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99A−016
差出人:林 正幸
送信日:99年8月21日
件 名:幸地 貞子さんからのメール

こんばんは、林です。
 アルケ合宿で分担した、幸地さんの資格確認の件ですが、残念ながら以下のようなメールを受け取る結果となりました。松本さん、事務処理をお願いします。そして条件が整って再び参加してもらえることを期待します。
<メールの添付>
件名:ついていけなくてごめんなさい
全くご指摘の通りです.気にしてますが,討論に入れなくて悩んでます.
定時制で何を教えるかと考えたとき,同じ事なら免許に繋がることをと”危険物取り
扱い者”の受験に向けての燃焼・消火.第四類の石油類に関する性質・取り扱い等を
化学で,
生物では植物の光合成の大切さ(太陽と二酸化炭素と水で食料ができる)つまりブド
ウ糖からでんぷんへ,ブドウ糖から脂肪・タンパク質が植物を通して作られることを
繰り返しやります.化学でもその事はふれます.食べることは生きることだし,食を
支えるのは農業で,つまり植物であること.太陽・空気・土・水.を意識させるよう
にしてます.地球の構成元素と人の構成元素はなに?から元素記号に入ります.理科
を通して何を伝えたらいいかと言う基本を今そこに置いてます.現実とのギャップも
大ですが(定時制の生徒の理解力),危険物取扱者の受験対策は何とか軌道に乗って
ます.”食と農を考える理科教育があり”なのか確信は持てませんがそれがこの子達
にはベターかと続けてます.そんなことでとうとう討論にも,何をレポートしたらい
いのかも思案している内に時が過ぎてしまいました.申し訳なく思ってます.
やはり辞退したいと思います.先生方のメールもレポートもとても刺激的で楽しみで
すが何もレポート出来ないのは良くない事です.確かに!長い間お世話になりまし
た.
有り難う御座いました.メールで失礼します.皆様へよろしくお伝え下さいませ.
<以上>
 したがってアルケミスト「メーリングリスト」からも外すほかないと考えます。これからのメンバーは以下の19人となります。
(中略)
 話は変わって、中学生の質問「豆腐が固まる理由」に対して、四ケ浦さんが個人的にメールをくれました。そのなかに次の一節がありました。
<引用>
   山本さんが紹介してくれた「化学と教育」の村田容常(お茶の水女子大)
「豆腐作りの化学」,43,100(1995)も参考資料になるかと思います。
<以上>
私は日本化学会の会員ではないし、「化学と教育」も取っていないので、もし山本さんがPDFファイルにしていたら、それを送ってもらうことはできないでしょうか。
 どうやら授業プリント「溶液の性質」が一次完成しました。そこでまたお願いですが、生徒にやらせられる浸透現象のかんたんな実験はないでしょうか。
 これから「物質とエネルギー」に移ります。ここでエネルギー循環、物質循環を教えたいと考えています。
 ではまた。


99A−017
差出人:山本 喜一
送信日:99年8月21日
件 名:RE:質問に答えて!

こんばんは、山本です。
 ルビーの蛍光とレーザーについて、林さんありがとうございました。レーザーにするには位相をそろえる必要があるわけですよね。そこが蛍光との一番の違いだ、と思いました。
 それから、豆腐が固まるわけについては、’98年10月11日付のメールに書いた以上のことは、私には分かりません。どなたか、もっと詳しく知っている人はいないでしょうか?
 そして塩析についてですが、中学生にどの程度答えればよいのか分かりませんが、「化学と教育」には次のような論文がありましたので送ります。
  加藤貞二「コロイドに界面化学的視点を」45,262(1997)
<引用開始>
 疎水コロイドに少量の電解質を加えると起こる現象を、すべての教科書が「凝
析」と説明しているが、これは専門的には「凝集」現象の一部にすぎず「凝析」
という用語は最近は使われていない。ついでにいえば、「塩析」は、例えばタン
パク質や石けんのように水に溶ける物質の溶液に多量の電解質を加えると、これ
らの物質と水との相互作用が抑えられ、水に対する溶解度が減少して析出してく
る現象をさす。親水コロイドに多量の電解質を加えると凝集するのも同じ理由で
あって、疎水コロイドへの電解質添加による凝集とは、機構がことなる。
<引用終わり>
 というわけで、塩析の場合、親水コロイドのまわりを取り巻いている水分子を、電解質のイオンが引きつけてしまうために、凝集するのではないでしょうか。
 なお、このメールは質問してきた中学生には送っていません。アルケの中で意見交換してから、送った方がよいと思ったからです。みなさんのお考えをお願いします。
 では。


99A−018
差出人:林 正幸
送信日:99年8月22日
件 名:「豆腐が固まる理由」の返事

こんにちは、林です。
 中学生からの質問に、四ケ浦さん、山本さん、ご協力をありがとう。そうそう、山本さんの昨年10月のメール「豆腐作りの化学」は、私の頭からすっかり抜けていました。
 彼女も待っているので、とりあえず次のような返事を書きました。高校生でも難しい内容ですので苦労しました。もし修正、追加などの意見がありましたら、どなたでも気軽に知らせてください。それにつけても、諸悪の根源は高校教科書のコロイド溶液の扱いですよね。授業プリント「溶液の性質」も、この部分は苦労しました。
 ではまた。
<メールの添付>
こんばんは、林です。
 自主的に勉強するのは、難しい面もありますが、分ったときの喜びはひとしおと思います。
 さて「豆腐が固まる理由」ですが、私の仲間にあなたのメールを添付して意見を求めてみました。
 あなたの1つめの質問に対して
    ”塩析”とは、どのような現象なのですか?
 あまり身近によい例がないのですが、高校の教科書では石けんづくりが出ています。石けんはサラダ油のような油脂と呼ばれる物質に水酸化ナトリウム水溶液を反応させてつくります。このままでは石けん分子は水に溶けたままですが、飽和食塩水を加えると分離して固体になります。
 この意味ですが、かんたんに言うと石けん分子は水分子に取り巻かれた状態で水に溶けています。分子やイオンが水に取り巻かれることは水和(すいわ)と呼ばれます。これはまるで水分子の服を着たような状態です。そして水和した物質は水に溶けやすいのです。食塩つまり塩化ナトリウムは、陽イオンのナトリウムイオンと陰イオンの塩化物イオンに分かれて水に溶けます。これらのイオンも水和して溶けます。そして飽和食塩水の中のイオンはもっと分厚い服にするために、石けん分子を水和していた水分子を奪うのです。こうして石けんは水に溶けにくくなり、分離するのです。塩析で重要なのは、大量の塩化ナトリウムのようなイオン性の物質を加えることです。少量では自由に動いている水分子を水和するだけで、他の物質を水和していた水分子を奪うまでには至らないからです。
 あなたの2つめの質問に対して
    「豆腐が固まるのは”塩析”という現象である」というのは正しいのですか。
 豆腐は大豆からつくった豆乳が原料です。豆乳はタンパク質分子などが水に溶けたものです。そしてあなたは実際に豆腐をつくってみたから分るでしょうが、それを固めるにがり(塩化マグネシウム)や石こう(硫酸カルシウム)などは少量で済みます。だから、豆腐が固まるのを「塩析」とは言えません。
 このような誤解が生じるのは、高校の教科書に問題があります。いまでも豆腐が固まるのは塩析と読める記述があります。これは「伝統的」な誤りです。実はこのようなことはいくつもあるのです。教科書に書かれると権威付けられてしまうからでしょう。そして私自身ができるだけそのような間違いをしないように注意すべきなのです。
 タンパク質は生命活動を営む分子ですから、その振る舞いは複雑です。したがって豆腐が固まるのもいくつかの理由があるようです。私の仲間からの情報をもとにかんたんな説明をしてみます。  タンパク質分子はまわりの条件が変化すると、その形が変わって性質も変化してしまいます。つまり生命活動を営むはたらきを失い、言わば死んでしまいます。これを「タンパク質の変性」と呼びます。身近な例では、玉子をゆでると固まります。これは熱による変性です。ほかに酸やアルカリを加える、アルコールを加える、塩類(塩化マグネシウム、硫酸カルシウムなど)を加える、重金属イオン(水銀イオン、鉛イオンなど)を加えるなどが変性の原因になります(タンパク質の種類にも依ります)。豆乳は、それをつくる過程で熱による変性を受け、次ににがりなどを加えると塩類による変性を受けて、水に溶けにくくなって固まると言えそうです。
 ではまた。
<以上>


99A−019
差出人:林 正幸
送信日:99年8月22日
件 名:情報を教えてください!

こんにちは、林です。
 このところメールを開くたびに質問が来ています。企業からのものもあり、返事できないこともあります。しかし教師である以上は、高校生にはできるだけ返事を書くべきですよね。これは授業をどう構成するかにも係わってきます。今回は次のメールです。
<メールの添付>
質問なんですけど、化学のことで。
油のついたつまようじを、水の中に入れたら、
油がかってに動き出したのですけど、これはどういう事なのでしょうか?
図で説明つかないでしょうか?教えてください、お願いします。
宮城県の高校一年生の鈴木君より
<以上>
 私としては、水の表面に予め漂っている油性物質とか、わずかな温度差がこうような油の動きを生み出すと思うのですが、具体的ではありません。何か情報がありましたら、教えてください。なお科教協山梨大会のお楽しみ広場で見た「樟脳船」は参考になりそうです。水槽に指を入れた途端に、樟脳船が止まってしまうのです。
 ではまた。


99A−020
差出人:山本 喜一
送信日:99年8月23日
件 名:樟脳船について

こんばんは、山本です。
 林さんは、質問ぜめで大忙しですね。でも、うれしい悲鳴かな?
 ようじに油を付けて、水に浮かべる実験だと思いますが、その油が水の表面張力を下げる作用を持つとしたら、ようじが動くのは樟脳船と同じしくみだと思います(でも、質問では油が勝手に動くと書いてありますよね)。
 樟脳船については、鬼塚さんがHPに解説していますね。引用させて下さい。
<引用開始>
脳は水の表面張力を弱める働きがあり、船の後ろの部分が弱められ、船の前方は
表面張力がいままなので、船はこの力に引かれ前方に船が進む。セッケンも同様
にできる。
<引用終わり>
 要するに、水の表面張力が、船を引っ張っているということですよね。そして、水の中に指を入れると、指の油が表面にさっと広がって、全表面の張力が弱くなるから、動かなくなる、ということでしょうか。


99A−021
差出人:野中 直彦
送信日:99年8月23日
件 名:科学の祭典に参加

 8月20.21.22日と科学の祭典なるものに参加してきました。
  1日目400人
  2日目800人
  3日目1000人
 スタッフなしで、1人で3日間通しました。トンボ玉の腕は着実にあがったと思います。次回のアルケ通信でその様子とトンボ玉を送りたいと思います。わがままな客?に少し疲れました。


99A−022
差出人:林 正幸
送信日:99年8月26日
件 名:エネルギーとは何か

こんばんは、林です。
 夏休みも残り少なくなりましたね。皆さんはいかがお過ごしですか。
 授業プリント「物質とエネルギー」をつくるに当たって、改めて「エネルギーとは何か」と考えてみました。これまで「仕事をする能力」と教えてきましたが、とくに高校化学ではもっと違う見方がよいのではと、下のような文章を作りました。
 エネルギーとは、「物体がひとつの状態にあることに対応して必然的に持っているもの」である。そしてエネルギー保存の法則を踏まえて、「物体がエネルギーを持つというのは、自分ないし相手の状態を変化させる能力を持つことである。」 したがって「私たちが住んでいる世界において変化・進歩を産み出すには、エネルギーなしでは実現しない。」とまとめてみました。
 ご意見を聞かせてください。

<引用>
[a]エネルギーとは何か
 エネルギーという用語は身近である。「あの人はエネルギーがある」とか、石油エネルギー、太陽エネルギーとか、エネルギー問題などと言う。
 4章ではかなり強引に、熱エネルギー、融解熱とか、「物質が運動エネルギーを持つ」とか、エネルギー保存の法則とか、内部エネルギーなどという用語を使ってきた。
 ここで改めて「エネルギーとは何か」について整理してみよう。
 エネルギーとは、
    「物体がひとつの状態にあることに対応して必然的に持っているもの」
である。ここで物体とは物質を含めたすべての「もの」を指す。
 そしてエネルギーの形はその状態にふさわしい名称で呼ばれる。エネルギーの基本的な形は運動エネルギーと位置エネルギーである。
 運動エネルギーは物体が等速で運動していることに対応して持つエネルギーである。そして物体の速度が大きいほど、その運動エネルギーの量は大きい。
参考:運動エネルギーの量は、速度の二乗に正比例する。
 位置エネルギーについてはすこしくわしく
説明する。位置エネルギーは初歩的には「高
い位置にある物体ほど大きい位置エネルギー
を持つ」と言う。しかしこの背景には地球の
存在がある。つまり物体と地球が万有引力で
引き合っている。だから右図のようにそれを
宇宙的な視野で見れば、引き合う物体どうし
が離れた状態にあるほど位置エネルギーの量
が大きい」と修正される。
つまり位置エネルギーは、引き合う物体どうしがある距離にあることに対応して持つエネルギーである。なお引力の種類は万有引力だけでなく、電気的引力でも磁気的引力でも構わない。
参考:たがいに反発し合う物体どうしにも位置エネルギーは存在するが、ここでは踏み込
   まない。
[b]エネルギー保存の法則
 物体がその状態を変化させると、それに対応してその物体が持つエネルギーの形や量が変化する。
 ボールを屋上から落下させるとき、始めの状態では位置エネルギーだけを持つが、1階の高さまで来た状態では、位置エネルギーと運動エネルギーを持つようになる。しかしエネルギーの全体の量は変化しない。つまり始めの位置エネルギーの大きさと、後の位置エネルギーと運動エネルギーの合計は等しい。言い換えると、位置エネルギーが減った分だけ運動エネルギーが増える。
 次になめらかな平面上を滑っているブロックAに、より質量が大きいブロックBを追突させる例を考える。衝突は完全に弾性的であるとする。ブロックAは加速され、ブロックBは減速される。ブロックAは前より大きい運動エネルギーを持つ状態に変化し、ブロックBは前より小さい運動エネルギーを持つ状態に変化する。つまり2つのブロックの間でエネルギーのやり取りが起こる。このときブロックAが得たエネルギーと、ブロックBが失ったエネルギーは等しい。言い換えると、エネルギーの全体の量は一定に保たれる。
 以上のことはいつでも成り立って、
    「物体が状態を変化させてそのエネルギーの形や量が変化しても、
         エネルギーの全体の量は一定に保たれる。」
これはエネルギー保存の法則と呼ばれる。
 これで「エネルギーとは何か」の整理を終わるが、このままではエネルギーは雲をつかむようなものであろう。そこで
    「物体がエネルギーを持つというのは、自分ないし相手の状態を
        変化させる能力を持つことである。」
を付け加えておこう。私たちが住んでいる世界において変化・進歩を産み出すには、エネルギーなしでは実現しないのである。
[c]物質のエネルギー
 物質が持つエネルギーは内部エネルギーと呼ばれるが、その正体は分子、イオン、原子といった物質をつくる粒子が持つ運動エネルギーと位置エネルギーである。
 これらの粒子は熱運動をしている。つまり運動エネルギーを持っている。またこれら粒子は化学結合や分子間力で引き合っている。つまり互いの距離に対応した位置エネルギーを持っている。たとえば共有結合した分子と、そうでないバラバラの原子では、分子が持つ位置エネルギーの量の方が小さい。
<以上>


99A−023
差出人:林 正幸
送信日:99年8月27日
件 名:モル濃度とは何か

こんばんは、林です。
 授業プリント「溶液の性質」の体裁を整えて、ホームページに掲載しました。ここでひとつ提起したいのは、ただ計算としてだけ登場するモル濃度の、意味とその活用を組み込もうということです。下にその部分の引用があります。
 ではまた。

<引用1>
[b]モル濃度の意味
 パーセント濃度は、溶液全体に対する溶質の割合を示している。たとえば2%硝酸銀水
溶液は、硝酸銀が全体の2/100だけ含まれることを意味する。
 これに対してモル濃度は(密度)に近い意味を持つ。たとえば海水の塩化ナトリウムの
モル濃度が0.51mol/lであることは、海水1[l]の体積の中に塩化ナトリウムが
0.51molだけ詰まっていることを意味している。つまりモル濃度は、注目する物質が
どれくらい(密に詰まっているか)を示すものである。
 それではモル濃度はどのように優れているのだろうか。物質は融解、蒸発、溶解などの
状態の変化したり、化学反応を起こして他の物質に変化したりするが、その変化を起こす
(勢い)は(モル濃度)に比例することが分かっている(この詳細については化学Uで学
習する)。
参考:ここで「勢い」と言っているのは、正確には自由エネルギー(高校では学習しない)
   のことである。
<以上>
<引用2>
[b]凝固点降下の理由
 十分ではないが、ここで凝固点降下の理由を説明しておこう。
 純粋な水が0℃で凝固するというのは、その温度では水と氷が(共存できる)ことを意
味する。0℃では、水が(凝固)する変化の「勢い」と、氷が(融解)する変化の「勢い」
が(バランス)している。そして前者は水のモル濃度に、後者は氷のモル濃度に比例して
いる。
    凝固の勢い=Kf×(水のモル濃度)
    融解の勢い=Km×(氷のモル濃度)
      Kf,Km:比例定数
ここに食塩を加えると、食塩はもっぱら(水)に溶解し、(氷)は元のままである。つま
り水のモル濃度だけが(小さく)なる。すると凝固の勢いが(劣る)ようになり、0℃で
は氷が融解してしまうことになる。この条件ではもっと低い温度で両方の変化の勢いがバ
ランスする。ここでは(溶媒)である水のモル濃度の方に注目するのがポイントである。
 ちなみに、変化の「勢い」に影響するもうひとつに要因は(温度)である。つまり上の
比例定数は温度に依って変化する。
<以上>


99A−024
差出人:林 正幸
送信日:99年8月28日
件 名:またまた、教えて!

こんばんは、林です。
 高校生の鈴木君には、「油がかってに動く」理由を説明できませんでした。
 今度は次のメールです。
<メールの添付>
こんにちわ、西山沙季、熊本の中学2年生です。
自由研究として10円玉をいろんな液につけて還元反応をさせてみたのです。
液はしょう油、コーラ、ビール、酢、酒、ミネラルウォーターの6種です。
私は炭酸系で10円玉が一番きれいになると思ったのですが、意外にもしょう油
につけたものが一番きれいでした。
あとミネラルウォーターがきれいでした。
なぜしょう油なのか? ミネラルなのか? インターネットで調べてるうちにこのHPにたどりつきました。
教えてもらえないでしょうか?
<以上>
事実は知っていても正確な説明ができません。だれか分りませんか。しょう油では、塩化物イオンの役割が大きいように思います。ミネラルウォーターについてはよく分りません。
 ではまた。


99A−025
差出人:松本 勇志
送信日:99年8月29日
件 名:1999年度アルケミスト合宿報告(兼第1回プレ通信)

 みなさま、8月4日のアルケの総会(合宿)で、鈴木さんに引き継いで事務局長を引き受けることになりました。松本勇志です。一年間よろしくお願いいたします。
 さて、合宿は皆さん科教協それぞれ発表をしてきて疲れているにもかかわらず、夕方から夜中12時を過ぎるまで、実験やトンボ玉の実習やらをやりました。
 山本さんは、相変わらず、現象についての追求が鋭く深く、いつも学ばされます。この合宿では、学校でやったという10メートルの逆さコップと、液体窒素に何が溶けるかというユニークな発想での実験をビデオで撮ったものを見せてくれました。
 山本さんのこうした追求のパターンは、私から見ると、あのサスペンスの大家(私の大好きな)松本清張に似ているのだ。「みんながそれまでそう考えて疑わないあの現象の理由は果たしてそうなのか」ということから始まるように思う。コップに水を入れてはがきのような紙で押さえて逆さまにすると手を離しても紙は落ちない。これは、コップの中の水の上部に空気が入っていないときだけに見られる現象であるから、押さえの紙を少しずらして空気を入れると、もう紙は中の水を支えることができないという「常識」を疑うのである。そしてどんどん追求していって、ついに水が落ちてこないことと水の表面張力との関係に突き当たる。山本さんの追求は表面張力そのものについておよび、「径何・以下の試験管ならば、中の水は逆さまにしても(押さえが無くても)こぼれない」ことを発見する。昨年の安房塾では、化学の教師ながら表面張力の原因を物理学的に追求する山本さんと、物理の専門家、麻生さんなどとのやりとりは、楽しかったな。
 山本さんの、最近の授業の真骨頂は「カリキュラムのどこでも、環境を考えさせる」というもの。ふんだんに新聞などのそうした内容の記事を利用し、提供して行きながら考えさせて行く。これも、彼のたえざるアンテナの豊かさで追求して行く姿勢の中から生まれる手法。うーん彼からは、真似しなきゃ行けないことがいっぱいあるな。とてもかないそうもないが。
 藤田さんは、明礬の結晶の成長の仕組みを追求する。この人も、ちょっと私などが追いつけそうもないふんだんな知識を活用して、果てしない「興味への探求心」を満足させようとする。結晶は何故あんな規則正しい形になるのか?という疑問から出発するのは、山本さんと通ずるかも知れない。うーん、私にはなかなかそういう疑問が出てこないな。金平糖の角のできる仕組み、原理と共通しているのかな、全く関係ないのかな?
 いつも思うことは、もっと詳しく説明を聞きたいな、ということ。彼は、よく学者にありがちな、説明が簡略すぎるという特徴があるから、私のような知識不十分な人間にとってはいつも半分しか分からないでいる。だから、分からない時やそういうことにぶつかったときは「彼の所に電話すればいいや」と考えてしまう。藤田さん、ごめんなさい。
 府中の体験教室の時、盛口先生は「藤田方式のスライムは、後世に残るだろうな」と言っておられた。
 ちょっと学研の資料を見ただけで、あんな物を作ってしまうんだからやっぱり凄いや。
 町井さんは、教師であると同時に環境を考える市民の立場をいつも全面に出して授業に臨んでいる。だから、ある実験なり授業が、地球の環境を守る上でどんな意味があるのかをいつも問い直す姿勢が鮮明だ。そこに軸足を置いている。だから、藤田さんのスライムなんかに対しても「グアガムなんか使ってスライムを作っても結局それは、捨てられて環境を汚すんじゃないか」などと遠慮なく感想を述べる。それに対して、山本さんはすかさず「トンボ玉だって、莫大なガスを使って、大気に二酸化炭素をまき散らすじゃないか」など反発。こんなやりとりも仲がいいから穏やかに進む。
 さらに、町井さんはみじかな遊び心があり楽しい。この合宿では、吹き矢。筒は1メートルほどのアルミパイプで、吹き矢の「玉」は、カナダバルサムを2・ほどの長さに切ったものに釘を突き出させたもの。これはかなり危険と思われるが、彼は自分の少年の遊び心を押さえきれないようにやってしまう。10メートルほど離れたところに置いた、分厚い地図帳の「的」にフッと吹き付けると凄い早さで飛んでいって、突き刺さる。みんな半分危ないと思いつつ、あきれた様子で、しかし試みる。この瞬間の彼の中では、地球環境を守る立場よりも遊び心が、勝っているんだろう。
 私は、彼からは実践的な教わることが多い。土染め。わたあめ。こんにゃく作り。等、どこか昔の素朴なにおいがして嬉しい。
 鈴木さんの発表は、授業の実践での工夫。「質問」を授業のスタートにして組み立てる。生物では、色んな「答えることの不可能とも思われる」生徒からの「質問」が飛び出す。「蚊は飛ぶだけで歩かないんですか」とかありとあらゆる質問があって、次の授業で話題にする。特徴的だと思われたのは、鈴木さんが、生徒の目線に立って、自分なりの考えを語りかけている様子が窺えること。また「答えられないこともあるよ、先生だって」だから自分たちで調べる気持ちが大切なんだと、それをしゃべらずに、子供たちが自然に分かるようにし向けているような優しさ、巧みさが感じられる。
 沢田さんは、高校入試問題の明らかな出題ミスについての指摘と、教育委員会のそれに対する答え方の「不思議さ」。つまり、時間的に訂正可能な場合の対応と、とき既に遅しというときの開き直りかた、ごまかしかた、に見られる「官僚制」についての鋭い指摘。こうした鋭いチェックも現場の役割なのかと思われた。
 鬼塚さんは、頼まれて作った化学についての基本操作のプロモーションビデオの紹介。
「ガラス細工(15分)」「アンモニア噴水実験(12分)」など。
こうした需要も結構あるのだそうです。制作に当たっては、相当のギャラが約束されたのだそうですが?
 我らが盛口さんは「戦後の理科教育と科教協」についてプリント紹介。一枚のプリントに要領よく戦後理科教育が、国の要請に従っってどのように変遷してきたかがまとめられている。立て真ん中、に1945年から90年後半にわたり年代が書き込まれていて、それの左側に科学技術(文明)の発展が書かれており、右に理科教育の移り変わりが書かれる。大きく分けると、1945年から5年間が「戦後期」、1950年から1960年が、「高度成長をめざして」。1960年から1980年は、「大量生産の光と陰」そして、1980年から90年は、「ハイテクへの方向転換」(これは、少ないエリートがいればいいよという時代)。それ以後の10年は、やっとそうしたことの矛盾に戸惑いを見つけた時代で「新世紀への生き残り」。
 こうした歴史性も、しっかり我々教師が「座標軸として」持っている必要があるという指摘は重要。つまりそうした視点が、今何のために誰のために教育の中身を作っていけばいいのかの判断の基礎となるべきだという、盛口さんからの基本的な提案と受け止めたいと考えるがどうだろう。
 盛口さんは、そうした大局観とともに実践的な中身についても、今更言うまでもなく、常に我々をリードする「気概」を持ち続けている。彼の新開発「分子模型」は、早速作ってみたいと思われる「すぐれ物」。
 材料は、径3・のウレタンボールと、一辺7・の薄いプラ版で作る三角形。この三角形4枚で正四面体を作り、中にウレタンボールを入れると、なんとぴったり内接して、炭素の原子モデルができる。三角形の頂点をほんの少し切り落としておくと。そこから中のウレタンボールに爪楊枝が刺さり、メタンはむろんのこと、頂点をつなげてエタンも、又辺どうしをつなげてエチレンができたりする。この発想の見事さにはいつもながら脱帽。径1・のボールで水素を作ることは、言わずもがな。
 アルケOBの、石井信也さん。喜寿に近いと思われるが、元気に千葉から軽自動車で参加。「今が遊び盛り」と、自身が言われるかくしゃりぶりは、盛口さんと並び、我ら若手の模範。このところ、「偏光」に集中している様子。径2〜3・の硬質塩ビのパイプのさきに、偏向フィルムを貼った筒状の代物をみんなに配る。それで、蛍光灯を直接見る。次に、水に反射する蛍光灯の光を見る。これには、先ほど見られなかった、「カラフルな」色が見える。
 太陽を背中にしてじっと空を見ると、たてに黄色い色の8の字が見える。90度横を見るとその8の字が横に寝る。不思議だ。これは、昨年暮の安房塾でみんな外に出てやったが、確かに見えるのだ。私などには、何故そんな現象ができるのか、ほんの感覚的にしか分からないが。
 これに関して石井さんらしい感覚の一言がみんなの頭に刻み込まれた。彼曰く「ミツ蜂が、花の咲いている場所をみんな私知らせるときに、8の字に歩くのは、この現象と関係があると思う」というのだ。うーん。そうかも知れない。
 夜もだいぶ更けてきて、松本持参の線香花火作りをやり、それに続いてトンボ玉の実習をした。トンボ玉は、松本以外に、野本さんと、沢田さんがもっと本格的なバーナーを持ってきて、すばらしい作品も披露してくれた。
 夜の一時過ぎまで、ビールやワインを飲みながら楽しく、こうした実験実習をやり科教協の疲れもありさすがの盛口さんも部屋に引っ込んだ。
 翌日、10時まで研修室を借りて、理科教育の在り方についてこもごも話をした。これがなかなか面白かった。
 科学の進歩と文明、文化の発展との関係。科学教育で子供たちをどこにつれて行こうとしているのかが、どうも分明でない。それぞれの思いはさまざまで、惑いも隠せないものとなっているように思える。
  松本の「思い」を下敷きにする報告なので、その場を再現しているとはとうていいえないがそのつもりで以下お読みいただきたい。
 林正幸さんは「理科教育あるいは、自然科学の発展を悲観していない」という立場。
 山本喜一さんは、「松本さんは、すべての化学物質を否定するが、たとえば、フロンだって、初めはオゾン層を破壊する性質があると知っていて作ったわけではないはずだ」という。確かに最近の私、松本の立場は、あらゆる石油から作られる化学合成品を否定している。それをカリキュラムにして、数年間実践して来ているほどだ。つまり、生物がものすごい年月、お互いによい関係を保ち共存してきていて、その限りにおいては共生が成り立っていた。人は、生きた生物だけを利用して、食料や、また食以外の生活の糧ともしてきた。木を使い、稲わらや竹を使いあらゆる生活物質を作ってきた。そういう暮らしかたをしている限りは、ヒトは自然にとっては何の違和感も与えない。
 だから、私のカリキュラムは、「生物が生きている過程で創った物質」と「生物の死骸から創った物質」と区別するカリキュラムがその特徴となっている。これは、ずいぶん大胆で乱暴な分類であるとして、多くの人から奇異の目で見られていて、研究会などであまり相手にされていないようにも思える。
 しかし、人が生きて行く上で、最大の関心事は何かといえば、私は「、行方(いずかた)より来たり、行方へか、去る」ということではないかと考える。こんなことは自然物を使いながら不便を忍び生きていた頃は、考えずに済んだことに違いない。「ヒトの行き先」についての憂いに思いをいたすようになったのは、生物の死骸である石油を積極的に使い、それを原料としたさまざまな物質によって「文明」を享受するようになってからのことではないか。
 今のところポリエチレンは、便利ばかりで悪いことはないではないか、とか、化学繊維は、何か悪いことをしているかとか、そういう検証をしながら注意深く、よい物と悪い物とを区別して行けばいいのではないか。科学的とはそういうことであって、松本のそれはあまりにも感覚的で、科学とは無縁だという反論に、私松本は答えることはできないように思える。
 しかし、今20世紀の終わりにあたって、人は人類の進歩ということについて考える。テレビで、フランスのある都市で、1000年後の人類に託すメッセージ を、ワインの瓶に詰めるという報道をやっていた。振り返って、今から1000年前とはどのような時代だったろうかということ。彼らは何を今我々にメッセージしているのだろうか思う。その時代とは、日本では源氏物語が作られ、ようやく武士が生まれようとしていた頃である。
 これまでの1000年の進歩が、これからの1000年にどのように当てはめられるのだろうか。エネルギーの面からみるとどうだろう。今から300年前頃の江戸期には、一人あたりのエネルギー使用量は、現代人の100分の1であるし、それは、源氏物語の頃とそうは違わないだろう。人口についても、江戸期までに3000万人に達していたが、それからの、(1000年の4分に1に当たる)250年間に4倍に増えているという事実をどう見るか。つまり、1次関数的にではなく盛口さんがいみじくもいわれたような、まさに「eの恐怖」的に増えているという事実をどう読むかということ。
 くどくどしく書いてきたが、なだらかに増えていっていないのは、明らかに石炭石油という、化石燃料の出現がその原因であることは間違いないだろう。
 問題は、これを歴史の中の輝かしい発見、進歩ととらえるのかどうかということである。
 人類は、生きて行くためのエネルギーとして、セルロースの燃焼熱という、全く再生可能な「太陽エネルギー」を「採用」してきた。これが、江戸期までの一人あたりのエネルギー消費が、現代人の100分の1ということの内容である。
 そして言うまでもないことだが、石油、石炭という化石燃料は、再生不可能、有限なエネルギーであるということも、しつこく思い出しておく必要がある。
 さて、そうしたバックグラウンドの下に、石油で創る化学合成品が、どんな意味を持つか、問い直してみたいというのが私の主張である。
 6月29日、館山でやられた、「でまえ教研」で、山口幸夫先生はだから、せめてエネルギーをゆっくり使って行こうという「ソフトエネルギーパス」という主張をされていたのは、現代人類の先行きに何が待っているかを見据えた上での提案だろう。
 さて、私が、そうしたことをふまえて、つまり石油とか石炭の発見を否定的に見るという立場で、化学教育を実践してゆくとなると、有機化学についての語り方もあのようになってしまう。生物が生きる過程で創ってきた有機物を使うことの意味を語る。又、それの対として、生物の化石を使ってさまざまな物質を作り出すということの意味を語る。
 こんな化学を実践してゆくと、「松本化学は、何かの目的のためのキャンペーンのようだ」という批判にぶつかることがある。松本は(自分の独善的なドグマの)アジテーターだとうわけである。科学教育に携わる物は、人間の知恵が作り上げてきた「進歩」をそれとして伝えて行くことこそ役割なのではないのか、という。また、ある人は「そうしたことは、政治の考えるしごと」とさえ言う。
 しかし、盛口さんの戦後理科教育の要約によるまでもなく、そもそも(化学に限らず)教育そのものが、為政者の思う方向に時代を動かすためのキャンペーンの1手段という側面があるのではないか。
 だから、カリキュラムを根底から考え直すのに、(国のではなくて)自分の主張をもってしてはいけないということがあるだろうか。先行きの危うさが明らかになってきた(と考えるならだが)今だからこそ、自分の主張そのものをカリキュラムという形に現して行く試みがされていいのではないだろうか。盛口さんが「松本さんの構想が唯一ではない(当然)」としつつも、前向きに評価してくれていることはありがたいことである。
 アルケミスト合宿のレポートと松本の思いを合体したような、変な分になったが、これはこれで受け止めていただくことにする次第。またいつでも楽しく、鋭く論議をしてゆきたいもの。
 さて、アルケミストの事務局を担当させていただくについて、今ひとつ私の思い、感想を書いてみたい。
 そもそも、それぞれのやっている実践の交換というのがこの会の主な目的であるとはいうまでもない。そのために、年4回の通信が送られてくる、その仕事をするというのが、事務局の仕事というのも分かる。しかし、そんなに自分の実践が、めざましいものが無、だから「発表します」などといえたものではないなどと考えて、結局そのレポートをせず、又合宿にも参加できず、そうとなると会員資格を無くしてしまう人がいるとすると、なんだか寂しい気がする。
 アルケミストの会は、偶然の出会いでありながら不思議な縁でつなげられていると思うとき、お互いの交流が、単に理科教育の実践がどんなものかというだけにとどまらず、その人のそうしたこと以外の面ともつきあい、知り合って行きたいと思うのは、私一人だろうか。私は、この会に入れてもらったのは(多くの人がそうであると思われるが)盛口さんからのお誘いによってでである。盛口さんの化学の実践がとりわけ優れているために、その意味で、大いに意味があると言うことは当然であるが、それだけではなく、やはり多くの方の人柄の魅力にふれることが大きい意味であったように思う。つまり、皆さんがどんな人で、理科教育の実践以外にもどんな面をもっているのかなどということも意味のあることだと思ってきた。それは、どんなことでも良い。あの人は、酔っぱらうと面白いとか、どんなものが好きかとか、理科教育以外にどんなことを、したり考えたりしているのか、などというかんたんなことでも意味のあることのように思える。
 その意味で、幸地さんが、「何もレポートできないのは良くないことです、長い間お世話になりました」といって、この会を抜けることになるのは、私にとっては考えてしまうこと。いつかの合宿で、味の素の瓶に、ドライアイスの固まりを入れてしっかりふたを閉めて、その固まりが液体になるのを見せてくれたことなど、懐かしく思い出したりしてしまう。
 以上の文の趣旨について、「規約」を変えるなどということをする必要はないのかも知れないが、「レポート」をもっと気軽く考えたらどうだろうというくらいの つもりで受け取ってくれたらいいと考える次第。
 分厚いレポートが送られてくるその中身のなかに、その人の「一年間の実践」などという以外に、たとえば、「今どんなことを考えているとか」「実践上(あるいはそれ以外の)悩み」とかもあったら逆にもっと豊かな気分でその通信を受け止められると思ったりするのだが、どんなものだろうか。皆さんからの意見を寄せていただけたら幸い。

 さて、いまから年4回の「実践レポート」(気軽に考えて、近況報告でも)を私に送って下さい。部数は、特別会員(「顧問」)の分を含めて、33部お願いしま す。
 それと、年会費3000円をお送り下さい。ある方は、現金書留500円もかけて、お送りいただきましたが、もったいないことです。100円切手30枚でも良いし、普通の封筒に紙に包んで、1000円札を3枚郵送いただければいいと思います。私も、領収書などその都度お出しせず、次の通信の際ついでにその分の領収をお知らせしますが、それではいけないでしょうか。
 それでは、とりあえず第1回の締め切りを10月いっぱいということにいたしましょう。むろんそれまでに、メールの交換はもっと頻繁にされるでしょうが、通信はそれとだぶってもかまわないと思います。手紙は手紙で良いものです。
 くれぐれも、分厚い封筒が送られてきたとき、わくわくするようになりたいですね。そのために、四か浦さんは、レポートに対する「感想をかならず」と言っておられましたが、私もそれに賛成です。それと、さっき私がした「提案」に賛同して下さるなら、なるべく会員皆さんが(短かいものでも良いから)近況報告などと言った風情で「手紙」を下さることをお願いします。
 以上 松本勇志でした。

メールアドレスを、次のように変更しました。
    jmnst@gb3.so-net.ne.jp


99A−026
差出人:藤田 勲
送信日:99年8月29日
件 名:事務局メール受け取りました

 松本先生、プレ通信、確かに受け取りました。ただ、林、鈴木、高橋、大久保、沢田、の各先生へは届いていないと思います。先生の宛先にこの5人の名前がなかったですから。
 合宿に参加されなかった人にもよく内容が伝わる、詳しい合宿報告ですね。
 今後ともよろしくお願いします。


99A−027
差出人:山本 喜一
送信日:99年8月29日
件 名:一円玉と水銀

こんにちは、山本です。
 松本さん、やりましたね。アルケメーリングリスト初めての書き込みが、合宿の報告とは。しかも、かなり詳しいですね。私なんかほめられすぎですが、こうして記録を残してもらえると、後々の参考資料になりますね。
 さて、「岐阜物理サークルニュース」のNo.164、3792ページには、一円玉に水銀を塗る実験が出ています。一円玉の表面に水銀をこすりつけて放置すると、金属樹のようなものがたくさん生えてくるというものですが、この白い綿毛のようなものは、サークルでも話題になったように、酸化アルミニウムまたは水酸化アルミニウムだと思います。
 ただ、これができる機構は、水銀とアルミニウムのイオン化傾向の違いによるものではないでしょう。おそらく、一円玉に水銀を塗りつけているときに、表面の酸化アルミニウムに傷がついてアルミと水銀のアマルガムができたのだと思います。アルミはアマルガムになってしまうと、酸化アルミニウムの皮膜を作れなくなりますので、空気中の酸素や水蒸気とどんどん反応して、酸化アルミニウムや水酸化アルミニウムをたくさん作るようになります。これが、綿毛のように見えるのでしょう。
 似たような実験は、例えば藤木源吾「化学講義実験法」(昭和25年)にも出ています。この本のやり方は、まずアルミの板を希塩酸や水酸化ナトリウム水溶液につけて表面の酸化アルミニウムを溶かし、次に昇汞(HgCl2水溶液)に浸してアマルガムにし、引き上げて空気中に放置すると水酸化アルミニウムの白粉を生じるというものです。また、同様に表面をアマルガムにしたアルミ板を水の中に入れると、水素を発生し、生成された水酸化アルミニウムのために水がしだいに白濁してくるようすが観察できるそうです。
 このような実験は、アルミニウムというものが実は反応性の高い金属であること示すものですね。でも、水銀を使うのはやはりこわいので、私は実験したことはありません。
 なお、このメールは長野さんにも行っていると思いますので、岐阜物理サークルで山本の考えとして紹介していただいてもけっこうです。この前の「ルビーの蛍光」も、良かったらサークルでお使い下さい。そして、いろいろな人のご意見などをいただければ、幸いです。
 では。


99A−028
差出人:藤田 勲
送信日:99年8月31日
件 名:宝石の色について

 山本さんのメール「ルビーの蛍光」と「一円玉と水銀」を楽しく読みました。どうも私の関心事と山本さんのそれはよく似ているようですね。岐阜物理サークルニュースのこの2つの記事は私も調べてみたいと思っていたのですが、先を越されました。
 「一円玉と水銀」は昔からよく知られている実験だったように記憶しています。ただ、私はやったことはありませんが。アマルガムにしたアルミが水中で水素を発生するというのは面白いですね。これはアルミと水銀の間で電池が作られるからでしょうか。市販のマグネシウムペレットが水素を出す仕組みに似ているようにも思いました。
 それから、「ルビーの蛍光」のメールも面白かったです。色々な宝石にブラックライトを当てたくなってきますね。アルミナが母結晶でクロムイオンが付活剤になっているのですね。硫化カルシウムに銅イオンを加えてピンクの蛍光を作るのに似ていますね。盛口さんがよくやっているやつです。市販の蛍光を示す鉱物の炭酸カルシウムなどもこのようにしてできているのでしょうね。
 山本さんが参考にしていた中原勝儼「色と化学」化学と教育、43巻(1995)の中には、他にも興味あることが書かれています。着色している蛍石が加熱すると無色になることから、この着色の原因が色中心(カラーセンター)にあること、食塩を金属ナトリウム蒸気中で加熱をすると黄色に着色するのも同じことが原因であると説明されています。天然の岩塩の中にピンクのものがあって、時々三省堂の鉱物展で見かけます。作ってみたいですね。なお、トパーズという宝石も色中心が原因の着色なので、注意深く加熱をすると褐色のものが無色になり、冷えるとサーモンピンクに変わるそうです。ただし、加熱しすぎると冷えても無色になって戻らないそうです。
(「宝石の話」由水晴雄、技報堂出版、1989)


99A−029
差出人:鈴木 久
送信日:99年8月31日
件 名:RE:事務局からのメール受け取りました

アルケミストのみなさん こんにちは 昨年度事務局を勤めさせていただいた鈴木です。
 アルケMLのみなさんにお願いします。最近、コンピュータが不調で困っています。つい最近まで、インターンネット経由しか無理だったのにいまはニフティしかつながっていません。
 というわけで、しばらくは
EHZ00457
だけが窓口です。もし、これで皆さんに届いたらその時の、ついている署名で送ってくだされば幸いです。いつまた先日までと同様になるかわかりませんが。
 とにかく、スイッチを入れる度にスタートエラーの表示が出る状態で困っています。
 松本さんのアルケ合宿報告楽しみにしています。
 林さんや高橋さん何度も変更してもらうことになってすいませんがよろしくお願いします。


99A−030
差出人:林 正幸
送信日:99年8月31日
件 名:鈴木さんのアドレス

こんにちは、林です。
 鈴木さんのコンピュータトラブルは半端じゃなさそうですね。そしてメールで以下のように書いていますが、IDが違っていると思います。インターネット事務局として確認しているニフティのアドレスは次のようです。
  鈴木 久  HZE00457@nifty.ne.jp(自宅)
    (or HZE00457@niftyserve.or.jp )
<メールに引用>
つい最近まで、インターンネット経由しか
無理だったのにいまはニフティしかつながって
いません。
というわけで、しばらくは
EHZ00457
だけが窓口です。もし、これで皆さんに届いたら
その時の、ついている署名で送ってくだされば
幸いです。いつまた先日までと同様になるかわかりませんが。
<以上>

 さてその鈴木さんには、松本さんからの事務局メールが届いたようですが、私にはいまだ「幻のメール」です。松本さん、再送信をしてください。
   ではまた。


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