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00A−271
差出人:野中 直彦
送信日:01年5月17日
件 名:支部長12

野中です。
(中略)
3)おかしいことがおかしいと言える感性と勇気を持ちたい。
 魑魅魍魎とした教育の世界で、特色化、資質向上、等々で、学校を生き残り競争をさせている。本来、教育の内容に、行政・政府は入るべきでないとの「教育基本法の理念」を逸脱し、どんどん好きなように変えようとしている。教育は、こんなんでいいのかと疑問に思ってしまう。
 ○○な管理職がいて、権力だけを誇示し、見てくれだけを何とか取り繕うことばかり考えていると、学校が崩壊、学級が崩壊、教師がつぶれることになる。
 私たち教員が、生徒を前にした最前線にいることを自覚したい。上から言われたから、そのまま言って言うことを聞かせることだけに固執すれば、力で押す教育しかない。合意という言葉には、「自治の合意」と「みてくれの合意」とがある。みんなで、話し合い・語り合い、わかりあっていくことで、合意をえる。子どもの姿に寄り添い、耳をかたむけることができて、自治の合意が生まれ、それが、集団の中で信頼や正義が生まれてくると思う。やらせや、押しつけの合意でも確かに見てくれはいいのですが、真に力はついていないと思うし、その中で子どもは傷ついているのではないかと思う。今、子どもも一人ひとりが「聞いてほしい」と思っていると同じぐらい、教員や父母も「聞いてほしい」という声があるようです。そんな声を聞いて、仲間としてつなぎ止めていくことは、大きな力になるように思います。


00A−272
差出人:藤田 勲
送信日:01年5月19日
件 名:コンニャクゼリーの話

こんばんは、藤田です。
 ゼリーの話の最終回です。ここもよく知られていることが多いとは思いますが、送らせていただきます。例によって幾つかの参考図書を挙げておきます。食品関係に関心のある人には雑誌「食の科学」がお薦めです。
吉村美紀ほか、「食の科学」(光琳、1999年10月号)、
辻啓介ほか、『食物繊維の科学』(朝倉書店、1997)、
新家龍ほか、『糖質の科学』(朝倉書店、1996)、
山田信夫、『海藻利用の科学』(成山堂、2000)、
河田晶子、『お菓子「こつ」の科学』(柴田書店、1987)

解説 コンニャクゼリーの話

生ぐさいコンニャクイモ
 板コンニャクやコンニャクゼリーは、乾燥したコンニャクイモを粉にしたコンニャク粉から作られます。食用には3年ほどたった大人のこぶしぐらいの大きさのごつい形をしたイモを用います。素手で生のイモをすり下ろすと手がヒリヒリとしてかゆくなってきますが、これはイモの中に束になって存在するシュウ酸カルシウムの結晶が皮膚を刺激することと、他にプロトカテク酸やホモゲンチジン酸など還元性の強いポリフェノール類が粘膜を刺激するからだと考えられています。また、生のコンニャクイモをかじると何とも言えない苦みやエグ味があり、不快感が口の中に広がりますが、これもこれらの成分が粘膜を刺激するからでしょう。
 すり下ろしたイモを煮ると、今度は魚の生臭さに近い悪臭がしてきます。このにおいはコンニャクイモ特有のトリメチルアミンなどのアミン臭といわれるのもです。長く放置したときのオシッコのにおいはアンモニア臭ですが、アンモニアとアミンは親戚関係にある物質です。アミン臭は猫か何かのオシッコに近い感じのにおいのようにも感じます。実はアミン臭はコンニャクの花が特に強く放出するにおいです。このにおいの大好きなハエがコンニャクの花に引き寄せられ、その結果コンニャクの花粉が運こばれてコンニャクの花は実を結ぶと考えられています。コンニャクが悪臭を放つのにはそれなりの意味があるわけです。

アルカリで固まるコンニャク
コンニャクイモは煮てもジャガイモやサツマイモのような甘味は全くなく、そのままではとても食べられません。これはコンニャクイモに含まれている多糖類とジャガイモなどの多糖類では同じイモでもその種類が違うからです。いすれの多糖類もそれぞれのイモが太陽エネルギーを使って合成したもので、将来、芽を出すために必要な栄養を糖の形でたくわえた貯蔵エネルギーです。ジャガイモの多糖類はブドウ糖だけが無数につながったデンプンといわれるものです。人が甘味を感じることができるのは、だ液でこのデンプンを甘い麦芽糖やブドウ糖に分解できるからです。一方、コンニャクイモはブドウ糖とマンノースが適当な割合で無数につながったグルコマンナンといわれるもので、人はそのだ液では分解することができません。したがって、煮たコンニャクイモを食べても、人は甘さを感じず、そのままでは食用になりません。
 しかし、すり下ろして煮たノリ状態のコンニャクイモを灰汁や石灰などのアルカリでさらに煮るとしだいに固まってきます。この弾力のある固いゲルがコンニャクです。ゲル化するのはグルコマンナン中にわずかに存在するアセチル基と呼ばれる部分がアルカリによってはずれることで、コンニャク分子がラセンをうまく巻くことができるようになり、お互いのコンニャク分子同士が強く結びつきあうからだと考えられています。
 何といってもこのゲルの独自の歯ごたえがコンニャクの魅力ですから、ヘルシーでノンカロリーに近いという点や成形自由でいろいろな形のものを作ることができるという点、味付けや他の食品との組み合わせが容易という点を生かして、現在はサラダ風、刺身風、漬け物風、煮物風などのいろいろな商品開発が進んでいます。
なお、コンニャクと同じサトイモ科のサトイモや山芋にも多少グルコマンナンがありますし、中国では魔イモと呼ばれるコンニャクイモが魔イモ豆腐として食べられているそうです。

他のノリとの混合でも固まるコンニャク
コンニャクノリを普通にアルカリでゲル化させたのでは果汁の味が変わってしまってゼリーには向きません。しかし、面白いことにコンニャクと同様に単独ではゲル化しないキサンタンガムというノリと混合することで、混合したノリは粘り気の強いゲルになることが知られています。キサンタンガムは微生物が作るノリです。このノリは2重ラセン構造をとっていて、そこにコンニャク分子がさらに会合することで分子同士がからまり合ってゲル化すると考えられています。
 今回はキサンタンガムと同じく2重ラセン構造を持つカラギーナンと混ぜることでゲルを作りました。カラギーナンは寒天ほどではありませんが、酸にやや弱く、水が分離しやすく、もろいという欠点があります。しかし、コンニャクとの混合で粘り気があって離水しにくいゲルが酸性溶液でも作ることができるようになりました。これがコンニャクゼリーです。なお、一緒に加えたローカストビーンガムというノリもカラギーナンにからまり合ってゲルを丈夫にしています。
 混合によりゲル化するノリの組み合わせは、これ以外にもコンニャクとジェランガムの組み合わせやローカストビーンガムとキサンタンガムの組み合わせなどが知られています。また、コンニャクを寒天に混ぜることで寒天のもろさを改善する試みなど、混合ゲルで食感を変えた新しいゼリーの開発が盛んに行われています。したがって、コンニャクゼリーに限らず、現在市販されているゼリーの多くは1種類のゲル化剤を単独で使っているものは少なく、数種類を組み合わせているものが普通になっています。


00A−273


00A−274
差出人:中臺 文夫
送信日:01年5月20日
件 名:久しぶりに雉害です

今晩は、中台です。
 まったく関係ないことですが、くだらないメールを送ります。有明湾の海苔ではないのですが、里山からのメールです。
 私の家のすぐ近くの林(このあたりは山と呼びます)が切り開かれて養老病院が建ちます。今建設中で、私の近くには他にもう2棟立っていますので養老病院だらけになります。
 その影響で生息環境が悪くなったのでしょう、雉もコジュケイもいなくなりました。ところが、ここ1ヶ月あたり、畑のさやえんどうが被害にあって困ってイマス。ほんの少しの残された林に住んでいるのだと思いますが、昼間の誰もいないときにこっそり出てきて悪さをするんですね。かわいいとも思うし、たくましいものだとも思うのですが、さやえんどうは、さやをツツかれ、中身を食べられ、高いところに登ろうと跳びつくらしく枝が折られます。いままでも、さやえんどうや、ソラマメに被害があり、そら豆などは半分くらいは食べられてしまいます。夏にはとうもろこしが被害に会います。トウモロコシの皮をむいてきれいに食べるのですが、そこから腐ってきて、もう人は食べられません。トウモロコシでは半分以上がやられてしまいます。近くの農家はどうしているのでしょうか?網をやっているのをみるのですが、私の経験では余り効果がありません。一時絶滅の危機に瀕していたベンガルトラも増えすぎてこのような状態だと聞いたことがありますが、どうしているのでしょうか。養老院は私が作ったわけではありません。でも被害は一方的に私がかぶります。雉をいじめたら皆さん非難しますか?私は今石を投げていまっす。効き目は無いのですが。
 環境が悪化して、食べるものが無くなると、雉はなんと国道16号線も越えてぐるっと食べ物を求めて歩き回っているということです。なんか未来の日本を・・・思ってしまいます、こうならないことを祈って今日も草取りをしてきました。


00A−275
差出人:山本 喜一
送信日:01年5月20日
件 名:槌田敦 『資源物理学入門』(2)

こんにちは、山本です。
(中略)
 町井さんからプレ通信が来ましたね。アルケの合宿も近づいてきました。エントロピーの議論に参加するために、『資源物理学入門』のまとめを急がなければならないと思っています。今日も、何時間かコンピュータに向かってまとめを書いていました。打ち込んだばかりの部分は見直しが必要ですから、ちょっと前にまとめたところを送ります。
 この本を読んでいると、エントロピーの世界にぐいぐい引き込まれていくような気がします。私たちはエネルギーで物質を見ることには、慣れていますよね。「有機物や金属はエネルギーを持っている」という認識はあると思います。しかし、エントロピーで物を見る目は持っていないのではないでしょうか(少なくとも私はそうでした)。例えば、この本の中に、私たちが食料を食べる理由をエネルギー論(熱力学の第1法則)では説明できないと書いてありました。生きていくエネルギーを得るために、食べ物を食べるというのでは説明になっていないと言うのです。1日に2500kcalの食料を食べるとしますと、成人では同じだけの熱量を1日のうちに放出しています。それでは、何のために物を食べるのだろうか?というわけです。もちろんこの答えは、エントロピー概念を使えば引き出すことができます。この本を読んで、いわば、エントロピーのめがねをかけて世の中を見るという体験をしているような気がしています。

<本のまとめ ここから>
第1章 エネルギーとは何か
彼:エネルギー問題は混乱している。それはまず、エネルギーという言葉がいろいろな意味で使われているからだ。エネルギーという言葉は次の4つ意味で使われているね。? まず、活動を意味する「エネルギー」。日本語でエネルギッシュとか、英語でenergeticと言うよね。? 次に、活動の原因としての力や能力という意味で使われている。「住民運動のエネルギー」などというね。? 3つ目は物理エネルギー。物理学的な意味でのエネルギーだ。? そして最後に、経済エネルギー。動力や燃料を総称する言葉として使われている。
君:なるほど。でも、?の物理エネルギーも、?の動力や燃料などの経済エネルギーもcalとかJで表されるよね。どう違うの?
彼:第一に物理エネルギーは没価値、経済エネルギーはその価値が議論の対象になる。それから、物理エネルギーの基本原理は保存則なのに、経済エネルギーの原理は消費則だ。社会が活動を続けるために消費するエネルギーを求めているのに対して、エネルギーを供給する科学技術者には消費の意味がどうにも理解できない。ここにエネルギー問題の混乱が起こっている。
君:消費ねえ。僕にもよく分からないから、順々に説明してくれ。ところで、物理学の方でも、エネルギーを単に保存される量と見るだけでなく、エネルギーの質のようなものを考え始めたんじゃないかい。
彼:そうだね。経済エネルギーに相当するものは、物理エネルギーでは何なのかが議論された。そしてまず、熱学で言う自由エネルギーが提案された。これは等温変化で得られる最大仕事を示している。しかし、社会においては等温変化などという条件はほとんど存在しない。
君:自由エネルギーでは、経済エネルギーは取り扱えないというわけ?
彼:そういうことになるね。生物体内は、等温状態で化学エネルギーが仕事に変わる。だから、発生する仕事は、自由エネルギーで求められる。でも、一般の社会現象に自由エネルギーを用いても意味がないね。そこで、物理エネルギーEを仕事の生産に有効な部分Wと無効な部分W’に分けて考えることにした。
    E = W+W’   (1)
 運動エネルギーや位置エネルギーには、無効なエネルギーW’は含まれていない。そのまま全部有効エネルギーだ。しかし、高圧気体のエネルギーは、外気圧に相当する部分だけ無効エネルギーになる。高温Tの熱Qにも、無効な部分が含まれている。これは熱機関の最大効率の理論から求められる。外気温をT0とすると、
    W’= Q・T0/T
が、無効なエネルギーだ。したがって有効エネルギーは
    W = Q?W’= Q?Q・T0/T  (2)
になる。ただし、この有効エネルギー論は仕事の「生産」にこだわった理論であり、なぜエネルギーの「消費」なのかについては考えていない。しかも、物理エネルギーの範囲内で成り立つ議論であって、資源全体(例えば原子力発電所全体)を考えられるものではない。それを考えるにはエントロピー概念がどうしても必要なのだ。

第2章 消費の理論
彼:消費という言葉に対応する物理学的な言葉は、拡散だ。
    経済学の消費 = 物理学の拡散  (3)
 例えば、石油を消費すると言うね。これは、石油に含まれている物質やエネルギーが排ガスや廃熱になって空間に拡散することに相当している。拡散の程度を示す物理量はエントロピーだ。
君:いよいよエントロピーのお出ましだ。
彼:自然現象でも社会現象でも、物事の変化には可逆現象と非可逆現象がある。非可逆は巨大数の法則であることをまず確認したい。例えば図1aのような二つの容器があって、右室に1gの気体を入れたとする。気体分子は動き回っているので、次の瞬間には左室にも、気体の一部が存在する。そして最終的には図1cのように、どちらも同じ濃度になって落ち着く。この状態では、右室から左室へ移動する気体分子の数と、左室から右室へ移動する数が同じになっている。
君:平衡状態だね。
彼:こういう現象を物理では拡散と言っている。この場合は気体という物の拡散だが、高温度の熱が低温へ移動するのも拡散だ。また、力学的エネルギーが摩擦などで熱になるのも拡散だ。いずれも、非可逆であることに注意して欲しい。こうした拡散の程度を表す物理量が、エントロピーだ。気体は拡散の前はエントロピー小、拡散中は増加中、平衡ではエントロピー最大だ。
君:拡散によって、エントロピーは増大するということだね。
彼:そして、拡散は非可逆変化だから、エントロピーは必ず増大するわけだ。ところで、分子数が少なくなるとそういうわけにはいかない。例えば容器の中に分子が2個しかないとしよう。はじめ2個とも右室に入っていたとして、次の時刻では左右に1個ずつ、次に左に2個になるかも知れないし、右に2個になるかも知れない。この場合、元に戻ってしまうことになる。エントロピーはいったんは増えても、次には減少することになる。したがって、少数の世界では拡散という現象はなくて、エントロピーという考え方も成り立たないんだ。
君:なるほど。
彼:ところで、熱学がなぜ理解しにくいかといえば、エントロピーというものが無から有が生じるように発生するところにある。物理学では、無から有が生じるように見える現象に対して、多くの場合、隠れていたものが現れただけだと説明してきた。ところが、熱力学の第2法則だけ、エントロピー増大の法則であって「無から有が生じる法則」なんだ。これでは分かりにくいのは当然なので、ポテンシャルエントロピーという考えを導入しよう。
君:つまり、熱や物にはポテンシャルエントロピーという隠れたものがあって、それがエントロピーになって出てくると考えるわけだね。
彼:そうだ。ところで、エントロピーは拡散の程度を表すものだから、ポテンシャルエントロピーというのは拡散する能力とも言える。つまり第2法則は「物事の中に存在する拡散能力が、エントロピーに転化すること」と言い換えられる。ただしこれは一方通行だ。拡散能力がエントロピーになることはあっても、いったんエントロピーになってしまったら拡散能力には戻れない。拡散は不可逆だからね。
君:具体的に話してくれないかい。
彼:石油は1gあたり10kcalの燃焼熱を持っている。これを適当な方法で燃やすと、1500℃の温度が得られる。今、1500℃の熱だめをつくっておいて、そこから10kcalの熱を取り出したとしよう。この熱が持っているエントロピーは、
    S = Q/T = 10000/(1500+273) = 5.6cal/deg
だ。この熱で100℃のお湯を沸かすとエントロピーは、
10000/(100+273) = 26.8cal/deg
になる。さらに熱拡散で、外気温(20℃とする)になると、
    10000/(20+273) = 34.1cal/deg
になる。そして、この熱はもはや役に立たないので、棄てることになる。
君:つまり、10kcaの熱のエントロピーは5.6cal/degから26.8cal/degに、さらに34.1cal/degに増えたわけだ。
彼:つまり、石油には34.1cal/degだけの拡散能力が存在していたと言える。
君:しかし外気温が20℃でなければ、拡散能力の値も変わるよね。
彼:そうだね。でもそれだけじゃない。石油はそれだけじゃ拡散能力を持っているとは言えないんだ。酸素と化合してはじめて燃える。つまり、酸素を含む空間があれば、そこに拡散できるものが石油だと言えるだろう。でも普通は酸素のことは棚上げにして議論している。石油のように拡散する能力の大きい資源を、低エントロピー資源と呼ぼう。持っているエントロピーが小さくて、拡散後のエントロピーが大きく、使用が簡単な資源のことだ。
君:使用が簡単なことも条件なの。
彼:例えばオイルサンドは使用が簡単ではない。だから、低エントロピー資源とは言わない。それから、山塊は大きな位置エネルギーを持ってはいるが、誰もそれを利用しようとは思わない。使用が簡単ではないからね。
君:水はどうなの。
彼:水は燃料のような低エントロピー資源ではない。拡散する物体ではなく、熱や物質を拡散させる空間だからね。しかし、消費の過程で燃料と同じ効果を持っているので、便宜上、低エントロピー資源としている。ところで、拡散する能力を持ったものは、自分自身が拡散するだけではなく、その能力を他のものに転化することもできる。
君:というと。
彼:例えば、図1aで管に発電器を入れておけば、図1bの過程で動力を生産できる。しかし、図1cの状態になったら、もはや動力を生み出す能力はなくなる。そこでまず、右室を冷やして気体を液体にする(過程1)。そうすると気体分子はは右室にもどってくる。次にパイプを閉じてから、右室をもう一度暖める(過程2)。そうすると、図1aの状態に戻って、拡散する能力と拡散する空間が生まれ、再び動力が取り出せる。これが熱機関の原理だ。エントロピー増大の法則があるにもかかわらず、なぜ図1aの状態が再生できたのか。それは、図1cの状態からエントロピーを抜き取ったからだ。
君:つまり、図1cで右室を冷やしたということ?
彼:そうだ。ところで、冷却しエントロピーを受け取るためには、水や空気が使われる。加熱するには燃料が必要だ。つまり、この熱機関を使い続けると、燃料の拡散能力を使い果たし、その結果生じる廃物と廃熱を、空気や水という空間に拡散させることになる。

第3章 生産の理論
彼:生産というのは、原料資源から製品を作り出すことだよね。鉄鉱石などの原料資源はエントロピーが大きい。だから、エントロピーを取り除かなければ、鉄は作れない。しかし、原料からエントロピーだけを除くことはできない。だから、拡散能力のある石炭にエントロピーを吸収させて鉄をつくるんだ。石炭は鉄鉱石からエントロピーを受け取って、廃熱や廃物になる。
君:石炭は還元剤だと理解していたんだが・・・。
彼:もちろんそうだ。だけどここで問題にしているのは、エントロピーだ。そのようすを右図に示そう。火力発電なんかもこの図で説明できる。一般に、火力発電は石油を燃やして動力を取り出し、それを電気にかえるものだと思われている。しかしそれは考え違いだ。石油を燃やしたて出た熱はエントロピーを持っている。だから、そのままでは動力にならない。動力はエントロピーゼロのエネルギーだからね。
君:熱からエントロピーを取り去らないと、動力にならないということ?
彼:その通りだ。熱からエントロピーを抜き去るには、多くの場合、水が使われる。冷却水だ。水の消費で動力が生産できるんだ。水のように他のものからエントロピーを抜き取ることを目的に使われるものを、低エントロピー資源という。エントロピーは「乱れ」とか「無秩序」とかいわれるが、資源論の範囲でいえば、「汚れ」が最も良い表現だと思う。そうすると、低エントロピー資源は雑巾ということになる。
君:原料や熱などが持っている汚れを、水や石油がぬぐい去る。そして、製品が生まれるということだね。
彼:そういうことだ。そして、その過程で雑巾が汚れる。それでは、雑巾として使える低エントロピー資源の条件を考えよう。まず、汚れをぬぐい去る能力が大きいことだ。つまり、新しい雑巾と汚れた雑巾のエントロピーの差が大きいことだ。次に、この雑巾は使いやすくなければならない。使いにくい雑巾は、それを使う過程でエントロピーが発生してしまう。そのエントロピーをぬぐい去るのに別の雑巾が必要になるからね。
君:具体的に言うと?
彼:ウラン鉱石なんかそうだね。ウラン235は石油2トンと同じだといわれている。だけど、ウラン235を1g得るには、ウラン鉱石を200g必要とする。鉱さいまで含めれば、1トンもの資源が必要だ。それから、掘り出した後も加工し、原子炉で燃やし、放射能の後始末をしなければならない。その間に多量のエントロピーが出る。それをぬぐい去るのに別の雑巾、つまり石油と水が必要なんだ。
君:ウラン鉱石はすぐ汚れる雑巾なんだね。
彼:こういうふうに整理すると、エネルギー問題というのは、エントロピー問題であることが分かる。良質の低エントロピー資源さえ手に入れれば、動力源はどこにでも転がっているんだ。だから、エネルギー資源という言葉は良くない。動力を生産するのに別の低エントロピー資源が必要なのか、その資源だけで動力になるのか。そこかを区別することが大切なんだ。ところで、原油だったら精製して使うし、石炭もコークスにして使うことが多いよね。この加工工程では、原油や石油の一部が消費されてしまう。それから、これらの資源を導入する際にもエントロピーが発生する。それに、資源を使用した結果として生じる廃物廃熱を処理するときにも、エントロピーを生じる。このようなエントロピーを技術損失と言おう。そうすると、製品の最終的な拡散能力は、資源固有の拡散能力から、技術損失を差し引いた残りになる。
君:利用可能な拡散能力 = 資源固有の拡散能力 ? 技術損失、だね。
彼:そうだ。低エントロピー資源とは、利用可能な拡散能力が正の値として残るような資源だ。食糧や水などはこの例だ。しかし、石炭をガス化したり液化したりすると、多段階の反応が必要になり、その過程でたくさんのエントロピーを発生してしまう。こういう燃料は、あまりにももったいないと思うね。ところで、拡散せずに保存されることによって使用価値を生み出している資源もあるね。
きみ:と言うと。
彼:家を造っている木材なんかがそうだ。木材に期待されることは保存、つまり等エントロピーに近い状態を保つ能力が求められている。それから、鉄鋼や石材、金塊なんかも保存する能力に期待がある。化学工業では、反応で変化しない触媒がそうだ。それから、コピーの原稿、ゴム印、DNAなどの鋳型も保存能力が期待されているものだ。資源というものは、拡散する能力以外に保存する能力も使用価値としている。そして、拡散する能力が、世の中のすべての活動を作り出し、保存する能力がこれを円滑に進行させる役割をはたしていると思う。例えばDNAのはたらきは、ブドウ糖の拡散能力がエントロピーになることによって進行する。DNA自身は鋳型であって、いろいろな化学物質つくったり、配置する際に不可欠なものだ。
君:なるほど。
彼:それから、最近では省資源のためにリサイクルがもてはやされているが、これも考え物だね。拡散能力や保存能力を充分残している資材を再利用する場合は、確かに省資源だ。しかし、廃物を原料にしてリサイクル加工するときは、必ずしも省資源でないことがある。廃物は一般にエントロピーが大きい。だから、それを用いて製品を作るときは、回収、分別、再製錬の過程で大量のエントロピーが発生する。それを吸収する雑巾として、水や石油が大量に使われる。それに、再生品は品質が悪くて、わずかの耐用年数の後ですぐゴミになるという批判には説得力があるね。
君:何でもかんでもリサイクルすればよいというわけではないんだね。
彼:次に、労働と技術のことを考えよう。あらゆるものの拡散能力は、拡散してエントロピーになっていく。しかし、どのような道筋を通るかは一義的には決まらない。拡散能力を持つものが、たまたまどのような拡散される空間と接触しているかによるんだ。それから、拡散が起こる速さもまちまちだ。だから、拡散能力を人間にとって好ましい路に乗せ、好ましい速さで起こすために、労働や技術が必要になる。例えば、急流をせき止め、あらかじめ用意した別の水路へ流して、発電することなどだ。しかし、労働や技術は低エントロピー資源の拡散能力を増やすことはできない。労働や技術は拡散能力を実用化しているだけだ。
君:人間の労働も開発した技術も、熱力学の範囲内のことしかできないということだね。
彼:技術の役割は、物事の多様な消費経路の可能性から、特定の一つを見いだして実現することだ。石炭と鉄鉱石があっても、技術がなければただの石ころだね。こういうものから鉄ができることを知って、人間は溶鉱炉を組み立てる。そして、コークスと鉄鉱石を入れる。そして火をつけて、じっと待つ。適当な時間の後、溶けた鉄とスラグを取り出す。これが労働だ。ここで、労働の積極的な部分は、ものを運んだことだ。それ以外は、待っているという消極的な部分だ。そこに注目したい。
君:労働とは、ものを運んで、じっと待つこと?
彼:農耕でもそうだ。作物ができそうな土地を見つけ、耕し、肥料を入れ、種をまいて、じっと待つ。つまり、自然の拡散能力と保存能力を見つけ、運搬し、待機することの組み合わせだ。ここで人間がしたことは、技術と運搬だけ。あとは自然に能力があり、自然が働いたんだ。
君:なるほど。
彼:ところで、社会を動かしている原因は、物理エネルギーではないといったよね。その原因は物事が他の空間へ拡散する能力なんだ。気象学者エムデンは1938年に『冬になぜ暖房するのか』という論文を書いて、こう言っている。「巨大な自然の工場の中で、エントロピー原理は指導者の役割をはたし、仕事全体のやり方を指図している。エネルギー原理は単なる会計係として、借り方貸し方のつじつまを合わせているにすぎない」このことは、人間の体でも社会でも言える。シュレディンガーは1944年『生命とは何か』で次のように述べている。「過ぎ去った一頃、われわれはエネルギーを食べて生きているのだと教えられて沈黙させられたことがあります。」
君:僕もそう思っているが・・・。
彼:でも、成熟した生物体ではエネルギー含量は一定であって、エネルギーを入れてまた出すことによってどんな利益があるのか?この疑問にエネルギー論では説明できない。この説明はエントロピーで可能なのだ。話をもどすけれど、生産というものは人間が幾種類かの物体と、それが拡散する空間を知ることにはじまる。そして、それらをくっつけたり離したりする積極的労働をすると、人間が待っている間に自然が働いてくれた。ここで、運搬するには動力源が必要だ。自然を働かせるには熱源が必要だ。なぜだと思う?
君:ものを運ぶのにエネルギーが必要なのは、当たり前じゃないの。
彼:でも、摩擦のない世界では水平に動かすのに動力はいらないよね。摩擦とは、エントロピーゼロの動力がエントロピーのある熱に拡散することだ。だから、物を運ぶという作業は、動力の拡散する能力をエントロピーに変えることによって成立していることになる。それから、自然を働かせるには熱源が必要だと言ったね。これは、熱源が拡散するときに、他の物質を巻き込んで反応を進行させるからだ。このように考えてくると、生産や消費という営みは、エネルギー過程ではなく、エントロピー過程だったことが分かるだろう。そして、物事の変化には必ずエントロピーの増大が伴うのだから、あらゆる変化は消費だと言える。これまで、経済学では生産と消費は対立する概念として扱われてきた。しかし、消費にならない生産などというものは、物理学の基本法則から見て存在しないのだ。
君:生産活動といえども、必ずエントロピーの増大を伴う。だから、生産も消費だというわけか。
彼:このことは、エネルギー生産に枠をかぶせることになる。一般に、エネルギー生産とはエネルギーの転換だと思われている。熱力学の第1法則から見れば、そういうことになる。しかし、そういう消費抜きの生産は存在しないんだ。多くのエネルギー生産は、エネルギーのごく一部を転換できるだけで、大部分は消費する形になっていることに注意したい。例えば、核融合計画では、生産できる動力の大きさだけを議論している。しかし、その生産過程で、石油などのエネルギー資源を大消費し、それによって生まれたエントロピーは、永遠に元に戻すことができないことを忘れているんだ。


00A−276
差出人:林 正幸
送信日:01年5月20日
件 名:電気パンの感電について

こんばんは、林です。
 このところ忙しくしています。しかしときにはメールを書かないと・・・。
 野中さんの電気パンですが、私も20年程前から気に入ってやっている実験です。最初の情報は「かわらでパンが焼ける」というものでした。何でも黒いかわらは電気が通るのだそうです。もちろんパンだねは食塩やふくらし粉(炭酸水素ナトリウム)のために電導性が生まれます。ドライイーストを使うこともできて、多面的な優れた教材であると飛びついた覚えがあります。
 さてパンを焼いて(蒸して?)いるときの感電ですが「たまたまアース線であったから」とは限りません。触るのが1点であれば、そして体が衣服とかスリッパで絶縁されておれば、平気なのです。数年前にアルケ合宿でも見せたことがある「私は100Vに触れる」という実験と同じです。そのとき私は両手を食塩水で濡らして触っていました。これは鳥が電線にとまるのと同じです。2本の足の間の電圧差はほとんどありません。もし鳥が足を長くして隣の電線にまたがったり、足を地面に着ければ感電します。電気パンも両方の電極に触れれば危険です。一般に電気が流れているところに両手で触っても、その間の電圧差が小さければ(抵抗が小さければ)平気なわけです。これは杉原さんの「どろどろ実験」にも通じることです。
 ではまた。


00A−277
差出人:野中 直彦
送信日:01年5月20日
件 名:姫竹とり

姫竹とり。正式名は根曲がり竹の子。これを取りに行ってきました。
<引用>
姫竹とりに行って来ました。(5月20日(日))
 朝6時の集合にもかかわらず、国府、古川からぞくぞくと集まる。
 第1陣は、(中略)10名で出発。現地に6:40に着くも、すでに、ゲートの前は車が8台も止まっている。小さな子も元気に、山へ入っていく、大人には、腰の高さの笹も、子どもには背丈と同じ高さで苦戦するも、強き母や父が助けながら目的地に到着。そして、いざ出陣。野中はゴーグルをかけて挑戦。「あった。あるぞ」の声にあおられながらみんな懸命にとる。初めていう人もいて、笹のはねかえりや刺さるのを我慢して1時間ほど取ることができた。
 その後、8時集合の第2陣が到着し、山へ入る。第2陣は、(中略)10人が山へ入って竹の子取りにチャッレンジする。みんなで声を掛け合いながら、居場所を声で確認しながら、1時間ほど取る。
 「100本はとったぞ」
 「少し重いかな。帰って早速、缶詰にしなくては」
 「飛騨にいるからには、山菜とりを子どもに教えなくては」
 「こういうのを先輩に教えてもらったんですよね」
 その後、場所を変えて、昼食はバーベキュー。トンちゃんと焼きそばしかにけど、午前中に山の中をはいずりまわったため、もうお腹はペコペコ。途中で持ってきたおにぎりも食べてしまったため、焼き上がるの待ちきれず、みんなはしを持って鉄板のまわりで、「早く焼けないか、早くやけないか」と待ち遠しくて仕方がありませんでした。以外に子どももトンちゃんを食べている姿に驚きました。やっぱり、山を歩いて、その後、野外で食べるバーベキューは最高です。みんなで、和気藹々で楽しい昼食になりました。
 そして、昼食後、散策したり、河原にでかけたり、つりを楽しんだりして、ゆっくりとして午後を満喫した後、全員で集合写真を撮りました。
いろんな人の協力で楽しい1日を過ごすことができました。
参加してくれた人、協力してくれた人、本当にありがとうございました。
 家に帰って姫竹の料理みんなしまたか?
<以上>


00A−278
差出人:杉原 和男
送信日:01年5月21日
件 名:電気パンの感電!

 「おもしろ実験ものづくり完全マニュアル」(東京書籍)の電気パンの項(私が書きました)を見ていただくとわかりますが、電気パンは20〜30分ほど、1A以上も電流が流れています。従って、電極板のホット側を触れても電撃は受けないはずです。人体とパン種が並列接続となり、抵抗の小さいパン種にほとんどすべての電流が流れるからです。また、人体は、床や靴があって、さらに抵抗が大きくなっています。ただ、気をつけなければならないこともあります。これは、電気パンが焼きあがった時です。パン種がほぼ絶縁状態となり、ホット側を触れるということは、コンセントのホット側を直接触れるのと同じことになります。床との絶縁状態によっては、とても危険です。片方の手で水道管などを触れると、死にますね。
 逆に、アース側なら、いつ触れても大丈夫です。電気パンの電極に限らず、コンセントのアース電極を直接触れても大丈夫です。検電器で確認して、アース側を触れるとよくわかります。
 先日、電気工事をしましたが、家中を停電にするのがいやだったので、通電したまま座布団を数枚引いた上で作業をしました。ホット側にたまに触れると、少しビリビリしました。
注:やはり、まねしない方がいいでしょうね!?


00A−279
差出人:山本 喜一
送信日:01年5月22日
件 名:逆さ試験管

こんにちは、山本です。
 杉原さん、京都大会の準備ご苦労様です。もし、司会者が足りないようでしたら引き受けても良いと思っています。転勤したばかりなのでレポートは出せないかも知れませんが・・・。
 今、大気圧の授業をしています。数式も記号も出さず、空気の分子が衝突することによって大気圧が生じることを強調しています。今日は、試験管に水をいっぱいに入れて逆さにたとき、水がこぼれないかどうかを実験させました。
 正確にやり方を書きます。
(1)まずビーカーに水を入れておきます。
(2)試験管の上まで水を入れます。その口を親指で押さえて逆さまにし、ビーカーの水に試験管の口の部分を入れて指を離します。
(3)試験管をスタンドに垂直に立てます。
(4)ビーカーを静かに引き下ろし、ビーカーの水面が試験管から離れたとき、試験管内の水がこぼれ落ちないかどうかを試します。
 試験管は口径が12mm、16mm、18mm、20mmのものを用意し、どの大きさまで水がこぼれ落ちないかを試させました。以前、逆さコップに凝っていたとき、佐々木恒孝さんという人がこの問題を数式で解いていたのを見つけました。それによりますと、口径(外径)が17.7mmまでは水がこぼれないのだそうでうす。そこで「18mmができたグループはレポートの点を2倍にする」、「20mmができたらノーベル賞だ」と言って実験させました。どこのクラスでも、12グループ中2,3のグループが18mmを成功させました。「ここのグループはできたぞ、点数が2倍だ」と実験室中に聞こえるように大きな声で言うと、他のグループの目の色が変わってきます。そして、ひさびさに生徒の生き生きとした笑顔が見られた授業になりました。なお、口径18mmの試験管とは、良く使っている長さ16.5cmの試験管です。
 では、また。


00A−280
差出人:野中 直彦
送信日:01年5月27日
件 名:本の紹介

野中です。
「市民の時代」の教育を求めて  梅田正己著 高文研 1800円+税
 この本は、現在の教育状況を把握するにはとてものよい本で、すっきりしました。そして、現在の「河上亮一的発想教育」に対抗して、私が目指したい教育が明確化できる気がします。
ただ、具体的な提案について、現場と少しかけ離れているように感じました。社会が変わり、経済も変わり、週休2日制になってくのに、どうして、変わらない教育、どうして後戻りする教育なのか。
 歴史は繰り返す。なのでしょうか。文明は一度花開くと衰退する運命なんでしょうか。


00A−281
差出人:杉原 和男
送信日:01年5月27日
件 名:京都大会に参加について!

町井弘明 先生
                  杉原 和男
 京都での合宿の案内、ご苦労様です。小野英喜先生が、「大原(三千院や寂光院のあるところです)に、宿舎を押さえている。」とおっしゃってました。
※小野先生は、パソコンが不調で、しばらくメールを出せなかったそうです。先日、京都大会のメーリングリストに登場していましたから復旧したはずです。
 私ですが、5日は参加できますが、「京都大会」の残務処理によっては、遅く合流することになるかもしれません。また、6日は早朝より仕事のはずで、ちょっとあわただしいことになりそうです。
 アルケのナイターですが、いつも「すごいなー!」と眺めていただけに、私も発表させていただければ、こんな嬉しいことはありません。ただ、私が京都のメンバーとナイターをやろうと呼びかけ中ですので、ご一緒できない可能性が高いのです。実は、京都の先生が誰もナイターをされないかもしれないという危機感を抱いております。地元なしではお話になりませんから…


00A−282
差出人:藤田 勲
送信日:01年5月27日
件 名:アルカリイオン水のこと

こんばんは、藤田です。
 今3年の選択授業で「酸,塩基,塩」の所をやっています。この分野は酸性雨のような地球環境に関わる話題から、「酸性食品、アルカリ性食品」や「アルカリイオン水」といった日常的な話まで、盛りだくさんの話題がありますね。
 「酸性食品、アルカリ性食品」は、NHKの番組「ためしてガッテン」で最近取り上げられたため、改めて注目を集めているようです。また、「アルカリイオン水」については、アルカリイオン製水器が国民生活センターから批判を受けて一時下火になったものの、ここにきて「強酸性電解水」が特に医療分野で活用され始めてから、この分野が再び活発に議論もされ、製品も色々出回ってきているようですね。「アルカリが体によい」とか「アルカリが血をサラサラにする」といった言葉はまだまだ死後にはなっていないばかりか、それが広まっていきそうな下地があるようにさえ思われます。
 しかし、「活性水素」などという得体の知れない言葉や「それを含む水が体内で吸収されると活性酸素を無毒化して水にしてしまう」などという言い方に至っては、およそ非科学的な感じがしてしまいます。それを偉い大学の先生が言っているようですから、事態は深刻ですね。
 皆さんは、こういった話題はどのように扱っていますか。好むと好まざるに関わらず、生徒はそういう情報に多かれ少なかれ影響を受けるわけですから、全く無視するという訳にはいかないのではと思っています。それどころか、このような話題に切り込んでこそ化学が生きた知識や知恵になりうるのではないかと思うのですが、皆さんはどのように思いますか。化学の基礎さえ教えれば自動的に本質を見抜く力がつく、などと楽観的に考えられるほど現実社会は単純ではありませんし、実生活に生きてこない化学でいいはずがありませんよね。


00A−283
差出人:中臺 文夫
送信日:01年5月28日
件 名:ウサギ害と鳩がいと雉がい

今晩は、中台です。
 皆さんはどう思うでしょうか。今年も空豆はほとんど食べられそうにありません。それには2つの理由があります。一つは雉害です。大きくなる前の小さいうちに雉が来て食べてしまうからです。もう一つは、私がくすりを使わないからアブラムシが増え、病気になるからです。ことしもてんとう虫が沢山来ていたので大丈夫かなと思っていたのですが、やはり病気が出てしまいました。季節柄仕方ないのでしょうか。丹精してきた半年はなんだったのでしょうか。1回は食べられるかなあ?
 ところで、こんなことを書いていると、農薬反対、除草剤反対の方はなんと言うでしょうか?農薬無しで農家をやるということは・・・、とてもしんどい作業を強いるということになります。
 アメリカの作業軽減を考えた遺伝子組み替えはいかんと思うのですが、これから超高齢化を迎える日本の農家の為にはいいことなのかもしれないな。もし安全ならばのはなしですが。
 都会の皆さんはどう思いますか。ぜひ意見をお聞かせください。


00A−284
差出人:杉原 和男
送信日:01年5月29日
件 名:持参しにくい物品について

「アルケミストの会」の皆さん
               杉原和男
 「京都大会」での「アルケナイター」に期待しております。よろしくお願いします。
 なお、その時に必要な実験器具や素材で持参しにくいものがありましたらお知らせください。可能な限り、用意します。例えば、(ドライアイス)とか、(引火性の試薬)とかですね。(ガラス器具)なんかも用意できると思います。
 私は、ガラクタ集めが大好きで、物持ちもよく、何でもといってもよいほど持ってます!?早めに、連絡してください。
sugicom@mbox.kyoto-inet.or.jp


00A−285
差出人:山本 喜一
送信日:01年8月29日
件 名:秋山さんの農業

こんにちは、山本です。
 岩波の雑誌「科学」は”あなたが考える科学とは”という特集で、4,5月合併号が出ていますね。いろいろな方面の方々が、科学についての思いを寄せています。その中に日教組の共同研究者山口幸夫先生の名前も見えましたので、買って読んでいます。
 その中に、元宇宙飛行士で現在農業で自給生活をしている秋山豊寛さんが次のように書いています。
<ここから引用>
(科学は人を幸せにしたのか、と問題を設定した後)
 私は今、農村地域に暮らしていて、自給を目指す暮らしを心がけています。鍬
を使って畑や田を耕します。トラクターや耕耘機を使う方が便利です。単位時間
の労働の成果という意味では、耕耘機を使う方が、はるかに「成果」は大きい
し、いわゆる生産性は高くなります。ただ私は、鍬を使って大地に触れるプロセ
スが無情にここち良いのです。耕耘機の排気ガスの臭いよりは、掘り返された土
の香りが、気持ちよいのです。
 自分が必要とするコメを得るために鍬で田圃を耕す時間は機械を使うよりは当
然長くかかります。時間がかかることは生産性という尺度では、劣ることかも知
れないのですが、その時間は、心地良かったり、手応えがあったりしますから、
無用な時間、不必要な時間とは感じられません。それに、生産性を上げたからと
言って一体なんなのだ、という考え方さえあり得るわけです。作業を早めに終え
て、例えばテレビなど見てもしかたないではないか、それより、この畑の匂いを
楽しんでいたい、日差しと、風を感じていたいという気持ちは、人間が生物であ
るということから来ている大変当然なものだと考えています。
<引用ここまで>
中臺さんの答えになるかどうか分かりませんが、長々と引用させてもらいました。みなさん、どうお考えですか。
 では、また。


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