幕末の銃器
     先込め銃から元込め銃への移行期

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先込め銃 元込め銃  連発銃
ゲーベル銃  スナイドル銃 スペンサー騎兵銃
ヤーゲル銃 ドライゼ銃 ヘンリーライフル銃
ミニエー銃 シャスポー銃 ウィンチェスター銃
スプリングフィールド銃 スタールカービン銃
エンフィールド銃 シャープス1859カービン  機関砲
マルチニーヘンリー銃
(ピーボディ・マルチニー)
ガトリング砲
ガットリング



 先込め銃  Musket  RIFLE以前

 ゲーベル銃  Geweer
   「Mle AN9」 1814

 ゲーベル銃
1670年代にフランスで開発され1777年にオランダは制式採用しています。
ゲベール(Geweer)とはオランダ語で小銃のこと。

 燧石式洋式銃 ( 雷管式マスケット銃 )
天保二年(1832年)高島秋帆が阿蘭陀から輸入。
燧石式の為、火縄式よりは装槙時間は短縮、雨に強く照尺はなし、しかし火縄銃より命中精度が低い。
ナポレオン式の戦術では敵の密集兵団の中に撃ち込み兵を混乱させる為に作られた銃で、精度より射程の長さ、大量生産の為の構造を簡素化。
滑腔式先込め銃でライフルは刻まれておらず、簡単に各地で模造されました。
管打式が流行ると、ゲベール銃も管打式に改められた。
管打ち式銃の操作は、左手で銃床を保持し火薬を流し込いれ弾を挿入し索杖で突き固める。
撃鉄を上げ、火門に雷管を被せ二段式の撃鉄を最後まで引き上げて引き金を引く。
後に新式薬包と弾を使用できるように改造されていきました。
ゲーベル銃は慶応三年当時時代遅れとなり新規購入者は激減していきます。
当時四両ないし三両まで値下がりしました。幕末の後半から大幅に値崩れを起こし、慶応元年壱挺五両だったものが、慶応四年戊辰戦争時は壱挺一〜二両に値崩れしますが、江戸の鉄砲屋では参両以上しました。


口径 18mm 重量 約4000g
全長 1500mm 銃身
銃剣 ライフリング なし
弾薬

 先込め銃 RIFLE

 ヤーゲル銃  jager rifle
 ヤーゲル・ライフル銃
ヤーゲル(jager。ドイツ語ではイェーガー)と呼ばれる兵士が使用するライフル銃。
イエーガーは狩猟兵若しくは軽歩兵と翻訳されるそうです。
ヤーゲル銃は狙撃用の為、照門は二段切り替え式銃身には7条のライフリングが刻まれ、命中精度を高めてある。
弾は火縄やゲベールと同じ丸弾を使用していて装槙に時間がかかる。
引き金はセット・トリガー2個の引き金が並んで見えています。
発射時には前方の引き金を前に押してから、手前の引き金を引きました。

銃身はオクタゴンバレル(8角銃身)で、バンドではなく目釘で銃床に固定されていました。

口径 17mm 重量 3800g
全長 1140mm 銃身
銃剣 なし ライフリング 7条
弾薬

 先込め銃 RIFLE

 ミニエー銃  Minie
 ミニエー・ライフル銃
 フランス陸軍大尉クロード・エティエンミニエー(Claude Etienne Minie)によって開発された特殊椎実型弾を使用する先込め管打式銃の総称
 1846年にミニエーは鉛弾後部に空間をつくり鉄や木やセラミックを充填し発射時にこの栓が弾体を拡張させライフリングにフィットさせることに成功した。
弾薬の装槙を容易にし、射程を伸ばし命中率を高め。
弾薬、火薬は、ハトロン紙で纏められている。

 フランスは1851年からアルジェリアに駐屯するアフリカ連隊に支給し、威力を示した。
 幕府は元治元年(1864年)に1861年式オランダ歩兵操典を翻訳して陸軍所の正式教範としました。同時に1861年式オランダミニエー銃を採用しています。
1861年式ミニエー銃の弾丸は仏式及びエンピロール銃(エンフィールド銃)より破壊力に優れていたためです。
1861年式は、二列火線の戦術で、フリントロック式時代には必要であった発火薬の先込めを廃止し、弾丸の装填を最初に行い、雷管を最後に取り付けるという方式を採用しました。
その他の諸藩で最も一般的な「洋式銃」として流布しました。
慶応元年当時1挺18両 慶応四年ごろには一挺9両以下に値崩れしています。

      
58ミニエボールは.5775インチ(14.6mm)の直径を持って、500グレイン(1.14オンス・32.45g)の重さがあります。

各国で規格の違う銃が多く入ってきているので、ミニエー銃といわれるものにはエンフィールド銃やスプリングフィールド銃も含まれています。

オランダ製ミニエー銃 (幕府歩兵が装備)

口径 16.6mm 重量
全長 1410mm 銃身
銃剣 ライフリング 4条
弾薬

米国製ミニエー銃 (スプリングフィールド銃)通称3ツバンド

口径 58口径
(14.73mm)
重量
全長 1410mm 〜
1345mm
銃身
銃剣 456mm ライフリング 3条
弾薬 ミニエー式円筒-円錐の鉛弾頭
70グレインの黒色火薬

通称2ツバンドは全長1195ミリ


 先込め銃 RIFLE

 スプリングフィールド銃 Springfield Trapdoor
Springfield Trapdoor infantry Rifle  Model M1863
1861 Springfield infantry Musket
Model 1842 Springfield infantry musket with 1853

スプリングフィールド銃

Springfield Trapdoor infantry Model M1863 

当時は18.73ドルの平均値段で納入されています。

Class 1 - $20.00, Class 2 - $19.90, Class - 2 1/2 $19.00, Class 3 - $18.00, Class 4 - $16.00. 

finish, 52 3/4" long with 2 3/4" drop and 13 1/2" trigger pull. Barrel is armory bright, 58 caliber, 40" long. 

アメリカ陸軍が使用したスプリングフィールド銃と呼ばれる各種の小銃はマサチューセッツ州スプリングフィールドにあった小火器専門の兵器工廠に由来します。

 M1866 

        

同工廠は1986年に閉鎖されています。

Civil War (南北戦争1861年〜1865年)当時から北軍の軍器工場で作られたTrapdoor rifleは頑丈で信頼性の高い兵器だが、製造費節減の為にライフリングが3条に減らされたために命中精度が落ちてしまいました。

度々のモデルチェンジが行われ、1893年まで生産されました。

M1863モデル (27万3265挺生産)

口径 58口径
(14.73mm)
重量 3972g
(年式によって軽重あり)
全長 1345mm
(年式によって長短あり)
銃身 1016mm
銃剣 456mm ライフリング 3条
弾薬 ミニエー式円筒-円錐の鉛弾頭
70グレインの黒色火薬


 先込め銃  改造 元込め銃  ライフル 

 エンフィールド銃  Enfield Riffle
 
 three band  P53  infantry
 
 two band
   P60   short Rifle
 エンフィールド銃  エンピロール銃とも呼ばれる。
 エンフィールド銃、通称「三つバンド」は横浜の武器商スネル、長崎の武器商グラバーを含め多くの武器商人が幕末の日本に多数輸入しました。

通称「三つバンド」。画期的な性能のこのミニエーライフルは欧米各国が採用し、イギリス・アメリカ・ベルギー・オランダ等が生産しました。
イギリスのエンフィールド兵器工廠で生産されたエンフィールド銃は優秀で、1853年に英国で「P1853」の名前で制式採用された他、南北戦争中の南部連合に輸出されました。
南軍では命中精度の高いエンフィールド銃は重宝されましたが北軍の海上封鎖を受けた為弾薬不足に陥ってしまいました。
 終戦と共に余り、外国商人の手によって幕末の日本に多数輸入されました。
エンフィールド銃は火門を保護する為の火門蓋が用心鉄の鋲から鎖で結ばれています。
また弾丸はブリチェット弾と呼ばれる新式弾頭を採用。  
                      bullet    

エンフィールド銃はサイドハンマーの下にヴィクトリア女王の王冠を模したマークとTowerの刻印が有りました。

       

日本では此の銃をタワーミニエー(鳥羽ミニエー)と呼んで他のミニエー銃と区別しました。
この銃の輸入総計は5万3023挺といわれていますが、実数は倍くらいは入ってきました。
火薬は当初、粉末のまま入れて突き固めてから、弾丸を入れていましたが、後に紙製の火薬筒を輸入して込めてつかいました。
この筒を、幕末技術開発の進んだ佐賀藩は自作製造して、火薬筒と弾丸を薄紙で密着したカートリッジタイプのものを発明しています。
慶応元年40両平均で売られていました。 
その後値下がりして慶応3年以降12両程度から17両で売られていましたので、これを買い入れて後送式のスナイドルに改造されています。

 three band
口径 557口径
(14.14mm)
重量 3890g
全長 1232mm
(48.5インチ)
銃身 990mm
(39インチ)
銃剣 432mm
(17インチ)
ライフリング 5条
弾薬 ブリチェット弾

 two band
全長   
銃身   33インチ  (83.82cm.)
重量   3110g


 元込め銃  ライフル

 スナイドル銃  Snider Riffle
写真1  infantry P1864 ( 三バンド )
写真2 markU infantry( 改造スナイドル・元銃 P53 )
 スナイドル銃  スニーデル スナイダーと呼ばれることもあります。
1864年、イギリス陸軍は先込めミニエー式のエンフィールド銃の改造を公募します。
ヤコブ・スナイドル(Jacob Snider・米国)の開発した銃尾装置が入選しました。
銃身後端の上半分を削り取り、此の部分に右側に飛び出す可動式のブリーチを付ける物でした。
ブリーチの中には撃針が組み込まれており、激発にはエンフィールドのハンマーが無改造で使用されました。

MkI - for original Pottet case - breech has rounded rebate for case rim.
MkI* - MkI altered to use Boxer case ie breech rebate altered to square. 写真3 
MkII* - as per MkI* but built that way not altered from MkI. 写真2
MkII** - breech block design changed to strengthen.

MkIII - Purpose built, (not converted) with steel barrel and locking lug mechanism for写真5 securing breech, replacing the latching pin of earlier models

 イギリス軍は此の構造を使用してミニエー式エンフィールド銃を元込め式に改造、1866年制式化します。
遊底が煙草入れの蓋のように右側に開閉でき、莨嚢式元込銃と呼ばれました。
ボクサー式金属薬莢を使用し、暴発率の低下が実現し、高度の威力を示すことに成功しました。

          
 慶応二年一挺三十六両、慶応四年には一挺二十六両と高価であったので普及せず、その中で三田藩では慶応二年末にスナイドル銃三百五十挺を五十石取り以上の藩士全員に強制的に買わせ一挺の価格は三十六両でした。
戊辰戦争後期に至ってようやく薩摩・長州軍が主力装備としました。
一度装備が進めばその信頼性から兵士達の評価は高く、また多くのエンフィールド銃の後部を改造してスナイドル銃に改造
しています。
明治政府はスナイドル銃を十三年式村田銃採用までの制式銃として装備します。
英国では1890年まで制式銃として使用されていました。

歩兵銃 (英国製 three band)  写真1&2
口径 557口径
(14.14mm)
重量 約4000g
全長 1240mm 銃身
銃剣 ライフリング 5条
弾薬 ボクサー式薬莢 椎実弾
射程距離 820m

Short Rifle(二ツバンド)   写真3&4・5・6
口径 .557(14.14mm)  ライフリング 5条
弾丸 椎実弾  
     

歩兵銃
(本邦改造三ツバンド・P53)
 
(スプリングフィールドの改造銃とも混同がありますがライフリングは3条なので簡単に区別がつきました)

 写真3  short Rifle MKT P1856−1864

 写真4   左右の向きが違います。枠内の真ん中が銃口になります。
     
 写真5  Indian Snider-Enfield MKIII Short Rifle
 写真6   左右の向きが違います。枠内の真ん中が銃口にになります。
 


 元込め銃  ライフル 

 ドライゼ銃 ( ツンナール銃 ) Zundnadel-Gewehr ボルトアクションタイプ
 
 1862 dreyse infantry needle rifle



 ドライゼ銃
1841年、プロシアの錠前職人ドライゼ(Johann Nikolaus Von-Dreyse)によって開発された世界最初のボルトアクション式元込め銃。正式名称はチュントナーデ・ゲベーア(Zundnadel-Gewehr)で、日本ではツンナール銃とも呼ばれていた。
ドライゼ銃は、遊底が円筒形で、内部に撃鉄や撃針、コイル発条等が組み込まれています。
撃針は、通常の銃と違い弾薬筒内の装薬を貫いて、弾履にある雷汞を打撃して発火射撃します。
撃針に細い針が用いられており破損しやすく不評でした。
1)ボルトハンドルを起こして引く→2)開いた薬室に弾を入れる→3)ボルトハンドルを押し、薬室を閉じる→4)撃鉄を起こす→5)引き金を引く
(トリガーを引くと、撃鉄がバネで撃針を強く叩き、弾薬筒内の装薬を貫いて弾丸の裏にある雷汞を叩く。雷汞は衝撃を受けて発火爆発し、装薬も誘発して爆発し、弾丸が発射されるというしくみです)

 弾丸は、特殊な「ドライゼ式紙薬莢」で、弾丸の径は口径より小さく、弾丸後端を包んでいる紙製の弾履とライフルにより弾丸に回転を与える様になっている。
 我が国では、別名で「ツンナール銃」あるいは「火針銃」とも呼ばれていた。戊辰戦争以外にも西南戦争でも使用されている。
口径12.6ミリのタイプや口径14ミリ、14.5ミリの銃が輸入されていたらしい。

歩兵銃
(1862年式三ツバンド)

口径 15mm 重量 約5000g
全長 1340mm 銃身
銃剣 ライフリング 4条
弾薬 ドライゼ式紙薬莢 椎実弾
射程距離 820m

騎兵銃(1862年式)
口径 15ミリ 全長 790ミリ    重量 2.7キロ ライフリング 4条
弾丸 椎実弾

歩兵銃(1870年式三ツバンド)
口径 14.5ミリ 全長 1350ミリ 重量 5キロ   ライフリング 4条
弾丸 椎実弾   


元込め銃  ライフル 

 シャスポー銃    Chassepot      ボルトアクションタイプ

Rifle Chassepot M1866

 

シャスポー銃  Rifle Chassepot M1866

Antoine Alphonse Chassepot (1833〜1905)のボルトアクションの元込め銃。

ドライゼ・ライフル銃の欠点である長すぎる撃針を短くして、更に薬莢を改良してあります。

薬莢は可燃紙製で、底部には糊で固められたリンネル(リネンlinen)で包まれ、此処に雷爆粉を張り付けて有ります。

湿気の多い日本では手入れが大変な白磨きの鋼鉄製で、薬莢も雨に弱く使い辛い物でした。

1866年にフランスで歩兵銃に採用され、メンタナMentana (1867年11月3日)の戦場で初登場、1870年プロシア戦争やパリ・コミューンの鎮圧にも用いられました。

慶応2年(1866年)12月ナポレオン3世から幕府に二千挺おくられたが、実用には向かなかったらしい。
慶応四年、伝習隊では五百挺を使用するも弾の補充が出来ずに苦労しました。

弾丸 24g 装薬 5.5g 
元込め(中心折)ボルト・アクション中心打式
遊標板式照尺付き  
口径 11mm 重量 約5000g
全長 1300mm 銃身
銃剣付き全長 1879mm ライフリング 4条
弾薬 ドライゼ式紙薬莢
射程距離 650ヤード
(約594m)

Country Of Origin: France Length: 6 ft. 2 in

Designation: Long Rifle  Weight: 9 lb 5 oz

Cartridge: .433 in muzzle velocity  1328 f.s

Production Date: 1866 weight of bullet (lead)  386 grains

Capacity: 1 round weight of charge (black powder) 86~4 grains


元込め銃  ライフル 

 スタールカービン銃 Starr Percussion Carbine
 Starr Percussion Saddle ring carbine
  Starr Percussion Saddle ring carbine

スタールカービン銃 Starr Percussion Carbine

スタールカービンStarr Carbineは日本では人気がありませんでしたが、よい銃として世界中の兵に人気が有りました。1858年カービン銃の最初の物として出ています、カービン銃とは銃身が短く軽い滑腔銃またはライフル銃の事で慶応年間の横浜では Starrカービン は40両もしました。
レバーアクション式として使いやすくダブル・レバーアクションでした。

外観はスペンサー銃に類似しているが、撃発機は独立しており、火門を有する雷管外火式と底碪内に撃鏨を持つ縁打式の2種類がある。
軽量で本来は騎兵用でしたが、乗馬しない将校、砲兵等も使用しました。

口径 557口径
(14.14mm)
重量 3400g
全長 960mm 銃身
銃剣付き全長 ライフリング 5条
弾薬
射程距離


元込め銃  ライフル 

 シャープス1859カービン Sharps Percussion Carbine
 1859
 1863
シャープスカービン銃
1859年、米国シャープス・ライフル社で開発されたレバーアクション式元込めライフル銃。
薬莢は可燃リンネル製だが、金属薬莢の使用も可能でした。
外観はスペンサー銃に類似していました、独立した露出撃発点火装置を備えていて、銃尾に刻まれた垂直な臍に従って銃尾機関を上下させます。
普段は引き金の用心金の役目をする梃子を動かして、機関を下げて薬莢を入れ、元の位置に戻し、その時に遊底に付いたナイフ状の鉄片が紙製薬莢の後端を切り開き、直接に点火を行いました。
騎兵銃としては比較的高い威力を持つていました。
シャープス・カービン銃は、南北戦争で北軍が正式採用し、8万512挺(8万6512挺)が納入されて活躍しました、南軍も購入しましたしイギリスにも輸出されました。
1863年に改良が行われ、M1863として真鍮製の銃身バンド、用心鉄、台じり等が鉄製に改められました。
慶応4年当時30両。
庄内藩は30両から最高45両で600挺を調達しています。

口径 52口径
(13.52mm)
重量 約4000g
全長 953mm 銃身 546mm
銃剣付き全長 ライフリング 6条
弾薬
射程距離


 元込め銃  ライフル 

 マルチニーヘンリー銃  (ピーボディ・マルチニー銃) Martini Henry Rifle
                                        レバーアクション 

Martini-Henry infantry Mark I (1871-1876)

Martini-Henry Carbine Mark I (M-H Carbine, Cavalry Mark I) (1877-1882)

  銃弾は様式によって小さくなっていきます。
 マルチニーヘンリー銃   (ピーボディ・マルチニー銃) Martini Henry Rifle

1866年に開発された英国製底碪式元込めレバーアクション小銃。

1862年にアメリカのH.O.ピーボディが基本形を考案しスイスのフリードリッヒ・フォン・マルティーニ(Friedrich von Martini )が実用的で頑丈な構造に改良します。

エディンバラのアレクサンダー・ヘンリーが銃身の七条右廻りライフリングを特殊な形に切り、弾丸の旋回力を向上させました。

スナイドル銃と同じく口径が大きい為に反動が大きく兵士は指の負傷に泣かされました。

慶応四年に庄内藩に於いて制式装備しています。

口径 557口径
(14.14mm) /
450口径
(11.4mm)
重量 8.9lb
3900g)
全長 49インチ
(1250mm
マーク111
49.5インチ
銃身 33.2インチ
(842mm)
銃剣付き全長 ライフリング 7条右回り
弾薬
射程距離


The Martini Henry rifle measured 49” (125cm) in length. (49.5” on the mark 111) and has a 33.2” (84.2cm) Henry rifled barrel, consisting of seven .03” groves twisted right, one turn in 22”. Stock was Italian Walnut.

Unloaded it weighed 8.9lb or 3.9kg.


元込め銃 連発銃 ライフル 

 スペンサー騎兵銃  Spenser repeating Riffle レバーアクション 
 騎兵銃 
 連発構造

 歩兵銃(三ツバンド)
スペンサー騎兵銃
1860年アメリカのクリスチャン・スペンサー(Christian Spencer,)によって発明された世界最初の元込め式連発銃。
北軍の正式銃としてJanuary 1, 1861 - June 30, 1866の間にSpencer - 9万4196挺が納入されたとの資料があります。
弾倉は床尾端の装填孔より管に依って尾槽に連結され、弾薬筒の装填後、管底にコイル・スプリングを持つ鋼鉄製の弾倉管を挿入します。
弾薬はこの弾倉管スプリングによって順次薬室内に送られました。
弾薬等が一度に複数出る事を防ぐ為に、尾槽内に駐填子が有り、これを操作して連発・単発を切り替える事が出来ました。
チューブ式弾倉を銃床尾より挿入し、レバーアクションによって一発ずつ装槙されます、レバーアクションとは引金近くにあるレバーを下に引いて空薬莢を排除、次弾を装填する方式です。
レバーアクションは馬上や要塞などでは使い易いが、伏せ撃ちが基本の歩兵には使いにくく、連発式故に無駄弾を撃ちすぎてしまうなどとも言われ、弾詰まりするとか細かい欠点は上げれば切りがありませんでした。
開発元のアメリカ陸軍は制式採用に関して「従来型の単発元込め銃の方が良い」として見送りました。

スペンサー騎兵銃は、慶応二年当時横浜での元卸価格は37ドル80セントでした。
これは
二十八両二分に相当しました。
慶応四年当時に標準装備していたのは、佐賀藩と黒羽藩の両藩にとどまりました。
戊辰戦争中には、薩摩で1万6015挺、佐賀藩で2000挺に達しています。

歩兵銃(三ツバンド)

口径 50口径
(12.7mm)
重量 4600g
全長 1187mm 銃身
銃剣付き全長 ライフリング 6条
弾薬 椎実弾
射程距離

騎兵銃

口径 50口径
(12.7mm)
重量 3850g
全長 940mm 銃身
銃剣付き全長 ライフリング 6条
弾薬 椎実弾
射程距離


 元込め銃 連発銃 ライフル 

  ヘンリーライフル銃 Henry repeating rifle
 1862 
 1862
 記念レプリカ
 Gettysburg Tribute Henry Rifle
  Left

  Right

ヘンリーライフル銃 Henry repeating rifle

ヘンリーライフル銃は南北戦争前の1860年から作製されました。

Bebjamin.T.Henryは彼の名前によって知られているカートリッジとライフル銃の両方を発明しました。     
レバーアクションはヴォルカニック・ライフルを改良したものです。

44口径のヘンリーリムファイアーカートリッジは最初の実用的な金属カートリッジでした。  

ヘンリーライフル銃の大部分は南北戦争の間に作られました。

連邦政府によって1863年7月23日から1865年11月7日の間に購入された総量は、1,731挺のライフルと461万400個のカートリッジです。

この銃はメインとコロンビア特別区機甲連隊に配備されました。 

the 1st Maine and 1st District of Columbia cavalry regiments) 

単発で銃弾を供給する口が開いておらず、装填してある弾を撃ち尽くし再度弾を込めるのが難しいことでしたが、一挺42ドルから50ドルも出して北軍の多くの兵や将校が個人で購入するものが続出しました。

ヘンリーライフル銃の合計はおよそ一万三千挺が1860年と1866年の間にニュー・ヘイヴンArms社によって作られましたが、1866年に、会社はWinchester Repeating Arms社になりました。

Winchester Repeating Arms社のYellow boyモデルは、続き番号で作製され続けられました。
装弾数後期16発

口径 44―40口径
.435)
(11mm)
重量 9.8ポンド
(4450
g
装弾後総重量
全長 43.5インチ
(1105mm)
銃身 24.25インチ
(61.6cm)
銃剣付き全長 ライフリング 5条
弾薬 ヘンリーリムファイアー
カートリッジ
射程距離 600ヤード
(550mm)
有効射程 300ヤード
(275mm)


 元込め銃 連発銃 ライフル 

 ウィンチェスター銃  Winchester repeating Rifle  レバーアクション 
 M1866 Turkish Contract Winchester 
 M1866 Rifle
 Yellow Boy Carbine
 M1866  Carbine
 M1866  Carbine

ウィンチェスター銃   repeating rifle

1866年のウィンチェスターライフル銃は44口径リムファイアーです。
レバーアクション式の草分け(レバーを押し下げると、空薬莢が上部から飛び出し、レバーを戻すと次の弾薬が装填される)ヴォルカニック・ライフルを改造したヘンリーライフルを、改良したものです。
ウィンチェスター・モデル1866・44口径カービンはYellow Boyとして名が轟き、インディアンは、それをSpirit Gunと呼びました。
1866年から1873年(1893年?)まで改良を続けながらおよそ16万挺が生産されました。

124995〜140000まではHenry Rifleと重なり〜170101番まで生産されました。

ライフル    銃身長 24 1/4inch O.A.L. 43 1/4" 重さ 8lb 8oz 口径 44-40

ショートライフル銃身長 20inch O.A.L 39 1/4"    重さ 7lb 8oz  口径 44-40

カービン    銃身長 19inch  O.A.L 38 1/4"    重さ 7lb 4oz  口径 44-40


M1873 Carbine


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先込め銃 元込め銃  連発銃
ゲーベル銃  スナイドル銃 スペンサー騎兵銃
ヤーゲル銃 ドライゼ銃 ヘンリーライフル銃
ミニエー銃 シャスポー銃 ウィンチェスター銃
スプリングフィールド銃 スタールカービン銃
エンフィールド銃 シャープス1859カービン  機関砲
マルチニーヘンリー銃
(ピーボディ・マルチニー)
ガトリング砲
ガットリング

編集予定
Schaumburg-Lippe(バウムガルテン銃)    
マンソー騎銃


銃器
黒字は各資料より信頼性の高い数字

(赤字括弧内は酔芙蓉本文の寅吉の紹介を含む卸販売価格)

(青地括弧内は酔芙蓉での仕入れ価格・本来の交換レートは横浜相場が変動しているので暫定的なものです)


元治二年

慶応元年

1865年)


慶応三年

1867年)


慶応四年

明治元年

1868年)

ゲーベル 

Geweer

壱挺五両

壱挺三〜四両

壱挺一〜二両

ヤーゲル  

jager Rifle

壱挺五両 

ゲーベルに順ずる

ゲーベルに順ずる

ミニエー

Minie

壱挺十八両

壱挺十二〜十七両

壱挺九両以下

スプリングフィールド

Springfield

連邦政府買い入れ(1862年当時)平均

18.73ドル

Minieに順ずる

Minieに順ずる

エンフィールドEnfield

壱挺三十両

壱挺十七両

(英国製以外は十七両〜十二両)

 






スナイドル

1864年〜 )

Snider


慶応二年

壱挺三十六両

壱挺三十〜二十八〜二十五両


(二十二両二分〜二十三両二朱)

壱挺二十五両

 

(明治年9ドル30セント9円30銭

改造銃
エンフィールド兵器工廠
(改造銃二十四〜二十両)
改造銃
(亜米利加 他)
( 〜十二両)
(十八両)

Short Rifle


(8ポンド10lリング・二十一両一分)
(三十両)

Short Rifle

Indian Snider Enfield MKII

(28ドル34セント二十一両一分)

ドライゼ

Zundnadel-Gewehr

 

 

 

バウムガルテン
Schaumburg-Lippe
(12ポンド10シリング)(銃弾二百発つき)

シャスポー

1866年〜)

Chassepot

慶応二年

(壱挺六十両)

 

()

()

壱挺三十両

 

スタールカービン Starr Percussion Carbine 

壱挺四十両 

壱挺四十両

()

()

壱挺四十両 

シャープス

1859カービン Sharps Percussion Carbine 

 

壱挺四十五両

1863(壱挺三十四両)

1859(壱挺二十四両〜二十両)

壱挺四十〜三十両

マルチニーヘンリー

1866年〜) 

(ピーボディ・マルチニー)

Martini-Henry

 

infantry

壱挺 百〜五十両

18ポンド四十五両)

(四十八両)

 

Carbine 17ポンド四十二両二分)
(四十五両)

スペンサー騎兵銃  Spenser repeating Riffle

壱挺四十両 

37.80ドル)

壱挺三十五〜二十八両

中古壱挺二十五両

(壱挺二十二両三分)

(壱挺二十五両)

 

ヘンリーライフル

186066年)

Henry repeating  Rifle

米国値段

186265年)

壱挺42ドルから50ドル

壱挺六十両

(壱挺四十両)

()

 

ウィンチェスター

1866〜)

Winchester Repeating Rifle
infantry
short Rifle
Carbine

米国値段

1866年〜)

 壱挺40ドル 

 

(壱挺五十五両)

(3種類混在・九挺315ドル 壱挺二十六両一分)

 

M1866 Turkish Contract Winchester (壱挺三十九ドル 二十九両一分)
Carbine (壱挺四十五両)

(壱挺34ドル 二十五両二分)
酔芙蓉 第一巻 神田川  目次のための目次1
酔芙蓉 第二巻 野毛 目次のための目次2
酔芙蓉 第三巻 維新 目次のための目次3

天保15年=弘化元年(1844年)   弘化5年=嘉永元年(1848年)
嘉永7年=安政元年(1854年)    安政7年=万延元年(1860年)
万延2年=文久元年(1861年)    文久4年=元治元年(1864年)
元治2年=慶応元年(1865年)    慶応4年=明治元年(1868年)

慶応4年・明治元年 慶応3年  慶応2年 元治2年・慶応元年
文久4年・元治元年 文久3年

 

 機関砲 ガトリング (ガットリング)

 ガトリング砲 (ガットリング)  Gatling gun

 Gatling_gun   年式不明  砲口が多いのは二十世紀に入ってからだろうか?。
   国立公園局所蔵(ワイオミング州ララミー砦)

Gatling_gun patent 1862

 Gatling_gun 1865モデル             Gatling_gun 1883モデル

 現代のガトリング砲 バルカン砲

 ガトリング  Gatling gun

モデル1862

1862年44歳のときに、リチャード・ガトリングはインディアナポリス(インディアナ)で彼のガトリング機関銃の最初のワーキングモデルのデモをしました。

1862年11月4日にガトリング機関銃の特許をとっています。

現在でもガトリングの基本的構造に変化はありません、上部にカートリッジをつけるタイプと砲筒を回転させる方法です。

ロックシリンダでした。
(手回しクランクによって動かされた六つのバレルが回転しました)

銃は紙のカートリッジと雷管を使用しました。
(雷管はガス漏出を起し改良の余地を残しました)

モデル1865

金属薬莢カートリッジに変化することによって、ガトリングはガス漏出に関する問題を克服しましたが、弾薬供給機構の問題に行きあたりました。

ガトリングは供給問題を修正した新しい開閉装置を設計しました。
1865年の
1インチ6
バレルのガトリング機関銃はすべて後のモデルとなるガトリング機関銃の前触れで、モデル1866と共通しています。
5050のカートリッジを簡単なブリキの箱を使用して納めました。

これらの銃は砲架にすべて取り付けられました。

改良された銃尾ボルトが新しい曲がったカートリッジを使用した1871モデル、 1872年には新しいホッパーデザインBroadwellドラムで、それぞれ二十個のカートリッジを含む二十の円形のクラスタでした。

本文でもあるように亜米利加では初期ほぼ1000ドルで連邦政府に納入されましたが、長岡藩では大砲も新式砲31門を揃え、ガトリング砲も二門揃えました。
1865年モデルまたは1866年モデルと思われますが只見町河井継之助記念館では1868年モデルと考証しています
ガトリング砲は、スネル(ファヴルブラント商会とも言われています)から1台五千両(一説には六千両)で購入したもので、当時の日本には三台しか無かったと言われ、あと一台は薩摩が買い入れており函館戦争のときに甲鉄艦(ストーンウォル・ジャクソン)に積み込みました。
( このときのストーンウォルには予め2台のガトリングが積み込まれており函館軍が一台、甲鉄に一台保有されたもいわれています。 )

当時の長岡藩では奇管砲と名付けていたそうです。
  

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kazuya22ai/ai/img/715.jpg
で使ったものはドラム式なので1883年モデルだろうか、長岡郷土資料館 に有るものです。
只見町河井継之助記念館のものとは違うものでした。http://www2.ocn.ne.jp/~tadami/kawai.htm

只見町河井継之助記念館のガトリング砲