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00A−060
差出人:鬼塚 公志
送信日:00年9月20日
件 名:硝酸銀の沈殿
こんにちは、鬼塚です。
硝酸銀の沈殿について最近議論させていますが、私も確認したくしてみました。
0.1M炭酸水素ナトリウムに0.1M硝酸銀を滴下すると乳白色の沈殿ができました。化学大事典を調べると、考えられるのは炭酸銀のように思われます。他にも0.1M炭酸ナトリウムと炭酸アンモニウムに硝酸銀を滴下すると炭酸ナトリウムは褐色の沈殿ができますが、炭酸アンモニウムの方は中台さんがされたように黄色の沈殿はできますが、すぐに溶けて無色透明になります。
硝酸銀や炭酸銀の項目を調べると、沈殿は硫酸やアンモニアでとけるとありました。炭酸アンモニウムはアンモニアが含まれるので生じた沈殿が溶けたのではないかと思われます。また、硝酸銀による沈殿は多数ありましたが、炭酸イオンは中性で沈殿するように記述されていました。こうなると炭酸ナトリウムでは沈殿が生じないような気もするのですが、どう説明したらいいかここで分からなくなりました。
00A−061
差出人:鬼塚 公志
送信日:00年9月20日
件 名:金がヨードチンキに溶けるの続き
こんにちは、鬼塚です。
前回、本の紹介ができませんでしたが、「これはすごい!化学の世界記録集」化学同人でした。
化学大辞典の金の項目を読むと塩素、臭素と直接反応する。とありました。明日、臭素水に金が溶けるか試してみたいと思います。
あと少ししかないのでそのうちまた注文しますので四ヶ浦さんよろしくお願いします。
ではでは。
00A−062
差出人:杉山 美次
送信日:00年9月21日
件 名:忙しいですね!
アルケミストの会の皆さん 杉原和男です。
いつまで続くの?「硝酸銀と重曹の反応」,わかっているようで,本当はよくわからないこと,そして身近な些細なと思っていることの中にいくらでもおもしろいことが潜んでいることがわかります。最先端科学に目が奪われがちですが,どうなるか楽しみです。皆さんの執念に脱帽!
さて,私は,次週の研修講座担当で,もう,大変です。テーマ名を,なんと「ろうそくの化学」にしたのです。大ファラデーのむこうを張ってということなんですが,正確にはちょっと逃げています。ファラデーは「ロウソクの科学」なんです。しかし,原著を調べると(The Chemical History of a Candle)で,「ロウソクの化学」なんですね。なぜ,「科学」と訳したのかは興味深いことです。
正直なところ,「伍井一夫著,たのしいロウソクの科学,新生出版」が手元にあり,「何とかなるでしょう!?」といった気楽さがきっかけでした。しかし,いろいろと大変です。意外と,ろうそくに関する実験ネタ(特に,目立つネタ)は少ないのです。いいわけになりますが,ファラデーもろうそくをきっかけに,話はどんどんと違ったほうへ発展しています。
この研修講座は,物を作って持って帰ってもらって,すぐに役立てようということで,演示実験とお話だけというわけにはいきません。レポートも,簡単に書いているのですが,現在,A4で10ページを越えました。
小さな小さなことでも,ずいぶんと時間がかかります。例えば,「ろうそく立て」ですが,板に釘を刺すくらいではだめです。ろうそくの穴はパラフィンが収縮してできた自然の穴ですから,ろうそくのロットによってサイズが違います。その前に,ろうそくメーカーはどこにするかという問題もあります。そこで,まず,カメヤマろうそくとし,同じ型番の商品をいくつかの店で購入し,穴を計測します。そして,どれもが合うピンを探すというわけです。結局,あるサイズの「木ネジ」となりましたが,これだけで1ケ月ほどかかりました。しかし,こんな些細な事は,研修講座では触れません。こんな調子ですから,それはそれは大変です。笑ってください!
ところで,,先日このメールで「電気パン」に触れましたところ,実験室で食品を扱うことへの批判がありました。これについては,とてもよくわかります。勤務上の公の立場としては,批判している側だからです(その方が,保身につながります)。しかし,だからこそ,「本当に,批判するだけでいいのか?」という気持ちがあります。私が,「おもしろ実験ものづくり完全マニュアル(東京書籍)」に電気パンを書いた関係で,さまざまな反応をいただいております。つまり,考えさせられ続けました。それだけに,いろいろと言いたい事もありますが,長くなります。簡単に言えば,これについては論議しつつ結論を出さない方がよいと考えています。要するに,とてもおもしろいんですね!私は,「ゲリラ実験」と考えております。
00A−063
差出人:杉山 美次
送信日:00年9月21日
件 名:RE:金がヨードチンキに溶けるの続き
鬼塚さん、こんにちは、横浜の杉山美次です。
金が、ヨードにとけることについては、去年10月ごろに、神奈川化学塾の例会で山手学院の若松先生から、報告がありました。文献も、鬼塚さんと同じものでした。若松さん、著者の筑波大の先生に連絡して、詳しい文献(英文)を得ていました。
ちなみに、例会での追試では、市販のイソジンでも、直接ではだめでしたが、加熱すると溶けました。ご確認ください。
00A−064
00A−065
差出人:杉山 剛英
送信日:00年9月22日
件 名:いよいよ出版です
札幌星園高等学校の杉山剛英です。
金がハロゲンに溶けるというのは昔から知られていて(ブルーバックスの元素111の新知識にも書いてあります)何年か前の新聞記事にも金がヨウ素に溶けることが確認された(それまでだれもやってなかったのかな)なんていうのが載っていた記憶があります。金チオグルコースなる物質はリウマチの薬として用いられているそうです。金箔は大手文具店の書道用品コーナーにあります。札幌では本打ちが10cm角10枚で¥4000、別打ちが¥2800位です。といっても本打ちと別打ちの区別がわかりません。
さて、そろそろ東レの締め切りが迫ってきていますがみなさんいかがでしょうか。私は今年も出す予定です。題目は秘密です(申し訳ありません)。
いよいよ「どきどき化学なるほど実験」が裳華房より10月出版になります。定価1600円+税、妻の描いたイラスト100枚、総ページ173ということです。なにとぞ学校図書館にご注文の程を裳華房のホームページに簡単な紹介があります。
http://www.shokabo.co.jp
00A−066
差出人:山本 喜一
送信日:00年9月24日
件 名:岩田好宏著「自然科教育基礎論」(4)
こんにちは、山本です。
岩田さんの「自然科教育基礎論」の4回目を送ります。ここのところでは、日本の理科教育史が述べられています。その戦後の部分をまとめました。日本の理科教育の最大の欠点は、子どもたちに自然観を形成させる方向を持たなかったことだと、岩田さんは主張されているようです。
3章 日本の理科教育略史
(明治〜第2次大戦中までは省略)
きみ:戦争に敗れた日本は、それまでの軍国主義的な教育を改めたんだよね。
彼:占領軍の指導によって、民主的な教育方針が持ち込まれたんだ。理科においては「生活単元問題学習」が組織された。
きみ:生活に密着した題材を取り上げ、自分たちで問題を解決していくというやり方だね。
彼:これは1947(昭和22)年に、「学習指導要領・理科(試案)」という形で発表された。なお、この年には教育基本法と学校教育法が制定され、戦後の教育改革の基本が明らかにされている。
きみ:その後、「生活単元問題学習」はあちこちから批判を浴びることになるね。
彼:何しろこれは、生活に科学をいかに応用するかということがテーマだったからね。科学というよりは技術教育だったんだ。技術教育の重要性も認めるが、それと科学教育は別物だ。技術教育には、自然の姿をとらえるという視点が弱いからね。
きみ:身の回りの題材を脈絡もなく取り上げ、生活に役立つことばかり追いかけていたのでは、科学的な自然像を作り上げることはできないね。
彼:自然科学はあくまでも、自然を理解し認識を深める学問だ。自然を理解し、科学的な自然観を形成するための教育が科学教育だ。「生活単元問題解決学習」は、人間の実生活と関係のある題材だけを取り上げて、生活の役に立ち、生活の改善につながる教育をするという観点が基本だった。
きみ:確かに科学を勉強するのは、それが将来の生活に役立つからだ。でも、科学をそういう角度からしか学ばないというのは間違いだろうね。
彼:「生活単元問題解決学習」には、他にもいろいろな批判があった。例えば、基本的なことと高度な内容が混在していて、子どもにはわかりにくいというもの。これは、基礎からだんだん高次のものへ、系統的に学ばせる配慮に欠けているという指摘だ。また、この教育法はこれからの日本を変えていく展望に欠ける、という批判もあった。
きみ:自然科学者や科学史家からの批判もあったね。科学の基本は身に付かないという。
彼:「生活単元問題解決学習」をかかげた文部省とは別に、民間で独自の科学教育を研究しようという動きもでてきた。科教協がその代表だ。この団体は、理科は自然科学を教える教科でなければならない、という考え方を持った人たちで構成された。
きみ:こうした自主研究や批判によって、文部省自身も方針を改めざるを得なくなったんだよね。しかし、新しく打ち出した方向が良くなかった。
彼:そうだね。文部省は国民の考えに根ざした民主的な方向にではなく、経済振興に役立つ向きに理科教育を切り替えたんだ。それが明確に出ているのは、1953(昭和28)年の学習指導要領だ。この指導要領は(試案)という文字が消え、教育内容に関する法的な拘束力を明示したことも特徴的だ。
きみ:戦前に逆戻りするような、政府による教育統制だね。
彼:一言で言えば上意下達。そういう色彩が強くなった指導要領だ。それにさらに輪をかけたのが1968(昭和43)年の指導要領。理科教育の面でも、科学を技術と直結させて、経済発展の手段としようという考え方がいっそう強まっている。
きみ:世はまさに、高度経済成長時代だったね。
彼:理科教育に対する要請がもう一つあった。「探求の過程」の重視だ。科学の知識は新しい科学によって次々と書き換えられていくから、知識を伝えるより探求の方法を身につけることが重要であるという考え方だ。
きみ:しかし、このころから子どもの理科嫌いが増えたんだよね。
彼:そうだね。形式的で理屈過剰の「探求の学習」に子どもたちは興味を示さなかったし、必要性も感じなかった。科学的な探求の方法を重視することは、消して悪いことではない。でも、探求の方法は対象によって千差万別だ。それを画一的な方法にしてしまって、形式的に教えようとしたところに問題があったんだ。また一方では、教科書にできるだけ現代科学の成果を取り入れようとする傾向が強まった。
きみ:民間教育団体はどんな反応をしたんだい?
彼:それまで生活単元学習批判をしてきた民間団体では、見かけ上系統的な学習をうたっている指導要領の評価をめぐって、さまざまな議論が巻き起こった。そんな中で板倉聖宣さんは、文部省の教育方針が経済政策に隷属するものであるととらえながら、自然科学をすべての国民のものにすることが目標であると主張した。
きみ:科教協もテーマは「自然科学をすべての国民のものに」だよね。
彼:このテーマの裏には、現代科学の先端的なことに目を奪われることなく、科学の基本的な法則や事実を理解させ、子どもの自然像を育てていこうという考えがあった。話はまた文部省にもどるけれど、1968(昭和43)年に改訂された指導要領は破綻を来たし、新たな方向を探らなければならなくなっていた。この時、視野に入っていたものが二つある。ひとつは第1次石油ショック、もう一つは公害問題だった。
きみ:どちらも、経済発展第一主義だった日本の方向を反省させるものだったね。
彼:産業界は重工業中心から抜け出しつつあった。そういう技術革新に対して、文部省は理科教育や技術教育を縮小する方向へ軌道修正したんだ。1977(昭和52)年の指導要領がそれだ。
きみ:しかし、時間数は減るものの教材は精選されないので、詰め込みがひどくなり、落ちこぼれは増えたね。
彼:政府は優秀な生徒とそうでない生徒を区別し、使う教科書も変えて、一部のエリートを養成しようという方向を打ち出したんだ。
きみ:優秀な生徒といっても、政府や財界から見た優秀さだよね。つまり、経済成長にプラスになる生徒が優秀な生徒だ。一部のそういう人間と、他の大多数の一般人を分けたんだね。
彼:こうなると、一般国民の科学的レベルを高めようという本来の目的は全く捨て去られることになった。差別選別教育の激化だ。「登校拒否」、「落ちこぼれ」という言葉が生まれたのもこの時期だ。
きみ:それに対して、民間教育団体はどんな方針を打ち出したんだい?
彼:この時期の民間教育団体の研究成果のうち、もっとも注目すべきものは日教組の「教育課程改革試案」(1976年)だ。その中で理科には「自然科」という名称が与えられている。
きみ:「自然科」ねえ。なぜを「自然科学」としなかったんだろう。
彼:これは、論議になったところだ。なぜ「自然科学」としなかったのか。その理由は、自然を豊かにとらえるという考えが根底にあったためだと思う。
きみ:どういうこと?
彼:「自然を豊かに」という言い方には、自然の存在のしかたの基本をとらえるだけでなく、ひとつひとつの事象の特徴をもとらえる、ということを含んでいる。それから、単に自然科学の成果を手がかりにして自然を知るだけでなく、遊びや生活の中で、あるいは自然誌的な活動の中で自然を認識しようということも含まれている。理科は、自然科学という学問の基礎を教えることが目的ではなく、それを使って、自然そのものを正しく理解・認識させることが目標だと考えたわけだ。
きみ:なるほど。
00A−067
差出人:藤田 勲
送信日:00年9月24日
件 名:二酸化炭素のゴム膜透過に関して
こんにちは、藤田です。
盛口先生の質問に関して私なりに考えてみましたので、みなさんのご意見をお聞かせください。
ます、気体が膜を通過するときの膜構造は大きく毛細管集合膜と液体膜に分けて考えることができます。
前者は毛細管を通ることができるような小さな分子が膜を通って外にでることができますが、大きな分子は出られません。したがって、このタイプの多孔質膜には濾過や透析に使う焼結膜や延伸膜があり、分子の物理的な大きさで気体を分離することができます。ふるい分けよる効果ですね。
これに対して、後者は均質で穴のない膜の場合に相当します。この場合には、膜にとけ込みやすく膜の中を通る速度、すなわち拡散速度の早い分子が膜を通って外に出ることができます。液体膜は溶解と拡散の効果で気体を分離できることになります。透過性は分子の大きさではなく極性などの電気的な性質や膜への吸着性が関係してくるものと思われます。イオン交換膜がこれに当たります。風船のゴム膜の場合にも材質は天然ゴムまたは加硫ゴムでしょうから、中身は均質な高分子膜で液体膜に相当すると思われます。
ところで、一般に気体がkのような液体膜を透過するときの単位時間内の流量Q(m3/s)すなわち透過速度は、膜の内外の圧力差の勾配i(Pa/m)と気体が接している膜透過面積A(m2)に比例することになります。このときの比例定数Pを透過係数と呼びます。圧力勾配iは膜内外の圧力差ΔP{=P(2)-P(1)}(Pa)を膜厚l(m)で割ったものですから、Pの単位はm2/(s*Pa)となります。
Q=P*i*A
=P*ΔP/l*A
一方、気体の液体膜透過は溶解・拡散機構、すなわちガスが膜中に溶解し、膜中での濃度勾配により拡散し透過するという機構に従うものと考えられます。したがって、気体が膜内を拡散する時の、単位時間内に単位面積を通過する際の流量、すなわち流束Jは膜内の拡散方向における濃度勾配dC/dxに比例することになります。これはフィックの拡散方程式ですね。このときの比例定数Dが拡散係数と呼ばれるものです。
J=−D*(dC/dx)
風船内 高圧P(2) 気体濃度C(2)
_______ __(溶解平衡)___
膜厚 l とけ込んだ気体濃度C(2)’
(拡散)
放出される表面上の気体濃度(1)’
−−−−−−− −−−(溶解平衡)−−−
風船外 低圧P(1) 気体濃度C(1)
このとき、膜内気体の濃度勾配-dC/dxは膜内から膜中にとけ込んだ気体の濃度C(2)’と膜中から膜外に放出されるときの気体の濃度C(1)’の差を膜厚lで割ったものと考えることができます。さらに、膜中にとけ込んだ気体濃度C(2)’は膜内の気体濃度C(2)と平衡の関係にあると考え、同様に、膜中から膜外に放出されるときの気体の濃度C(1)’も膜内の気体濃度C(1)と平衡にあると考えます。これはちょうど気体溶解に関するヘンリーの法則と同様の考え方です。したがって、気体の膜への溶解度係数、すなわち膜中と気層へのガスの分配係数をS(=C’/C)とすると拡散流束Jは次のようになります。
J=−D*(dC/dx)
=D*{C(2)’−C(1)’}/l
=D*{C(2)*S−C(1)*S}/l
=D*S*{C(2)−C(1)}/l
ところで、流束Jは流量Qを膜透過表面積Aで割ったものに等しく、膜内外の濃度差{C(2)−C(1)}は膜内外の圧力差ΔP{=P(2)-P(1)}と気体の状態方程式で関係づけることができますから、気体の透過係数Pと拡散係数Dと分配係数Sの間には次の関係が成り立つことになります。
P=D*S
このようにして、液体膜場合には気体は膜内表面から吸着・溶解し、膜中を一定の速度で拡散して膜外表面で脱着・発散して外に出て行くわけです。そして、このとき気体の透過性を決めるものはDとS、すなわちPであるということになります。
一般に、水素は分子量が小さいので膜内を拡散しやすく拡散係数Dが大きく、二酸化炭素では分子量が大きく沸点が高いために膜表面に強く吸着・凝集し、しだいに浸透していくと考えられていて分配係数Sが大きくなるといわれています。しかし、二酸化炭素の拡散係数Dは分子量が大きいので小さくなるでしょう。Sは溶解度係数とも呼ばれていて、膜と気体との親和性を示しますので、一概に分子量とは関係づけられず、極性が大いに関係するものと思われます。また、拡散係数Dはその膜の材質の密度に関係し、柔らかいゴムのようなものではゴムの活発な分子運動の隙間に沿って気体は拡散しやすく拡散係数Dは大きくなる傾向があり、硬いプラスチック膜では小さくなる傾向があります。なお、一般に膜が厚くなれば透過性は吸着・凝集しやすさより拡散しやすさが効いてくると言われています。
そこでゴム膜に対する各気体の透過係数(25度)と拡散係数を調べてみました。今、単位等は気にしないことにします。
He H2 O2 N2 CO2
透過係数 - 69 13 4.6 76(天然ゴム)
拡散係数 21.6 10.2 1.58 1.10 1.10(加硫天然ゴム)
ゴム膜の透過性は拡散係数がもっとも小さいCO2が、もっとも大きな透過係数を持つことがわかります。これはCO2がゴム膜への分配係数が大きいために他なりませんね。拡散係数が小さいのは分子量が大きいから膜内を動きにくい、と理解できますが、分配係数、すなわちゴム膜への溶解度が大きいのはなぜでしょうか。
実はCO2の大きな透過係数はゴム膜に限らず、ほかの高分子膜、例えばシリコーン、ポリエチレン、ポリ塩化ビニリデンなどでも言える現象で、この場合すべてCO2はO2やN2より大きくなります。この場合もおそらく透過係数が大きいのはCO2の高分子膜へのCO2溶解度が大きいからだと思われます。以下に各種高分子膜に対する透過係数を示します。
He O2 N2 CO2
シリコーン 216 352 181 1120
ポリエチレン 4.93 2.89 0.97 5.18
ポリ塩化ビニリデン0.109 0.00046 0.00012 0.0014
ブチルゴム 8.42 1.30 0.325 5.18
シリコーンゴム膜は全ての気体、特にCO2を大変透過しやすいことがわかります。これはシリコーンが高分子鎖間の凝集力が弱いため、気体が拡散しやすいからでしょう。シリコーン膜はO2とN2の透過係数の差を利用して空気から酸素濃度の豊富な酸素富化空気を得るのに実際に利用しているようです。また、ポリ塩化ビニリデン、すなわちサランラップはどの気体もきわめて透過しにくいことがわかります。これは高密度、高融点であるためどの気体の拡散係数も小さくなるためでしょう。環境ホルモンの問題がなければラップにもってこいですね。
いずれにしてもどの膜に対してもCO2がほかに気体よりも大きな透過係数を持つわけは、拡散しやすさによるのではなく、主に炭化水素からなる高分子への分配係数の大きさ、すなわち溶解しやすさが関係しているものと思われます。
よく知られているように、石油にCO2はブタンガスと同程度溶けます。メタンはほとんど溶けません。分子量が大きく沸点が高い無極性の気体ほど石油のような溶媒に溶けるのは、分子間力で自ら凝集しやすいせいでしょう。同様に、高分子膜に単するCO2の溶解性の良さは、膜表面に分子間力で凝集、吸着しやすいことによるものと思われます。この結果、CO2の透過係数は典型的な炭化水素からなる高分子膜に対してはほかの気体よりも大きくなるの考えることができます。この推論が正しければ、ブタンガスもメタンガスより風船膜を早く通ることになりますので、風船は早くしぼむことになるはずです。そしてたぶん、空気や水素よりも早いかもしれません。
以上は山本さんからの個人的なメールと主に『膜は生きている』(日本化学界、大日本図書)と『膜の化学』(妹尾学、大日本図書)と『分離膜のはなし』(大矢晴彦、日本規格協会)を参考にしました。ただし、あまり丁寧に文献に当たっていませんので、いい加減なところもあります。みなさんのご意見をお持ちしています。
00A−068
差出人:中臺 文夫
送信日:00年9月24日
件 名:交流電解について
今晩は、中台です。
前回いい加減に書いたので、訂正版です。
アルミの建材の着色に交流電解が利用されている。
硫酸などの酸中で アルミニウムをアノード溶解をするとアルミ表面に強固で緻密な皮膜が形成される(当然Al2O3でしょう)しかし間もなく、緻密なバリア層に微細な穴が生じポーラスな酸化皮膜が生じる。このAl2O3は酸化には安定であるが、活性で、ニッケルを含む電解液中で交流電解をすると穴の中に、ニッケルが析出し、発色する。この電解着色法は浅田法と呼ばれ、日本で開発され、現在では世界で工業的に広く用いられている方法である。
A1の着色法は、この電解着色法が主流で、他に有機染料や無機染料を用いる染色法や、有機酸を主成分にした電解液を用いてゴールド、ブロンズ、グレーなどの色調を得る電解法(自然発色法)などがあり、このようにして、カラーのアルミ建材が作成されている。
他に、
日常よく目にする印刷物は、凸版印刷法、凹版印刷法、平版印刷法で印刷される。全体の約7割(1985年)を占める平版法(平版法の主流をオフセット印刷という)において、使用されるアルミニウムブレートをPS版という。このPS版のアルミニウム表面に“砂目たて”という加工が、交流エッチングで行われている。これは、交流を用いることにより、還元反応と酸化反応が交互に起こり、還元反応でアルミニウム表面に皮膜が形成され、これが抵抗となって、酸化反応でのアルミニウムの溶解が選択的となり表面に微細で均一な砂目が形成されると考えられている。印刷産業は15兆円の市場と言われ、その主要部分をPS版が占め、世界の大半を最先端技術を持つ日本が生産している。
私の覚え違いでした、電解コンデンサーは交流のエッチングを使用していないようです。
最後に、私は千葉県のために持っていないが、都研の発表に電解でアルミに着色をする実験が発表になったことがある様に覚えています。私が知っているので10年以上前でしょうか?
使用した本は、小沢昭弥企画監修,現代の電気化学,新星社,p.149,169(1990)電気化学協会編,新しい電気化学,培風館,p.144(1984)
00A−069
差出人:中臺 文夫
送信日:00年9月24日
件 名:盛口 襄論文紹介
今晩は、中台です。
牛乳の件ですが、3回送って3回とも駄目ということはもう止めろと言うことでしょう。内容は、大会での内容の半分ですから、大したことありません。ところで、ということは、金属についてのメールも届かなかったということでしょうか?送る方法を聞かないと駄目ですね。ところで、ワードで送ったものも駄目でしたよね。マックだからでしょうか?
交流の電解で、山本先生の意見ですが、電圧が高いと様々な反応が起こりあっと言う間に電圧降下を起こしてしまいませんか?どうでしょうか?
さて、盛口 襄先生が2年前、春の日本化学会の春の年会で化学教育有効賞を受賞されたのですが、ご存知でしたか?友人から知らない人いっぱいいるよと言われて、そうかなと思ってメールしました。化学会に入っていないと分からないですね。先生の業績をまとめたんですが、これらの資料をお持ちでしたら、コピーでもメールでも結構です。送って下さい。宜しくお願いいたします。また、1997年以降の発表をご存知の方もお知らせ下さい。お願いします。まとめられたらと思っています。
(後略)
00A−070
差出人:藤田 勲
送信日:00年9月25日
件 名:二酸化炭素のゴム膜透過に関して(2)
こんばんは。
風船に実際にガスを詰めて透過性を確認してみました。空気は直接息を吹いて、二酸化炭素は簡易ガスボンベから、ブタンもカートリッジガスボンベから入れました。3つのゴム風船をほぼ同じ大きさに膨らませて放置しておいたところ、30分もしないうちにブタンは空気の半分以下に、二酸化炭素は空気の7割ぐらいにしぼんでしまいました。水素とヘリウムはまだやっていませんが、ほぼブタンについては予想通りなったといえます。
でも、ほんとに私の推論で正しいのでしょうか。みなさんはどう思いますか。
00A−071
差出人:林 正幸
送信日:00年9月26日
件 名:水害から学ぶ動き
こんばんは、林です。
プロバイダーが1週間もクラッシュしていてやや困りました。
中台さん、テキストファイルには直りませんか。「ワード」を持っていないと、それで作成したファイルは読めません。8月31日付けメール「新日鉄に行きました」はOKでした。外に「金属について」のメールがあったのでしょうか。そうそう、中台さんの鉄の変態の話を読み、たまたまサイエンス10月号にも安彦兼次執筆「究極の超高純度金属」が載っていて、お陰で「授業プリント」の12章「遷移金属元素の単体と化合物」の残りの内容をその種の話にしようと決めることができました。完成したらまた、ホームページに掲載して皆さんにお知らせします。
山本さん、「自然科教育基礎論」興味深く読んでいます。それから塩化コバルトですが、もしCoCl2 から[CoCl4]2- ができるとすると、塩素を失ったCo化合物がもうひとつできる必要がありませんか。
それから硝酸銀の続きですが、私の古い分析化学の本には、銀イオンは炭酸ナトリウム水溶液で炭酸銀の白色沈でんを生じるとありました。そして煮沸すると黄色ないし褐色の酸化銀になるそうです。炭酸イオンがしっかり存在するのでその意味でむしろ炭酸銀の生成は自然です。しかし色の記述が気になります。ひとつのチェックポイントは、炭酸銀なら酸性にすれば二酸化炭素が発生するはずですね。時間を見付けて試してみたいと思います。
杉山(剛)さん、「どきどき化学なるほど実験」の出版、おめでとう。アルケミストのホームページに出版紹介をしていて、現在は盛口さんの「オゾン層は守れるか」を掲載しています。よければ本を郵送してください(もちろん代金は送ります)。とりあえず紹介期間は1年くらいとしています。
「二酸化炭素のゴム膜透過」の話、さすが藤田さんと感心しました。要するに
「透過係数Pは拡散係数Dと分配係数(溶解度)Sの積に比例する」
のですね。私はこれほど理論的にはとらえませんでしたが、二酸化炭素がゴムと馴染みやすいということは考えました。それから、「毛細管集合膜」でも分配係数(吸着度)が利いてくるように思えます。それは一種クロマトグラフィ的状況ではないでしょうか。
いま愛知の仲間では、水害から教訓を引き出し、それを教材化しようとする動きがあります。学校も、暴風警報のマニアルはありますが、大雨警報の方は抜けています。自分たちが住んでいる地域を再認識し、ハザードマップをつくり、地域に合った防災計画を練り上げる必要があります。改めて教育の目的が問われています。
ではまた。
00A−072
差出人:山本 喜一
送信日:00年9月28日
件 名:ゴム風船を透過する二酸化炭素について
みなさんこんにちは、山本です。
最近、ゴム風船を透過する二酸化炭素について話題になっています。私も盛口先生から、このことについてファックスをもらい、あれこれ調べていました。そしてHPを検索しているうち、茨城大学の小野先生という方が、この方面のご専門であることを知りました。そこで、さっそく質問をお送りしたところ、ていねいな回答が寄せられました。先生とは何回かメールを交換し、いろいろと教えていただきました。その主要な部分を転送したいと思います。
(私から小野先生へ)
二酸化炭素を入れたゴム風船と、ヘリウム入りの風船ではどちらの方が速くし
ぼむかについて、私も実験してみました。使った風船は、玩具として市販されて
いるもの、ガスは両方とも、実験教材として販売されているものです。二酸化炭
素とヘリウムで、別々の風船をほぼ同じ大きさに膨らませ、口をばって20〜3
0分間放置しました。すると、明らかに二酸化炭素の風船の方が小さくなりまし
た。次に、風船から気体を抜いて、二酸化炭素を入れた方の風船にヘリウムを、
ヘリウムを入れた風船に二酸化炭素を入れて膨らませてみました。これでも、二
酸化炭素の方が速くしぼみました。このように、二酸化炭素の方が速く風船のゴ
ム膜を透過するものと思われます。
私の知人たちも、この原因をいろいろ調べているのですが、よく分からないよ
うです。ゴムが化学的に二酸化炭素と相互作用して、ゴム内部に拡散しているの
ではないかなどと想像している人もおります。何か情報がありましたら、教えて
いただければ幸いです。
(小野先生から)
気体の透過係数Pは、P=DSと表すことができます。ここで、Dは拡散係数、
Sは溶解度(気体のゴム中への溶解度)。先日メールいたしましたように、Dは
炭酸ガスではヘリウムの1/20程度ですが、天然ゴムへの気体の溶解度は炭酸ガ
スの方が100倍くらい大きく、結局Pは炭酸ガスが5倍程度透過しやすくなりま
す。もちろんゴムの種類、添加剤等によっても変りますが、Sが大きいことが炭
酸ガスが透過しやすい原因です。Sは気体のファンデルワールス力とよい相関が
あり特別に化学的相互作用があるわけではありません。混乱させるお答えをして
しまいましたが、このメールの考えで実験事実はすべて説明できると思います。
(小野先生からの補足)
昨日は出張の直前に溶解度のデータをみつけたので詳しいことが申し上げられ
ませんでした。天然ゴムへのヘリウムおよび炭酸ガスの溶解度はそれぞれ
0.011、0.9cc(STP)/cc×atmで約90倍炭酸ガスが大きいのですが、以前メールで
お知らせしたように拡散係数は約20倍Heが大きくその結果透過係数は炭酸ガスが
約4.5倍大きくなります。
溶解度の対数は、気体のレナードジョーンズポテンシャルや沸点に対し直線的
に変化することがわかっていますが、炭酸ガスの溶解度は天然ゴムのような極性
の小さなゴムに対してはその直線から下に外れます。従って、炭酸ガスはむしろ
「予想外に透過しにくい」気体であるというのが真実です。テレビで「炭酸ガス
とゴムの間に特別な相互作用があり、そのために透過しやすい」という表現は間
違いとなりますので使わないよう、担当の方に申し上げてください。
NBR(アクリルニトリルーブタジエンゴム、耐油性ゴム)ではニトリル含有量
を増加させて極性を大きくすると極性のない気体分子の溶解度は減りますが、炭
酸ガスの溶解度は急激に増加します(炭酸ガスも一応無極性気体ですが)。つま
り、極性のゴム或いは極性の添加物を含むゴムでは「炭酸ガスとゴムの間に特別
な相互作用」があるといえるかも知れませんが、そのようなゴムは普通は風船に
使っていないと思います。
このような現象は大まかに言えば気体の液体に対する溶解度と同様に考えれば
よいと思います。
00A−073
差出人:山本 喜一
送信日:00年9月29日
件 名:岩田好宏著「自然科教育基礎論」(5)
こんにちは、山本です。
岩田さんのまとめの5回目です。ここでは、学校教育(特に教科教育)の役割とは何か、というテーマが中心です。まずはじめに、環境問題を例にして、学校教育はなぜ必要なのかが述べられています。
4章 自然科教育と教科教育のあり方を考える
1.環境問題から教育のあり方を考える
彼:まず、環境問題から、教育のあり方を考えてみたい。そして、教育が子どもや若者にとってどういう意味を持っているのかを考えてみたい。結論を先に言ってしまえば、教育には若者の生活感覚にリアリティを与える役目があるということだ。
きみ:リアリティとは?
彼:この世界の中で自分がどんな位置にあるのか。世界全体の動きと自分の生活とは、どんな関係にあるのか。そういうことを生き生きととらえさせることだ。
きみ:現実の生活から出発して、広く多様な世界に若者の目を向けさせて、視野を広げる。そして、ふたたび現実の生活をとらえなおし、新たな生活の取り組みができる力を育てる。そういうことだね。
彼:そうだ。そしてもう一つ、教育は歴史教育という形態をとる必要がある。環境問題はそのことも示唆している。
きみ:じゃあ、環境問題から話してくれ。
彼:1997年に、千葉市内の中学生とその父母にアンケートをとったことがある。20?30年後の生活に対する予想と期待を聞いたものだ。中学生も父母も第1位にあげたのは、環境問題の改善だった。中学生の第2位は犯罪防止、3位はスポーツ振興だった。一方、父母の2位は生活の安定と健康、3位は経済の安定だった。
きみ:環境問題は生きていく基盤の危機だから、1位になるのは当然かも知れないね。
彼:しかし他の項目と比べてみると、環境問題は質が違う面を持っている。一般市民が、この問題による被害を実感として持っていないことだ。
きみ:なるほど。そういわれてみれば、犯罪や健康、経済問題などはその被害を実感できる。でも、環境問題による被害は、まだ感じていない人が多いね。
彼:このことは、人々の生活感覚が日常生活からはるかに離れたところにまで及んでいることを示している。地域での環境問題は、日常生活での体験から問題意識が生まれた。しかし、地球規模での環境問題となると、日常の生活経験から生まれてくるものではない。
きみ:温暖化による海面上昇など、まさにそうだね。海の見えないところに住んでいる人にとって、それは日常的な問題ではないよね。でもそれを深刻な問題と受けとめている人は多い。
彼:レイチェルカーソンの「沈黙の春」もシーアコルボーンの「奪われし未来」も日常感覚の延長で生まれたものではない。自然誌的な研究を土台にして明らかにされたものだ。
きみ:なるほど。確かに地球環境問題というものは、狭い日常生活に閉じこもっていたのでは気づかないことだね。
彼:しかし、地域の環境問題も日常感覚を越える発想が、最終的には大きな意味を持ったと言える。例えば、三島・沼津地域に化学コンビナート誘致計画が持ち上がったとき、その地域の人たちは四日市や千葉市の大気汚染に目を向けた。そして現地を調査し、文献に学んだ。こういう姿勢は日常の生活感覚を越えたところからの発想だね。
きみ:環境問題は地域的なものでも地球規模のものでも、日常を越えたところで、ものを考える必要性があるということだね。
彼:そういうことだ。環境問題は、身の回りのことと広く多様な世界とを結びつける必要性をわれわれに教えている。だから、環境問題を教育に持ち込めば、若者たちにそういう視点を持つことを示せるはずだ。
きみ:教育は生活や常識の中に埋没したものであってはいけない。同時に、実生活や常識とのつながりを欠いた空虚なものであってもいけないわけだね。学校教育は、日常経験と広い世界とを結びつけ、日常を越えたところでものを考えさせる役割があるというわけか。
彼:例えばフロンという物質の使用量の増加、皮膚ガンの増加、紫外線の増加、オゾン層の破壊、それらひとつひとつは、一見関係のない個別の変化のような気がする。また、一般市民にとっては、皮膚ガンの増加以外は日常生活では感じ取ることのできないものでもある。これらをつなぎ合わせ、全体の因果関係を捉えるという見方は、学校のような社会的システムの中でないと学ぶことができないだろう。
きみ:そういう意味で、学校教育の必要性があるわけだね。
彼:最後にもう一つ。環境教育はこれからの人間の生き方や、社会のあり方を追求する学びを含んでいることを指摘しておこう。つまり、教育は歴史的でなければならないということだ。教育は、これまで生きてきた者と、これから生きていこうとする者の対話だと言える。両者でこれからの歴史をどう作るのか、という課題を話し合うんだ。
00A−074
差出人:山本 喜一
送信日:00年9月29日
件 名:ゴム風船を透過する二酸化炭素について(2)
(前略)
藤田さんも小野先生も、ゴムに二酸化炭素が溶けることの重要性を書いていますね。小野先生のメールには、二酸化炭素は無極性分子だけど、他の無極性分子と比べると無極性のゴムに溶けにくいことや、NBRのような極性の大きいゴムに良く溶けることも述べられています。私はここを読んで、以前、液体二酸化炭素に何が溶けるのかを実験したことを思い出しました。透明塩ビチューブにドライアイスと他の物質を入れて密閉し、液体二酸化炭素を作って溶解性を見た実験(アルケのナイターでやった実験)です。液体二酸化炭素はヘキサンやベンゼン、ヨウ素などの無極性分子を溶かしますし、メタノールやアセトンのような極性の大きな分子も溶かしました。二酸化炭素分子は全体としては無極性分子ではあるものの、CとHに+と−の電荷を持っているために、いろいろなものを溶かすのではないかと思っています。二酸化炭素も奥が深く、おもしろい分子だと思いました。
では。
00A−075
差出人:野中 直彦
送信日:00年10月1日
件 名:文化祭の取り組み
あなたは、日曜日がくるのが待ち遠しくありませんか。夏休みが終わったとたん、冬休みはいつかと考えていませんかと言われて、「今の自分は、その通りだ」と答えてしまっています。クラスの半分は協力してくれるが、全くないもしない生徒がいる文化祭。職員劇で協力してよる11時に帰宅、朝は5時半に起きて通勤が毎日2時間。確かに、新しい学校に転勤して、自分なりに毎日格闘しながら、「自分の存在を認めてもらい、まわりの教員からもごくろうさんといたわれてくると安心感が生まれてくるものかもしれない」。見通しがたたない中で格闘することのえらさを感じて冒頭のような気持ちになるのです。
でも、球技大会でボールを真剣におう姿をみるとそんなに荒れていないと感じる。教員と同じように、生徒である彼らも日曜日が待ち遠しく、冬休みが待ち通しいのは、学校が安心できる場になっていないからだと思うのです。では、お互いに安心できる場に学校をしていくためにはどうしていけばいいのか。それを模索しながらの毎日です。
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