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98A−001
差出人:鬼塚 公志
送信日:98年8月6日
件 名:アルケ合宿お疲れさまでした。
こんにちは、鬼塚です。
アルケ合宿、みなさんお疲れさまでした。私は初めて合宿に参加しましたが、みなさんの迫力に圧倒されてしまいました。
明日引っ越しすることになりました。今から荷造りです。
新住所は
(中略)
住所変更を宜しくお願いします。
98A−002
差出人:林 正幸
送信日:98年8月9日
件 名:化学平衡の扱いについて
こんばんは、林です。
ここ2、3日、また化学平衡の扱いについて悩んでいました。ここ2年くらい折に触れて考えて来ました。2年前には、化学反応の勢い(正確には自由エネルギー)は濃度と温度によるとしました。正逆両方向きの反応が攻めぎ合う平衡の移動を
(1)濃度が高いほどその物質が変化する向きの反応の勢いが増す。
F = F0 + RTln[A] ([A]は物質Aのモル濃度)
(2)温度が高くなると、エネルギーの少ない方の物質が変化する向きの反応の勢いが増す。
「温度は貧乏人を元気づける。」
という原理で説明しようとしました。こうして現在私のホームページに掲載している「化学平衡を新しい視点で」ができました。しかし「勢い」というのはあいまいだと批判され、温度の影響はモデル実験を工夫しましたが、それでも自分で不満でした。
そのうち(3)温度の影響については、温度を高くすることは加熱してエネルギーを加えることだから、当然エネルギーの大きい物質が増える向きに平衡が移動すると、説明するようになりました。これは今から思うと、平衡時における物質の分配に注目したものでした。これに対して濃度の方は、速度論的に説明するようになりました。ある物質の濃度が高くなれば、その物質が変化する向きの反応が速くなって、平衡はそのむきに移動する。
しかし平衡を速度論で説明するのは、よく使われる手法とは言え、根本的な誤解を産みます。「化学平衡にとって濃度とは何だろうか。」1日半ほど統計力学や熱力学の本をひっくり返して考えてみましたが、どうしてもイメージが湧いてきません。そこで本を放り出して考えました。
平衡には熱平衡もあり、それはエネルギーの分配が統計的に決定されることに意味がある。そして化学平衡も、2種以上の物質が関係して物質によって反応熱分のエネルギー落差はあるが、要はそれを含んでエネルギーの分配が、つまりは物質の分配が決定される・・・・・。そうか、平衡が成立したとき「右辺の物質と左辺の物質の割合」がどのようになるかこそ、平衡をとらえる基礎だと気付きました。その「物質の割合」を決定しているのが質量作用の法則で、それはモル濃度を使って表現される。(4)温度が一定なら、ある物質の濃度が高くなると、「物質の割合」が一定に保たれるように、平衡移動する。始めから物質の分配に着目して行けばよいのだ。
言っていることが分ってもらえるでしょうか。こうして(3)と(4)を原理に今日から作文が始まりました。1週間以内に完成してホームページの文章を取り替えるつもりです。またそのときは意見を聞かせてください。
ではまた。
98A−003
差出人:野中 直彦
送信日:98年8月10日
件 名:98アルケ夏の合宿 in 九州 福岡 原鶴温泉
98アルケ夏の合宿 in 九州 福岡 原鶴温泉
98年8月4、5日
報告者 野中 直彦
はじめに
科教協が福岡のはずれ、もう隣の大分県に近く、有名な湯布院が近い原鶴温泉で行われたため、合宿・ナイターの参加者が少なくなるのではと心配した。九州から4人の方が参加されて、大変助かった。福岡では唯一の温泉ということであったが、やや活気の少なさを感じたのは私だけではないだろうか。鵜飼舟も用意されているようであった。前日までギュウギュウづめで泊まっていた皆さんも合宿の日はゆったりと寝返りをうてる余裕を感じながら寝ることができた。料理もどこか豪華さを感じ、昨年の海の家のちがいか、こんな豪華な宿での合宿はアルケではめずらしいとのことであった。科教協のナイター・分科会が化学だけ少し離れた所で行われ、やや他の教科との交流ができにくかった。ナイターはもう少し聞きたかったという程度で終われてよかったと思った。みなさん、ありがとうございました。科教協の最後の全体会では執行部の運動方針に対する反対決議は否定されたものの、何か変な確執を感じられた。合宿では夜中の2時まで熱心に話し合われ、アルコールが入ると議論が深まっていくように感じられた。来年への、次回のレポートの問題提起や、いろいろな実験をまたやってみようと元気づけられました。翌朝は福岡までJR・高速バス・自家用車とわかれ、福岡から飛行機・のぞみと三々五々で帰宅した。みんさん、お疲れさまでした。
合宿参加者(9名)
馬場さん、鳥取さん、小林さん、鬼塚さん、藤田さん、沢田さん、林さん、山本さん、野中
1)アルケのナイター
水素の爆発+燃えている油に水+スプレーに酸素ガスの爆発(野中)
藍染の話、今年は絹への生葉染め(沢田さん)
NO2の測定 部屋の中で呼気と比べて+逆さコップ(山本さん)
何でも蛍光物質+セピア写真(藤田さん)
ふくらし粉による爆発+かんしゃく玉(鬼塚さん)
2)アルケ総会
@会計報告
(中略)
97アルケ年度 事務局 野中 直彦
A会費について
昨年は、何とか3000円で済んだが、今年も何とかできそうだ。来年からは4000円にした方がよい(今年分としてすでに3000円もらっているから)
B今年の事務局は愛知の鈴木久さん
よろしくお願いします。
C会員の資格確認
レポートを出していない方にレポートを出してもらうよう呼びかけよう
OBの方も同じようにレポートを送付しよう
新たに 小林さん、杉山さんの加入が承認されました。
3)報告・交流
@馬場さん
今度行う小中学生対象の化学の実験講座(宮崎県化学教育懇談会)
エタノール大砲(30mは飛ぶとのことである)
盛口さんのマグデブルグ半球
水蒸気でマッチに火をつける
出窓のついた金魚鉢(さっそく、風呂場でためす)
塩化コバルトによる色の変化
その中で色の変化の話が話題になった
アルケの岡田さんが合成洗濯のりでマドラーを作ったがその資料を送ってもらうといいなあ
宮城県でぬかから開発された毛はえ薬マイデーベン(3本1万円)はよく効くようだ。
A鳥取さん
胃潰瘍で検査入院しなければならないが、この合宿まで待っている。この合宿が終わればすぐ入院します。元気ででてきたら、嫌いだけどインターネットも始めようと考えている。
「私の化学1B」
物質各論その他 環境に配慮
・物質の製法、性質、用途だけでなく、生産から廃棄までの完全監理
使用後なるべく分別再利用できるものを作る。廃棄処理法なども加える
・石油起源の化学物質はいまや化学の歴史になりそう。徐々に縮小か
・理科教育に哲学(弁証法的な考え方)が必要
無尽蔵にあるメタンガスハイドレートが話題になっていて、活性の高いエチレンにする必要があるようだ。
空気中にラジカルOHがあって、これがいろいろ悪さをしているようである
ダイオキシンやPCBは安定で分解されにくのだが、なぜ自然界で分解されにくく安定なんだろうか。構造上の問題なのか。塩素の位置の問題なのか。反応論と平衡論の両方から考えるのか。
B小林さん
熊本県の組合の教文として4年間専従で執行していた。高校の理科サークルを復活させる。科学史を重視したい。毎回のレポート(4回)をめざすとのことでした。
C鬼塚さん
昼間の定時制。化学って楽しいなあと思ってくれるように授業をやっている。家庭にあるものでできる実験にこだわっている。食べ物の実験は喜ぶ。ホットケーキはなぜ膨らむのかを授業としてやった。アンモニアは燃えた。(できるのはN2ガス)。樟脳はいろいろとやった。楠を水蒸気蒸留するとでてくる。(植物の虫からの防御)
D沢田さん
藍を通じて、この1年間藍の資料がいろいろ集まった。布を柿しぶでーティングするとパリパリなって丈夫します。
「カイコの病気と闘う(岩波科学)」はよい本だと思う
水飴の実験で乾燥麦芽を混ぜて恒温機で6時間おいて、最後の処理にミルク鍋を使うとよい。乾燥麦芽はビール会社や和菓子会社で手に入る。もやしでもできるらしいが、味がもやし味になってしまう。かいわれでもできることになるが、誰かやってみては?
E藤田さん
「セピア写真の調色」
このために4万円でポラロイドカメラを買ってしまった。
赤血カリ塩水溶液に浸す
K3[Fe(CN)6]2g+KBr0.5g+水100ml
銀が酸化される
水洗いする
0.1モル/l Na2S水溶液に浸す
硫化銀になり、セピア写真になる
Na2S→2Na+ + S2−
S2− + 2H2O → H2S + OHー
H2S + O2 +Ag →Ag2S + H20
F林さん
「思考を引き出す努力」
比例式のたてかた・考え方から単位、1あたりの量を考える必要がある
「分かりやすい」だけでは不十分で、絶えず生徒に「問題」を突きつけていく必要がある。それは新しい疑問を呼び起こしたり、学習した内容を確認したりする。思考するとは、学習したことを応用してみる場合と未知の課題に仮説を立てる場合がある。後者には正解がないわけで、いわゆる問題集とは本質的に異なる。教授の基本は豊かな自然とそれを応用した技術を教え、その奥にある法則性に迫っていくことである。
科学が万能ではないこと
化学平衡の男女対抗玉投げゲームが面白いと思った。
G山本さん
科学は万能ではなく、限界があること。科学の手がおよばない問題は、その当事者、あるいはその時の社会が答えを出さなければならない。
環境を守り、改善するためには道徳的な呼びかけだけでは展望が得られず、社会的な仕組みを作る必要がある。
反科学という言葉の本当の意味は黒という根拠がない
あらゆる知識を教えることは無理である。
自ら学ぶ姿勢をつくる
自ら問題を解決していく力をどうつけさせるか
「逆さコップ」
すごいこだわりの中で、様々な実験をして「こうなってくるとおもし・・んですよ?を真空ポンプにいれて、減圧していったら、ふたははずれることなく、中の水はダラダラとこぼれていった。この減圧と同じ状態の装置をみせてもらった。水銀でやったらできなかった。ぬれと表面張力でもって逆さコップのフタをささえている。ぬれがひっかけるフックのような働きをして、このぬれによって表面張力が発揮される。(と私は解釈したのだが、ちがうかもしれない)
H野中
事務局としてE−mailは活用でき助かった。
化学以外の先生が化学を教えるにあたって
環境教育(あおりでなく、暗くなく、分別収集で終わることなく)
ほんで何?
4)来年は山梨
大久保さんにいろいろお世話になると思いますが、また来年みんなで会いましょう。
98A−004
差出人:林 正幸
送信日:98年8月11日
件 名:「化学平衡」の文章ができました。
前のメールで話した「化学平衡」の作文が、以外に早く3日で完成してホームページにも掲載しました。その前文には、次のコメントと目次を付けました。時間がありましら、感想など聞かせてください。
[コメント]
化学平衡というと「ルシャトリエの原理」となってしまうが、これは平衡の一側面、つ
まり化学的変化の慣性を表現していて、どちらかと言うと現象論的である。他方で熱力学
的な説明は高校生には無理がある。そして反応速度から出発、展開する方法も、基本的誤
解を招く恐れがある。
こうしてあれこれ模索したが、この文章は次の2つの原理をベースに組み立てた。
(1)「温度を変化させないなら、ある物質の濃度を変化させると、右辺の物質と左辺
の物質の割合が平衡定数に保たれるように平衡移動する。」
(ここで「物質の割合」とは質量作用の法則の左辺であり、本文でくわしく説明
している。)
(2)「濃度を変化させないなら、温度を高くするとより大きいエネルギーを持つ物質
が増える向きに、温度を低くするとより小さいエネルギーを持つ物質が増える
向きに、平衡移動する。」
[目次]
1.反応の可逆性
2.化学平衡
3.質量作用の法則
4.濃度の意味
5.平衡移動
6.濃度の影響
7.温度の影響
8.圧力の影響
9.溶液の性質
10.三態変化と圧力
11.酸と塩基
さて明日から何をしようか。ちょっと貯金をした気分。やはり読書とエレクトロニクス工作かな。ではまた。
98A−005
差出人:山本 喜一
送信日:98年8月18日
件 名:誰のため、何のための化学(科学)か
こんばんは、山本です。
メーリングリストにも新しい方々が増え、さらに色々なことが勉強できるのではないかと思って、ワクワクしています。
さて先日、東京のオリンピックセンターで中学生の「夏休み実験教室」があって、盛口さん、中臺さん、松本さん、藤田さんそして私で実験をしてきました。それはそれとして、実験教室の次の日、家に帰る途中、盛口さんから誘われて山口幸夫さん(法政大学工学部)と話をしてきました。松本さんも一緒でしたから、4人で話をしたわけです。山口幸夫さんは、日教組教研の理科分科会の助言者をここ数年されている方で、私よりは佐藤琢夫さんの方がよくご存じでしょう。
山口さんは「今の大学生は、たとえ理論物理学を目指すようなものでも、科学を分かってない」といいます。初めはどういうことなのか理解できなかったのですが、話をしているうちに、「系統的な科学の知識はあっても、科学の目で世の中を見ていない」というようなことだと気づきました。同じことを教える側に対していえば、「科学の目で世の中を見るような教え方をしていない」ということになります。
例えば、溶解の授業では次のような点がポイントだといわれ、科教協の財産にもなっています。
・溶質保存・・・溶けてもモノはなくならない(原子は保存される)
・溶液は透明・・・溶質をつくっているイオンや分子がバラバラになったから
・溶液は均質・・・溶液中では分子運動が絶えず起こっているため
・溶解の限界・・溶解度
・似たもの同士はよく溶ける・・・構造が似ていれば、同じ仲間
これらのポイントを「面白く」「わかりやすく」「生徒の思考を引き出して」教えれば、それでよいのでだろうか?これらのことが分かっていれば、環境破壊や健康破壊をどう見るのかが分かり、自分の体を守ったり、自分のすべきことが見えてくるのだろうか?そういうことを、山口さんは言いたいのだ、と理解したわけです。みなさんはどう思いますか?
溶解に関するこういう知識を得るということは、生徒の側からすれば(ちょっと極端に書きますが)「試験で点数を取るための知識を得る」ことであったり、せいぜい「フラスコやビーカーの中の出来事を説明する知識を得る」ことにすぎないのではないでしょうか。私は、これらの知識が、生徒の中で「生きるための知識」になるには、どうしてもそれが身の回りのどういうところで起こっているのかを、知らせる必要があると思います。
具体的にいえば、北極圏のアザラシなどに農薬が高濃度に蓄積されていることが例になります。人がいないところに住んでいるアザラシが、他の国の動物と比べて、なぜケタ違いの農薬汚染を受けているのか?理由は、農薬が脂溶性物質で、アザラシには寒さに耐えるための分厚い皮下脂肪があるからです(それと、彼らには毒物を分解する酵素をあまり持っていないこともあります)。北極圏の農薬は、赤道付近で大量に散布されたものが蒸発し(何と90%が蒸発)、気流に乗って北上、北極付近で気流が下降するためにもたらされるそうです。脂溶性の農薬は、食物連鎖でアザラシに入り込み、その脂肪に溶けます。水溶性であれば、体の中を循環する水によって対外に排泄されますが、油に溶け込んだものはそうはいかず、蓄積してしまうわけです。そういう目で、体内の水を眺めてみれば、水は体を洗ってくれる浄化剤に見えてきます。事実、脂溶性の毒物を分解する酵素は、化学的に水溶性の官能基で毒物を装飾してそれを水溶性に変えて、排泄しやすくしています。アザラシは、そういう酵素のはたらきが弱いわけです。
こういう知識を生徒に与えて、始めて「溶解の授業」ではないでしょうか?こういう知識から、これから先の農業のあり方や、自分たちの飽食とも言える生活を見直すきっかけが生まれてくるのではないでしょうか?これまで、身の回りの現象や、次々と起こってくる問題に対しては「生徒に基礎をきちんと教えておけば、それを武器に解決する力が出てくる」という考えが大勢だったと思います。でも、そういう教え方で生徒に「科学は学ぶ価値がある」と思わせることができたでしょうか?卒業後も環境を考え、自分の生活を見直す生き方ができる生徒を作れたでしょうか?私は、ひとつのことを教えたら、それを使って世の中を見るとこういう風に見えるよ、という実例を出さなければ、彼らはいつまでたっても化学を実生活に当てはめようとしないのではないかと思うのです。
林さんが化学平衡について書いてくれました。今、データベースをつくる作業に追われて、ゆっくり読むひまがないのですが、そのうち林さんの文を読みながら、「化学平衡で見たら、世の中のこういうものが見えた」という何かを考えてみたいと思っています。
98A−006
差出人:林 正幸
送信日:98年8月19日
件 名:生きる力になる化学
こんにちは、林です。
山本さんの主張、全く同感です。今年の科教協大会での私のレポートは「思考を引き出すための断片」でした。その書き出しは次のようです。
<レポートの引用1>
自分はどんな化学教育を目指すのか。今の私の中にあるものは次のようである。
(1)実験を軸にする
(2)最新の科学技術と環境問題に根ざす
(3)思考を引き出す
そして別の視点からは
(4)対象にする生徒の学力に適合させる。
(5)生徒とのきづなを育てる。
<以上>
そして「A これまでのまとめ」は次のように書き始めています。
<レポートの引用2>
多くの理科教師もそうであろうが、私は「体系的な認識」や「原理からの理解」にこだ
わってきた。しかしこれこそが多くの生徒たちとギャップを産み出す原因である。私の教
師生活はそれに気付いていく過程であったと言ってもよい。
30年前にセロハン工場の悪臭公害に反対する住民運動に参加して、いざ工場との交渉
に臨んだところ、「化学専攻だから頼む」と言われておりながら、実際の装置は名前も機
能もほとんど分からす、工場全体が霞んで見えた。そして住民学習会の中で、「硫化水素
は0.02ppmから臭いと感じる」「同時に排出されている二硫化炭素は神経毒である」
といった「単純な知識」がはるかに有効であることに気付いた。
<以上>
私たちが日々出会う課題は極めて個別的で、それに係わる知識を現に持っていないと、原理原則、一般論のみでは到底把握はできません。もちろん体系的な知識や理論が把握を促すことはあります。それから「私たちが日々出会う課題」は未知の領域を含みます。それにチャレンジするためには、豊かな知識とそれを得る手段、加えて豊かな発想つまり多面的なものの見方、さらにまた仮説を確かめる能力などが必要とされます。このことが実感できる授業が望まれます。そして山本さんの
<8月18日付メールの引用>
具体的にいえば、北極圏のアザラシなどに農薬が高濃度に蓄積されていること
が例になります。人がいないところに住んでいるアザラシが、他の国の動物と比
べて、なぜケタ違いの農薬汚染を受けているのか?理由は、農薬が脂溶性物質
で、アザラシには寒さに耐えるための分厚い皮下脂肪があるからです(それと、
彼らには毒物を分解する酵素をあまり持っていないこともあります)。北極圏の
農薬は、赤道付近で大量に散布されたものが蒸発し(何と90%が蒸発)、気流
に乗って北上、北極付近で気流が下降するためにもたらされるそうです。脂溶性
の農薬は、食物連鎖でアザラシに入り込み、その脂肪に溶けます。水溶性であれ
ば、体の中を循環する水によって対外に排泄されますが、油に溶け込んだものは
そうはいかず、蓄積してしまうわけです。そういう目で、体内の水を眺めてみれ
ば、水は体を洗ってくれる浄化剤に見えてきます。事実、脂溶性の毒物を分解す
る酵素は、化学的に水溶性の官能基で毒物を装飾してそれを水溶性に変えて、排
泄しやすくしています。アザラシは、そういう酵素のはたらきが弱いわけです。
こういう知識を生徒に与えて、始めて「溶解の授業」ではないでしょうか?
(後略)
<以上>
という訴えは迫力があります。
もうひとつ私が言いたいのは、科学と技術の関係です。多くの理科教師の中に、技術を科学の応用としかとらえない「アカデミズム」があると感じます。だから科学こそが教えるに値する、というわけです。しかし、一部の理論的分野を除いて、技術の進歩が新しい研究課題を科学に提供し、またその実験手段も技術に依存しています。また「技術的ものの見方」というのがあります。理論的に解明できなくてもその考え方で現にものを製作できればよい、のです。このプラグマティックな考え方は有効で、新しい理論の源泉にもなると思います。確かに知識を体系付けていく科学も重要です。技術がそれに依拠することもあります。相互に融合している部分もあります。しかしより根源はと問われれば、私は「相対的には技術」と答えます。
私たち教師はやや理論化してものを教えます。それはものの見方・考え方の例を示すためにも、能率を上げるためにも意味があります。しかし生徒をそれに拘束してはなりません。そして他方で、私は現在の技術(それは生活と結び付いている)の全体を意識して教材を選択する姿勢も必要であると考えています(なかなか自由にそれができないのですが)。レポートの最初の引用で「(2)最新の科学技術と環境問題に根ざす」と書いているのはこんな意味合いを込めてのことです。そして「D 現段階でのまとめ」に
<レポートの引用3>
教師は生徒が科学を万能であると錯覚しないように授業を展開する必要がある。そのた
めには歴史的な、そして「全体の一部分」という視点が有用である。ひとつの原理ですべ
ての問題が解けるような印象を与えることは厳に慎みたい。教授の基本は、豊かな自然と
それを応用した技術を教え、その奥にある法則性に迫っていくことである。もちろんそれ
を前提として、能率的に既存の学問体系を注入することは否定すべきでない。
<以上>
と書きました。ここでは「教授の基本」に注目して読んでください。
ではまた。
98A−007
差出人:山本 喜一
送信日:98年8月19日
件 名:誰のため、何のための化学(科学)か(2)
こんばんは、山本です。
林さん、さっそくのコメントありがとうございます。実は昨日のメール、ちょっとアルコールが入っている状態で書きましたので、「授業で思考を引き出せればそれでよいのだろうか?」などと、あとで読んでみると林さんを攻撃しているような表現を入れてしまいましたので、今日もう一度書き直そうと思っていたところです。でも、林さんが私と同じ立場であることと、技術論についてのより発展した考えを聞かせてもらい、内心ほっとしているところです。
科学は技術を通して自然や社会に働きかけていて、生徒はその技術を見て科学というものとふれあっている側面があります。ですから、授業では、科学的な知識を教えたら、それがどんな技術に使われ、その技術がわれわれにどんな影響を与えているのかを教える必要があると思います。例えば、凝固点降下という現象がありますが、それは氷温という技術に生かされています。野菜や魚を収穫したら、できるだけ速く、0℃付近の温度に下げて、そのまま少しおいてから出荷するというものです。野菜や魚は低温にさらされると、凍ってたまるかと思って、高分子であるでんぷんや蛋白質を分解して、低分子を体内に増やす反応が起こるようです。それら低分子は糖であったり、アミノ酸であるわけですから、食べるわれわれにはおいしい味として感じるわけです。
まあ、これは科学の持つバラ色の部分の例ですが、昨日のメールで書きましたように、バラ色ばかりではありませんから、科学や技術の負の部分も授業に持ち込んで、これからのあるべき姿を考えさせたいと思っています。佐藤琢夫さん、名指しで申し訳ありませんが、しばらく山口さんたちとつきあってこられた方から、この辺の授業のあり方についての考えを聞かせてもらえないでしょうか?
私としては、ひとつの科学的な知識を与えたら、それで世界がどう見えるのか、その知識が何で生きる力になるのか、そういう例を授業に持ち込む必要があると思います。野中さんがこの前の合宿で「ほんで何?」を連発すると本質が見える、というようなことを話していましたが、化学の授業にも「ほんで何?」と言ってみたいですね。授業で溶解を教えた。「ホンで何?(それが何になるの?)」僕は、イルカの汚染が見えるよ、と答えたいですね。物質の分類を教えたら、フロンという物質の特徴がわかる。元素は不滅だということを教えたら、C、H、OとClを焼却炉に入れればダイオキシンがでることがわかる・・・・。そういう例を示すことが必要だと思います。みなさん、どうお考えでしょうか?
では。
98A−008
差出人:佐藤 琢夫
送信日:98年8月20日
件 名:21世紀の科学の論理を近代科学の論理を見直すことから始めたい!
この夏休みからE−mailを始めました岩手の佐藤です。アルケミストの会は20年以上前に入会しました。
今回の送信の前に、以下のレポートをワードで作成し、添付ファイルとして、林さんと山本さんに試験的に送りました。林さんから『文字化け』がおきているという指摘を受けました。テキストの形にしました。
この月曜から学校が始まり、進路指導ということで、実務的な仕事に追われています。私にとって真の教材研究ができるのは長期の休みしかありません。今回『科学論』についてまとめました。
@ 岩波新書 野坂昭如編著『科学文明に未来はあるか』に物理学者の小野周氏が次のように述べている。『科学は要するに自然界、生命、人間とかいうものが実際にどのようになっているのかという事実や法則を追求してゆくものであって、科学が人間にどういう影響を及ぼすか、あるいは害を及ぼすかということは、元来、科学自体が考えるようになっていません』
A 自然は「縫い目のない織物」なのだ
この@、Aの言葉がずっと気にかかっていました。@は近代科学の論理で、Aは21世紀の科学の論理のベースとして考えたいです。近代科学の論理は、現在の科学技術が抱えている負の側面をもたらしていますが、力強い論理で単純に否定できないものだと思っています。以下まとめる中で近代科学が成功を収めてきた論理の功罪というのが見えてきました。
近代科学の『論理』と化学教育
久慈高校 佐藤琢夫
1 はじめに
6月の末に山形の鶴岡市で共同研究者の山口幸男・最首悟両先生が中心となって、日教組理科教育ミニ教研が開催された。
これまでの『豊かな生活』は、科学技術の『正』の部分による恩恵であった。そして科学技術万能論は謳歌され続けている。昨年度はダイオキシンの問題、今年は環境ホルモンがニュースメディア等を賑わしている。科学技術の発達と環境破壊の深刻さはますますその相関の度合いは深めている。このような中、『豊かな生活』を支えてきた科学技術が地球環境に対して『負』の側面をもたらしてきている現実を、授業実践の中でどう取り扱い伝えていくのか。
また、この事実を取り上げる前に自然科学そのものに今日の状況に至らしめる要因が内在しているのか。今回の研究会は現在の山積している自然科学の問題点をつきつけて、私自身に負荷を与える機会となった。そして、このことは、私にとってこの研究会で何ら明確な方向性を学びとったわけではないが、科学の『論理』とは何か、21世紀に向け理科教育のあるべき姿を真剣に模索するモーメントになった。
2 自然は「縫い目のない織物」
岩波新書 野坂昭如編著『科学文明に未来はあるか』に物理学者の小野周氏が次のように述べている。『科学は要するに自然界、生命、人間とかいうものが実際にどのようになっているのかという事実や法則を追求してゆくものであって、科学が人間にどういう影響を及ぼすか、あるいは害を及ぼすかということは、元来、科学自体が考えるようになっていません』。この文の人間という下りのところに自然を加えて考えてみたい。
科学の『論理』そのものが、自然とか人間に対する影響を考えることなく、ただひたすら『進歩』が善であるという強者の論理で突き進んできている。科学技術の成果が、自然や人間に対して負の影響を与える中、今から25年ぐらい前になるけれど、当時日本の公害の現況に対し、行政はやっと重い腰をあげ、環境アセスメントの法案を準備せざるをえない状況に追いやられた。この自然や人間に与える影響を省みない科学の『論理』の構造というものをきちんととらえ直す必要があると考える。
自然と科学のあり方ということで、日本の教育第46集に次のような注目すべきまとめが掲載されている。『・・・・理科教育の問い直しがどうしても必要となる。それは、合理的・分析的精神の涵養と同時に、自然は「縫い目のない織物」なのだという見方を獲得する作業である。ベーコン・デカルト以来の近代科学が切り捨ててきたものへの理解を通して、自然の奥深さをしっかりとうけとめる感性を、子どもたちも教師もとりもどすことである。』
とくに、デカルトが提唱した自然を分析しモデルとして単純化する『還元主義』は近代科学の『論理』として成功を収めてきている。しかし、この『還元主義』で獲得した法則にもとづいた成果を自然に戻した場合、自然への調和がうまくいっていないのが今日的な問題である。我々は今後理科教育を実践するにあたり、近代科学の『論理』の評価を改めて行う必要性があると考える。
3 『原子論』と化学教育
これまでの化学の授業実践において、複雑に見える化学変化も『原子論』に基づくと単純明快に説明ができ、生徒たちに理解をさせてきたつもりである。教師になって2年目、初めて全国教研で発表したレポートに『化学式と化学反応式』についてまとめたものがある。亜鉛と塩酸の実験を行った時、生徒は意外な受け止め方をしていた。亜鉛と塩酸の実験の化学反応式は書けている。ところが、反応して溶けた亜鉛が水素ガスに変わると思っている。現象と『原子論』に基づく化学反応式との間に全然接点がない。これ以降、『原子論』の理解を念頭に置き、原子の収支を表している化学反応式で現象を考えることを化学入門期に行うようにしている。このように、私自身も『原子論』という近代科学が成功を収めた手法『還元主義』を授業で推進してきた。
授業者の私は原子の存在を見たわけではないが、真っ向からその存在を信じている。ところが、生徒たちはこの原子の存在が曖昧な上、全ての物質が反応に関係する因子だと思っているのでなかなか化学反応式を書けないでいる。
また、教科書に記載されている化学反応式が化学変化を正確に伝えていないことも授業でふれてきた。銅と濃硝酸の反応は実際行うと一酸化窒素と二酸化窒素の両方の気体が発生する。教科書の反応式は二酸化窒素しか記述されていない。化学反応式が現象を表すことに限界がある。『原子論』を拠り所にしている化学反応式といえども万能ではない。今後この『原子論』の限界も授業実践の中で伝えていくことも試みたい。自然を分析しその実体を『還元』できるもの、『還元』できない現象があるということを・・・・・・・。
今振り返れば、生徒たちのつまずきは近代科学の方法である『還元主義』に立脚できなかった所にあるように思われる。この『還元主義』とは大胆極まる手法である。ドルトンは演繹的に見ることのできない原子の存在とその質量まで仮定している。しかも、『論理』で水をHOと決めている。当時、過酸化水素がわかっていなかったので、『論理』として水はHOとなる。この見えない世界を科学者の直感とも、天才的なひらめきとも言える演繹的な手法で原子の世界を見ていることに私自身感激を覚えた。
以前『原子論』の教材として、このドルトンの演繹的な論理を生徒に伝えようとした『アトムの目方を測る』という教材を実践した。これまでの理科教育の実践で疑いもなく近代科学の支柱の一つである『原子論』を推し進めてきた。
環境問題を考えるとき、『原子論』は有効な手段である。公害問題で工場からの廃液で、教科書やデータブックには水に溶けないと記述されている物質を取り上げてみたい。わずかに溶けるならばその排出量の総量は、時間のスケールを大きくすると、かなりの量によって環境が汚染されることになる。溶ける溶けないという現象はマクロ的である。ミクロでとらえると様相が違ってくる。以上の廃液の問題等は『原子論』というミクロの物差しをもつことは有効で、今後も教えていきたい。
4 近代科学の『論理』の問題点
『知は力なり』という力強い言葉を残したフランシスベーコン。生徒たちに超能力と科学の違いということで、雑談をする機会がある。いくら科学いう名前を装っても、誰がやっても同じような結果が得られなければ科学と言えない。というように、一方的に話すけれど生徒たちはどう聞いているか・・・・。
自然の階層性というのは、いつの時点から用いられてきたのかわからない。私自身の自然科学をおさえる視点として、この自然の階層性とデカルト以来の『還元』主義に依拠している。
化学はマクロの現象をミクロの原子分子に『還元』し、この二つの階層をオーバラップさせて説明する。
これまでの授業はどうであったのかと顧りみると以上述べたように、私自身近代科学の『論理』そのものを忠実に実践してきた。
ドルトンの原子のモデルで始まった化学は、有機化学というこれまで自然界にない物質をいとも簡単に作り出す技術を獲得する。西洋は東洋のように潤沢に薬草を採取できないやせた土壌である。ブロックを積み重ねるごとく原子を自由自在につなぎ合わせ、自然界にない薬品を近代科学の『論理』の結論として合成する。この延長上に環境ホルモンとして問題視されている化学物質の合成が続いている。
現在の山積している環境ホルモン、地球温暖化問題に対して、依然としてこれまでの科学技術が解決してくれるのではという楽観論がはびこっている。我々が述べている科学技術とは近代科学の『論理』そのものなのである。確かに、近代科学の『論理』そのものによって自然を部分に分けるという分析的な手法で、その成果として『豊かな生活』を享受してきた側面がある。これまでの近代科学の『論理』をベースにおいている科学技術では、来る21世紀に現在の環境問題を解決できる見通しは見えてこない。
また、現在のパソコンに見られるような『技術革新』は、常に進歩しなければというヒステリックな環境の中で大量のエネルギーを浪費している。現在の増え続ける世界の人口の中で、これまでの『豊かな生活』とそれを支える『技術革新』は地球のエネルギー資源から見て可能なことなのだろうか。
今後も科学技術によって社会が維持されること、また山積している環境問題も科学技術によってしか解決できない。以上の前提は、これまでの近代科学の『論理』ではない、新しい『論理』の科学によってのみ一筋の光が差してくるように思われる。
自然の複雑性・多様性をこれまでの近代科学の『論理』は受け入れてこなかった。自然は「縫い目のない織物」なのだという見方を取り入れた新たな科学の『論理』の再構築が今後の科学に望まれている。
5 おわりに
ミニ教研において、共同研究者の最首悟先生からの『理科教育再編のグラウンド』というレクチャを受ける。科学の『論理』がどのような歴史的背景を経て今日に至っているのかという趣旨であった。近代科学の『論理』の功罪をとらえ治す作業を通して、今後の理科教育のあるべき姿を考えていきたい。
〈参考文献〉
小野周・野坂昭如、『科学文明に未来はあるか』、17頁、岩波書店、1983年
山口幸夫(分担執筆)、『日本の教育第46集』、128頁、一ツ橋書房、1997年
98A−009
差出人:林 正幸
送信日:98年8月20日
件 名:佐藤さんの文章に対する感想
こんにちは、林です。
佐藤さん、さっそく「近代科学の『論理』と化学教育」を読ませてもらいました。21世紀への胎動とでも言うべきでしょう、多くの人が共通の問題意識を抱えているのですね。いま、科学と理科教育が問われています。かつてなら、「基本概念」をいかに教えるか、が中心でした。佐藤さんの言葉
<8月20日付メールの引用1>
とくに、デカルトが提唱した自然を分析しモデルとして単純化する『還元主義』は
近代科学の『論理』として成功を収めてきている。しかし、この『還元主義』で獲得
した法則にもとづいた成果を自然に戻した場合、自然への調和がうまくいっていない
のが今日的な問題である。我々は今後理科教育を実践するにあたり、近代科学の『論
理』の評価を改めて行う必要性があると考える。
<以上>
を借りて「還元主義」的授業と特徴づけることができるでしょう。また佐藤さんは
<8月20日付メールの引用2>
自然の複雑性・多様性をこれまでの近代科学の『論理』は受け入れてこなかっ
た。自然は「縫い目のない織物」なのだという見方を取り入れた新たな科学の『論
理』の再構築が今後の科学に望まれている。
<以上>
と書いています。「還元主義」を越える「論理」と、その上に立つ新しい理科教育を創造していく必要があります。
それではその内実とは何でしょうか。たくさんのことが含まれると思います。それに関して佐藤さんは次のことを書いています。
<8月20日付メールの引用3>
また、教科書に記載されている化学反応式が化学変化を正確に伝えていないことも
授業でふれてきた。銅と濃硝酸の反応は実際行うと一酸化窒素と二酸化窒素の両方の
気体が発生する。教科書の反応式は二酸化窒素しか記述されていない。化学反応式が
現象を表すことに限界がある。『原子論』を拠り所にしている化学反応式といえども
万能ではない。今後この『原子論』の限界も授業実践の中で伝えていくことも試みた
い。自然を分析しその実体を『還元』できるもの、『還元』できない現象があるとい
うことを・・・・・・。
<以上>
ひとつのものごとは無数の「切り口」を持っています。原子論は確かに強力ですが、あくまでひとつの「切り口」です。それですべて理解できると言うは無謀です。教師はいま教えていることが「全体の一部分」であることを常に意識すべきです。
ひとつ気になることがあります。「縫い目のない織物」という表現です。このたとえは「不可知論」的印象を与えませんか。私は近代科学が確立した「分析」という認識手法そのものは高く評価しています。問題は「多面的で高次な分析」の必要性と、であるが故に科学がすべてを知っているわけではないという「謙虚さ」ではないでしょうか。
私は佐藤さんの文章をこのように読みました。皆さんはいかがでしょうか。
いま、岩波書店の「化学入門コース」の「分析化学」(第7巻)を読んでいます。これは私の分析化学の概念を塗り替えてくれます。「物質とその状態を認識するためのあらゆることが書いてある」としても過言ではありません。お勧めの一冊です。
ではまた。
98A−010
差出人:佐藤 琢夫
送信日:98年8月22日
件 名:学ぶことで、自然がどう見えるか
岩手の佐藤です。
一昨日(20日)は3学年の飲み会があり、だいぶ深酒をしてしまいました。いつものことですが・・・・・・。(私が酒を飲んでいる時間にはもう既に電子メールはプロバイダーのサイトに着信していた。)19日、発信した私のレポートに対する感想がひょっとしたら届いているのではと、覗いたら案の定ありました。
さすが電子メールのリアルタイムなやり取りと思う反面、冗談ですが、ゆっくりと酒も飲めないなという思いも持ちました。何かでして『待つ』という時間の味わいがなくなりますね・・・・・・・・・。
雑談としては話しているけれど、教材として是非取り扱いたいと思っているものにAlがあります。ぽい捨てのAl缶についてです。Alの学習は、Alを取り出すのに電力を多く使っているので、リサイクルに心がけましょうという取り扱いだけで済まされない問題をはらんでいます。
地殻の中に多く含まれている元素であり、イオン化傾向から見ても活性金属であります。この多量に存在するAlは活性であるがために酸素としっかり結びつき、地球誕生以来静かに、地の底に眠っていたわけです。安定化しているAlの酸化物の酸素を電気というエネルギーで剥がし、眠りからAlを呼び覚ました。軽くて強度があり、活性な割には酸化皮膜を作ることで安定な金属で、われわれの生活はこのAlの出現で大変便利になっています。
人類が近代科学の手法の結果として確立した電気分解で多量のエネルギーを使いやっとAlを眠りから覚ましました。この眠り続けている間に、生物は進化し続け、人類の誕生まで進んでいて、生物は体内にAlを取り込む機会がありませんでした。
『1gのAlをうるためには、1520W時の電気量を消費する。アルミニウム缶一個では300W時(20Wの蛍光燈を15時間もつけておける量だ)の電力がいる。アルミニウムの生産は、もっとも電力の消費の多い産業の一つである』(岩波ジュニア新書 元素の小事典 高木仁三郎著)
金属の酸化物は塩基、非金属の酸化物は酸という物質の分類は大変有効で、自然がよく見えてきます。地球の水の循環は次の通りです。空から酸性の雨が降り注いでも大地は塩基なので中和され、生成した塩(ミネラル)は地下水に含まれます。地下水は川を作り、最終的にイオンの溜まり場である海に注いでいきます。
工場が出現する以前、大気の非金属酸化物といえば二酸化炭素です。二酸化炭素を含んだ雨は、石灰岩(塩基)の山に大きな穴(鍾乳洞)をあけました。これは、自然の「縫い目のない織物」のなかで行われていた。
地殻はケイ素と酸素が結合し、この中に金属イオンを取り込み、無機高分子として安定化しています。ケイ素と酸素だけならば地殻も酸となりますが、金属と酸素の化合物が含まれるで塩基になります。粘土はAlの酸化物です。長い間、二酸化炭素の雨はこの粘土と中和するけれど、Alは自然界に流出できないでいました。Alは前述の通り、地の底に眠り続けているわけです。
Alを取り出すということについては、二重三重にこの地球に負荷をかけている構図を示す必要があります。大きな電力を得るために硫黄を含んだ重油が燃やされ、多量の硫黄の酸化物が増えつづけています。また、内燃機関の宿命として多量の窒素酸化物も排出されます。大気に酸性雨の原因となる非金属性酸化物が蓄積し続けます。
この酸性雨によって、土壌に固定されていたAlはイオンとして溶け出しました。二酸化炭素には見られなかったことです。これまで生物体内に取り込まれなかったAlは毒物でしかありません。この流出したAlはやがて飲料水に含まれる、我々の健康を脅かすことにつながっていきます。流失したAlによって、自然という「縫い目のない織物」が綻びていきます。
『魚は、水中のアルミニウムが0.2ppm位になると死ぬようです。鰓をやられるようです。』『ドイツのシュバルツバルトという美しい森がありますが、そこではだいたい5〜10ppmで森が枯れはじめるという結果が出ています。』(現代文明を考える 山口幸夫著)
現在はどうなっているのか調べなければなりませんが、Alは電荷が大きいです。上水道で不純物を凝析させるとき、Alはイオンとして使われています。酸性雨によって溶け出すことを問題にしてきましたが、飲料水の問題もあり、二重構造でした。
岩手には鉄卵や鉄野菜というお土産が、盛岡駅で売っています。現代人の鉄不足解消というキャッチフレーズです。調理に使われる鍋のほとんどがAlです。この中に鉄卵や鉄野菜と電解質の塩や醤油が入ります。立派な電池が形成され、Alが溶け出します。
我々は好むと好まざると否応無しにAlをせっせっと蓄積し続けています。以上の構図は化学の学習で十分に見えてくるところです。さらに、Alの話は続きます。アルツハイマーの問題です。これで、Acid rain・Al・アルツハイマーの『3A』が出揃います。脳にAlが入ることによって引き起こされます。
知識というものがつながり始めると自然がよく見えてきます。中学生のとき、盛んに火山帯や海溝をテストのためということで丸暗記をし
ました。この火山帯と海溝をつなげる知識が無かったので自然というものは見えませんでした。プレートテクトニクスの理論でそれまで棒暗
記していたことがつながり始めたときは感激でした。
山本喜一さんが指摘している点について、お答えします。
(1)「科学の目で世の中を見るような教え方をしていない」ということになります。
(2)私は、ひとつのことを教えたら、それを使って世の中を見るとこういう風に見えるよ、という実例を出さなければ、彼らはいつまでたっても化学を実生活に当てはめようとしないのではないかと思うのです。
(3)私としては、ひとつの科学的な知識を与えたら、それで世界がどう見えるのか、その知識が何で生きる力になるのか、そういう例を授
業に持ち込む必要があると思います。
私も同感です。溶解という知識と食物連鎖を結びつけて自然を見せていくという提案は必要なことだと思います。そして、山本さんが次に
述べているように、全ての単元というわけにいかないにしても、知識をつなげていけば自然がこう見えるということを引き出してやりたいのです。このことは私たち理科教師の責任というように位置づけたいです。
『私は、ひとつのことを教えたら、それを使って世の中を見るとこういう風に見えるよ、という実例を出さなければ、彼らはいつまでたっ
ても化学を実生活に当てはめようとしないのではないかと思うのです。』
現在1年から3年までの化学と1年の物理を教えています。物理は速度の合成を教えています。生徒は近代科学の手法である速度を分解し、それぞれの方向の時間が等しいというところでつまずいています。
来週の化学は『ドライアイスと遊ぼう』です。アイスクリームも作ります。ドライアイスで気になっていることに、ドライアイスを固めると
き凝固剤が使われていないかということです。また、その安全性はどうなっているのかということを知りたいです。どなたか教えてください。
現在,加藤尚武著 『技術と人間の倫理』 NHK出版を現在読んでいます。
序 章 二十一世紀文化の課題
第1章 鉄腕アトムの人間性
第2章 印刷術と火薬と羅針盤
第3章「進歩」という観念の進歩
第4章 ガリヴァーのタイム・トラベル
第5章 印刷からベルト・コンべアヘ
第6章 『モダン・タイムス』は何を批判したか
第7章 ハイデガーの技術論
第8章『苦海浄土』一人間性への問い
第9章 環境破壊への警告
第10章 江戸時代の森林保護思想
第11章 夕−ザンの倫理
第12章 スモール・イズ・ビューティフル
第13章 ヴアーチヤル・リアリティと情報の倫理
第14章 遺伝子治療の「倫理問題」
第15章 科学と倫理―鉄腕アトムと夕―ザンの対話
第16章 環境教育と文化の未来
98A−011
差出人:山本 喜一
送信日:98年8月24日
件 名:誰のため、何のための化学(科学)か(3)
こんばんは、山本です。
佐藤さん、東北ではもう2学期が始まっていたんですね。そして、飲み会もあったそうで・・・。私が佐藤さんを指名して、メールを催促し、忙しい思いをさせてしまったようで申し訳ありません。でも、メールはそんなに急いで返事を出さなくてもよいと思います。と言うか、メールは、ゆっくり文献を調べて、ゆっくり自分の中で考えをまとめ、そして書ける。そういうやりとりから、しっかりした意見交換ができるという、今までにないサークルの形だと思います。メールをあまりプレッシャーに思わず、気長におつきあい願えればと思っています。
化学の授業でひとつの知識を獲得したら、「それを使うと世の中はこういう風に見えるよ」という実例を出そうという私の考えに、林さんも佐藤さんも、そして山口さん(法政大学)も賛同してくれました。ますます、そういう方向で、2学期からの教材を作り直そうと思っている今日この頃です。
「自然は縫い目のない織物」という言い方には、私も林さん同様「不可知論」的な臭いを感じます。佐藤さんは、この前のメールでアルミニウムを例にして「自然は縫い目のない織物」とはどういうことかを書いておられましたが、あれは、それぞれの場面を分析し、総合すれば見えてくるものではないでしょうか?それぞれの場面とは、アルミニウムと人間との関係(アルミニウムという金属を人間がつくったということ)、酸性雨とアルミニウムイオンの関係、飲料水中のアルミニウムとアルツハイマーとの関係です。確かにこの3つはそれらは相互に関係し合っていますが、それらをひとつひとつ取り出して(つまり縫い物を布に分けて)、分析し、つなぎ合わせれば世界が見えてくるのではないでしょうか。つまり、人間が土の中からアルミニウムという金属を取り出すにはどんな理論と技術を使っているのか、そのためにどんなに空気を汚しているのか、汚れた空気はどんなメカニズムで酸性雨をつくるのか、酸性雨はなぜ土の中のアルミニウムイオンを溶脱するのか、飲料水中のアルミニウムは本当にアルツハイマーをつくるのか、そのしくみは何か。こういうひとつひとつの部分(布)の知識を総合すれば、地表におけるアルミニウムとわれわれの生活、アルミニウムとわれわれの健康の関係は見えてくるのではないかと思うのです。アルミと人間との関係を考察する例では、分析と総合が力を発揮するはずだと思うのですが、いかがでしょうか?
「自然は縫い目のない織物」だ、という言い方が該当するものとして、山形ミニ教研では「複雑系」が例に出されていたと思います。例えば脳です。脳のしくみを解明するために、脳をひとつひとつの神経細胞に還元し、神経細胞のしくみやはたらきがわかれば、脳がわかるような考えを持っている人がいると思います。巨大な機械があったとして、その機械を理解するには、おそらくその機械を分解し、ひとつひとつの歯車やねじのはたらきを知れば、その機械もわかると思います。脳を神経細胞に還元すれば、そのしくみがわかると思っている人は、脳を巨大な機械だと認識しているからでしょう。こういう考えを「機械論」というんだと思いますが、自然や生物、その生物が持っている脳はそういうやり方では理解できるものではないでしょう。しかし、それは脳が「縫い目のない織物」だからでしょうか?僕は違うと思います。それは、階層性の問題だと思うのです。
ものを大きさで分類すると、素粒子、原子や分子、コロイド、マクロな物質、太陽系、銀河系、銀河集団・・・。思いつきで書いていますので、あっているかどうかわかりませんが、こういう階層があります。そして、それぞれの階層で、はたらいている主な力が違うことは、物理学が教えるところです。素粒子の世界では強い力や弱い力などの核力、原子からコロイド・マクロの世界では重力と電磁気力、そしてそれより大きい世界では重力です。こういう風に、ものの大きさによって影響を与える力(法則)が違って来るというのが、自然の階層性だと思います。脳の場合もそうで、ひとつの神経細胞の中でどんなことが起こっているのかと言うことがわかったとしても、その神経細胞が何百万も集まったネットワークの世界でどんなことが起こるのかということを説明しきれないと思います。
似たようなことは、化学でも例を見つけられます。例えば水。H20というひとつの分子の中の電子の片寄りは、電気陰性度か何かで説明できます。でもそれだけで、狭いすき間にはさまれた水は0℃でも凍らないこと、水を瓶のような入れ物に入れてゆっく長時間揺らしているとクラスターが発達すること(だから船で運ばれたワインはうまい)、高圧高温にするとPCBやダイオキシンも分解する超臨界水になること、深海底ではかご型のクラスターをつくって、その中にメタンなど疎水性の分子を閉じこめること・・・。そういうことが説明できるのでしょうか?こういうことは、ひとつの水分子を吟味していても想像もできないことであって、まさに、何個かの水分子の集団が作り出す新たな性質(新たな階層)ではないでしょうか?そして、そういう階層があり、階層ごとに違う性質が顔を出すのだという知識は、どこからもたらされたのでしょうか。それはまさに、「近代科学」。「分析と総合」によって、人間が手に入れた知識だとおもいます。
「自然は縫い目のない織物」だ、だから分析してはいかん、分析したものを寄せ集めても自然はわからないと言う考え方は、「所詮、自然は人間に真実の姿を見せてくれない何ものかなのだ」という不可知論的な考えではないかと思います。自然の階層性を頭に置いて、分析し総合して自分の頭の中に自然をとらえなおす作業が科学。そして、頭の中でとらえなおしたはずの自然が、実際の自然と違っていたら、違う分析のしかた、違う総合化を模索すること、それが科学だとおもいます。いかがでしょうか。
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