持った不飽和脂肪酸を含んでいる、ということは先程述べました。これに対して、エーテル脂質の炭化水素鎖は炭素数が20個の飽和イソプレノイドアルコールのフィタールからできている、という点に特徴があります。イソプレノイド(テルペン)とは炭素数5個のイソプレンC5H8を構成単位とする化合物のことです。イソプレノイドアルコールとはイソプレノイドのアルコール誘導体のことで、フィタールとはイソプレン4分子がhead-tail(頭尾)結合したジテルペン(C20)のアルコール誘導体のことです。イソプレノイドの中には各種精油、ステロイド、カロチノイドなどが含まれていて、重要な生理的な活性を示すものも少なくありません。なお、フィタール中に1つ2重結合が入った不飽和アルコールがクロロフィルの側鎖アルコール成分であるフィトールですね。同様の側鎖はフィロキノン(ビタミンK1)やα-トコフェロール(ビタミンE)にもあります。

     CH3            CH3         CH3
 head |    tail       |           |
 CH2=C-CH=CH2  H-(CH2CHCH2CH2)3-CH2C=CHCH2OH
 イソプレン              フィトール
(エーテル脂質炭化水素鎖の基本単位) (クロロフィルのアルコール成分)

 エーテル脂質に特徴的な枝分かれのある炭化水素はイソプレノイドである、ということが分かりましたが、この炭化水素鎖は生合成上もエステル脂質の炭化水素鎖とは違いがあります。ここを明らかにすることは、古細菌が生体膜にどうしてイソプレノイドアルコールを使って、その他の生物が直鎖脂肪酸を使ったのかを解明する上でも大切だと思われますので、次回はこの点について調べてみたいと思います。


99A−283
差出人:中台 文夫
送信日:00年4月8日
件 名:愚考を一つ、その2

今晩は、中畳です?
 毛色の変わった物ですいません。山本さん有り難うございます。
> 中臺さんの、家とそのまわりで生活する考え方に賛同します。ゴミでも排水で
> も、自分のまわりから遠くへ運んでしまっているので、関心が薄くなっちゃうわ
> けですよね。自分で捨てたものがまた自分に返ってくることが目に見える生活、
> これは、一昔前ならどこの村でもやっていたライフスタイルですよね。
>
> 中臺さんのような考え方を、エネルギーにも当てはめるべきだと思います。自分
> の家のエネルギーは、自分のところで作れれば、それに越したことはないのでし
> ょう。原発なんかは正反対ですね。遠くで作って、運んできています。使ってい
> る方は、電気を作っている間にどうしようもない放射性のゴミが出ていることな
> んか気にならないわけです。そして巨大なシステムなので、ちょっとしたミスが
> 大きな事故を呼んでしまうわけです。
 全くそのとおりで、原発も、自分の近くで作るべきだと思うんですね。リスクを覚悟で作るべきです。近くに原発を作って、恐ろしければ無駄に沢山の電気を使おうなんて思わないでしょうし、ものすごく気を付けると思います。恐ろしいから、遠くに作って、田舎なら、何してもかまわないと言う発想ですよね。人数少ないんだからいいじゃないかという。人数の少ないところならどうなってもいいなんて多数の暴力でしかない。自分に関係ないと思うから勝手をするんです。水と同じように、近くに作って責任をとる構図が必要ではないかと思うんです。
 下水でもそうです。手賀沼は日本で最も汚い沼と言われています。でも、そこら辺にあるどぶよりずーーーーっときれいなんです。でも、とても残念なのは、近くの小学生に聞くととっても汚いと思っているんですね。見たこともないのに。そういう意識の子供達が手賀沼をきれいにしようとは思わないのではないかって気がします。汚いという教育の恐ろしい成果です。そして次に来るのは、(本当はドブよりきれいなのに知らないので、)そんなに汚いなら埋めてしまえ、フタをしてしまえでしょうね。
 手賀沼も昔はきれいだったんです。水草が多くて、底まで見えて、貝が口を開けているのさえ見えたんです。そのうちに家が沢山出来て、柏に豊四季団地に代表されるな大団地が出来て、汚物を沢山未処理で流して、沼を汚くしてきたんです。今になって、下水道が完備し、自分たちは処理をしているからって、まだ処理をしたくても出来ない地区に住んでいるもの(これが私)に対して、汚染の元凶のような言い方をしている人たちに対して猛烈に腹が立ちます。おまえ達ちが汚しておいて、何を言うかって。でも、垂れ流しはいけないですからね。
 これって、先進国と途上国のそれと同じでしょう?彼らだって、日本と同じだけエネルギー使いたいんですよね。楽をしたいんですよね。ですから日本の立場って微妙なんですね。
 そこで、江戸時代に戻る生活の考えが出てくるのだと思うのですが、江戸時代、戯け(田分け=田を分けた百姓は米が足りずに年貢が納められづに潰れる)の時代。でも、今は人口100億人150億人の時代です。鎖国もできないでしょうから、どう江戸時代を持ってきましょうか。むずかしいと思います。大粛正をして管理国家を作るしかない。
 いまは大量廃棄の時代。この大量廃棄物を何とかしないといけない。悪環境に人間が殺される。先に考えた、身の回りだけで住むことはもう出来ないと考えます。(でも、あの考えが基本だと思いますが)石油は確実ににあと5,6十年で枯渇します。探査能力が向上した現在、そう大きな埋蔵量の変更は起きないと考えられています。とても怖いと思います。でも先のエネルギーのことは考えられませんが、エネルギーは何とかなるかもしれません。しかし人口の爆発と、肥沃な土の減少、環境の破壊は疑いようのない現実ではないでしょうか。そう考えると、食糧と、腐る物を作る化学が必要なことは言うまでもないことのような気がします。アメリカのダウ社を含めた対応は素晴らしい限りではないでしょうか。江戸時代もいいのですが、今を生きて行かなくてはいけない今の高校生に、どの様な環境教育をしたらよいのか、どの様な化学教育をしたらよいのか(暗い未来の予想ばかりの授業になってしまう)、にたいして、一つの方向が示せるような気がするのですが如何でしょうか。バイオを利用した、自然の物を利用した生分解性の高分子やプラスチックス。溶媒を使わない、廃棄物を出さない完成された化学反応の模索。持続可能なリサイクル社会のために、物を作る化学は生化学と組んでまだまだやることが沢山あるように感じます。食糧と、環境を汚さない自然にもどる高分子やプラスチック、廃棄物をださない化学の模索。少なくとも、子供の時代に日本が飢えて苦しまない世界である必要があると思うのです。


99A−284
差出人:林 正幸
送信日:00年4月8日
件 名:生活の「原風景」として

こんばんは、林です。
 やっと春めいてきましたね。朝起きてすぐに家内と散歩をしました。近くに木曽川が流れているのですが、そこに木曽三川公園が造られています。これは河口から扇状地に至るまでの広大な地域を公園にするもので、私の家の近くもそのひとつなのです。ツインアーチというタワーがあり、木曽川の流れも取り込んだ素晴らしい公園です。そんな公園をまわってくると1時間ほど、今日は桜が8分咲きでした。ちなみに桜も「光明寺の桜」として古くから有名なのです。
 そのあと休日のならいで、庭で朝食。咲き始めたいろいろな花を眺めながら気持が膨らむひとときです。そして草取り。
 そのあと母を連れて矢合(やわせ 稲沢市)に行きました。家内はその間に母の部屋の大掃除をするのです。ここは矢合観音が有名で、そこの井戸水を汲んで祈祷して貰ってから持ち帰るのです。この地域は全国的な苗木の産地で、その界隈にはその苗木や山野草や花の店が並んでいます。私が年に数回は足を運ぶところです。昨年結婚した次男夫婦に声を掛けると、彼らの新居のすぐ近くなのに行ったことがないと、喜んで出てきました。昼食は、味噌おでん、豆腐でんがく、五平餅、そして甘酒とところ天。そんな昔懐かしい味が楽しめるのです。
 その後あれこれ買い込んで家に帰ると、さっそくその植え付けです。春風に吹かれ、時間を忘れて土に触れているのは最高です。
 さて中台さんの2つのメール、興味深く読みました。私も中台さんの視点に賛成です。3ケ所ほど引用してみます。
<4月4日のメール>
 考えてみて下さい。自分の出した水を飲む。自分の出したゴミを焼いて畑に戻し作物を作って食べる。自分の出した空気を吸う。これが人間の基本ではないでしょうか。
<以上>
<同じく4月4日のメール>
 やはり、教育が重要な気がします。私は、実は化学悪者論をとりたくないと思っています。それより、自分の足元を見て我々の生活や、考えの我侭さを訴えたいと思っています。でも、どう生活するのがいいのか、まだ答えは得られていないのですが。大量生産大量消費や、大量の廃棄物はいけない、違った方向がある気がします。
<以上>
<4月8日のメール>
アメリカのダウ社を含めた対応は素晴らしい限りではないでしょうか。江戸時代もいいのですが、今を生きて行かなくてはいけない今の高校生に、どの様な環境教育をしたらよいのか、どの様な化学教育をしたらよいのか(暗い未来の予想ばかりの授業になってしまう)、にたいして、一つの方向が示せるような気がするのですが如何でしょうか。バイオを利用した、自然の物を利用した生分解性の高分子やプラスチックス。溶媒を使わない、廃棄物を出さない完成された化学反応の模索。持続可能なリサイクル社会のために、物を作る化学は生化学と組んでまだまだやることが沢山あるように感じます。食糧と、環境を汚さない自然にもどる高分子やプラスチック、廃棄物をださない化学の模索。少なくとも、子供の時代に日本が飢えて苦しまない世界である必要があると思うのです。
<以上>
 一方で中台さんが示してくれた生活は、人間生活の「原風景」として忘れることなく心に刻んでおくべきことです。そして中台さんは他方で「化学で未来を明るく語れる授業をしよう」と呼びかけています。ダウ社の実際の活動に対する評価は意見が分かれるかもしれませんが、方向としては願わしいものです。私自身も、たとえば三学期の締めくくりになった非金属の各論の中で、化学肥料による食料の増産、脱硫技術などに触れました。
 ところで中台さんのメールに山本さんがエネルギーに対して次のように書いています。
<4月5日のメール>
 中臺さんのような考え方を、エネルギーにも当てはめるべきだと思います。自分の家のエネルギーは、自分のところで作れれば、それに越したことはないのでしょう。原発なんかは正反対ですね。遠くで作って、運んできています。使っている方は、電気を作っている間にどうしようもない放射性のゴミが出ていることなんか気にならないわけです。そして巨大なシステムなので、ちょっとしたミスが大きな事故を呼んでしまうわけです。
<以上>
 これも生活の原風景の一部として脳裏に焼き付けておく必要があります。ただし、原発に対する身勝手な考えは許されませんが、実際にそれを実現することには無理がありますよね。光熱費として使っているものだけがエネルギーではないですから、つまりさまざまな商品はそれを生産するのにたくさんのエネルギーを消費しているのですから、一部自給の可能性はあるとしても、基本的方向にはなりません。私たち人間は、分業・協業によって現在まで発展してきたわけで、自給自足まで戻ることはできないし、それは歴史の逆行でもあるわけです。私が大切だと思うことは、現在の世界が抱えてる環境問題などを、いかに協同して民主的に解決していくか、であると思います。そのためにこそ知恵を絞りたいと考えます。このあたり意見があれば聞かせてください。
 ではまた。


99A−285
差出人:林 正幸
送信日:00年4月9日
件 名:土壌の酸性、アルカリ性について

こんにちは、林です。
 次のような質問があり、よく分かりません。pHは正確には水に浸出して計測しますよね。ツンドラでは植物が腐食するとき、低温の故に有機酸ができやすいのでしょうか。砂漠は水の蒸発が激しくて塩基性成分が表面に出てくるのでしょうか。どなたか、ご存じでしたら教えてください。
 ではまた。
<引用>
 地理で,ツンドラの土壌は酸性で,砂漠の土壌はアルカリ性だとの記述がありまし
た。
 これはPHなどを測定して,決めるのでしょうか。またツンドラにはどんな化学物
質があるので,酸性になるのでしょうか。砂漠にはどんな物質があって,アルカリ性
になるのでしょうか。
<以上>


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