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02A−091
差出人:山本 喜一
送信日:03年1月6日
件 名:文部科学省への手紙

こんにちは、山本です。
 藤田さん、大場さん、林さんと化学教育(理科教育)に対する思いが伝わってくるようなメールが続いていますね。私の方は、「文部科学省への手紙」という題で何でも良いから書いてくれと、ある出版社から言われて書いたものを送ります。

文部科学省への手紙
 理科教育を語るとき、科学リテラシーという言葉がよく使われるようになった。AAASは、この言葉を次のように定義している。「科学リテラシーとは、科学技術関係の政策課題として議論されている事項を吟味するのに必要な理解力、基礎的な科学用語、科学的概念、科学的方法の理解の程度である。」私はこの定義を聞いて、なるほどと思った。そして、私が目指そうとしている授業を言い当てられたような気がした。この定義は科学を学ぶ目的を、科学技術に関する政策を吟味するためだと、打ち出している。単に教養を深めるためとか、世界観や哲学を築くために科学を学ぶというのではなく、科学技術政策を吟味する力を得ることが第一の目的だと言っている。そこが良いと思った。
 今、温暖化や環境ホルモン、化学物質過敏症などの環境問題が大きな脅威となって、私たちに覆いかぶさっている。これらは空き缶拾いや電気の節約などの個人の努力で解決できるものではない。国や地方、場合によっては全世界的な対策や、政治による解決が必要である。一般市民が自分たちの命や健康を守ろうとすれば、こうした環境問題に関心を持ち、それに関する政策を吟味できなければならない。理科教育の必要性はまずそこにあると、私は思う。
 そういう観点から、最近の文部科学省の理科教育に対する考え方や、教科書を眺めてみると、まことにお粗末であるとしか言いようがない。
 まず、中学校の生物分野から、遺伝が消されたことだ。高校に進まない子どもたちはもちろんだが、高校に進学しても科目の取り方によっては、遺伝もDNAも勉強せずに大人になってしまう子どもたちが出てくる。彼らは学校で学んだ知識だけでは、遺伝子組み換え食品も、クローン技術も考えることができない。文部科学省には、一般市民にこれらの問題を考えさせたくない深い理由があるのではないかと、勘ぐりたくなる。
 また、中学校の化学分野からはイオンが消された。物質は大きく金属、分子性物質、イオン性物質に分けられる。そして、それぞれの特徴的な性質を把握するところから、多様な物質世界の理解がはじまる。それなのに、新しい教科書にはイオンがない。これでは、物質世界を正しく認識できるはずがない。イオンの削除は、ありのままの自然を大まかに正しく把握するという理科教育の理念から大きくはずれるものであり、国民の科学リテラシーを低くおさえるものである。
 遺伝子もイオンも、難しい内容であるから削除したと聞く。例え難しくても、必要不可欠な事柄であれば、その本質をやさしく教える努力こそ必要なのではないだろうか。


02A−092
差出人:大場 健彦
送信日:03年1月7日
件 名:RE:文部科学省への手紙

>AAAS定義「科学リテラシーとは、
>科学技術関係の政策課題として議論されている事項を吟味するのに必要な理解
>力、基礎的な科学用語、科学的概念、科学的方法の理解の程度である。」
■プラグマテイズムの米らしい定義です。さっぱりしてていい。
>中学生物から、遺伝が消された。遺伝もDNAも勉強せずに大人になってしまう子ど
>もたちが出てくる。遺伝子組み換え食品も、クローン技術も考えることができない。
■手元に東京書籍の中学教科書があったので,調べてみた。
 2分野下のp38〜45で生殖を扱っている。
 遺伝子という言葉も数回出てくる。
 僕は,メンデルの法則の重要性はさほど感じていない。
 細かく数量的に扱わなくても,イメージができればいいのではないか?
>中学化学からイオンが消された。金属、分子性物質、イオン性物質に分けられる。
>それぞれの特徴的な性質を把握するところから、多様な物質世界の理解がはじまる。
>これでは、物質世界を正しく認識できるはずがない。
■我が**農業高校では,今までは1年“生物”2年“化学”でしたが,
 新課程から1年化学,2年生物に変えました。
 野菜や果樹の先生から反対の声もありましたが,中学の教科書も見せ,
 イオンがなくなったことなどを話して,何とか了解を得ました。
 東京書籍1分野上の p54〜69 まで
 水溶液・酸アルカリ・塩などを扱ってますが,
 イオンという言葉を使わない不自然さは,耐えられません。
 中学の先生・生徒がかわいそうだ。
 もっとも,イオンを教えてはいけない,ということではないのかな?
■山本さんに便乗して,自分の考えを整理してみました。


02A−093
差出人:山本 喜一
送信日:03年1月7日
件 名:文部科学省への手紙(2)

こんにちは、山本です。  大場さん、コメントありがとうございます。私が紹介した科学リテラシーの定義は、「理科教室」の今月号に出ていますね。実は、あの定義は去年の科教協大会で、聞いたものです。「理科教室」にはOECDの定義として紹介されていますね。不安になって今ネットで検索したのですが、アメリカ私学協会がOECD諸国の科学リテラシーを調査したときの定義だというHPがありました。AAASの定義ではなさそうなので、訂正したいと思います。  定義の出所はおいておくとして、大場さんからプラグマティックな定義だと指摘されて、なるほどと思いました。私としては単に環境のことについて授業をするというより、環境問題に取り組む政策を考える力を育てたいと思っていたので、あの定義がすんなり入ったわけです。それから、「理科をなぜ学ぶのか」とか「理科は何のために学ぶのか」という問いに答えを出したいという気持ちもあります。特に、「何のために学ぶのか」という問い自体がプラグマティックなものですから、答えも「〜のために学ぶんだ」という答え方になるんでしょうね。  雨が酸性になるしくみとか、温暖化が進むメカニズムなどは、環境科学に入ると思います。私としてはそれだけではなく、酸性雨をつくる窒素酸化物を減らす政策は実行されているのかとか、温暖化に対してアメリカや日本はどんな態度をとっているのかというところまで踏み込みたいと思うのです。

02A−094
差出人:藤田 勲
送信日:03年1月7日
件 名:RE:読んで聞かせたい「物質やエネルギー」の本

藤田です。
 子供に読んで聞かせたい「物質やエネルギー」の本として山本さんが『しずくのぼうけん』と『ちいさいおうち』をあげていますが、この2冊は私も子供たちに読んで聞かせた経験があり懐かしく思いました。ちょっとコメントしたいと思います。
 『ちいさいおうち』については福音館の創業者の松井直氏がNHKの人間講座で紹介しています。彼によると『本当の主人公は「時」であるともいえます。昼と夜、一日、一週間、一ヵ月、一年、そして歴史など、「時」のすべてをこの絵本は語りつくしています。』(人間講座テキストより)と解説しています。文学者としてもっともな解説ですね。そして、『最終場面のお家が大都会から静かな田園に移動するという、少しできすぎた話の中にこそ、現実から理想へという”都市と田園のコントラストの寓話”が語られ、アメリカ人はそこに自分たちの夢を見つけるのでしょう。』と結んでいます。
 最終場面は次のように書かれています。
「ちいさいおうちは もう二どと まちへ いきたいとは おもわないでしょう・・・・ もう二どと まちに すみたいなどと おもうことはないでしょう・・・・・・ちいさいおうちのうえでは ほしが またたき・・・・・ お月さまも でました・・・・・ はるです・・・・・ いなかでは、なにもかもが たいへん しずかでした。」
 さて、私たちが望む未来はこの絵本のように再び田舎に引っ越して静かな時を昔のように過ごすことなのでしょうか。この田舎はおそらく『大草原の小さな家』のようなイメージでしょう。私たちがソフトランディングしようとしている近未来のエネルギーは何でしょうか。太陽電池や燃料電池でしょうか、それとも風力や地熱、バイオマスなどの自然エネルギーでしょうか。それから近未来の食料はどのように生産・調達するのでしょうか。小規模自給自足型をめざすのでしょうか。私たちがどんな未来を具体的に描くのか、その近未来像によってめざす理科教育の中身も随分変わってくるようにも思います。
 私は『おおきな木』(シルヴァスタイン、篠崎書林、1976)や『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン、遊学社、1991)に見られるような自然観(両者は同じものではないでしょうが)が好きです。ちょっとまとまりませんが、とりあえずここまでにします。


02A−095
差出人:山本 喜一
送信日:03年1月7日
件 名:読んで聞かせたい「物質やエネルギー」の本(2)

藤田さん、コメントありがとうございます。
 「ちいさいおうち」のようなよい童話は、いろいろな読み方ができるんだなあ、と思いました。確かに、時間というものを書いているようにも読めますね。そして、藤田さんが言うように、未来の社会をどう描くかによって、われわれが教える内容も変わってきますね。50年後、100年後の社会がどうなっているのか。よく分からないところがたくさんありますが、今のような資源やエネルギー浪費型の社会は終わりを告げることは確かだと思います。何しろ、化石燃料も金属資源も有限ですし、ゴミ捨て場も限りがありますから。やはり、物質をリサイクルし、バイオマスなどの再生可能なエネルギーをつかい、環境を廃棄物で汚さない社会が来ることは確かでしょう。そして、そのための科学技術開発が求められていくと思います。
 大まかにはそういうことですが、ひとつひとつの科学技術については、上のような考えに立って、個々に評価する必要があると思います。農薬の削減になるからといって、遺伝子組み換え作物を使うのはどうかとか、クリーンだといわれている燃料電池は両手をあげて賛成できるものかとか、そんなふうに個々について考えていく必要があると思います。そして、それを考えられる力が、科学リテラシーだと思います。


02A−096
差出人:杉原 和男
送信日:03年1月8日
件 名:科学読み物

sugiharaです。
 子供たちに呼んで聞かせたい「科学読み物」に関するご意見は興味深いものです。勤務先の仕事とも密接な関係があり、実際に幼児対象の講座も担当しています。今回は、「物質とエネルギー」というテーマであり、しょうがないとは思いますが、紹介された『しずくのぼうけん』や『ちいさいおうち』を理解できる読者層は、今は少数派だと思います。これは、大人のノスタルジーではないかと思います。
 日本では、農村から都会へという世界史に残るような民族大移動を1960年代に経験し、その移動した人達の子供から従来無かった問題が発生するようになりました。要するに、自然やそれに繋がる共同体から隔絶された世代からの問題です。今、大切なのは自然回帰ではなく、子どもたちにとっての自然環境の創造なのです。一から創めなければならないのです。そこに「科学読み物」が、重要な役割を担っています。
 実は、自然を失ったヨーロッパでの取り組みが先行しており、子供向けの過半数の本は「科学読み物」となっています。日本は、公害と環境破壊大国ですが、箱庭的に貴重な自然が多数残っています。そういった事情もあってか、子どもむけは文学とされ、心の教育が強調されています。そして、「科学読み物」が博物学や大人のノスタルジーから脱却できないよう思います。今は、自然との接点は「科学読み物」によってなされることが多く、つまり、自然を考え、知る入り口としての欠かせない機能を担っています。
 日本の歴史上ない大変化を体験した大人のノスタルジーを生かし伝えることは、かつてない重要な責務となった時代ですが、そのまま理解できない環境に置かれているのが現代の子ども達です。特に都会に住む子ども達は深刻で、文学作品による心の教育のできる状況にはありません。そのため、「科学読み物」の重要な役割を図書館や学校や家庭で知っていただく必要があり、また、そういった認識を広げていく責務を理科の教師は担っていると思います。


02A−097
差出人:山本 喜一
送信日:03年1月8日
件 名:RE:科学読み物

 杉原さんコメントありがとうございます。とくに「ちいさいおうち」などは、大人のノスタルジーだといわれれば、そうなのかもしれませんね。そして、そのノスタルジーを子どもは理解できないのかも知れません。ヨーロッパでは子ども向けの読み物は過半数が科学読み物になっているということなのですが、具体的にはどんな内容なのでしょうか。
 杉原さんも書いていますが、私に与えられたテーマは「物質やエネルギー」に関して、読んで聞かせたい本を推薦して欲しいということでした(生物分野や地学分野の推薦書は他の人の分担です)。この依頼をもらったとき、まっ先に頭に浮かんだのは、高校生に向かってしゃべっている化学の内容のうち、小さい子どもたちに伝えたいことは何なのかということでした。私としては、読み物をとおして物質やエネルギーを身近に感じて欲しいと思い、また、科学技術の発達がすべて善ではないというメッセージも伝えようと思いました。そして、そういう内容の本を選んだつもりです。ただ、物質のことやエネルギーのことを読んで聞かせるように書いた本は、本当に数が少なくて、探し出すのに苦労しました。
 みなさんは、化学や物理の分野のことで、小さい子どもたちに何を伝えたいと思いますか。そして、それを伝えていると思われる本を知っていますか。何かありましたら、メールを下さい。
 では、また。


02A−098
差出人:杉原 和男
送信日:03年1月10日
件 名:「科学読み物」2

sugihara です。
 日本の歴史で最も劇的と思える変化が1960年代にありました。農業国家から工業国家への衣替えで、世界でも例のない速さで成し遂げられました。これが、日本を近代国家へ飛躍させたのですが、急速なだけにむちゃくちゃな自然破壊や深刻な公害を生むと共に、農村から働き手の若者が急減しました。そして、農村共同体に替わりうるものは都会で成立せず、未経験な親が個々に手探りで子育てに取り組むことになりました。つまり、子育ては、子どもの指導だけでなく親の指導も要する厄介な仕事になったのです。
 結果、先生の仕事も生活指導が中心となり、学校は学問を教える場ではなくなりました。昔の先生と比べて圧倒的に努力しているにも関わらず、十分な成果を上げられず、熱心な先生がM教師として教委や社会から非難されるようになりました。日本が発展する中での負の遺産を、教育現場が必死に受け止めているという事情を明らかにせず、教師の力量に責任を押しかぶせています。「理科離れ」は「知離れ」と言われます…学問のおもしろさより、対人関係に気を遣うほうがうまく生きられることを生徒は見抜いているからです。いじめや仲間外れなどの問題ばかりが目立ちますが、生徒なりの共同体を作ろうとしていると考えられます。問題は、子どもに負けない共同体を創れない大人にあります。
 さて、このような中で、子育てにおける「科学読み物」は、とても重要な価値を持っています。60年台前後を知っている私たちは、多様な自然と価値観を相対的・客観的に判断できます。これは、極めて貴重な世代といえます。それだけに、さまざまな方法で、かつての日本の自然とそれに繋がるものを次世代に伝えていくべきだと思います。しかし、対象となる若者は、比較する過去を知らないのです。「こんな山ではなかった。」「こんな海ではなかった。」「こんな家族や親戚関係ではなかった。」「こんな友人関係ではなかった。」「こんな遊びではなかった。」「こんな近所付き合いではなかった。」…世代間の断絶は、歴史上なかった極端なものとなっています。そのため、文学も昔話では、指導が難しくなっています。すでに、古典を読書指導に取り上げることは、極端に減っています。情景や時代背景をイメージできないのです。「科学読み物」の貴重さと役割はそこにあると思います。「具象から抽象へ」と言えばわかりやすいでしょうか?
 具体例では、福音館の月刊誌「かがくのとも」が、優れた編集をしています。擬人化したクマさんやウサギさんに語らせたりしていないはずです。また、同じく福音館の月刊誌「たくさんのふしぎ」も同様です。テーマも一つに限定し、多様な自然を「狭く、深く、正確に、身近に」というふうに、体験を通して科学への導入を意図しているようです。「かがくのとも」400号、「たくさんのふしぎ」は200号を越えました。ほぼすべてを持ってますが、特に「たくさんのふしぎ」は、大人でも楽しめます。


02A−099


02A−100
差出人:風間 清光
送信日:03年1月11日
件 名:過冷却について

アルケのみなさん、いつもお世話になります。奈良の風間 清光です。
 杉山さんに冷温庫を教えていただき、楽しい授業を手軽に展開することができます。この4年ほどの間に、生徒と共に感じることが多々ありました。
 過冷却水を刺激するのに、ガラス棒を細くのばしたものを途中で折って、その部分を使っています。容器は『ちびレモン』を使い、生徒の目の前で行っていますが容器の形状から、変化の様子が手に取るようにわかります。でも、この商品は、昨年の春に製造中止になっています。
 最近は、この現象を定量化する試みも行っています。


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02A−102
差出人:藤田 勲
送信日:03年1月13日
件 名:炭酸カルシウムとリン酸カルシウム

藤田です。
 訳あって骨のことを調べています。貝類(軟体動物)の貝殻(外骨格)は炭酸カルシウムが主成分のカルサイトやアラゴナイト結晶ですが、魚類から先はその骨格(内骨格)はリン酸カルシウムが主成分のヒドロキシアパタイトになりますね。
 どうして生命は外骨格から内骨格に移行するにしたがって、その骨格成分を炭酸イオンからリン酸イオンに替えたのでしょうね。カルシウムイオン固定の必要性については色々な本で紹介されていますが、炭酸イオンからリン酸イオンへの変化の必然性についての議論は私が見た限りあまり見当たりません。なぜ初めはカルシウムイオンを炭酸イオンで固定し、後にリン酸イオンに変えたのでしょう。どなたかこの辺りの事情について何か適当な文献をご存知ありませんか。


02A−103
差出人:杉山 剛英
送信日:03年1月13日
件 名:リン酸カルシウムについて

札幌の杉山剛英です。
 藤田先生の疑問に少し答えられそうな本は「顔の科学」西原克成(日本教文社)¥1670です。
 海水中に不足していたリン酸の貯蔵庫としての役割、(炭酸カルシウムは代謝ができないのではないか、私見)やコラーゲン、軟骨魚と硬骨魚の進化にからめて色々と面白い(うさんくさい)知見が書かれています。ブルーバックスでの「生物は重力が進化させた」の著者です。


02A−104
差出人:藤田 勲
送信日:03年1月13日
件 名:RE:リン酸カルシウムについて

札幌の杉山さん、早速に有益な情報ありがとうございます。
 「顔の科学」西原克成(日本教文社)もその出版社も私は全く知りませんでした。本を読んで詳しく検討したいとは思いますが、「海水中に不足していたリン酸の貯蔵庫としての役割」という観点は分かります。海水中よりも魚類や哺乳類の体液中のリン酸イオン濃度は極めて高いですから、この確保のために骨に溜め込んだということですね。何しろリン酸イオンはATP、核酸、脂質の構成成分や酵素の活性化などに欠かせない部品ですから。
 ただこれだけでは不十分のような気もします。結晶構造上の観点も大事なのではないでしょうか。つまり、アパタイトは大きな単結晶になりにくく硬度がアパタイトの方がカルサイトよりも大きいので激しい運動にも耐えられるということ、そして、それにもかかわらず結晶が小さいため代謝回転が早くリモデリングに適していると考えられること、さらに不規則に突き出したOHイオンがタンパク質、脂質、糖などの生体有機(高)分子と親和性が高く複合材料を作りやすいことなどが大事な点ではないかと考えています。しかし、これは私の推論が多く、アパタイトをカルサイトとの比較で生体材料上の観点で書かれている資料が見当たらないのです。そして、もしアパタイトのほうが優れているのなら、なぜ生命はその骨格に初めからリン酸イオンを使わなかったのかとい疑問も残ります。なお、軟骨魚と硬骨魚の進化についての話は有名なのでしょうね。『骨が語る』(鈴木隆雄、大修館書店、2000年)にも詳しく書かれていました。
 この点について皆さんはどう思われますか。


02A−105
差出人:山本 喜一
送信日:03年1月14日
件 名:RE:リン酸カルシウムについて

こんにちは、山本です。
 杉原さん、コメントありがとうございます。子どもたちは一昔前の自然や人間関係を知らない。それをおさえた上で、科学読み物を使った教育を考えるべきだということですね。
 藤田さんの質問についてです。1月13日のメールの次のところは、貝類から魚類が進化したというように読めるのですが、どうなのでしょうか。
「貝類(軟体動物)の貝殻(外骨格)は炭酸カルシウムが主成分のカルサイトや
アラゴナイト結晶ですが、魚類から先はその骨格(内骨格)はリン酸カルシウム
が主成分のヒドロキシアパタイトになりますね。どうして生命は外骨格から内骨
格に移行するにしたがって、その骨格成分を炭酸イオンからリン酸イオンに替え
たのでしょうね。」
 井尻正二の「ヒトの直系」(大月書店)には次のような記述があります。
「・・・内田亮氏説による動物界の系統を図示すれば、11図の如くである。こ
れによれば、ヒル・ジストマといった扁形動物、ヒモムシ(紐形動物)、二枚
貝・巻き貝・タコ・イカ・化石のオウムガイ・アンモナイト(軟体動物)、ゴカ
イ・ミミズといった環形動物、クモ・エビ・カニ・昆虫・化石の三葉虫・ウミサ
ソリといった節足動物は、ヒトの直系からまったくはずれていて、ヒトとは無縁
のグループであることが分かる。」
 ヒトの直系は魚類、両生類、は虫類、哺乳類などですよね。これらと、井尻氏がヒトの直系ではないとしている動物群とは、遠い昔にクラゲや海綿のような動物から分かれたようです。ですから、貝殻のような骨格を身につけている生物から内部骨格を持つ生物が生まれたわけではないようなのです。ただ、私は生物の種類や進化についてはほとんど知識がありませんので、間違っているかも知れませんが。
 外部骨格を持つ生物と内部骨格を持つ生物は別の進化の道を歩んできたとすると、外部骨格はやはり、海にたくさん溶けている炭酸イオンを使ったのでしょうか。そして、身体の内部に骨格をつくる生物は、生きていくために必要なリン酸が体内に豊富にあったからなのでしょうか。私にはその辺のところは、まったく分かりません。


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